385話 「奥へ 前編」


 食事が終わり、ニーニアと子供たちが片づけを行う。


 食事を作ってもらう代わりに食器洗いは彼女たちの仕事らしく、危なっかしくもそれなりに慣れた手付きで作業に勤しんでいた。



(こういう場所で育つほうが甘やかされないから立派に育つんだよな。ルアンとは大違いだ。そういえばあいつ、今どうなっているんだろうな? まあいいか、きっとがんばっていることだろう)



 久々にルアンのことを思い出すが、一秒で考えるのをやめた。


 彼は彼なりにがんばっていることだろう。大量の薬を置いてきたので問題はないはずだ。


 あとは自主性に任せる。これもアンシュラオン流の優しさである(嘘)。



 この間にアンシュラオンはミャンメイに礼を述べる。



「美味しかったよ。とても素晴らしかった」


「ありがとうございます。嬉しいです」


「はっきり言うけど、君には料理の才能がある。いや、そんな言葉で片付けてしまうわけにはいかない。料理の天才だ」


「そ、そこまでではないと思いますけど…」


「いやいや、謙遜する必要はないって。事実は事実だからね。ホテルの最高級料理も食べたことがあるオレからしても、この料理は卓越していると思うよ。超越している。並じゃない。スペシャルだ! 本当にすごいと思う!」


「あ、ありがとうございます」



 その言葉は心からのものだったので彼女も嬉しそうだ。


 褒められて嬉しくない女性はいないし、事実なのだからもっと褒めたいくらいだ。



「オレの妹には君が必要だと確信した。ますます欲しくなったよ。専属の料理人になってくれないか?」


「私が…ですか?」


「うん、そうだよ。これは冗談じゃない。遊び半分でもない。絶対に君を手に入れるとオレは決めたんだ」


「そ、そんなに近寄られると…あっ」


「ミャンメイ、君が欲しい」



 ドンッ


 アンシュラオンがミャンメイを押しやり、壁に手をついて追い詰める。



 巷で有名な―――【壁ドン】である。



 これをやられたらイチコロという話なので、自分もやってみた次第だ。



 しかし、身長が足りないので―――



 ぽよん ぽよん


 前のめりに手をつくと身長が下がり、ちょうど顔がミャンメイの胸に当たる形になる。



「むっ! いい乳だ!! ふんふんっ!」


「あっ、あっ!!」



 これではただの痴漢か変態である。まったくさまにならない。


 やはり身長が自分よりも高い女性に壁ドンは無理なのだ。



(壁ドンというよりは『胸ドン』だな。流行らないかな?)



 それが流行ったら、その社会はもう終わりだろう。実に破廉恥な世界が生まれる。




 気を取り直して、再度説得を開始。



「オレは本気なんだけど、スレイブになってくれないかな? 君が望むなら奥様でもいいけど」


「スレイブ…ですか?」


「抵抗がある?」


「それは大丈夫です」


「大丈夫なんだ。よかった。けっこう嫌がる人もいるからさ」


「結婚でも旦那様に仕えることは、自分のすべてを捧げることと同じですから。ふふ、自分で言うとちょっと恥ずかしいですね」



 少し古風な考え方をするタイプらしいので、どうやらスレイブ自体に抵抗感はないらしい。


 しかしながら、彼女には簡単に頷けない事情がある。



「ただ、その気持ちはとても嬉しいのですが…今はちょっと…」


「駄目なの? 好きで地下に暮らしているわけじゃないでしょう? オレの力があればすぐに出られるよ」


「え? そうなのですか?」


「うん、こう見えても頼りになるんだ。君が仕える価値があると思うけどね。料理だって好きなように作っていいし、一応同年代の女の子もいるから友達だってできるだろう。こんな場所にいるより、よほど楽しいよ」


「それは楽しそうですね! でも…兄さんが…」


「マザーから少し事情を聞いたよ。おばあさんも助けるさ。それならレイオンだって地下にいる理由はないでしょう? ラングラスには多少縁があるし、マフィアの問題も解決させるからさ」


「す、すごいですね。そんなことができるのですか?」


「もちろんだよ。任せて!」



(面倒なことはソブカに任せよう。最悪は豚君もいるしね)



 ソブカがラングラスを掌握すれば、そちらの件も簡単に処理できるだろう。


 もし駄目なら豚君を脅せばいいだろうし、恨みを買った組を潰してもいい。対処は簡単だ。


 だが、ここまで言ってもミャンメイの表情は優れない。



「たぶん、兄さんはそれでも…駄目だと思います」


「ふむ、その言い方からすると別の事情がありそうだね」


「…はい」


「本当のところは何があったの? 上で揉めたから地下に逃げてきたんでしょう? それ以外に何かあるの?」


「それは…私もよくわからないのです。『あの時』から兄さんの目つきが怖くなって…自分を痛めつけるように鍛え始めたんです」


「あの時って?」


「追われている時に、私を逃がして自分だけ残ったのですが、その後しばらく連絡が取れなくて…。ようやく再会できた時には酷い怪我をしていました」


「普通に考えれば、追っ手にやられたってことだろうけど…それが原因?」


「それも原因の一つだと思います。ほかにも何かあったのは間違いないんですけど…全然話してくれなくて。たぶん危険なことなんだと思います。私を巻き込まないようにしているんです」



(すでに地下生活に巻き込んでいる気もするが…逆に言えば、地下にいるほうが安全、という考えかもしれないな。しょうがない。レイオンの問題を片付けないとミャンメイは手に入りそうもないな。面倒だけどがんばるか。サナのためだしな)



 レイオンが地下にいるのは、マザーの話を重ねても安全を考慮してと思われる。


 他に事情があるにせよ、この点だけは間違いがないようだ。


 となれば、その原因を取り除かない限り、ミャンメイも納得はしてくれないだろう。


 どうせならば気持ちよくスレイブになってもらいたいものである。ここはしっかりと対応したほうがよいと判断した。



「わかった。それは当人に直接確かめてみるとしよう。原因がはっきりしないと君だってすっきりしないだろうしね」


「はい。お願いします。兄さんもホワイトさんには多少気を許しているようですから」



(力の差を思い知らせたからね。武人ってのは扱いが楽でいい)



 レイオンはアンシュラオンの強さを知った。


 ちょっとした差ならば「悔しい」という感情も浮かぶが、あまりに離れているので恐怖と崇敬の念しか浮かばないのだ。


 これも戦罪者たちと同じ状況である。



「ただ、君を危険に晒すわけにはいかない。何かしら手を打たないとね。レイオンが負けても最悪は力づくで取り戻すことが可能だけど、この場所を壊しに来たわけじゃないからね。ハングラスのおじさんとも仲良くなっちゃったし、普通の方法で解決したいとは思っているよ」


「あ、あの、どうして私にそこまで…」


「言っただろう。君が欲しいからだよ」


「…あっ。…ぽっ」



 ミャンメイの顔が真っ赤になる。


 仮面がないアンシュラオンの魅力は、普通の女性には耐えきれないものだ。


 彼女も自分のことは気に入ってくれているはずなので、これだけならば相思相愛なのだが、レイオンという問題が残っている。



「レイオンのことは任せておいてよ。当人次第だけど、刺激を与えることはできると思うからね。それじゃ、オレはちょっと出かけてくるよ」


「こんな時間にどちらまで?」


「野暮用を片付けようと思ってね。そうそう、妹をよろしくね。どうやら君が気に入ったようだ」


「…じー、ぎゅっ」



 サナは食事が終わってから、ずっとミャンメイの傍にいる。


 彼女の隣に立ち、服を握って離さないのだ。



(これは間違いない。サナも【気に入った】な)



 この現象は見覚えがある。


 シャイナやサリータ等、自分が気に入った相手がいると連れ回そうとするのだ。


 今回の場合は特に移動する場所もないので、こうしてぎゅっと握って「これは自分のもの」というアピールをする。


 何を基準にして選んでいるのか不明だが、サナは本能的に自分にとって必要な人材を選んでいるのかもしれない。


 サリータは護衛(囮)として、ミャンメイは食事係として、シャイナはペットとして。


 まだ幼い自分に必要なものをしっかりと見極めているのだ。たいしたものである。



(サナが気に入った以上、絶対に手に入れよう。この子の性格ならば他の女の子たちとも衝突はしないはずだしね。独立した際にはホロロさんの助けにもなるはずだ)



「黒姫、ミャンメイを守れるか?」


「…こくり」


「よし、自分が欲しいものは自分で守るんだぞ。お兄ちゃんは『奥』に行ってくるからな。戻ってくるまでここを任せるぞ」


「…こくり、ぐいっ」



 サナは拳を握って誓いを立てる。やる気満々だ。



「じゃあ、お兄ちゃんは行ってくる。あとは任せたよ」


「…こくり」





 アンシュラオンは、サナからそっと離れる。


 本当は離れたくないが、これには目的があるのだ。



(前回の戦いではサナと離れることになった。状況によっては同じことが起きる可能性がある。オレもサナも、それを想定した鍛練が必要だな。少しずつ慣れていけばいいさ。ふむ、サナは一人になっても命気足があるから大丈夫だろうが…念のためにモグマウスも数体は忍ばせておくか。戦気が遮断されるから自律行動になるのが不安だけどな)



 前回はアーブスラットの戦術によって、サナはかなり危ない状況に陥っていた。


 それはやはり状況に慣れていないことも大きいだろう。常日頃から防災訓練をしていないと、いざ本番になっても上手く動けないのと同じだ。


 そこでせっかくなので、今回はあえて別行動をすることで慣れさせよう、ということだ。


 地下にはアーブスラット級の達人はいないため問題はないはずである。命気足があれば十分身を守れる。


 ただ、多少の不安があるのも事実だ。



(あの時の視線が気になるな。あのレベルになると命気足のサナでも対応できないかもしれない)



 気になるのは謎のロボットだけではない。試合会場で自分を見ていた視線も忘れられない。


 あれが誰だか不明だし、どんな目的があるのかもわからない。それだけが不安ではある。


 されど、その人物の悪意がサナに向けられるとは思っていない。



(あの視線の雰囲気に陰湿なものはなかった。むしろ少しカラッとしたような熱量を感じるものだったな。アーブスラットとは性質が違う感じがする。どちらかといえばゼブ兄に少し近いかな)



 アーブスラットは裏の仕事をする始末屋でもあり、水の性質を持っていることからも慎重で実利主義者であるといえるだろう。


 だからサナを狙うという選択をしたのだ。勝つためならば何でもする覚悟がある。


 一方、今回の視線の持ち主は、それとは正反対のものだ。


 堂々とこちらに向かってくるような気構えを感じた。


 たとえるのならば『王者の風格』とでも呼ぶべきか。どんな相手でも退かないといったような強い気迫が感じられた。


 だからアンシュラオンも刺激されてしまったというわけだ。



(その件を考えても仕方ない。そのうち出会うことになるだろう。それよりサナがオレと離れても寂しがらなかったことがショックだ…。もっと泣き叫んでもいいんだよ、サナちゃん!)



 兄の願望としては「やだー! お兄ちゃんと離れたくないー! やだやだ!」というシーンを求めている。


 だが、少なくとも現状のサナがそんなことを言うわけがないので、本当に単なる願望でしかない。




 そんな哀しみを―――八つ当たり。




「ちくしょう!!」



 ぶーーんっ ゴンッ



「いってぇえええええええええええええ!!」



 アンシュラオンが投げた石が、ちょうどお腹が一杯になってだらけていたトットの額に当たる。


 完全に油断していたので直撃だ。これは痛い。



「うおおお、うおおおお! いてぇええええ!」


「おい、何をぐーたらしている。お前も働け! 女だけ働かせるつもりか? このゲイが!!」


「ゲイは関係ないだろう! って、おいらは昼間すごいがんばったんだ。休む権利くらいはあるぞ!」


「アーー!にそんな権利があるものか。それにお前がやっていたのは、尻の穴に棒を突っ込んで喘ぐことだろうが。この変態が!」


「突っ込んだのはお前だろう!!」


「それを言うなら喘いだのはお前だろうが。…っと、そうだ。お前、ラングラスエリア内部には詳しいんだよな?」


「…? まあ、ここに住んでいるからね」


「よし、一緒に来い」


「え? どこに?」


「『奥』だ」


「奥? え? 奥って…ぽっ」


「しねえええええええええええええええ!!」



 ぶーーんっ ごんっ!



「いってぇええええええええ!」



 再び投げた石が額に激突。


 なぜか『奥』という言葉に卑猥な妄想を浮かべたようだ。どんなふうに思ったのかはわからないが、きっと最低なことを考えたのだろう。


 ミャンメイの照れ顔を見て高まった気持ちが台無しになった。本当にドン引きだ。



「マジでキモイな。鳥肌が立ったぞ。寒気がする。本当はお前と一緒に行きたくはないが、妹の傍に置いておくのも気持ち悪い。連れていってやるから感謝しろ」


「ええええええー? 奥ってまさか…エリアの奥のことか?」


「それ以外にないだろうが。どうやったら変な考えが浮かぶんだ」


「い、嫌だよ! どうしておいらが奥に行かないといけないんだ!!」


「オレが用事があるからだ」


「おいらにはないよ!」


「お前には人権もないだろうが。ほら、さっさと来い。マザー、トットを借りていくよ」


「はい、どうぞ。遠慮なく使ってね」


「もしかしたら怪我をするかもしれないけど、いい?」


「はーい、大丈夫よ」


「ひでええええええええ!」



 あっさりとマザーに売られるトット。


 彼が普段から信頼関係を築けていない様子がうかがえる。自業自得だ。



(さて、臭そうだからあまり行きたくはないが、仕方ない。飼い犬のために行くか)



 こうして不浄なお供を連れて、さらに臭そうな場所に赴くのであった。



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