380話 「マザーという女性」


 ウィーーーンッ ゴロゴロゴロ



「ただいまー!」


「はい、お帰りなさい」



 ニーニアが扉を開けると、一人の婦人が出迎えてくれた。


 年齢は五十歳は超えているように見えるので、ニーニアが言っていたように、彼女が『マザー』と呼ばれる人物なのだろう。


 やや深い香色こういろの髪の毛は柔らかく背中まで伸び、穏やかで優しい黒い瞳は、見る者をどこか安心させる神秘性を宿している。


 多少シワがあるが顔立ちも整っており、若い頃は美人だったことがすぐにわかった。


 あと二十歳若ければ、アンシュラオンのセンサーに引っかかっていた可能性が高い逸材だ。



(もっと老けている感じをイメージしたが、それほどじゃないな。オレが年上好きってのもあるんだろうけど、女性としての魅力もまだまだあるな。ただ、やはり『お母さん』といった感じかな)



 マザーの名の通り、雰囲気は母親といった感じだろうか。


 走りよってきたニーニアを抱きしめる姿などは、まさに母性の象徴である。


 二人は間違いなく血は繋がっていないはずだが、何も知らなければ本当の親子だと思ってしまうかもしれない。



「あら、そちらの子たちは?」



 マザーがアンシュラオンに気付く。


 こんな仮面の男女がいたら誰だって気になるだろう。



「うん、食糧庫で出会ったの。新しく来た人だって」


「あら、そうなの。ようこそ、歓迎するわ。私はエンジャミナといいます。ここの子供たちの世話をしているわ」


「初めまして、ホワイトです。こちらは妹の黒姫です。どうぞよろしくお願いいたします。ちなみにトット君とは友達ではありませんので、ご安心ください」


「なんでそこを強調するんだよ!!」


「同じゲイだと思われたくないから」


「ゲイじゃなくても友達になれるだろう!!」


「無理だ。それは絶対に無い。ノーチャンスだ。二人で歩いていたら確実に噂になる。そうだ、トット君をグループから追い出してください。バイオテロを起こす可能性があります。危険な存在はすぐに排除することをお勧めいたします」


「やめろよおおお! 新入りが生意気だぞ!」


「ゲイのほうが生意気だろうが!! キモいんだよ! 死ね!!」


「いてっ! 靴を投げるな!」



 なんと言われようと、これは絶対にはっきりさせておくべき問題である。


 もし勘違いされたらトットを殺すしかないので、彼にとっても大事なことのはずだ。


 せっかくなので中東でよく見かける靴を投げるシーンを再現してみた。これも額に直撃である。



「先生、トット君がお尻の穴に棒を突っ込んで悶えてました! 変態です! 追放すべきです!」


「なんで言うんだよおおおおおおお!」


「事実を公表されて困るようなことをするからだ。ほら、出口はあっちだぞ」


「マザー、こいつをなんとかしてくれよ!!」


「ふふふ、トットと仲がいいのね」


「大きな誤解です。トット君はみんなのために死ねばいいと思います!」


「やめろよおおおお!」


「さあ、立ち話もなんです。こちらへどうぞ」



 やはり年上の女性は落ち着きがある。


 トットへの発言は本気だったが、それを軽く受け流して奥に案内してくれる。


 それにしてもトットのゲイ疑惑に対して完全スルーなので、もしかしたら気付いている可能性がある。


 それでも受け入れるとなれば相当懐の深いご婦人だ。



「お前、感謝しろよ。アーー!でも受け入れてくれるんだからさ。いやほんと、マジでさ。毎日土下座しとけ。それが最低限の礼節だぞ」


「そっちが勝手に傷口を広げているんだろう! マザーはおいらを信じてくれているだけだ!」


「必死に否定するところもキモいんだよな」


「ちくしょーーー! 覚えてろよーーー!」




 マザーたちに案内されている間に、アンシュラオンは周囲を観察する。



(部屋の造りはさっきの部屋と同じか。違うのは最低限の生活空間があるということだな。グラス・ギースの下級街に近い質素な室内…という感じかな)



 周囲に見えるのは、普段の生活で必要な日用品が大半である。


 当然ながら領主城のように彫刻や皿が飾ってあるわけでもないので、生活レベルとしては下級街と同程度だろう。


 まず地下でも地上と同じような生活を営めるだけでも見事であるし、部屋は綺麗に整頓されており、花瓶に花も飾られているので清々しい気持ちになる。


 殺風景な部屋でも、花が一輪あるだけで雰囲気が変わるものだ。


 そういう配慮が大切だと改めて感じた瞬間である。



「それはマザーが飾っているんですよ」



 じっと見ていたせいだろうか、ニーニアが教えてくれた。



「さすが年上の女性だね。素晴らしいよ。これだけで部屋の雰囲気がとても柔らかくなっている。ところで地下にも花なんてあるんだね」


「はい。値段はかなり高いですけど、上から来る物資の中にあるんです。ただ、これは初めてここに来た時にマザーが買ったものなので、年数を考えれば安いですね」


「へー、そうなんだ。………ん? 今何か変なことを言った?」


「…え?」


「いやほら、初めてここに来たときって…」


「あっ! ああ、はい! そうですね。…知らない人が見たら不思議ですよね」


「君がここに来たのって五年前だっけ? それからずっと花が枯れていないの?」


「そうですね。水は取り換えてますけど…」


「肥料とかは?」


「あげていないと思います。普通に水を入れているだけですから」


「その水ってどこから持ってきたもの?」


「上からの物資の時もありますが、地下水もあるんです。花は地下水ですね」


「地下水はいつも飲んでる?」


「煮沸してから飲むことも多いです。でも、普通の味ですし、特に問題はありませんよ」



 ニーニアは少し首を傾げただけで話を終わらせてしまう。


 おそらく慣れきっているのだろう。これは彼女にとっては当たり前のことで、日常の一風景にすぎないのだ。



 が―――異常だ。



(花が五年も枯れないなんて聞いたこともないぞ。花なんて下手をすれば一日で枯れてしまうようなものだ。この花の種類がそういうものって可能性もあるけど…そんな貴重なものならば簡単に買える額ではない。…他の可能性もいろいろと考えられるが、どういうことだ?)



「おーい、早く来いよー」


「うるさい。命令するな! ぶんっ」


「ぎゃっ! いってぇええ! 物を投げるなよ!」


「当たればセーフだ」


「だから的じゃないんだよおおお!」



(ちっ、ゲイのせいで考える暇もないか。ここでは変なことも多いようだし、注意深く様子を見たほうがよさそうだな。とりあえずサナには命気水があるから問題はないだろうが…多少気になるな)





 アンシュラオンとサナは、マザーたちに案内されて客間のような部屋に通される。


 天井が多少高いのが気になるが、壁にはタペストリーなどの色とりどりの織物が掛けられているので、どこかの民族の部屋にお邪魔した気分である。



 そこにはマザーとニーニア、トットの他に、成人の男女がそれぞれ二名ずつ、四名いた。



 四人は椅子に腰をかけながら、こちらを穏やかに見ている。


 彼らは事前の情報通り、「おじいちゃんとおばあちゃん」といった年齢層の者たちであり、老婦人の手には編み針が見受けられる。


 ちらりと部屋の隅を見ると、木で出来た織り機もあったので、このタペストリーや織物は彼女たちが作ったものだと思われる。


 彼らはアンシュラオンとサナを見ると、仮面を被っているせいか一瞬だけ「?」といった表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑みに戻った。


 体格が少年なので、そういった微妙な年頃だと思われたのかもしれない。


 ちょっと心外ではあるも、嫌な視線ではない。彼らの心根がわかるワンシーンであった。



(うむ、歳相応の普通の人間だな。むしろ善良というべきか。…仮面を被ったままというのも失礼だろう。お年寄りには優しくしないとな)



 意外にも感じられるだろうが、アンシュラオンはお年寄りには親切である。


 もともとダビアのような中年男性とも仲良くできる人間だ。相手側にある程度の常識があれば最初から敵対することもない。


 重要なのは中身である。


 駄目人間には厳しく当たり、普通の相手には普通に対応するだけのことだ。


 特に老人に対しては、この世知辛い世の中を長い年月生きてきたので、そこに崇拝の念を抱く。


 自分はこうして強い身体を持っているが、弱い一般人が長く耐え忍ぶ姿には敬服するしかない。



 よって、仮面を脱ぐ。



 カポッ ファサァア



「ふぅっ…やっぱり素顔が一番だな」


「っ!!」


「どうした、ニーニア?」


「えっ…っ! い、いえ……なんでもない…です」


「ん? 髪に癖でもついたかな?」



 アンシュラオンが仮面を脱ぐと、白く美しい髪の毛がふわりと舞う。


 汗一つ掻いていない髪の毛と同じ白い肌に、血のように赤い瞳。


 周囲にあるすべての美術品が、それだけで駄作になってしまうほどの完成品がそこにあった。



 もちろんニーニアは、アンシュラオンの素顔に見惚れたのだ。



 アンシュラオンはロゼ姉妹を手に入れたせいか、同じ年齢層のニーニアに対しては、スレイブという意味合いで興味を抱いていない。


 そのせいで気付かなかったが、彼女の頬は赤くなっていた。


 この年代の少女は多感であるし、恋多き乙女である。アンシュラオンに見惚れるのは必然だろう。



 続いてサナも仮面を脱ぐ。


 アンシュラオンと対比するように美しく艶やかな黒髪、張りのある肌、深く静かなエメラルドの瞳が印象的だ。


 さすが元白スレイブ。すべてが際立って美しい。


 さらに最近武人として目覚めたせいか、『雰囲気』や『存在感』というものが身につきつつあるようだ。


 隣にいるニーニアには申し訳ないが、女性としてのポテンシャルが違いすぎる。


 一緒に並べば、おそらくすべて男性の目がサナに集中するだろう。それほどの違いだ。



「か、かわいい…」



 あまりの美しさにトットが硬直する。



 が、直後―――ゴンッ!




「―――ぶはっ!」




 アンシュラオンから仮面を投げつけられるという制裁が入った。



「おい、ゲイ。妹をふしだらな目で見るな。バイセクシャルか、お前は。ほんと、この年齢の男ってのは性欲の権化だな。アーー!はアーー!だけの世界にいろよな」


「な、なんだよ! 見るくらい、いいだろう!」


「…お前、オレには反応しないんだな。よかったわぁ…本当によかったぁ…!」


「トットはガチムチ派ですからね」


「なるほどな。そっちはそっちでパンツレスリングでもしてろよ。兄貴によろしくな」


「だから違うって言ってるだろおおおお!」




 話が進まないので、トットの一件はさっさと終わらせることにして、改めてグループのメンバーと向かい合う。



「着飾るのは嫌だから普通に接しさせてもらうね。とりあえずよろしく。妹は無口だけど気にしないで。そういう性格なんだ」


「ほほほ、そうかいそうかい。元気な子が来て嬉しいのぉ」


「そうね。若い子がいると元気が出るものねぇ。ありがたいわねぇ」



 アンシュラオンとサナを見る目は、とても優しかった。完全に孫を見る目である。


 罪人には見えないが、一応確認してみる。



「みんなは貧困街から来たの?」


「ああ、そうじゃよ。前にいた都市内で争いが多くなったからの、みんなで移動してきたんじゃ。じゃがまあ、こんなところに長く住むようになるとは思わなかったがのぉ。ほほほ」


「そうですねぇ、おじいさん。私はすっかり肌が白くなってしまいましたよ。前より綺麗になったかもしれません」


「お前は前から綺麗だよ」


「いやですよ、まったく。子供たちの前で…ふふふ」



 このやり取りを見る限り、どうやら二人は夫婦のようだ。


 ニーニアが言っていた「本当のおじいさん」というのは彼らのことだろう。



「おじいさんが、ここのリーダー?」


「名目上はの。実際の事務や雑務の大半はマザー・エンジャミナがやってくれておるよ」


「へー、マザーも一緒の都市から来たの?」


「私たちは貧困街で出会ったのです。そこからのご縁ね」


「それに付き合って地下に来るなんて、マザーもなかなかの変わり者だね」


「ふふふ、そうね。でも、それが私の役目ですからね」


「役目って?」


「あなたは『カーリス教』って知っているかしら?」


「ううん? 聞いたことがあるようなないような…どっちにしてもよく知らないかな」


「そうね。このあたりには根付いていないから、しょうがないわね」


「宗教?」


「端的に言えば…かしら。でも、私はあまり経典とかには興味がないの。ただ、自分が役立てる場所を探してやってきただけなのよ」



(やはりそうか。雰囲気が違うんだよな)



 『マザー』という言葉を聞いた時から宗教的とは思っていたが、本当にそうらしい。


 彼女を見た瞬間に思わずシスターかと思ったくらいだ。それくらいの清廉さが感じられたわけである。


 その後、軽く話を聞いてみると、カーリス教のブラザーやシスターは世界的に活動をしており、特に貧困に対する援助には積極的だという。


 しかし、援助するためには危険な地域に赴かねばならない。


 逆説的に言えば、そういう場所だからこそ貧困がのさばっているので、援助団の多くも危険に晒される可能性が高くなる。



「このあたりにも一度、大規模な援助団が派遣されたことがあるの。私が生まれる前だと聞いているけれど…魔獣に出会って壊滅したらしいわ。それから派遣が見送られることになって、誰も近寄らなくなってしまったのよ。でも、中には私のように個人で赴く者もいるというわけね」



 マザー・エンジャミナは、荒れ果てた大地で苦しむ人々を少しでも助けるために、奇特にもグラス・ギースにまでやってきたという。


 マザーと名が付いていることからもわかる通り、教会本部に所属していた頃も孤児たちの面倒を見ていたらしい。


 それゆえか彼女は、子供たちを守ることが自分の使命だと考えているようだ。


 実に母性本能が豊かな素敵な女性である。



(頭のおかしい宗教は嫌いだが、それはあくまで外見部分、表面にすぎない。重要なものはいつだって中身だ。くっ、あと二十年若ければ…)



 何度も言うが、惜しい人材である。


 もっと若ければ喜び勇んでスレイブに勧誘したものだ。


 といっても、慈愛に満ちた彼女がアンシュラオンに従う姿があまり想像できないので、どうなっていたかはわからないが。



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