377話 「ラングラスエリアの実情 中編」


「げぼげぼっ!! ごほごほっ…!! いつうう…鼻がぁ…!」



 五秒後に放水が終わると、鼻や口に大量の水が入った少年が咳き込む。


 鼻に水が入ると痛いものだ。涙を流しながらツーンとしたあの感覚に耐えている。


 さらに温水に晒されたせいか顔がかなり赤い。これは火傷のせいだろう。


 最大限の手加減をしたとはいえ水気である。それ自体が危険ものなので、軽度の火傷で済んだことを感謝してもらいたいものだ。


 その少年にアンシュラオンが近寄る。



「おい、そこのお前」


「ひーーーひーー! げほげほっ! うあー、顔が熱い!!」


「おい、お前だ、お前。げしっ」


「いったぁああああ!!」



 アンシュラオンが少年の頭を軽く蹴る。


 当人の擬音は「げしっ」だが、実際は「ごつん」という良い音がした。



「うう、うおおおお! いってぇえええ!」



 少年はさらなる涙を滲ませながら頭を押さえる。


 下に落ちた物を取ったときなど、ついうっかり頭を机にぶつけるときがあるが、あれは相当痛いものだ。


 顔面に火傷、頭にタンコブという最悪のコンボをくらった少年がうずくまるのも仕方がない。



「ほら、早く出てこい。いつまで隅にいるつもりだ」


「ぐええええ…」



 少年の服を引っ張って強引に引きずり出す。


 水気のおかげで少年はずぶ濡れだが、見た感じあまり衛生的ではないので、洗うという意味ではちょうどよかっただろうか。


 それから一応、少年の様子を観察する。



(対応があまりに無防備すぎる。こいつは完全に素人だな)



 アンシュラオンには一つだけ、自分でも自覚している不得手なことがある。



―――「あまりに弱すぎると、強さの程度がわからない」



 というものだ。


 自分が強いので、相手の実力がわかるのは最低でもソイドビッグレベルからとなる。


 それでも弱すぎて判断に困るくらいなので、できればマキくらいの実力がないとセンサーに引っかかりにくいのだ。


 誰か弱い人間がいることはわかっても、それがどの程度のレベルかを判断するのが難しい。だからこその攻撃でもあった。


 が、対応があまりに酷いので、この少年は間違いなく普通の一般人である。


 あと十秒でも長く放水していたら命に関わっていただろう。それくらい弱いのだ。



(顔の火傷はたいしたことはないが…頭の怪我が一番酷いな)



 資材の落下では怪我をしていないようだが、実はアンシュラオンが蹴った部分が一番ダメージが大きい。


 まったくもって他人に損害を与える男である。





「あたた…なんだよぉお! なにすんだよおおお! って、なんだお前! その顔は!!」



 ここでようやく少年がアンシュラオンたちを正視する。


 痛い目に遭ったと思ったら、次の瞬間には仮面の男である。誰だって驚く。



「仮面だが、それが何か?」


「おかしいじゃん! 普通は被らないだろう!」


「お前な、『普通』という言葉が一番定義しづらいんだぞ。それを言ったらオレが放水したのもオレの中の普通の行為だ。それでいいんだな? よし、これで後腐れなしだ。いやー、よかったな」


「そんなわけないじゃんか! って、え? そっちは女の子…なのか?」



 少年の視線がサナに向く。


 仮面の男だけでも驚くが、なぜか自分よりも小さな少女まで仮面を被っているのだ。


 さきほどの放水もあり、まったく状況が理解できずに混乱に陥る。


 ジロジロ ジロジロ


 何度もサナを見る。頭を見て、身体を見て、足を見る。



 ああ、やってしまった。



 この男の前でそんなことをすれば―――




「この前科者めええ!!」




 アンシュラオンが少年の襟首を掴んで持ち上げる。



「ぐ、ぐええっ! な、なんだよ、いきなり!」


「さっきからジロジロと幼女の身体を舐めるように見おって! さてはお前、変態だな?」


「ええええええ!? なんでそうなったんだよ!! ち、違うって!」


「何が違うんだ! そのバツ印は罪人の証だろうが。その歳で覗きのほかに何をやった! 下着泥棒か? 痴漢か? クズめ! お前のようなやつが大人になってから性犯罪を犯すのだ」


「ちがっ!? この傷は生まれつきで…」


「ならば生まれつき性犯罪者だということだ! 悔い改めろ!」



 ゴツンッ!


 仮面で額にヘッドバッドをかます。



「いてーー!」


「痛かろう。痛かろうて! 痛いようにしているから当然だ。さあ、罪の裁きを受けるがいい!」


「待てよ! いきなり仕掛けてきたのはそっちだろう! おいらは何もしていないぞ!」


「ほぉ、この期に及んで謝罪もせず、相手を非難して逃げようとするとは本物のクズだな。いいだろう。お前の尻の穴に消えない傷を作ってやろう!」



 ドサッ げしっ


 アンシュラオンが少年を投げ落とし、足蹴にしてひっくり返す。


 ちょうど尻がこちらに向いた格好となる。


 その行為に何か不穏なものを感じたのだろう。少年が青ざめる。



「え? えっ!? ちょ、ちょっと! 何するつもりだよ!!」


「お前みたいな変質者のガキにはお仕置きが必要なようだな! やられる側の痛みを思い知れぇえええい!」


「ええええええ! ちょっ―――」



 アンシュラオンが近くにあった棒を命気で手繰り寄せ、尖端を尻にあてがう。



 そして―――突く。



 ブスーーーーッ!



 ズボンの布地ごと強引に突き入れる。



「ぎゃっーーー、尻がーー!」


「どうだ! 変質者に襲われる少女の苦しみがわかったか!! 罰として一生、掘られたトラウマにさいなまれるがいいわ!」


「ひーー! なんでおいらがこんな目にぃいいい! うあぁああ! あーーー!」


「おい、変な声を出すな!! 気色悪いだろう!」


「だって!! うあっ!! あーーーー!」



 少年がヤバイ声を出している。アーーーーー!!


 だが、罰はこれだけで終わらない。さらに追及は続く。



「お前の汚い尻だけで謝罪が成立すると思うなよ? あぁん? ほら、金を出せ!」


「か、金なんてあるわけないだろう!!」


「ないなら身体で返すんだな! 上級街のゲイにでも身体を売って詫び料を稼いでもらうぞ!」


「そ、それだけは無理だ!! 勘弁してくれ!」


「それが嫌ならスレイブにして売ってやる。逃げられると思うなよ! このゲスが!」


「げぇええ! や、ヤバイやつに捕まっちまった! これじゃ『奥の連中』よりたちが悪いぞ! だ、誰かぁああ! 助けてくれええええ!」



 そういえば『暴力禁止』という話だったが、それはいったいどこに行ってしまったのだろうか。


 アンシュラオンが地下に来てから暴力しか発生していない気がする。まったくもって恐ろしいものである。




 ウィーーーンッ ゴロゴロゴロッ




 そして少年の叫びが届いたのか、誰かが部屋に入ってきたようだ。


 その人物は恐る恐る物音がするこちらに近づき、向こう側の壁の手前で止まる。


 この角度からは壁が邪魔をして姿までは見えない。



「と、トット? どうしたの? 何かあったの?」



 ただ、そこから発せられた声は、とても小さく「か細い」ものであった。


 その声に聞き覚えがあるのか、少年の抵抗がさらに激しくなる。



「っ!? ニーニアか!? こっちに来たら駄目だ! 戻って隠れていろ!」


「え? どういうこと? また奥の人たちが来たの?」


「ち、違うけど、もっとヤバイやつが…! とにかく今はヤバイんだよ!!」


「ヤバイって…何?」



 少年の説明ではよくわからなかったのだろう。


 壁からちょこんと顔を半分だけ覗かせる。


 そこにいたのは少年と同じくらいの年齢の少女であった。



「え…? ええええ!? トット、何してるのーーー!?」



 その光景を見た少女が目を見開いて驚く。


 なぜならば彼女が見た光景は、尻の穴に棒をぶっ刺されている少年の姿である。


 おそらく知り合いなのは間違いないので、かなりのショックを受けたことだろう。



「こいつら、いきなりこんなことをする連中なんだ! 逃げないと酷い目に遭うぞ!!」


「で、でも…トットの顔…赤い…よ?」


「い、いや、これは…うぉおおおおおんっ!!」



 尻に棒を刺され、顔を赤らめて悶えている少年。


 単に刺されているだけならばいいが、顔を赤らめているというのが不自然だ。


 もちろん顔は火傷によるものであるのだが、少女が気付くわけもない。たしかに「ヤバイ光景」だ。


 そして、この男の横槍によってさらに事態が悪化する。



「君、こいつの知り合い?」


「えっ!? あ…は、はい。あの…なんでこんなことに…?」


「こいつがさ、オレの妹に『尻に棒をぶっ刺してくれ』ってお願いしたんだ。でも、そんなの妹は嫌だから、代わりにオレがやっているのさ。いやー、ほんと苦行だよ。やるほうがつらいんだけど…お願いされたならしょうがないよな。でもまあ、喜んでくれているからいいのかな? ドン引きだけどね」


「ええええっ!? と、トット…そうなの? 本当なの?」


「ちが…うおおおおおおおおんっ!」



 本当ならばここで誤解を解きたいはずだが、アンシュラオンが余計なことを言ったせいで混迷が深まる。


 ただし、少女の中には感じるものがあったのだろう。


 頬を赤らめて手で目を覆いながらも(指は開いているのでスカスカ)、その行為に納得の態度を示す。



「や、やっぱりトットって…そっち系だったんだね。ごめんね、気付かなくて! わ、私、何も見ていないからね!! 安心して! それでも何も変わらないからね! 今後ともいい友達でいようね! ちょっと距離は開くかもしれないけど、それでも友達は友達だからね! それじゃあね!」


「ま、待って!! ち、違う! これは違う!!」


「いいの! そういうのが好きな人がいるって『マザー』も言ってたから! いいの!!」


「誤解だよ! 絶対誤解して…うおおおおぉぉぉぉおおおおおんっ!」


「トットーー!! いいんだよ! 認めてもいいんだよ!! 軽蔑なんてしないからね!」



 と言いつつ目を逸らす少女。


 現実は厳しいものだ。一度こうなったら少年に挽回のチャンスはない。


 その前に、少女に「やっぱり」と言われた段階で問題がある。もし疑いがなければ、彼女もこんな言葉は発しないだろう。


 人間は普段の行いが大事だと、彼は身をもって教えてくれているのだ。





 五分後。



 アンシュラオンとサナの前には、少年と少女が座っていた。


 あのままだと話が進まないので途中で切り上げたのだ。


 五分かかったのは、少年が少女の誤解を解くための時間である。


 一応受け入れたようだが、それでもまだ若干の疑いの視線を感じる。少年からすれば本当に散々である。



「本当に酷い目に遭った…」


「誤解されるような言動を日々行っているからだろうが」


「それがおかしいんだ! なんでそう思われたのか…」


「だって、トットっていつも筋肉のある男の人を見て『うほっ』って言うから」


「言ってないし!!」


「確定だな。いいか、この線から絶対に内側に入るなよ。ゲイとか本当に無理だからさ。しっ、しっ! この汚物が!」


「あんたもそういう扱いはやめろよ!」



 この少年の名前はトットというらしい。


 特に変哲もない一般人の少年だ。本当に特に言うことがない。ルアンよりもない。


 ルアンには真面目で正論好きの甘ちゃん、という個性があったが、トットは歳相応の男の子といった感じだ。


 つまりは無個性である。説明は以上だ。



 その隣にいる女の子はニーニア。


 蜜柑みかん色の髪をしており、年齢はトットと同じくらいの十二歳前後だ。


 垂れ目でそばかすのある顔は愛嬌があるものの、汚れた白いワンピースとボロボロの靴のせいで、その可愛さも薄れている。



(十二歳前後というと、セノアと同じくらいの年齢か。一応は結婚できる年齢ではあるが…スレイブ館とはここまでの差があるんだな)



 セノアは商品だったこともあり、身なりには気を遣われていたものだ。


 お風呂などはいつでも普通に入れるし、着ている服も上等なものであった。当然、食事もかなり健康に配慮されたものとなっていた。


 だが、トットもニーニアも肌艶はあまり良くない。普段から不摂生をしているシャイナと大差ないレベルだ。


 逆に言えば、地上にいながら地下と同じ程度の肌艶のシャイナがおかしいのだが。



 とりあえず二人と会話ができる状況になったので、いろいろと問いただしてみることにした。


 ピアスは見張りだったので、厳密に言えば彼らこそが、ラングラスエリアの中に入って初めて出会った者たちだ。


 まずは情報を得たい。



「さて、訊きたいことは山ほどある。君たちについても訊きたいが、まずはロボットのことだ。あの存在は何だ?」


「…ロボット?」


「そうだ。見張りがいた扉を入った部屋にいたやつだ」


「そんなのいたか?」


「知らないのか? こう二メートル半くらいある円盤状のロボットだ。戦闘用はもっと虫っぽいが…」


「…???」



 アンシュラオンの質問に、トットは首を傾げる。


 その顔にとぼけている様子はない。その顔自体がとぼけた造詣、とはいえるが。



「あ、あの…お二人は初めてここに来たんですよね?」



 その様子を見て、慌ててニーニアがフォローに入る。


 こうした気を遣う雰囲気が若干セノアに似ているのは、これが歳相応の普通の少女の反応だからだろう。


 自分たちより年上の男性には緊張してしまうのだ。


 アンシュラオンもそれをよく知っているので、彼女に対してだけは怖がらせないように優しい声を出す。



「そうだよ。初めてだね」


「やっぱり! ねえ、トット。あれじゃない? 最初に来た時に出たの覚えている?」


「え?」


「ほら、いたじゃない。何かしゃべる箱みたいなの。私たちに光を浴びせて…」


「…ああ、あれか。あれなら一回だけ見たことがあるけど…次に戻ったらいなくなってたよ」


「一度は会ったんだな? 襲われなかったか?」


「え? 襲うの?」


「オレたちは襲われたぞ」


「えええええええ!? 人間にじゃなくて?」


「だからロボットだと言っているだろう。頭が悪いやつめ! ばしんっ」


「いってえぇえええええ!! 額ばっかりやるなよ!!」


「いや、どうしても狙いやすくて」



 頭の悪いやつにはデコピンの刑である。


 ちょうどトットの額にバツ印があるから、そこが目標になってしまうのだ。


 生まれながら額をロックオンされる運命にある男。実に不幸である。



(うーむ、こいつの驚いた顔は嘘ではないな。ということは、初めて入った人間をチェックする役割だった可能性が高い。危険な人間が入り込まないように…か? しかし、それにしては過剰な反応だった気もするな。明らかに殺すつもりだったはずだ。そもそもこの地下遺跡は何のためにあるんだ? そこがポイントかもしれないが…そこまで深入りするつもりはないんだよな)



 まだまだ訊かねばならないことは多いが、この対応を見る限り、二人にこれ以上ロボットのことを訊いても無意味だろう。訊くのならば大人である。


 それ以前にアンシュラオン自身は、あまりグラス・ギースに興味を抱いていない。


 この地下遺跡が何であろうが、どうでもいいと思っている側面が強い。


 とりあえずサナたちの生活環境の整備と、時々新しいスレイブが手に入ればそれで満足なのだ。



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