353話 「マングラスという名の悪」


「少し失礼いたします」



 ダディーが悩んでいる間、セイリュウが倒れているファテロナのもとに向かう。



「これは酷い怪我ですね。ですが、さすがはファテロナさん。こんな大怪我でも、まだまだ生命力が残っておられる。これならば問題ありません」



 なぜか目を見開いたまま気絶しているが、命には別状がないようだ。なんとも生命力の強い女性である。


 そのファテロナにセイリュウが掌を向けると、皮膚からどろっとした水色の液体が滲み出てきた。


 どろり ぼとぼとっ じわっ


 大量の粘ついた液体が傷口に侵入し、内部と表面をたっぷり満たしていく。


 肩口から胸にかけての大きな傷から、ダディーの虎破によって損傷した内臓にも染み渡っていった。


 じゅわじゅわっ じゅわじゅわっ



 十秒後―――傷が塞がる。



 あれだけ酷かった傷口が液体によって薄く膜が張られ、多少色が違うが擬似的な皮膚が形成されていく。


 さらにその上から液体が粘りつき、新しい細胞へと変化していった。



「まだ癒着には時間がかかるでしょうが、これで欠損部分も修復ができるでしょう。ファテロナさんには生きていてもらわないと困りますからね。安心いたしました」


「っ!! あんた、それ!!! ホワイトと同じ力か!!」



 それに一番驚いたのがビッグであった。


 自分のちぎれかかった腕さえも簡単に治療した命気を目の当たりにし、ますますアンシュラオンに対する畏怖を感じたものだ。


 それと同じく、これだけ重傷のファテロナを癒すのだ。


 セイリュウがやったことは、あの男のものとよく似ていた。驚くのも当然だろう。


 ただ、似たようなものであっても同じものではない。



「彼の力を直接見たことはありませんので確かなことは言えませんが、おそらくは違うものでしょう。私のものは少々特殊ですから普通の人間が使えるとは思えません。彼が使っているのはきっと『命気』でしょう」


「あんたのものとは違うのか?」


「彼のものは技であり、私のものは『効用』です」


「?? それの何が違うんだ?」


「これ以上の説明は難しいものです。同じ水の力を使っている、とだけ覚えておいてください」



 水を司る者、それがマングラスである。


 水は癒しの力、水はすべての源、人間の身体の半分以上が水分で出来ていることからも、水がいかに重要かがわかるだろう。


 セイリュウはマングラスの血筋というわけではないが、まさにマングラスの力を象徴するような現象を引き起こすことができるようだ。


 こうしている瞬間も、見る見る間にファテロナの傷は回復していっている。すでに損傷した胸や心臓の再生まで終わりつつあるようだ。



 この力は―――なんとも魅力的で驚異的。



 アンシュラオンが患者に崇められるように、もし医者をやればセイリュウもカリスマになれるだろう。それだけの凄まじい力だ。


 それに対して、ビッグは素直に称賛する。



「あんた…すげぇな」


「私の力ではありません。グマシカ様のお力です」


「でも、自分で身につけた力なんだろう? どれだけ修行したんだよ」


「修行…ですか。たしかに人間は不便ですね。鍛練をしなければ強くなれません」


「そんなの当たり前だろう? 誰だってそうやって強くなるはずだ」


「ビッグさん、世の中にはいろいろな種類の力があるのです。たとえばそう、魔獣です。個体差はありますが、彼らは成体になれば種の平均値に向かって必然的に強くなります。どんなに落ちこぼれでも、ウサギに負ける虎はいないでしょう?」


「そりゃそうだが…何が言いたいんだ?」


「この世界には人間でありながら、明らかにそれを超越した存在がいるということです。ホワイトという人物は、そういうタイプの存在ではないかと考えています。それならばプライリーラ様が負けても致し方ありません」



 某漫画に「虎や狼が日々鍛練などするかね?」という名言があるが、特定の種族に生まれた以上、基本的には組み込まれた遺伝子情報に沿いながら平均値に向かって強くなっていくものだ。


 魔獣が一般的な生息環境で普通に過ごせたならば、虎がウサギに負けることはまずありえないわけだ。


 仮に檻に閉じ込められて足腰が弱ったライオンでさえ、人間を噛み殺すことなど容易だろう。そもそもの力が違うからだ。


 そして、アンシュラオンが怖ろしいほどに強いのは、【虎が鍛練した】からだ。


 もともと魔人という特殊な因子を持つ存在でありながら、その才能を覇王の下で開花させたから圧倒的に強いのである。



「たしかにそうかもしれねえ。あいつの強さは普通の人間のレベルじゃない。あれは本当に人間じゃねえよ……ん? 待てよ…じゃあ、あんたの力もそういったものだって言いたいのか?」


「ふふふ。さて、どうでしょう。あくまでたとえ話として出しただけのことです。しかしながら、力の種類を勝手に決め付けることも危険です。先入観が一番怖いですから、相手をよく見て洞察力を磨くことも肝要です」


「…それは身にしみているぜ。腕っ節だけを頼りにしていたら、自分より腕力が強いやつが出てきたときに詰むからな」


「それがわかっておられるのならば、実に素晴らしい経験をしていますね。ファテロナさんとの戦いを拝見いたしましたが、あなたは見所がある。ぜひそのまま自分の才能を伸ばしていってください。まだまだ強くなるでしょう。僭越ながら私が保証いたします」


「お、おう」



(こいつ、やっぱりいいやつなんじゃないのか? 何よりも強い! この力だってホワイトに匹敵するような気がするぞ!)



 ビッグはセイリュウの力に魅せられていた。


 彼もアンシュラオンに散々いびられてプライドをズタボロにされたので、ルアン同様、力に対する憧憬を強めていたのだろう。目の前で起こった現象に興味津々である。


 ビッグからしてみれば、それは畏怖すべきアンシュラオンと同じ力だ。心の中では自分も欲しいと思っているに違いない。


 セイリュウはセイリュウで、それをあえて見せ付けることでビッグを『転がして』いる。


 豚はおだてれば簡単に喜ぶものだ。当人はまったく気付いていないが、セイリュウにうまく主導権を握られているのである。


 これだけの力を見せられれば、誰だってすごいと思うだろう。これも一種のパフォーマンスである。



 ただ、それを見ていたダディーは妙な感覚に囚われていた。



(あれがセイリュウの力…か。とんでもねぇな。伊達にマングラスの重鎮じゃないか。…だが、なんだこの妙な圧力は? まるで危険な魔獣を目の前にしているようだ。嫌な感じがするぜ…)



 親を殺された復讐に、若い頃は狂ったように魔獣狩りをやっていたダディーである。


 何百匹も殺したことがあるし、あるいは強い魔獣に向かっていっては返り討ちに遭ったこともある。


 そうした経験の蓄積による勘が、セイリュウに危険信号を送っていた。


 すらっとした体躯なのに、なぜか巨大な魔獣を相手にしているかのような圧力を感じるのだ。



 まるでそう、昔見た四大悪獣の一角であるゼゼント・ギース〈火山悪獣の食蟻虎アリクイトラ〉のように強大で凶悪に見える。



 ダディーが外での魔獣狩り、特に都市から遠く離れた荒野に出向くことをやめたのは、偶然出会った四大悪獣が原因だ。


 周囲に炎球を展開して悠々と歩く巨大な虎。その禍々しく歪な姿に畏怖を覚えたのだ。


 あれには勝てない。種族そのものが違う。


 そう思ったからこそ無謀な戦いをやめた。人間がどうやっても勝てない相手というのは存在するのだ。


 今セイリュウから感じる圧力も、それによく似ている。それが非常に不気味である。




「さて、これでファテロナさんの応急処置も終わりました。彼女は私が丁重に領主城まで届けておきましょう。領主様との折衝につきましてはお任せください。悪いようにはいたしません」


「…さっきの話はどうなった?」


「いきなりの提案ですから、ラングラス一派の皆様で話し合いが必要でしょう。それを受けてから対応を決めるといたしましょう。ですが、できれば早めがよろしい。彼が戻ってきてから動いては手遅れになります。我々がまとまるチャンスは、それまでの間しかないと考えております」


「………」


「強要はいたしません。しかし、あなた方の答えがどうあれ、マングラスとしては動くつもりでおります。その点に関しましてはご了承ください」


「その時になってから『俺たちも乗せてくれ』と言っても手遅れというわけか」


「ふふ、そのような意地悪はいたしませんが、発言力は低下するでしょう。それでラングラスが衰弱するようならば、グマシカ様も『致し方ない決断』を下す可能性もあります。この都市の治安を守ることが第一ですので。だからこそ私が出てきたのです」


「脅しか?」


「事実です」


「…ちっ」



 セイリュウが明言しているように、マングラス側としてはラングラス側の意見など、どうでもよいのだ。


 最悪は自分たちで事を収めてしまえばいい。それだけのことである。


 四大会議の際は「セイリュウとコウリュウ以外の人材は出す」と言っていたが、その条件を超えてセイリュウが派遣された意味がここにある。


 それだけ本気であることを示すために、わざわざマングラス最強の武人が出てきたのだ。


 たしかに強い一手だ。これだけの力を見せられれば逆らうのは容易ではない。



 しかし、だからこそ逆に気になる。



(なぜこいつらはラングラスを立てようとする? そのまま自分たちでやったほうが早いだろうに。やっぱり胡散臭いこと、この上ないぜ。この提案の乗れば絶対に高くつきやがる。あとから何を要求してくるかわかったもんじゃねえ。おおかたラングラスを盾にして面倒なことを押し付けようって腹だろうが…)



 グマシカは裏側に潜み、陰からグラス・ギースを支配しようとしている。いや、半分はすでに成しえている。


 これを継続強化するためには、引き続き表舞台に出ないことが好ましい。なにせ実際にアンシュラオンが狙っているのだから、用心深いに越したことはないだろう。


 だからこそ今回も自分たちを前面に出さずに済めば一番良い結果となる。


 ラングラスは、そのための盾にすぎない。都合の良い駒としての価値しかない。



(わかっている。わかっているんだ! こいつらが腹黒い連中だってのは、とっくに理解しているんだよ! だが、くそっ! かといってこのままじゃ手詰まりだ。俺たちの力じゃ領主との折衝なんてできねえ!)



 領主がどれだけ怒っていたとしても、グマシカの言葉ならば受け入れるしかないだろう。


 グラス・ギースは、マングラス無しでは何もできないのだ。


 人のいない空っぽの都市など、ただの建造物の集合体にすぎない。人を御するとは、そういうことだ。


 すべての力の源は―――人間。


 人が生み出す創造力にこそ価値があるのだ。



(こんなところでよ…終わらせるわけにはいかねぇんだよ。くそっ、全部が上手くいかねぇ。どうすれば…どうすればいい…)



 ダディーは迷う。


 武闘派の彼は、もともと考えることが苦手だ。具体的な対案など出せるわけがない。



 そんな時である。





―――「ダディー、俺はやるぜ!!」





 ビッグが父親に歩み寄る。



「なっ…お前、状況がわかっているのか!?」


「いや、よくわからない」


「わからねぇって…お前…」


「ああ、わからねぇよ。俺には派閥やら何やら、マングラスがどうやらラングラスがどうやらもわからねぇ。しょうがねえよな。だって俺はまだガキだからさ。そんな小難しいことはわからねえよ。でもよ、もう我慢の限界だぜ。俺は…俺は…!! マジでムカついてんだからよ!!! あいつと関わってから人生滅茶苦茶だ!! もうこんなのはうんざりだ!! うんざりなんだよ!!」



 その気持ちはよくわかる。あの男と関わると誰もが不幸になるのだ。


 今まで我慢してきたが、一度切れた糸は簡単には戻らない。


 考えれば考えるほどに怒りが滲み出てくる。




 もう―――限界




 限界なのだ!!!




「俺は…俺は!!! あ、あいつを!! あいつをなんとかしねぇとよ!! もう満足に眠れもしねえんだよ!!! だったらよ、マングラスだろうがなんだろうが、使えるもんは使うぜ!!! なあ、セイリュウさんよ! 力を貸してくれんだろう!! あんたのその力をよ!!」


「もちろんです。マングラスにできることならば何でもいたしましょう。私自ら出向いてもよい、とグマシカ様からもご許可をもらっております」


「ならよ! やるしかねえよ!! なあ、ダディー!! やるぜ! 俺はやる!! あいつらを倒すぜ!!」


「ビッグ、本気なのか!! こいつらは…」


「言わなくても親子だからわかるぜ。ダディーはこいつらのことを疑ってんだよな。俺は馬鹿だからわからねぇけど、ダディーがそう思うならそれが真実なんだろうよ。だが、悪を倒すには悪が必要だってのも理解できるぜ。世の中は綺麗なことばかりじゃないからな。俺だってそれくらいはわかる。今は家族を守るためにやれることは何でもやるべきだぜ!! なあ、ダディー! そうだろう!? もうこんなのは嫌なんだよ! 俺はダディーを守るぜ!! 家族を守る!! 俺が守るんだ!」


「お前…いつの間にそんな…立派に……」


「ソイドさん、親の知らないところで子は育つものです。任せて差し上げるのも成長につながることでしょう。もちろん我々が全力でサポートいたします。信じてくださらなくても結構。自分たちのために存分にご利用ください」



 ビッグがさりげなくセイリュウのことを「悪」と罵っているが、まったく表情を変えていない。


 本当にそんなことはどうだっていいと思っているのだろう。


 そうなのだ。本当の悪というものは、「お前たちは悪だ!」と言われたくらいでは何も感じないのだ。


 それを言われて動揺するくらいならば、まだ可愛いほうである。まだまだ改善の余地はある極小の悪を宿した者たちだ。


 だが、それをすでに超越しているからこそセイリュウは何も感じない。罵られている間も淡々と自分の役割を果たし続ける。



「ビッグさんのお気持ちは素晴らしいものです。私も感動いたしました。ですが、やはりラングラス内で一度話し合うべきでしょう。やり方はすべてお任せいたします。必要な物資と人材を申請してくだされば、それに応じましょう」


「ああ、やってやる! やってやるぜ!! 俺たちでケリをつけるんだ!!」



 ビッグが自ら名乗り出る。


 その顔は豚君の名に似つかわしくないほど格好良かったという(あくまでダディー視点)。



(息子がここまで言ってんだ。親としては腹をくくるしかねぇか…)



 それを受けてダディーも覚悟を決める。


 すでにセイリュウの登場によってペースは握られている。


 領主との折衝についてもそうだし、秘宝のこともそうだ。どのみちあらがえるような状況ではない。




 こうしてアンシュラオンがいない間に起こった騒動は、幕を下ろすのであった。




 その代わりに新たな激動が起ころうとしている。


 アンシュラオンが常々言っているように、悪を倒すのは正義ではない。さらに強い悪である。


 ここでマングラスという悪が、アンシュラオンという悪に対抗するためにビッグに味方することになるのであった。



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