349話 「ラングラスの伝説 中編」


 ダディーが動き出す。


 はっきりとした意思かつ、その手に強い力を込めて、自分が生きていることを証明している。



「ダディー!! 生きていたのか!! よかった! 本当によかった!!」



 当然、ビッグは大喜びだ。


 死んだと思った父親が生きていたのだ。喜ばないはずはない。


 ダディーも息子が無事であることに安堵する。



「ずいぶんと酷い有様だな。少し待たせちまったか…」


「そんなことはいいんだよ! それより大丈夫なのか!」


「まったく…子供にここまで心配されるとはよ、親失格だなぁ。ごほっ…げぼっ…ぺっ。…にしても、本当に好き勝手やってくれたな。なぁ、ファテロナの嬢ちゃんよ」


「信じられません…六天刺滅を受けて本当に生きているなんて…」



 ビッグももちろん驚いたのだろうが、もっと驚いたのはやはりファテロナであろう。


 なにせ絶対に死ぬという九天必殺の奥義を受けたのだ。必ず死ぬから必殺と書く。それが生きていては必殺ではないだろう。


 ファテロナとて、この奥義を簡単に極めたわけではない。


 若くてこれほど強いということは、もっと若い頃から生き抜くために必死になって、死にたくなるほどの修練を重ねてきたということだ。


 だからこそ自信があった。


 アンシュラオンのような規格外は別として、同レベル帯の人間相手ならば勝てると思っていた。


 これは自分が納得するほど、悪く言えば慢心するほど磨き抜いた技である。それが決まらなかったことに大きなショックを受けている。


 あのファテロナが、このファテロナが絶句して驚愕している。これほど珍しい光景はないだろう。



 だが、敵が生きていると知ったのならば、暗殺者がやることは一つしかない。


 ファテロナは一瞬動揺したものの、本能が暗殺者の本分を思い出す。




―――「死ぬまで殺せ」




 それが暗殺者の責務であり、武人として誰もが背負う宿命なのだ。


 ダディーが死んでいないのならば殺すだけである。




「次は殺すぅううう!! アチョーーー!!」



 ファテロナが血恕御前を出してダディーを攻撃。


 ダディーはよけない。いや、よけられないのか。


 ブスッ!!


 そのまま剣先は脇腹に突き刺さった。



(かなりキツイですが…仕方ないですね。モッテケドロボー!!)



 ドブブブッ


 ファテロナが突き刺さった血恕御前に血を送り込む。


 すでにダディーに投与された坐苦曼ざくまんの効果は切れているはずなので、この血毒を受ければ死に至るはずだ。


 ただし、かなり血を失っているのでファテロナの顔もいつもより青白い。もう限界なのだ。


 ここでさらに血を使うと、いつ倒れてもおかしくないフラフラの状態になってしまうが、このまま腕を掴まれているわけにもいかない。


 ダディーの戦闘態勢が完全に整う前に仕留めねばならないのだ。



 ジュワワッ



 残されたありったけの血毒を注入。


 剣先から毒が侵入し、ダディーの身体の中を蹂躙していく。



「………」



 ダディーは動かない。ただ黙って立っているだけだ。


 この血毒は即効性なので侵入すれば数秒で死に至る。もともと弱っていたダディーならば呻き声も出さずに死ぬだろう。



 一秒


 二秒


 三秒



 武人にとっては非常に長い時間が流れてもダディーは動き出そうとしない。


 それを見て、ファテロナが深く息を吐き出す。



(はぁぁあ、これで…オワッター)



 ファテロナは軽い安堵感を感じていた。多少てこずったが、これでようやく帰って眠れるのだと考えていた。


 暗殺者として経験豊かな彼女でさえ、そう思うのだ。


 だから、これから起こることには誰もが驚愕するに違いない。



「…で?」


「…はぁ?」



 死んだと思ったダディーから発せられた言葉に、ファテロナは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。


 あまりに突然で意外すぎて、いつも余裕ある彼女にしては珍しい対応をしてしまう。


 それだけ目の前で起こっていることは異常だったのだ。



「『はぁ?』、じゃねえよ。これで終わりかって訊いてんだよ。続きはないのか?」



 ダディーは何事もなかったかのように立っている。


 ぎゅううっ


 それどころかファテロナの腕を握る手は、ますます握力が強くなっていた。



「ど、毒は…入りましたか?」


「ああ、入っているぜ。遠慮なく俺の身体を喰い散らかしてやがる。とんでもねぇ毒を持ってるな。たしかにこれじゃ他のやつらは勝ち目がねぇよ」


「ではなぜ、あなたは死なないのですか?」


「なんでだと思う? なぁ、おいっ!!!」


「ひううっ!」



 ブンッ ブーーーーンッ ドゴーーンッ!!!



 腕を強引に引っ張り、振り回し、大地に叩きつける。


 ファテロナは受身を取ったが、いかんせん腕を掴まれているので完全にはダメージを殺せない。


 背中から落ちて呼吸が止まるほどの衝撃を受ける。



「くはっ…!」


「散々やってくれたんだ。これくらいで済むと思うなよ!!」



 ドンッ!!


 倒れたファテロナを踏みつけるように蹴りを放つ。


 ファテロナはかろうじて回避するも、続けて放たれた一撃が腹を抉る。


 ドガシャッ



「ごふっ!! やべー、ゴリラだーーー! ゴリラがいるぞーーー!! 保健所! 保健所呼んで!! 殺処分してーーーー!」


「だからうちはジャガーだって言ってんだろうがよ!!」



 ブーーーーンッ ドゴッ


 また訳のわからないことを叫んでいるファテロナを引っ張り、大地に叩きつける。



「ぎゃふっ!! ひぃ、ひぃーーーーー! こいつ人間じゃねーー! おめーの血は何色だぁーーーー!」



 と言いながら、まだ放していない血恕御前をダディーの足に突き刺す。



 ブスッ じゅわわっ



 今回も小剣が完全に突き刺さり、血毒が入り込む。




「ったく、油断も隙もないな。お前はよ」


「げぇえ! なぜ無事なのですか!! こいつ、ヤベー!」


「いくら俺でも、お前にだけは言われたくないぜ」



 相変わらず発言が危険かつ、それに翻弄されると殺されるので危ない女性だ。




 が―――ダディーに変化はない。




 剣もしっかり刺さっているのに、いくら血を送り込んでも反応がない。


 毒など最初から効かない、といわんばかりの余裕の態度である。



 これは―――まずい。



 ファテロナの長所はスピードと毒だ。速度で撹乱しつつ必殺の一撃を入れる戦いが彼女の真骨頂である。


 しかし今は腕を掴まれているのでスピードは発揮できず、そのうえ毒まで効かないとなれば、ただの打たれ弱い武人でしかない。



「そ、それでは、私はそろそろおいとまさせていただきます。あまり長居すると悪いので…アディオス!! アミーゴ!!」


「まあ、待てよ。そんなに慌てるな。餞別の一つでも持っていけ。もらってばかりじゃ悪いからな」


「いえいえ、それはさすがに悪いですから…おかまいなく」


「客に何も持たせずに帰らせるのは家主としては失格だからな。気にするな」



 (逃げられないのに)逃げようとするファテロナを片手でぐいっと持ち上げ、もう片方の拳を力強く握り締める。



「ひー、ヒーーーー! ヤラれるぅうううう!」


「一発もっていけや!!」



 ドゴーーーーーーンッ!!!



 積もり積もった恨みを晴らす如く、ダディーの強烈な虎破がファテロナの腹に―――炸裂。



 ぐるーーーーん ばたん


 腕を掴まれていたので衝撃の大半が逃げたが、その勢いで一回転して大地に激突。



「おぶっ…がはっ! なんじゃ……なんじゃこりゃぁああああああ!! だ、だめだこりゃぁっ―――がくっ」



 血反吐を吐き散らしながら、ファテロナが意識を失う。


 この条件では彼女に勝ち目はなかった。あっけなく敗北したのは仕方ないだろう。


 しかしまあ、テンションが上がると意味不明なことを言い出すから困ったものである。


 彼女のミスはただ一つ、「死亡確認」発言であろう。


 あれを言われて死んだ者はいないのだ。完全にフラグを立ててしまったファテロナが悪い。






 こうして勝負は―――ソイドダディーが勝った。



 だが当然、楽をして勝ったわけではない。


 誰が見ても死んだと思った状況からの一発逆転勝利だ。


 もしファテロナが用心深く、意識を失っていたダディーを切り刻んでいたら死んでいた可能性もある。



「はぁはぁ…ぐっ」



 ファテロナが戦闘不能に陥ったことを確認したダディーが、膝から崩れ落ちる。



「はーーはーー!!」


「ダディー! だ、大丈夫か!!」


「ああ…大丈夫だ。あんな女に負けるかってんだ…。俺は一度たりともタイマン勝負で負けたことはないんだよ。お前だって知ってるだろうが」


「そ、それはそうだけど…すげぇ…すげぇよ! あんなやつに勝っちまうんだもんな!!」


「そう…だな。このざまじゃ勝ったとは威張れないが…それで、リトルはどうした? お前が助けたんだろう?」


「ああ、気を失っているけど無事だよ。…でもさ、ダディー。この状況はマジでヤバイぜ。ここまでやっちまったら…俺たちは相当まずいことになる」


「…ああ、わかっている」


「ホワイトだ! 全部ホワイトの野郎が悪いんだ!! くそっ! 俺があんなやつに出会ったばかりに…!!」


「お前に対応を命じたのは俺だ。…全部俺のせいだ。お前のせいじゃねえ。…だから俺がケリをつける。心配するな」


「ダディー…」


「だが、お前の言う通り状況が悪すぎる。まずは一度家に戻るぞ。それから親父さんに連絡だ。これはもうラングラス全体の問題だ。ラングラス一派の組長連中にも話を通さないといけねえ。このままじゃ本当にディングラスと【戦争】になっちまう」



 衛士隊がここまで動いた以上、ソイドファミリーだけの問題ではない。事は【ラングラス存続】という大きな話にまで至る可能性が高い。


 しかし、現状でソイドファミリーに打てる手はない。


 せいぜい領主に詫びを入れる程度だが、いきなり攻撃を受けた手前、それをやってしまうと弱腰と受け取られかねない。


 かといって誤解を解かないままでは立場がどんどん悪くなる。ただでさえ弱いラングラスの弱体化が止まらなくなる。


 それだけでも嘆きたくなるのだが、ダディーにはさらに最悪の事態が起きている。



(くそっ、状況は相当悪い。まだ俺が『普通の状態』だったならばよかったが…こんなことになろうとはな。ファテロナが最大の誤算だったぜ)



 ダディーにとって一番の不運は、ファテロナが全力で向かってきたことだろう。


 その結果として『非常にまずい事態』に陥ってしまった。


 自分が死んで完全にラングラスが死に体になる最悪の事態だけは避けられたが、今の状態もけっして良くはない。


 その最大の要因は、これだ。



(力は入るが…汗が出てねぇ。血も出てない…か。あんなに動いたってのによ)



 ダディーの身体は今、非常に複雑な状況に陥っている。


 汗一滴掻いていないし、ファテロナに刺された箇所からは血すら出ていない。


 もし勘の良い者だったら、明らかにダディーの身に異変が起きていることがすぐにわかるだろう。


 が、頭が悪く洞察力もないビッグは何も気付かず、自分が生きていることに安堵しているだけだ。


 ならば、それでいい。そのほうがいいのだ。



(気付かないのならば、それでいい。俺が生きていると思ってくれれば、それで十分だ。なんとか誤魔化していくしかねえ。大丈夫だ。俺だってそこそこ影響力がある。生きているだけで価値がある人間ってのもいるんだ)



 戦国時代の有名大名や三国時代の軍師のように、存在そのものが抑止力になることは多い。


 彼らは自分が死んだことを秘密することで他国からの侵略を防いでいた。それだけの影響力があったのだ。


 さすがにそこまでとはいかないが、ダディーもラングラスにいるといないとでは他派閥の対応が変わってくるような人物である。


 今回の戦い、ファテロナに勝ったという話も広まっていくだろう。


 そうなればますます自分の影響力が強まっていく。「ダディーがいるからラングラスには気をつけよう」という風潮になるのだ。


 それだけが唯一の収穫。


 割に合うかはわからないが、せめて有効利用するしかないだろう。





 と、ダディーは考えていたのだが、それを完全に覆すかのように―――【彼】がやってきた。





 スッ スッ スッ


 まだ薄闇に包まれた世界にしっとりと馴染む黒い髪をたなびかせ、まったく音を立てずに歩いてくる影があった。


 冷たい氷のような青い目が、闇の中からダディーを見つめている。



「誰だっ!!!」


「うわっ!」



 ダディーはその視線に気付き、大声で威圧。


 その声はさすが組長。近くにいたビッグなど、まるで子犬のようにびくっと身体を震わせたものだ。


 しかしながら、その影の人物にはまったく驚いた様子はない。それどころか無警戒でこちらに近寄ってきた。



「ちっ…」



 ダディーは傷ついた身体を起き上がらせ、身構える。


 まるで動物が自分を大きく見せて威圧し、戦いを回避しようとするように。それだけコンディションが悪いのだ。



 スタスタスタ



 それを知ってか知らずか、その人影は速度を変えずに近寄ってきた。



 そして、薄闇からようやく顔が見えた瞬間―――ダディーが目を見開く。



 相当意外な人物だったのだろう。


 なんとも皮肉なことだが、自分が復活した時のファテロナのような表情を浮かべている。


 では、彼がそんなに驚くような人物とは誰か。




 それは―――






「てめぇは―――セイリュウ!!」






 思わず大声で叫んでしまうほどの影響力がある男。


 長い黒髪の三つ編みに、金刺繍で龍が装飾された青い武術服を着た美青年。


 その姿だけに限れば青二才にさえ見えるが、人は外見によらないものである。




 この男こそ―――マングラスの重鎮、セイリュウ。




 グマシカ・マングラスの側近中の側近である。




 セイリュウは静かな笑みを浮かべると、警戒中のダディーに気軽に話しかけてきた。



「随分と派手にやられましたね。今にも死にそうな顔をなさっておられますが、大丈夫ですか?」


「てめぇ…何しにきやがった!!」


「そんなに警戒しないでください。噛み付きはいたしません」


「どうだかな…! そこから一歩でも動いてみろ! ぶっ潰すぞ!!」


「それは怖い。では、近寄らないようにいたしましょう。危うきには近寄らず。それが長生きの秘訣ですからね」


「なめやがって…!」


「だ、ダディー、誰だよ! こいつ、知り合いか?」


「お前は見たことがないか。こいつがマングラス最強の男だよ。弟か兄か知らないが、双子のコウリュウってやつもいるがな。名前くらいは聞いたことがあるだろう。『マングラスの双龍』だ!」


「なっ! こいつがマングラスの…!!」


「はい。セイリュウと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


「あっ、ど、どうも…」



 セイリュウは深々とビッグに頭を下げる。


 ビッグはラングラスの直系なので、彼がそうすることは不自然というわけではない。


 だが、マングラスは四大市民の中で圧倒的に最大派閥である。その幹部かつ最強の武人ともなれば、立場上はソイドダディーよりも上とみなされる。


 場合によってはムーバ・ラングラスよりも上と見る者もいるだろう。それだけの影響力を持っている男だ。


 そんな男がビッグに頭を下げる。


 その意味を理解しているかどうかはわからないが、セイリュウの礼儀正しい姿に思わずビッグが戸惑って素の対応をしてしまう。


 その一方で、ダディーはセイリュウから目を逸らしていない。いまだ敵対的な姿勢のままであった。



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