348話 「ラングラスの伝説 前編」


 ビッグが咆える。


 激情した勢いなのだろうが、あろうことかアンシュラオンを殺すとか言い出した。


 当人が聞けばジョークにしか思えないので問題ないのだが、他人が聞くとなかなか痛々しく思えてくる。


 特に実際に戦ったファテロナからしてみれば、「私、お姫様になるのー」や「僕はいつかスーパーマンになる」といった子供の荒唐無稽な将来像のようなものに匹敵するだろう。


 それは子供だから許されるわけなので、さすがにこの男が言うには痛すぎる。



「あなたでは永遠に無理です。あの方に勝てる人間は、少なくともこの都市にはおられませんよ。私が保証しましょう」


「そんなことは関係ねぇえ!! 全部あいつのせいだろうが!!! 俺はあいつをぶっ倒すからな!! 絶対にだ!!!」


「ぷっ、額に『肉』って書いてありますよ。そんな顔で言われてもギャグにしか感じません」


「書いたのはあんただろうが!!!」


「お止めはいたしません。ご自由にどうぞ。では、私は超疲れてるので、これで失礼いたします。明らかに労災です。そうだ、労災だーーーー! 労災だぞーーー! 訴えてやるからなーーー! チクショーー!」


「なんなのこの人!? 頭おかしーぜ!!」



 ファテロナの場合、労災は労災でも『精神障害』の労災かもしれない。


 ただ、入った時から頭がおかしいので認定はされないだろうが。




「てめぇ、このまま逃げるつもりか! 人の親殺して、ただで済むと思うなよ!」


「まったく…これだから親子ごっこは面倒なのです。オママゴトはよそでやってくださいませ。ただでさえこっちは、デブの領主様相手で疲れているのです。あっ、卑猥な意味ではありませんからご安心ください」


「てめぇ!! なめやがって! 殺す!!」



 ビッグが帰ろうとするファテロナに再び殴りかかる。


 が、何度やっても結果は同じだ。


 こちらも再びビッグの拳をよけ、カウンターで一撃を入れる。


 ドスッ


 ただし今度は素手ではなく、暗殺ナイフをみぞおちに突き刺した。綺麗にずっぷりと刺さっている。



「ぐっ…」



 ビッグが思わず身体を屈める。


 防御の戦気の展開すら間に合わない早業である。気が付いたら刺さっていたレベルだ。


 これだけ重傷でも技の冴えは衰えていない。これこそが達人と呼ばれる所以なのだろう。



「私に勝てない人間が彼に勝てるわけがありません。今お逃げになれば死なないで済みますよ」


「こんなもんが…こんなもんが……なんだってんだぁああああああ!!」



 ビッグはナイフが突き刺さったまま反撃。


 拳のラッシュを繰り出す。


 ブンブンブンブンッ スッスッスッ


 その攻撃を軽くかわすファテロナ。


 ダディーでさえ捉えるのが難しかった相手だ。ビッグには荷が重い。



 そこにファテロナのカウンター。



 ドスドスドスッ


 どこに隠し持っていたのか、さらに三本のナイフがビッグに突き刺さる。


 二本は肩と腹に。もう一本はビッグの左腕に刺さっている。


 今回は防御の戦気を展開していたが、まったく関係なく刺さったので、単純にファテロナの一撃が鋭いのだろう。


 しかしながら、ここで予想外のことが一つあった。



「おや、よく防がれましたね」



 ビッグの左腕に刺さったナイフをファテロナが意外そうに見つめる。


 この一撃は心臓を狙ったものであった。それをビッグが咄嗟に防いだのだ。


 弱っているとはいえファテロナの攻撃だ。速度は相当なものである。反応できただけでも見事といえるだろう。


 そして、これはまぐれではない。



(あ、危なかった…! 下手したら死んでいたぜ! この女、躊躇なく刺しやがってよ! まるで魔獣みたいなやつだぜ! だが、見えた…! 一瞬だが、こいつの殺気が見えたんだ! それで助かった!)



 もしヤドイガニ亜種先生との鍛練がなければ、この段階で致命傷を負っていただろう。


 見た目は美人だが、その中身は獰猛な魔獣のようである。殺すことに一切の躊躇いがない。する必要がないのだ。


 その冷徹な感情に恐怖を覚えつつ、自分が防御できたことに驚く。身体が勝手に動いたからだ。


 大自然の魔獣と戦う利点はここだ。真剣勝負というものの感性を磨くことができる。



 こうして間一髪命拾いしたビッグにとっては逃げることが最良の選択肢なのだが、頭に血が上っているので立ち向かう以外の道はない。


 勇猛果敢というべきか向こう見ずというべきか、迷いなくファテロナに突っかかっていく。



「うおおおおおっ!」



 ビッグの反撃。



 拳が唸るが―――



「ほいっとな」



 ドスッ


 ファテロナはあっさりと攻撃を見切ると、今度は殴りかかったビッグの拳にナイフを突き刺した。


 手の甲の部分から手の平にかけて、ぶっすりと貫通。


 初めての対戦ではあるが、互いの実力差がありすぎるので動きを完全に見切っているようだ。


 だが、それ以上の追撃はなかった。



「ふわぁあ、だりー、もう帰るー。それでは、ごきげんよう」



 ファテロナにとっては、もうどうでもいい勝負である。さっさと帰って寝たい気分だろう。



 彼女にしてみれば―――ビッグなど虫のようなもの。



 不快ではあるが殺す価値すらない弱者である。


 殺すチャンスはいくらでもあるが、それをやる気持ちにならないだけ。面倒くさいし、どうでもいいと思っているからだ。


 これは虫側にしてみれば最大の幸運である。


 勝てない勝負をしても意味がない。無駄な戦いをする必要はない。生き延びることが最重要だからだ。



 だが、それだけで割り切れないのが人間である。



 ここでもビッグが下した決断は、まったくもって無意味で無価値で必要のないもの。


 されど、人間だからこそ、過ちの中から正解を見つけようとする誇り高き存在だからこそ、あえてその道を選ぶのだ!!




「お前たちは…弱い人間のことをなめすぎだ!!」




 ビッグの拳が開かれ―――【掌】になる。



 その掌に【火気】が注がれ、一つの大きな力が生まれる。



「っ!」


「うおおおおおおおおおおお!!」



 ドオオオオオオンッ!!




―――爆発




 ビッグの掌で火気が爆発。前方に大きな爆炎が渦巻く。



 アンシュラオンが教えた―――【裂火掌】である。




(どうだよっ!! こいつの味は!! 俺だって、やるときはやるぜ!!)



 最初の拳はフェイントであり、相手を油断させるための『釣り』だ。


 当然ファテロナ相手に手を抜けないので本気で殴ったが、最初から狙いはこちらであった。


 人間は魔獣と違って相手を侮ることができる存在だ。相手が自分を格下だと思ってくれるのならば都合がいい。そのまま隙をついて攻撃できる。


 これも自分で自分を弱いと認めたからこそできるものだ。余計なプライドもなく、ただ相手を倒そうと努力したからこそ生まれた結果である。




 ボオオオオッ




 圧縮された火気に巻き込まれ、ファテロナが爆炎に包まれる。


 彼女もまさかビッグが裂火掌を使うとは思っていなかったのだろう。この奇襲は【当たった】。


 ただし、それが直撃するとは限らない。



「少々驚きました。まさかこのようなものを隠し持っているとは…豚は豚でも焼き豚でしたか」


「っ!! てめぇ!!」



 いつの間にかビッグの背後にはファテロナが立っていた。


 あのタイミングでの裂火掌を回避したとは驚きだ。


 しかし、その身体や服には焼け跡が残っていたので、完全にかわしていないことがわかる。


 さすがの彼女もこの状況下では、不意打ちに対応するだけの余力はなかったようだ。



 ファテロナに当てたという事実。



 両者の実力差を考えれば、それだけでも敢闘賞を与えたいものである。



(ちっ、こいつ! あの間合いでよけたのかよ!! 俺のとっておきだったのに!)



 だが、これで倒せなかったのはビッグにとっては悲報だ。


 裂火掌は彼にとって最大の技である。奇襲で仕留められなかったのは痛い。


 まだ熟練殿低い裂火掌では技の発動までに時間がかかるのだ。その一瞬をファテロナは見逃さなかった。


 ビッグにファテロナの相手は早すぎた。このレベル帯になると刹那の時間さえも惜しまねばならない。


 そして一度技を見せた以上、次からはそれを想定して動いてくるはずだ。二度と奇襲はくらわないだろう。



「1足す1は、ニーーー!」



 ドスッ


 ファテロナの反撃。今度は後ろからナイフを突き刺す。



「ぐううっ!!」


「おや、また防ぎましたね。シブトイナー」



 ファテロナの手に硬い感触が残る。


 狙ったのは心臓だったのだが、当たった箇所は肩甲骨であった。


 咄嗟にビッグが屈んだことで狙いが逸れたのだ。恵まれた肉体が幸いして、ナイフは肩甲骨に刺さったものの貫通には至っていない。


 これもビッグが事前に殺気を感じたからこそ反応できたのだ。



「おらああああ!!」



 そして、背中を刺されてもビッグは諦めない。


 何度も何度もファテロナに攻撃を続ける。殴ったり裂火掌を放ったり、すべてよけられても、けっしてやめようとはしない。


 そのたびにナイフを刺されたりするのだが、間一髪で致命傷だけは避けている。


 ダディー譲りの強い身体は、急所を刺されない限りは動き続ける。脳と心臓だけをがっしり守って、それ以外は捨てながら懸命に攻撃してくる。




 その姿が―――気色悪い。




(さすがはソイドファミリーの若頭。ダディー様に似てしぶとい。というか、『うざい』ですね)



 ファテロナはビッグの粘りに少々嫌気が差してきた。はっきり言って面倒くさい。うざい。汗臭い。


 何が好きでこんなやつと関わらねばならないのだろう。まったくもって不快でしかない。


 彼女は暗殺者だが必要以上の殺しを楽しむ趣味はなかった。享楽主義なので、楽しいと思わないと気分が乗らないのだ。


 すでにダディーは仕留めたため領主に言われた仕事は果たしたし、それなりに楽しめたのでお腹一杯だ。久々に全力を出したので疲れてもいる。


 そうなれば、もう【終わり】にしたいと思うのは当然だろう。



(一滴、でいいでしょう)



 ファテロナの指から、じわりと一滴の血液が滲む。


 言わずもがな、彼女の血は―――毒。


 一滴であっても耐性がないビッグならば、すぐにお陀仏だろう。それで簡単に事は済む。



「おおおおっ!!」



 シュッ


 ビッグの拳をよけて背後に回り、指先に血を混ぜた戦刃を生み出す。


 ああ、ビッグも馬鹿なことをしたものだ。こんな女など放っておけばよかったのに。分相応で逃げていればよかったのだ。


 だが、もう仕方ない。彼女が殺すと思った以上はどうしようもない。




(これで終わりです。帰ってネヨー)




 そして、ファテロナが腕を引いて、指を突き刺そうとした時―――





 がしっ





 その腕を【掴む手】があった。




 最初彼女はそれがビッグのものかと思ったが、彼の拳はしっかりと握られており、こちらに伸びてはいなかった。


 そもそも背後から刺そうとしている者の腕を取るのは不可能である。



(男性には『第三の手』があるといわれておりますが…ここまで見事に掴むとは、やりますね)



 などとファテロナが思ったのは、やはり頭がおかしいからだろう。


 たしかに男には第三の手と呼べるものがある。某ロボットでも、なぜそこに『隠し腕』を作ったのかと問いただしたいものもある。


 しかし当然、ビッグの竿が伸びて腕を掴むわけではない。あったら怖すぎる。





 では、誰の手が握ったのかといえば―――





 その手は―――【ソイドダディー】から伸びていた。





 死んでいるのですっかり眼中にはなく、死体は視界に入っても意識の中には入ってこない。死んでいると思っているのだから当然だ。



 だから―――完全に油断していた。



 ファテロナの意識がすべてビッグに向いていた。それは逆に言えば、自分の技に絶対の自信があったということだ。


 九天必殺は暗殺者の奥義である。くらって死なない人間はいない。


 いないはずだった。



 だが、ファテロナの前で驚愕の現象が起こる。




「―――ふぅうううう」




(っ!! 呼吸―――音!!)




 美しいファテロナの目が大きく見開かれた。


 どんな状況でも楽しむほどの異常者が、本気で驚いている。


 いつも冷静に相手を殺す暗殺者が、この状況に対して軽いパニックに陥っている。


 だが、彼女が驚いたところで現実は変わらない。




 そう、呼吸しているという事実は―――変わらない!!!





「はーー!!! すーーーーーーーはーーーーーーー!!!」





 今度は呼吸音というレベルを超え、積極的に呼吸を開始している。



 ぐるんっ



 白目になっていた眼球が元に戻り、ファテロナを見つめる。



 どくんどくん どくんどくん



 呼吸が戻ったということは心臓が鼓動しているということだ。


 ポンプから血液が身体中を巡り、肌に赤みが戻ってきた。それが力となって、ますますファテロナの腕を強く握り締める。


 単純な握力ではダディーのほうが何倍も上である。必死にふりほどこうとするが、がっしりと掴まれて動けない。


 ただし、ファテロナのその動きにも身が入っていない。完全に驚きのほうが勝ってしまっている。



「…これはさすがに…驚きです。私の奥の手なのですよ。あれは『即死無効』すら貫通するのに……フォオオッ! お前はもう死んでいる!!」



 そのファテロナの言葉に、ついにダディーの意識まで反応する。



「…たくよぉ、てめぇって女は……とことんふざけてやがるな。ああ、一度死んだよ。よくも殺してくれたな」



 多少かすれた声になっているが、間違いなくダディー自身の声である。


 その目は間違いなく生きている人間のもので、しっかりと力強くファテロナを睨んでいた。



「あなたは…本当に『人間』ですか?」



 ファテロナの言葉は、まさに文字通りの意味だ。


 九天必殺の奥義が効かないとすれば、唯一可能性があるのは『人間ではない』という場合のみである。


 暗殺者の技は『対人用』が大半なので、種族が人間以外に対しては即死効果は生まれないことが多い。


 この九天必殺も人間を殺すためだけに編み出されたので、魔獣やマスターたちには通用しないのが最大の弱点といえるだろう。


 もし彼らが人間に化けていた場合、この技は通じない。ファテロナがそう思うのも無理はない。




 がしかし―――




「俺は人間だ。人間だからよ、こうして熱くなれるんじゃねぇか!!」




 ボオオオオオッ


 ダディーの身体から戦気が吹き上がる。赤い、赤い、とても赤い真っ赤な炎だ。


 この戦気を発せられるのも人間のみだ。魔獣は発しないし、マスターたちは『神気しんき』と呼ばれる違う気質のオーラを出す。


 心の奥底から猛るような、迸るような激情を生み出すのは、痛みと苦しみの中でこそ進化する人間だけの力!!!


 何度も何度も死にそうになりながらも、実際に死にながらも諦めなかった者だけが放つ戦う意思!!





 ダディーは人間だぁあああああああああああ!!!






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