332話 「シャイナの奇妙な物語 前編」


 上級街の工業街には、ソイド商会が管理する麻薬製造工場がある。


 昼夜問わずに生産しているため、今夜も工場には明かりが灯っていた。もちろんバリバリに稼働中である。


 アンシュラオンが治療を一定期間停止したおかげで、それに合わせるように売り上げは少しずつ回復している。


 薬物の怖さは、その中毒性にある。


 やめたくてもやめられないのだから麻薬の需要がいきなりなくなるわけではない。


 低迷期があっても、必ず息を吹き返すのが麻薬なのだ。だからこそラングラス一派には、比較的安定した『商品』として重要視されている。



 その麻薬工場に一人の金髪の女性がいた。



 それはゴールデン・シャイーナこと―――シャイナ・リンカーネン。



 彼女はアンシュラオンに言われた通り、あれからも麻薬の売人を続けている。そうしたほうが逆に怪しまれないで済む、という理由からだ。


 しかしながら、ここで一つの重大な問題が発生していた。



「てめぇ、シャイナ! なんだこの『はした金』は! なめてんのか、このアマ!!」


「ひーーっ! なめてないですよー! それが全財産です!」



 明らかに裏の人間だと思われる『斜視しゃしの男』にシャイナが怒られている。


 斜視とは、片方の目の視線が対象物とは違う方向に向く眼病であり、昔はガチゃ目とかロンパリとか呼ばれていたものだ。


 原因はさまざまなのだが、この男が斜視になったのは喧嘩で目を殴られてからである。


 この男もシャイナと同じ売人であり、その取引のトラブルの際に殴られたのだ。


 売る側もクズなら買う側もクズである。喧嘩などしょっちゅう起きる。それが彼らの日常だ。


 ただし、斜視の男はシャイナより格上の売人であり、自分より下の末端の売人を統括する役割を担っている。


 つまりはシャイナの上役、上司ということである。



「あぁん? 今月の返済金はどうするつもりだ?」



 斜視の男は金がないシャイナを視点の合わない目で睨みつける。


 差別だとわかっていても、やはり不気味である。男の迫力にシャイナが縮こまるのも致し方がないだろう。



「そ、それは…コシノシンを売って儲けようかなぁ…と」


「そのシロをどうやって仕入れるってんだよ? こっちに納める金がなけりゃシロは出せねえぞ」


「えと…後払いというか…出世払いといいますか…。とりあえず売ってきますので麻薬だけくれないかなぁ…と」


「ふざけんな!! てめぇの親父がシロを持ち逃げしたのを知らないわけがねぇだろう! なめてんのか、このアマが! それとも娼婦になって稼ぐか? せっかくでけぇメロン二つも持ってんだ。使わないほうがもったいねぇだろうが! 俺がいい店紹介してやんよ! あぁん?」


「ふぎゃーーっ! そ、それだけはご勘弁を!! それ以外は何でもしますんでええええ!」



 シャイナは土下座をして謝罪。即座に全面降伏する。


 なんというプライドの無さだろうか。生き残るためならば何でもする。それがゴールデン・シャイーナというメス犬である。


 しかし、なぜこういうゴロツキは「あぁん!?」をよく使うのだろうか。業界七不思議の一つだ。



「ちっ、あれもこれも嫌じゃ話にならねぇな。てか、ついこないだまで羽振りが良かったじゃねえか。なんで今は金がねぇんだ」


「あー、そのー、仕事先が不定期開業でして…最近あまりやっていないので、今はほとんどお金が入らなくて…」


「なんだぁ? じゃあ、昼間は何やってんだ?」


「えー、そのー、乞食こじき的なものというか、乞食風のものといいますか…汚い格好で道端に座ってお金をもらっています」


「ただの乞食じゃねぇか。乞食以外の何者でもねぇぞ」


「あははは。あっ、意外とお金くれる人もいるんですよ。ほら、今日なんてデパートに来たブルジョワさんから千円ももらっちゃいました!!」



 あれだけ乞食に間違われるのが嫌と言っていた女が、手の平を返したかのように乞食をして金をもらう。


 人間とは切羽詰ると、ここまで自分を捨てられるものなのだろうか。清々しくもあり、ある意味でショックである。



「ほら、その金もよこせ!」


「あっ、私の千円がーー! 最後の生活費がー」


「うるせぇ、金がないなら今日はコッコシ粉を捌いてこい。てめぇにコシノシンなんてやれねえよ。親父みたいに持ち逃げされたら困るからな」


「そんなことしませんよ! 信用してください!」


「信用できるか! ほら、さっさとこれを持っていけ!」


「あうう!」



 シャイナはいつものコシノシンではなく、一番グレードが低い劣等麻薬であるコッコシ粉を押し付けられる。



(うう、これも先生が悪いのよ。全然医者をやらないから…)



 アンシュラオンが医者をしなければ麻薬の売り上げは伸びるが、シャイナには金が入らないという状況に陥る。


 それによって親の借金も返せず、目的の一つだったコシノシンの普及もできなくなる。はっきり言って手詰まりである。


 ただ、もしアンシュラオンがいなければ、とっくの昔にこの状態に陥っていたことは間違いない。


 その結果、娼婦にさせられていた可能性もあるのだから、少しでも恩義を感じていれば文句は言えないはずだ。なんとも図々しい女である。





「はぁ…こんなんじゃクズ値にしかならないよ。それに、こんな劣等麻薬を広めたら中毒症状も悪化しちゃう。はぁ…コシノシンがあれば…」



 コツコツコツ


 シャイナが工場の隅っこで落胆していると、そこに近寄る影があった。



「ね、ねぇ…シャイナちゃん。ちょっといい?」


「…へ? あっ、マドカちゃんも今日は仕入れ日だったの?」


「う、うん、まあね」



 やってきたのは、シャイナにマドカと呼ばれた垂れ目の淑やかな女性。


 童顔かつ小柄なので見た目は女子高生のようだが、これでもシャイナより年上の女性で、今年で二十四歳になる子持ちである。



 当然ここにいる以上―――彼女も【売人】。



 子供を身ごもった直後、内縁の夫が蒸発したためシングルマザーとなり、夫の借金返済と子供を養うために売人になったという経緯がある。


 階級はシャイナと同じ末端の売人で、年齢も近いことからお互いの身の上を同情しあったりもしている【売人仲間】だ。



 余談ではあるが、売人は男も多いが女性も意外と多い。


 その理由は、女性のほうが『つぶしがきく』から、である。


 さきほどシャイナも言われていたが、女性ならば娼婦になるという手段もある。


 アンシュラオンが潰した風俗店のように、麻薬中毒者の娼婦はラブスレイブの次にマニア層に好評なので、場合によってはそこに送って元手や損害分が回収できる算段がつくからだ。


 また、やはり女性自体が弱い立場にあるため、金に困っていたり孤独感から恋を求める女性は狙われるのが常である。


 ロマンス詐欺や結婚詐欺のように、あの手この手で口説き落とし、最終的に悪事に手を染めさせる手口もあるので注意が必要だ。


 悪人というものは常に弱い人間を狙うものである。マドカもそうした人間に狙われた一人であった。




「ところでシャイナちゃん、これ何だと思う?」


「え? 何? ケース?」


「…ほら、見て」


「うわっ、コシノシンだ! すごい!」



 マドカは、シャイナにコシノシンを見せる。


 小さめのアタッシュケース一杯に二等麻薬が詰め込まれている。普段彼女が扱う麻薬は三等麻薬のコーシン粉が大半なので珍しいことである。



「どうしたのこれ?」


「うん、お金持ちの常連さんが欲しがっていたから、最近はコシノシンも扱っているんだ。シャイナちゃんが売っているのを見て、前から興味があったしね」


「へー、そうなんだ。絶対こっちのほうがいいわよ。後遺症や中毒性も少ないし、吐き気だってほとんどないんだから! そうそう、玉子酒を飲むと使ったあとにも身体に残りにくいって話だし、お勧めかな。一緒に卵も販売すると儲かるのかな? 今度やってみよっと」


「やっぱり詳しいね」


「あ、あははは…お父さんがそっち系だったからね。商売柄というかなんというか…」


「そっか。お父さんは元気? 今、お勤め中だっけ?」


「うん…悪い意味でのお勤め中かな。出られる見込みはまったくないからね。借金も利子が高くて全然減らないし…うう、このまま一生売人生活かも…」


「もういいんじゃないかな…そういうの」


「え?」


「お父さんの借金のせいなんでしょ? シャイナちゃんが悪いわけじゃないわ。だからもう…いいんじゃない?」


「それは…うん、そう思うこともあるけど…親子だしね…。どうせいつか死んで別れるんだし、その前に見捨てるのも嫌だし…まだ大丈夫かな。それにまだ希望はあるんだよ。ちょっとスケベだけど信頼できる人もできたし…」


「彼氏が出来たの? そういえば少し変わったわよね。…うん、大人っぽくなったかな? そっか。シャイナちゃんも、ついに大人になったのね! おめでとう! 赤飯を炊かないと!」


「えっ…えっ!? ち、違うわよ! そんなんじゃなくて…!! あ、あの人はなんというか、ただの飼い主…じゃなくて、勤め先の上司みたいなもので! そりゃこの前はついつい流れでいろいろあったけど…ほんと違うから!!」


「あらあら、照れちゃって。可愛い」


「本当に違うんです!!」



 その通りだ。そんなことをうっかりアンシュラオンに言ったら鼻で笑われるに違いない。


 それはそうと、マドカがここに来たのは雑談をするためではない。彼女たちはそんな暇ではないのだ。



 用件は―――これ。




「あのね、シャイナちゃん。もしよかったら…これ、使う?」


「これって…このコシノシン?」


「そう。今日はコシノシンを仕入れられなかったでしょ? さっき見てたの」


「で、でも、これってけっこう高いし、マドカちゃんはどうするの?」


「娘の体調が悪いみたいだから今日はもう帰るの。だから捌けなくて困っていたんだけど…売値の半分でどうかしら? それなら私のノルマも果たせるし、マイナスにはならないわ」


「ああ、そういうことね。…いいの? 得にはならないよ?」


「いいのよ。働けないよりはましだし、少しはシャイナちゃんの足しになるでしょう? 困ったときはお互い様よ」


「じゃ、じゃあ…お言葉に甘えちゃおうかなぁ。私も最近お金がなくて困っているし」


「うん、それじゃお願いね。それとその…もう一つお願いがあるんだけど…いい?」


「何かしら?」


「えっとね、こんなこと言うと不思議に思うかもしれないけど…シャイナちゃんの労働許可証…貸してもらえるかな?」


「え? なんで? マドカちゃんも自分のがあるでしょ?」


「うん、そうなんだけど…娘が治療する際にあると安くなるのよ。でも、私って移民組だから…娘の分までは持っていなくて。まだ子供は幼いし…労働許可証って、実際に働いていないと発行してくれないでしょ? 少しでも費用が浮くかなって」


「そうなんだ。うーん、いいわよ。私は先生に治してもらえるし必要ないから。あっ、マドカちゃんも先生に…って、あの人はどこにいるかわからないんだった! …ごめんね。こんなことしかできなくて」



 そう言ってシャイナは労働許可証を渡す。


 重要なものではあるが、西門を通らなければ普段は必要ないものであるし、ハローワークに行けば有料とはいえ再発行してもらえるので、そこまで必死に守るものではない。


 だから労働者仲間の中では気軽に貸し借りすることもあるのだ。けっして珍しいことではない。


 日本でも保険料を払っていない人に保険証を貸して問題になることがあるが、写真があるわけではないので治療時に当人かどうかはわからない。後で発覚することが大半である。


 今回もそのノリで気軽に渡す。



「ありがとう。本当に…ありがとう。あなたの優しさは忘れないわ」


「うん、こっちこそありがとう!!」


「それじゃ、またね」


「うん!」



 マドカはコシノシンが入ったケースを置いて出て行く。




 彼女を見送ってから誰もいないことを確認し、シャイナはケースを抱きしめた。



「やったー! これで少しはお金の足しになる!! …じゃなくて、コッコシ粉を売らなくて済む! 助かったー! 持つべきものは友よね! うん、やっぱりお友達よ!!」



 当然シャイナは大儲けなので大喜びだ。


 上等な医療麻薬を流通させつつ、さらに金が入るのならば最高の結果だ。


 麻薬を配ることに違いはないので、このあたりの評価は微妙なところであるが、どうせ防げないのならば対症療法で対応するのは仕方のないことであろうか。


 無駄な性病や中絶を防ぐために、街中で避妊具を配るのと同じようなものだ。賛否両論だが、マイナスを防ぐという意味では意義はある。



 しかしながら、シャイナは世の中を知らない。甘く見ている。



 アンシュラオンが常々言っているように、他人を迂闊に信用すると痛い目に遭う。


 彼女は生来のお人好し気質なので簡単に他人を信じてしまうが、「お友達」などというものが何の価値もないことがすぐに証明される。




 それはシャイナがコシノシンを持って工場の外に出ようとした時である。



 斜視の男と―――ばったり会う。



 この男は末端の売人との仕入れ作業を終えると、入り口の見張りに就くのが日課となっている。


 いつもならばシャイナはすぐに出て行くのだが、今日はマドカとおしゃべりをしていたために出るのが遅れたのだ。


 そのため、ここで鉢合わせということになる。



「てめぇ、シャイナ、まだ残ってやがったのかよ。金もねぇのに何してたんだ、おい?」



 いまだ工場内にいたシャイナを見る目は不審の色を宿している。


 もともとこういう仕事をしていると、相手が自分を騙さないかどうか常に警戒するものだ。



 そして、疑り深い斜視の男の視線が―――目立つ色のケースに向く。




「なんだそれは?」


「えっ!? あっ、こ、これは…麻薬です」


「何年この業界にいると思ってんだ。んなもんケースを見ればわかるんだよ。俺くらいになるとビニールで覆われていても臭いでわかる」


「えー、覆われていたら臭わないですって。またまたー」


「じゃかあしい! そのケースを見せろ!」


「えっ、ちょっと…あああ! 駄目ですって!!」



 シャイナは抵抗するが、所詮は女の腕力である。斜視の男に簡単にケースを奪われてしまった。


 がちゃっ


 男がケースを開けると、中にはコシノシンがびっしり詰まっている。



「…おい、なんだこれは?」


「あー、コシノシンです」


「んなこたぁ見ればわかるんだよ。馬鹿にしてんのか。なんでてめぇが持っているのか、って訊いてんだ。お前は今日、コッコシ粉を仕入れたはずだろうが」


「それは…ええと……ちょっと伝手がありまして…」


「伝手だぁ? 金もねぇ野良のてめぇに伝手なんてねぇだろうが! …そうか、てめぇか。なるほどな。いつかやると思っていたぜ」


「えっ、え!? 何がですか?」


「てめぇ…【握り】やがったな?」


「へ? 握り? そりゃ…握りますけど…そうしないとケース持てないですし…」


「ふざけんじゃねえ! 握るってのは盗むってことだ!! てめぇ、ついにやりやがったな!!」


「ええ!? ええええええええーーーーーーーーー!!??」



 盗むことを「ぎる」と言うことがあるが、語源は「握る」ともいわれている。


 ピンハネするとか、立場を利用して掠め取るようなときにも使われる。


 コッコシ粉を仕入れたはずのシャイナが、なぜかコシノシンを大量に持っている。盗んだと思われても不思議ではない状況であった。




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