324話 「血塗られた道を歩む覚悟」


「結局…私に興味はなかったのだね」


「興味はありますよ。できればあなたをもっと傷つけたかった…。今ならばそう思えます」


「…そうか。どこかで壊れてしまったのだな。君ならば…もっと正しいやり方で都市を救えると思ったのだが…」


「それは買いかぶりすぎです。あなたがそう思いたかったにすぎません。それもまた誰かが作ったソブカ・キブカランという存在ですよ。本当の私はもっと暴力的です。そして、あなたのような甘い考えでは永遠に都市を変えることはできません。だからホワイトさんはあなたを見限ったのではないのですか? 最初からアイドルのあなたには荷が重かったのです。ジングラスの血を絶やしたくなければ、おとなしく隠居なさることですね」


「………」


「では、行ってください」




 プライリーラが少しずつ移動する。


 その動きをファレアスティが追い、一方でアーブスラットも彼らの動きを監視する。


 ソブカもアーブスラットを信用しているわけではない。突然約束を破る可能性もある。


 そのためラーバンサーがアーブスラットを常に捕捉している。この場で老執事に少しでも対抗できる相手がいるとすれば彼だけだ。


 倒す必要はない。プライリーラを捕縛できれば問題ないので、常に布が出せる用意をしている。




 互いが互いを信用していない中、人質交換は極めて慎重に、静かに、長い時間をかけて行われた。




 そして、プライリーラがアーブスラットとすれ違う。




「…爺! こんなことが…私は…!」


「リーラ様、ルイペナもハウーロも本望でした。他の者も同じ気持ちでしょう。我らはジングラスのために…いや、リーラ様を慕って仕えていたのです。だからこそ何があっても動じてはなりません。むろん、この老骨に何があろうとも御身のみを大事にしてください。見捨てるのです。すべてを見捨てて自分だけ生き残るのです」


「それが…組織の長の生き方だというのか? 納得は…できない…したくはない」


「ジングラスのことを考える必要はありません。リーラ様には未来があります。その資質はまだ完全に開花しておりません。いつか必ず、あなた様の光が人々を導くはずです。ですから…今は我慢の時です」


「…そうか。私があらがえば…皆が死ぬのだな…」



 プライリーラがバラバラになったハウーロに目を向ける。


 彼に落ち度はなかった。少しドジではあったが真面目な好青年だった。彼が死んだのは単にプライリーラの使用人だった、というだけの理由。


 自分が意地を張れば張るほど周りの人間が死んでいく。自分を大切にしてくれている大切な人たちが殺されていく。



 そのことを理解し―――涙を流す。




「ソブカ氏、これだけは言っておく。もし爺や館の者をこれ以上殺めるようならば…私は君を許さない。一生だ! それこそどんな手を使っても君たちを殺す!!! 他の都市に援助を求めてもだ!!」



 涙を流しながら【独りになった彼女】がソブカを睨む。


 その拳は強く握りすぎていて血が滲んでいた。


 他の都市に援助を求めるということは、グラス・ギースを裏切るということである。そこまでして彼女は自分の家族を案じているのだ。



「約束は守りますよ。他のジングラス傘下の者までは保証できませんが、館の人間には手出ししないと誓いましょう」


「………」


「さあ、行ってください。念を押しますが、聖域からは出ないように」


「…わかっている」



 プライリーラが奥の聖堂への扉に近づく。


 もう言葉が不要であることを悟ったのだ。彼女にできることは逃げることだけだった。



「アーブスラットさんも変な真似はしないでくださいよ。こちらにはホワイトさんがいることを忘れないでください」


「ふん、他人頼みとはなさけない男だ」


「悔しくもなんともないですねぇ。私の武器は武力ではありませんので。むしろ武力に頼りすぎたから慢心したのです。それ以上の強い相手が出てくれば簡単に栄華が終わるものです」


「あの男の存在は、お前にとっても災厄になりうる。いつか必ず破滅するぞ」


「…肝に銘じておきましょう」


「爺、必ず…いつか必ず…! 必ず助ける!!」


「リーラ様…どうかご無事で」




 ギィイイイイ バタンッ




 プライリーラが奥に消えると同時に、音を立てて扉が閉まっていった。


 これでもう誰も後を追うことはできない。




「ラーバンサー、彼を拘束してください」


「…心得た」



 しゅるしゅるっ


 ラーバンサーが布を放射。


 次々とアーブスラットの身体に巻きついて動きを拘束し、毒麻痺針も大量に刺していく。


 さらに念を押して『ヘブ・リング〈低次の腕輪〉』を両腕に三つずつはめた。これならばさすがの彼でも簡単には破れないはずだ。



「はぁはぁ…うっ…」



 そしてここで―――限界。



 アーブスラットの戦気が完全に消えうせただけではなく、また何歳か老化したように見える身体から力が抜けていく。


 これは毒や腕輪の作用ではなく、ユニークスキルの代償である。


 普通に使っても危険なスキルである。現在は細胞がかなり損耗していたため、負担は通常時の二倍はあったことだろう。もう立っていることすら難しい。


 アーブスラットは、とっくに限界を超えていたのだ。ソブカたちを殺すことも実際には難しかったのかもしれない。


 だからこそ博打を打ってプライリーラだけでも逃がした。相手が譲歩しやすいように自分を人質にすることを提案した。



 アーブスラットは疲れきった表情を浮かべながらも、にやりと笑う。


 プライリーラを逃がせただけでも上々の出来だ。



(どのみち長くはない命よ。もし私が死ねば人質の価値もなくなる。リーラ様が力を取り戻す時間があればいい。無事ならばよいのだ。…非常に不愉快だが、こうなればホワイトに任せるしかない。梟雄きょうゆう同士が並び立つことはありえぬ。いつかこの男も滅びるだろう。あとはホワイトがリーラ様をどう思っているか…そこに賭けるしかないな)


 

 アーブスラットの言った通り、アンシュラオンはソブカにとって害悪にもなりうる存在だ。


 あの男は敵でも味方でもない不思議な存在である。意図的に操作するのは難しい、まさに自然現象に近いものだ。


 運があれば、その風がプライリーラに吹くこともあるだろう。



(ふふふ、まさかあの男に期待する羽目になろうとはな…。だが、女に甘い分だけソブカよりは何倍もましか。さて、疲れた…な。どうせ動けぬ身だ。しばらく眠らせてもらおう…)



 そのままアーブスラットは気を失う。すべてから解放されたように熟睡モードに入る。


 どうせ拘束された身だ。たまには自堕落に生きてもいいだろう。


 自分の命に見切りをつければ、人間はこれだけ図太くなれるのだ。



 その様子を見て、ソブカはまたもや呆れる。



「やれやれ、相変わらずしたたかな御仁ですね。ではラーバンサー、彼を例の部屋に連れていってください。監視は怠らないように頼みますよ。眠っていても薬物の投与は続けるように。強力な武人に油断は禁物です」


「…心得た」



 ラーバンサーが、アーブスラットの捕縛と監視を続けながら出ていった。


 この館に隠し部屋があるようにキブカ商会にも同じようなものがある。しばらくはそこで隔離する予定だ。


 そこは本来プライリーラを閉じ込めるために用意していた場所なので、強力な武人に対抗できる術式が張られている。




「ベ・ヴェル、無事ですか?」



 ソブカが腹を押さえているベ・ヴェルに話しかける。



「心配いらないよ。…くそっ! あんな弱っている連中に負けるなんて…あまりにふがいない。薬の量を増やすよ。文句はないね?」


「ご自由に」


「ふんっ…くそっ…苛立たしいね! 次は役立つ…! 見てな!」


「十分役立ちましたよ。死ぬ危険性が高かった仕事を引き受けてくれました。満足しています」


「私が満足していないのさ! こんなもんじゃないよ! 私は…強くなるんだ」



 バタン


 苛立ちを隠そうともしないベ・ヴェルも外に出ていった。


 まだまだ未熟だが、彼女の強くなりたいという気持ちだけは一級品であった。


 それこそ武人にとっては重要な資質だ。彼女もいつか大成する日が来るかもしれない。その日まで生き残っていれば、だが。



「役立ったのは本当なんですけどねぇ。こちらも被害が出てしまいましたが、彼女の気概のおかげで士気が下がらずに済みましたよ。人を雇うというのは難しいものですからね…」



 傭兵も命がけとはいえ、中には逃げ出すような者だっている。特に外部から雇った人間はその傾向が強い。


 今回もプライリーラたちによって重傷者が出ている。それで士気が下がらないのは、自ら腹を焼いたベ・ヴェルがいたからだ。


 女の傭兵があそこまでやっているのだ。自分たちも負けてはいられない、という思いが生まれるのは当然だろう。



「それにしても思ったよりギリギリでしたねえ…。これが四大市民の力ですか。やはり怖ろしいものです。ホワイトさんがいなかったら万に一つも勝機はなかったですね」



 ようやく緊張した空気がなくなり、息を吐く。


 彼にしても大きな賭けだったのだ。下手をすれば死ぬ危険性もあった。


 しかし、だからこそ勝った時の報酬が大きくなる。



「ソブカ様、プライリーラ様は逃がしてよろしかったのですか?」



 魔獣に再び薬を投与して深く眠らせたファレアスティが戻ってきた。


 持ち出せる魔獣は持ち出すが、それ以外は部屋ごと燃やす予定だ。誰もいなくなった館を調べられては困るからだ。



「仕方ないでしょう。アーブスラットさんに玉砕されたら私どころか全員死にますからね。そうなればホワイトさんの独り勝ちですよ。それでは嫌でしょう?」


「それはたしかに極めて不快ですが…これで不安要素が増えました。彼女がおとなしくしているとは思えませんが…」


「どうでしょうねぇ。あなたも聴いていたかもしれませんが、彼女は思った以上に『乙女』だったようですよ。強すぎたがゆえに守られた少女時代を過ごしましたから、逆に傷つきやすくて繊細なのです。ちょっとつついてあげれば、このありさまです。人質はまだまだいますからね。問題はありませんよ。それと人質にはプライリーラを捕まえたと虚偽の情報を伝えて自害を防いでください」



 使用人はまだいる。繊細な彼女にとって彼らは切り札になるだろう。


 こちらもプライリーラを人質に取れば迂闊に自害はできないはずだ。無駄に死ぬことはないだろう。



 そして、ソブカは宙を見つめながら呟くように言葉を紡ぐ。



「…いいんですよ。あれで。もし彼女を手にしていたら…私はきっと自分を抑えることができなかったでしょうねぇ。この中にいる【獣】はひどく凶暴で怖ろしいものですから、彼女を傷つけて楽しんでいたに違いありません。…ふふ、怖いですねぇ。私が一番怖いのはね…自分ですよ。自分が一番怖い」



 プライリーラが哀しむ顔、苦痛に歪む顔、それが妙に生々しく、美しく思えた。



 それは―――獣の感情。



 自分の中にいる獣の側面がそう感じさせるのだ。


 獣は血を好む。殺しを楽しむ。蹂躙を欲する。プライリーラの苦しみを楽しむ。


 獣は彼女が苦悩する顔を見るために、何の利益がなくても人質を順に殺していったかもしれない。彼女の目の前で、さらに凄惨なやり方で。



 涙を流して叫ぶ彼女。それに興奮する自分。



 まさに狂気の沙汰であり、猟奇的な嗜好である。


 だがきっと、そうしていただろう。束縛されていた獣が解き放たれたならば、それくらいは簡単にやってのけることをソブカ自身が一番よく知っている。


 だからこそアーブスラットの提案にも乗ったのだ。


 もしこれ以上やれば、自分が自分でなくなりそうな気がしたからだ。人間という皮を被った何か恐ろしい怪物になってしまいそうで怖かった。


 逆に言えば、まだソブカの中には人間性が残っている、ということである。それを理性がとどめたのだ。



「自分にそんな変質的な趣味はないと思っていたのですが、やはりどこか壊れてしまったのでしょうかね。女性の泣き顔を見て興奮するなど…ただの変態です」


「………」


「ああ、女性のあなたに言う台詞ではありませんでしたね。これは失礼」


「…ソブカ様は、プライリーラ様がお好きなのですね」


「随分と飛躍しましたねぇ。なぜその結論に至ったのか謎ですが、あなたもそういう思考ができるなんて少々意外でした。やはり女性なのですね。安心しましたよ」


「それこそ失礼な発言だと思いますが?」


「おやおや、それは失礼。改めて言いますが、私はプライリーラに対して特別な感情はありませんよ。憎悪や怒りというもの以外はね」


「そうですか」


「あなたから話題を振ったわりに冷たい反応ですねぇ。…と、そんな話はともかく、プライリーラはあのままでいいでしょう。聖域がどこかはわかりませんが、仮に都市に戻ってくれば捕らえればいいですし、他の都市に行っても今の彼女に伝手はありません。所詮、この都市だけのアイドルですからねぇ」



 ジングラスと付き合いのある他の都市の商会もあるので、そこに助けを求めるという手もある。


 が、組織の後ろ盾を失ってしまえば単なる少女。強いとはいえ個人の女性だ。この事態を収拾できるほどの力はない。


 戻ったところでアンシュラオンがいる以上、彼女に打開の道はない。


 彼は勝つためにソブカを選んだのだ。だからこそ彼女に「都市に戻るな」と警告していた。


 それを受け入れなかったのは彼女自身なのだから、いくら女に甘いアンシュラオンでもソブカを殺すようなことはしないだろう。


 何よりもアーブスラットや館の使用人が人質なのだから無茶はできない。




 よって、プライリーラは―――【無力】である。




 ただ、彼女を逃がした以上、予定は多少ながら変更するしかない。



「ジングラス一派のほうはどういたしましょう?」


「そのまま手に入れることは不可能になりましたね。肝心の魔獣も奪い損ねましたし。魔獣が使えればいろいろと方便で誤魔化すこともできましたが…仕方ありません。せっかく結婚話にも乗ったのに、これではあまり収益がありませんねぇ」



 ソブカが結婚話に乗ったのは、婚約の事実を利用するためだ。


 仮にここで魔獣の支配権が手に入れば、それを口実にジングラスへの影響力を強めるつもりでいた。


 自分がジングラスの身内になったから魔獣を操作できるのだ、というように合法的に支配が可能となる。


 が、そう上手くは運ばないらしい。魔獣は諦めるしかないだろう。あとは薬で暴走させるといった使い方しか浮かばない。



「しかし、当主が行方不明になれば動揺は広がるはずです。象徴がいなくなれば、組織自体は短期間でかなり弱体化します。そこに付け入る隙があるはずです」



 ジングラスは大きな組織だが、プライリーラとアーブスラットの求心力によって維持されてきた側面が強い。


 その二人がいなくなれば弱体化は必至。食糧事情にも影響が出てくるはずだ。


 そこで他の組織がどう動くか。特にマングラスの動きが重要となる。


 もしマングラスが吸収に動けば、ジングラスは強い拒否反応を示すだろう。そのあたりで隙が生まれるはずだ。



「その時に迅速に動くために、まずはラングラスを手中に収めなければなりません。…そう、ラングラスを…私がラングラスになるのです。そのためにはホワイトさんの助力が必要です」


「そのホワイトですが、衛士隊が血まなこで探してるようです」


「ああ、そうでしたね。領主がかなり怒っているようですから…仕方ないですねぇ」


「プライリーラ様と密約を交わして独断で逃がそうとするあたり、あの男こそ信用できません。自分のことしか考えていない男です。あまり頼りすぎるのは危険です」


「相変わらずあなたは彼が嫌いですねぇ。でも、そういう人だからいいんですよ。仲良し小好しの相手では逆に信用できませんからね。互いに刺激し合うほうが楽しいじゃないですか」


「ソブカ様のそういうところも危険です」


「よいではありませんか。どうせ我々は危険な道を歩むしかないのです。それならば最後までやりきりましょう。それが賭けというものです。そうそう、衛士隊の件に関しては干渉する必要はありません。彼は彼の判断で動くでしょう。それよりはラングラス側の掌握を急ぎましょう。ファレアスティ、今回はご苦労様でした。これからも頼りにしていますよ」


「はい。お任せください」



 ソブカの後ろに付き従いながら、ファレアスティはプライリーラのことを考えていた。


 すでにアイドルではなくなった哀れな女性であるが、彼女のことを想うと胸が痛む。




 痛々しいという意味ではなく―――【嫉妬】で。




(たしかにアーブスラットとの交渉は致し方ないとはいえ、あっさりすぎる。ソブカ様は最初からプライリーラ様を都市から逃がしたかったのだろう。あの御方がいれば自分がおかしくなってしまうから…。そして、自分を恨んでほしいから。そうしなければホワイトに取られてしまうから)



 ソブカが必要以上にプライリーラを攻撃したのは、彼女が好きだったからだ。


 もちろん当人は認めないし、自覚はほとんどないのだろう。だが、女性視点から見ればすぐにわかることだ。



 ソブカはプライリーラが好きだったのだ。



 彼女の美貌とか豊満な肉体とか、そういったものに対してではない。


 自分と同様の獣を宿し、同じ視点から物事が見える存在は稀有だ。同属に対する強い愛情と興味があったのだ。


 だが、それ以上に四大市民への憎しみが強かった。その狭間で彼は自分を制御できなくなってしまった。



(でも、もういない。プライリーラ様は…いない。ふふふ…それでいいのだ。彼女にはどのみち務まらない。私と同じことはできないのだから)



 今後、ソブカはもっと非道な行いをするだろう。目的のためならば、それができる男だ。


 なにせ敵はもっと悪い者たちだ。アンシュラオンが言ったように、悪はより強い悪によって淘汰されねばならない。



 むしろ、それを【正義】と呼ぶ。【力の正義】だ。



 それができるからこそ、アンシュラオンはソブカを選んだ。


 ファレアスティは、ソブカと一緒に血塗られた道を歩く。自分にはそれができる。


 だからこそファレアスティは、ソブカに選ばれた。


 この道だけは自分しか歩くことはできない。そのことに幸せを感じるのであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます