321話 「絶望のプライリーラ 前編」


 アーブスラットはプライリーラを抱え、魔獣管理部屋に戻る。


 ソブカが追ってこられないように戦気壁を発動。扉を一時的に塞いだ。



「はぁはぁ…」



 アーブスラットの額から汗が流れる。呼吸も荒い。



(たったこれだけの戦気を使っただけで、この疲労か。私のコンディションは相当悪いな)



 アーブスラットは自分のことをよく理解している。


 あの場でソブカを攻撃しても、おそらくはまた術式を発動させて時間を稼いだだろう。


 まだかなりの数の術符が張られているはずなので、一回や二回ならば対応できるが、それが続くと今の状態では非常に厳しくなる。



(すまぬ、ルイペナ。お前を助けられなかった…。だが、その命は無駄にはしない。リーラ様は私が絶対に守る。だから許してくれ)




「リーラ様、ご無事ですか?」


「爺…くうう…私は…ルイペナを……」


「あなた様のせいではございません。あの状況では誰であっても助けられませんでした」


「これほど無力とは…今ほど自己嫌悪した瞬間はないよ」


「泣き言はあとでいくらでも聞きましょう。ですが、今は逃げねばなりません。自分すら守れない人間が他人を守ることなどできませんぞ。しっかりするのです」


「爺は厳しいな…」


「厳しくても生きるのです。生き抜くのです。それがリーラ様の使命です。生きていなければ借りを返すこともできませんぞ」



 プライリーラと違ってアーブスラットは、幾多の死を乗り越えてきている。


 その中には戦友と呼べる者もいたのだ。そういう経験を何度もしてきた彼は、ルイペナの死を一時的に忘却の彼方に追いやることができる。


 そんな老執事の存在が、今はとてもありがたかった。



「わかったよ。もう大丈夫だ。そうだな。ソブカ氏の好きにさせるわけにはいかない。…この借りは必ず返す!」


「その調子です。聖堂のエリアにまで逃げ込めば相手は手を出せません。ここで待っていたのが、その証拠。あそこまで行けば我々は負けません」



 ソブカは聖堂には入れない。ジングラスの血を持つ人間だけの聖域である。


 同じ結界に守られている聖森も同じだ。あそこまで転移してしまえば、どうやっても追うことはできない。


 一往復分の魔力しかないことも幸いである。戻りたくても簡単に戻れないのだから吹っ切れることができるだろう。



「行きましょう! すぐそこです!」


「ああ!」





 二人は聖堂への入り口に向かって走る。


 ここは館の中だ。そこまで広くはない。次々と通路を抜け、あっという間に目的の部屋にまでやってきた。


 相変わらず魔獣たちは眠っている。


 それを見るたびにルイペナの無念が感じられて、アーブスラットの心の中にも強い哀しみと怒りの感情が芽生える。



(ソブカ・キブカラン。やはり危険な男であったか。卑劣とは言わぬよ。これも闘争なれば、いかなる手段をもちいても勝つべきだ。その頭脳は見事だ)



 ソブカのやり方は、たしかに卑劣だ。さまざまな信頼を裏切るし、裏切らせる。


 だが、争い事に正道は存在しない。ルールなどはない。相手を支配するか、相手に支配されるか、その両者しかないのだ。


 この状況を生み出したソブカを褒めるべきだろう。なにせ転移するかどうかを選んだのはこちら側なのだ。読みきったソブカのほうが賢かったのだ。


 あの若さにして、これだけの頭脳戦を仕掛けられることは脅威である。



 だが、それを許すかどうかは、また別の話だ。



(リーラ様を傷つけた罰は与えるぞ。貴様は私が必ず殺す! ルイペナの恨みも晴らしてくれるぞ!)



 やられたからには報復は必要だ。報復があるからこそ均衡が保てる。


 そうしてアーブスラットが復讐を誓うのだが、ソブカの謀略はまだ続いていた。





 聖堂の入り口にあと少しのところで、アーブスラットの前に【二人の敵】が立ち塞がった。





 一人は大剣を持ったベ・ヴェル。


 もう一人は覆面を被ったラーバンサーである。


 彼女たちはアーブスラットがここに来ることがわかっていたように待ち構えていた。



(なにっ!? なぜやつらが…! 波動円に反応はなかったはずだぞ!)



 これには達人のアーブスラットも驚愕。


 触覚で判断するので、波動円で感知できないものは基本的にはない。もし人間が隠れていたらすぐにわかるはずだ。


 しかしながら物事に絶対はない。あらゆることに抜け道は存在するものだ。



「へぇ、本当に気付かなかったみたいだねぇ。術ってのも便利なもんじゃないか」



 ベ・ヴェルが感心した様子で苦笑する。彼女も半信半疑だったのだろう。


 もともと波動円は物体の表面を撫でることによって、それが何かを類推するものである。目隠しをして手で触れるのと同じく、これがなかなかに難しい。


 普通の使い手ならば箱に隠れた人間を探知するのも困難である。表面の箱に意識が向いてしまうのだ。


 しかし、アーブスラットほどになると、その精度がぐっと上昇する。長年の経験によって触覚が研ぎ澄まされているし、形状変化させて細かいところまで探るからだ。



 そんな熟練の手練れに対抗するための術式が存在する。



 荒野でアンシュラオンが隠形を使って隠れていたときにも触れたが、視覚や触覚すら誤魔化す『隠行術』と呼ばれるものだ。


 今回ベ・ヴェルたちが使ったのは『触擬隠体しょくぎいんたい』という隠行系結界術の一つで、自分の近くにあるものと気配を同化させる効果がある。


 たとえば岩場に隠れている者がこれを使った場合、波動円で触れても岩の一部と誤認してしまう。


 岩の感触を自分の周囲に展開コーティングしているので、触覚だけでは区別がつかないのだ。


 動いてはいけないという最大の制約があるせいか、その効果はなかなかのものである。



「…くんくん。うえっ、獣臭い…。まったく、魔獣と一緒におねんねするなんて、とんだ災難だったよ」



 ただしそのせいでベ・ヴェルたちは、プライリーラが来るまでの間、ずっと魔獣の寝床に隠れていなければならなかった。


 魔獣の居住スペースには干し草が敷き詰められているので、その中でじっとしていたのだ。


 スナイパーが標的を仕留めるために何日もかけて張り込むのと同じだ。非常に地味で嫌な作業である。


 だが、その苦労は実る。



「苦労した甲斐があって、大きな獲物が釣れたみたいじゃないか! また執事のオジイ様と会えて嬉しいねえ!! こんな子供騙しにも気付かないなんて、らしくないねぇ! あんたもあの坊やにまんまとやられたわけかい! ははは、あたしとお仲間だねぇ!!」



 万全の状態のアーブスラットならば通用したかはわからないが、これも彼が弱っていることが前提となった策である。


 仮に気付かれれば、彼らは途中で引き返していただろう。その場合は仕方がない。まともに二人とやり合うよりはましである。


 その場合、負けていたのはソブカたちのほうだったはずだ。




 だが―――ソブカは勝った。




 読み勝った。


 状況判断能力、分析力に加え、まさに動物的勘によって獲物を狩場に追い込んだのだ。





「私の館で好き勝手やってくれる! 爺、やるか?」


「リーラ様は力の温存を。ここは私が相手をします。隙を見て、聖堂に走ってください」


「無茶をするな! ラーバンサーもいるぞ!」


「ええ、知っております。やつとは同時期に都市にやってきましたからな。まさかこんな場所で相まみえることになるとは、なかなか面白い嗜好です。どう考えても、やつの狙いはリーラ様でしょう。迂闊に近寄らないほうが身のためです」


「たしか捕縛や拘束が得意な武人と聞いたが…」


「総合力では強者ではありませんが、その道のプロではあります。今の弱った我々には面倒な相手です。私が捕まった場合はフォローしてください」


「そうか。わかった。爺も無理はしないでくれよ」


「承知しております」



 そう言ってプライリーラを納得させる。といっても、これは事実でもある。


 アンシュラオンに圧倒されたラーバンサーであるが、この場では最悪の敵となるだろう。


 守りに優れた彼は時間稼ぎが得意だし、何よりも捕縛することに長けている。明らかにプライリーラを捕まえるための人選である。



「弱った相手と戦うのは趣味じゃないけど…これもお仕事なんでね!」



 仕事と言いつつ、彼女はプライリーラを無視して老執事しか見ていなかった。


 馬車内で言われたことをちょっと根に持っているのかもしれないし、単純に強い相手に興味津々なのだろう。


 ベ・ヴェルはアーブスラットに突っ込む。


 相変わらず勢いのある突進であり、そこから繰り出される一撃は豪快だ。



「甘い!」



 アーブスラットは横薙ぎにされた一撃を紙一重でよけ、剣を乗り越えるように跳躍すると、そのまま反撃。


 バキャッ!!


 流れるような蹴りがベ・ヴェルの顔面に直撃。


 この状況で手加減などするわけもないので本気の重い一撃が入り、がくんと身体が沈む。


 が、倒れない。



「つっ…! すごい技量とパワーだね! これで弱っているなんて信じられないよ! 今までのあたしだったら、これで死んでいただろうけどねぇ!!」



 ぺっと折れた歯を吐き出して、ベ・ヴェルは蹴りに耐える。


 アーブスラットは戦気を放出しているので普通の生身ならば耐えられなかったが、今の彼女ならば問題ない。



 ボォオオオオオッ




 ベ・ヴェルの体表からは―――【戦気】が出ていた。




 それが肉体を何倍にも強化しているのだ。今の彼女は、まさに武人である。


 彼女には、アンシュラオンがルアンにも提供した強化アンプルである『凛倣過りんほうか』が投与されている。


 それによって生体磁気が活性化して、彼女も戦気を放出できるようになったのだ。



 だが、仮に戦気を放出していたとしても、アーブスラットほどの武人の蹴りには耐えられないだろう。


 なにせベ・ヴェルは、アンシュラオンにサリータと同レベルと判断されたくらいだ。それが普通の強化薬程度で、これほどまでに強くなるわけがない。


 それゆえに、これまたルアンにも与えられた各種危険薬物を多量投与しており、筋力増強、反射神経強化等々、かなり危ないことをやっている。


 アンシュラオンには提供していないさらに強い秘薬もあるので、ベ・ヴェルの戦闘力は五倍から十倍近くに引き上げられていると思っていいだろう。



 ただし、これだけの効果があるのだ。代償は大きい。



(たかが寿命が縮むくらい、たいしたことはないねぇ。それで強くなれるのならさ!!)



 強さが第一基準である武人にとって、いかなる手段をもちいても強くなるべきである。そうでなければ存在価値がまったくない。


 ルアンが死を覚悟で薬物に手を染めるように、アーブスラットが細胞操作で老化が早まるように、力を手に入れるためには代償が必要だ。


 ベ・ヴェルもまた命を対価として強くなることを欲している。それをソブカが与えてくれるのならば、どんな仕事だってこなす。


 それが彼女の傭兵としての覚悟である。




 そして、ベ・ヴェルが体勢を整えている間にラーバンサーが迫る。


 防御型の彼であるが相手を仕留めるために攻撃を優先し、全速力でプライリーラに向かっていく。


 なぜかベ・ヴェルがアーブスラットに向かっていったので、それならば幸いと自分は本来の役割を果たすことを優先したのだ。



「やはり狙いは私か! 一人で来るとは甘く見られたものだな!! はっ!!」



 プライリーラは修殺を放って迎撃。


 大気を押し出す強力な拳圧がラーバンサーに迫るが―――



 ぶしゅんっ



 霧散。


 スキル『低級技無効化』の効果である。



「なにっ!? 私の修殺が効かない…だと!?」



 プライリーラがラーバンサーのこのスキルを見たのは初めてだ。


 『低級技無効化』は任意発動なので、自分の意思で使うかどうかを決められる。


 ラーバンサーは普段、この能力をあまり使わない。彼自身が一般ではそれなりに強い武人であることもあり、使わずとも対応できてしまうのだ。


 だからこれは【奥の手】。


 アンシュラオンやプライリーラのような、他と一線を画した相手と戦うときのための隠し玉なのである。


 アンシュラオンでも驚いたのだ。プライリーラが驚くのも当然だろう。



 ラーバンサーはダメージも反動も受けずに修殺を相殺し、一切速度を緩めずにプライリーラに突進。


 プライリーラは攻撃をやめて回避に専念。アーブスラットに言われた通り、迂闊に近寄らないことにしたのだ。


 しかし、まさか攻撃が掻き消されるとは思わなかった彼女は、一瞬だけ動きが鈍ってしまった。疲労の蓄積によっていつもの動きではなかったのだ。



 シュルルッ がしっ



 その一瞬の隙を狙ってラーバンサーが布を放出。


 布がプライリーラの左腕にがっしりと絡まる。



「くっ!! なんだこの布は! 切れない!」



 プライリーラは右手に戦刃を出して布を引きちぎろうとするが、思った以上に強固であった。


 繊維というものは筋に沿って刃を入れれば簡単に切れるが、それ以外の方向からは異常な強度を誇るものである。


 ラーバンサーは繊維の弱点をカバーするため、自身の戦気の大半を布にまとわせて厳重に補強している。



 そのうえラーバンサーも幾多の強化薬を使用していた。



 まだ未熟なベ・ヴェルと違って限界までレベルを上げているので上昇値は低いが、アンシュラオンと戦ったときと比べて三倍近い出力を出していると思っていいだろう。


 彼の防御は「C」だったので、単純に計算しても900の性能、防御「AA」に近い力を出しているのだ。


 これくらいになると、いくらプライリーラでも簡単に切れるものではない。



 そして、アンシュラオンとの戦いのときは布で巻きつけることすら許されなかったが、彼の本領はここからだ。


 ラーバンサーが隠されていた両手を開くと、掌から無数の針が出現する。


 ドロリ


 さらにその尖端には紫色の液体が塗られていた。



(見るからに色が悪い。毒か何かか!?)



 プライリーラも一目でそれが危ないものだとわかる。


 ハンベエの戦いを見ればすぐにわかるが、毒は人間にとって非常に怖ろしいものだ。


 相手は自分を殺すつもりがないので、おそらくは麻痺毒あたりだと思われる。


 医療品を担当するキブカ商会ならば、そういった薬品は簡単に仕入れることができるだろう。改めて彼らの危険性を認識する瞬間だ。



 ラーバンサーが針を剥き出しにして襲いかかる。



 すでに布で間合いが限定されているのでプライリーラはかわせない。


 彼女は毒耐性を持っていない。一本や二本程度ならば浄化できるだろうが、何十本も刺されると危険だ。



(仕方ない! カウンターで拳を合わせる!)




 プライリーラがダメージ覚悟で右手に力を溜めた瞬間―――視界にアーブスラットが見えた。




「やらせん!!」


「―――っ!」



 すでに攻撃態勢に入っていたラーバンサーは、その横槍をよけられなかった。



 バギャッッッ!!!



 強烈な蹴りが横からラーバンサーの肩に叩きつけられる。


 技を使っていないので、この攻撃は通る。吹っ飛ばされたラーバンサーは、そのまま壁に激突。


 ただ、布はプライリーラに絡まっているので、彼女も引っ張られる。



「お前の布は物理には強い。だが、術式ならば!」



 アーブスラットは水刃砲の術符を取り出すと、布に発動。



 ズシャーーーー ズバッ



 プライリーラを絡め取っていた布が切れて、腕が自由になる。



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