320話 「もう一匹の獣 後編」


「あなたが聖堂から来てくれるとは、私も運がいい。賭けた甲斐がありました。正面から来られたら困っていたところですよ」



 プライリーラが都市の正面から戻ってこないことはソブカも予想していた。


 そこで幼馴染であることを利用して入手した聖堂の情報を思い出し、ここに賭けたのだ。


 なんだかんだ言ってもプライドの高いプライリーラである。ジングラスの威光を気にする者ならば、絶対に人目につかない方法で戻ってくるはずだ。


 狙いは見事に的中である。予想する側としては、これほど嬉しいことはないだろう。


 ルイペナをここに配置したのも、その可能性を考慮してのことだ。



「ルイペナさんには本当に感謝しないといけませんねぇ。あなたと一番仲が良かった人ですし、人質としての価値も相当なものです。私も殺すのは惜しい。彼女の苦労に免じて助けてあげてくれませんかねぇ?」


「はぁはぁ…お嬢様……申し訳……ありません…」


「いいんだ。いいんだよ、ルイペナ。君は私の大切なものを守ろうとしてくれた。何ら恥じ入ることはないんだ。誇りに思っていいよ」



 ルイペナがソブカの指示に従ったのは、主人の帰る場所を守るためである。


 プライリーラの苦悩を近くで見てきた彼女だからこそ、主人の心安らげる場所を壊したくなかったのだ。


 ここには父親との思い出も数多くある。そんな場所で使用人が全員殺されたら、プライリーラのショックはいかほどだろうか。


 だからこそルイペナの行動を責めることはないし、むしろ誇りに思うのだ。




 だからこそ―――強い憤りを感じる。




「ソブカ氏、君の言った通り、これは権力闘争だ。何をしても勝たねばならない。でもね、人の心まで踏みにじっていいわけではないよ!! 彼女の誇りまで傷つけた君は…許さない!!!」



 ボオオオオオオッ!!


 戦気が身体から溢れ出し、ソブカを睨みつける。



「まだそれだけの力が出せるとは、さすがですね。それで、どうします? 力づくで助けてみますか? 今のあなたと私、どちらが速いでしょうねぇ」


「脅しには屈しない。その前に君の頭を吹き飛ばす!」


「ふふ、怖いですねぇ。では試してみましょうか」


「はぁはぁ…いけません! お逃げください! 私のことは…よいのです! 覚悟はすでに…決まっております。これは罠です…! ですから…ぐっうううっ」


「ルイペナ! 諦めるな! 私がなんとかする!」


「あまり時間をかけたくないんですよ。迷っておられるのならば、少し手助けをしてあげましょうか」



 ズズズズッ


 ソブカが剣を少しずつ動かす。



「あぐうっ!!」



 ルイペナの背中に強烈な痛みが走る。筋肉が傷つき、抉られ、中の臓器にまで到達。


 ザクッ ザクザクッ



「ぐううう、ああああ! かはっ…はーー!!」


「ルイペナ!」


「斬ったのは肺です。これくらいならば命に関わりません。といっても医者が本職ではありませんから―――」


「ううううっ! っ…ぁあ!!」



 ズズズッ


 剣がさらに身体を動き回る。その痛みと不快感たるや、武人ではない彼女には相当なものだろう。



「うっかりすると殺してしまうかもしれませんねぇ」



 ソブカの目が冷徹な色を帯びる。


 それは殺すことを知っている目。そうしようと決めた目。


 彼はきっと、なんら迷うことなくルイペナを殺すだろう。そういう人間特有の目の光であった。




「やめるんだ! 私にできることなど、もう何もないのだ! 君は勘違いをしている!」


「いいえ、ありますよ。どうあっても、あなたはジングラスのトップなのです。それは自分で決められるものではありません」


「そんなに欲しいのならば、くれてやる! 私は好きでなったわけではない!!!」



 プライリーラは、吐き捨てるように叫ぶ。


 これはすべて本心。子供の頃からずっと思っていたことである。



「私は一度たりともジングラスの総裁になりたいなどと思ったことはない! そう言ったはずだし、あれは本心だ!! 私は…私は…そんなものに興味はないのだ!! それより私は家族の命を選択する!」


「あなたの責任感とは、その程度のものなのですか? 代々ジングラスが守ってきたものですよ。それをたかが侍女一人と交換するとは、少々無責任では?」


「面倒くさい男だな、君は! 欲しいと言ったから、くれてやろうというのだよ! それよりルイペナのほうが大事だ! 彼女は私の家族だ!!」


「…お嬢…様…」



 プライリーラの嘘偽りない言葉にルイペナが感極まる。


 他人から見れば馬鹿げた答えだが、彼女は本気でそう思っている。



「皮肉ですね…プライリーラ。なんとも皮肉だ。あなたは望まないでジングラスになった。一方の私は、望んでいてもラングラスにはなれなかった。人生は皮肉なものだと思いませんか?」


「そうだ、皮肉だよ。とことん皮肉だ! 嫌になるほどにね! だが、だからどうしたのだ! そんな立場や地位に価値などあるのか!? 大事なのは私たち自身のはずだよ! その中身だ! 本質だ!! それは誰かに決められるものじゃないだろう!!」


「あなたらしい立派な台詞です。やはりあなたは価値ある存在だ」


「ソブカ氏、話を聞け! 私の話を…言葉を聞け!! 君は私の言葉を聞いていないじゃないか!! それで何がわかるというのだ! わかったふりをするな!!」


「聞いていますよ。理解もしている。それでも結果は変わらないだけのことです」


「いいや、聞いていない!! 君は聞いていないんだよ!! そんなこともわからないのか!! わからなくなったのか! 何が君をそうさせたんだ!」


「何が…ですか。さぁ、何が原因だったのでしょうね。この都市が閉塞しているから? がんばっても何も変わらないから? 平等を成し遂げたいから? …いいえ、違いますねぇ。私はね…もともとこういう男なんですよ。そう、あの人と出会った時から、ざわつくんです。ふふふ…ああ、熱いですねぇ。まるで身体の中から力が溢れてくるようですよ!!」




 薄々気付いていた。





―――自分は他人とは違う





 と。



 それを実感したのは、アンシュラオンと出会った時である。


 暴力という手段を清々しいまでに自然に表現している彼を見て、自分の中の【獣】がざわついた。



 初めて【同類】と出会ったことで眠っていたものが目覚めたのだ。



 ソブカ・キブカランという、周囲の存在によって作られた【上っ面】が妙にきつく感じられた。その中にある本当の自分が叫び始めた。


 その衝動は出会った瞬間から毎秒ごとに加速していき、次第に自分でも抑えることが難しくなっていった。


 一度気付いてしまったら、もう後に戻ることはできない。


 この胸の中にある激情を解放せずに終わらせるなど、できないのだ。





 できるわけが―――ない!!





「プライリーラ…うう、プライリーラ! あなたは…あなたを…くくく、私は…手に入れますよ。ジングラスを奪って、手に入れて…! 力を得る!! それで私はラングラスも…手に入れる!! 力づくでラングラスになる!! 次はハングラスを奪い…マングラスを始末する! 害虫や寄生虫にこの都市を任せるわけにはいかない!! ふふふ、ははははははは!! そうだ。それこそが英雄というものだ! この都市はもともと英雄のものなのですから、今一度取り戻さねばならないのですよ…!」


「それが望みならば、そうすればいいだろう! だが、奪うのは私だけにしろ!! 君が欲しいのはジングラスの血だろう!!」


「ああ、血…。そうです、そうなのですよ。血が、すべて血が、私を縛って、あなたを縛って…こんなもののために私は…わたしは―――」





「ワタシハァアアアアアアアアアアアアアア!!!」





 その瞬間、何かが切れたような音がした。


 表面張力でギリギリ耐えていた液体がこぼれるように、自分の中にある激しい感情が、ふいに落ちて、急激に上がってきた。


 一度こぼれたものは、二度と元には戻らない。こぼしたミルクは二度とコップには戻らない。




「お嬢…様っ!!! 今です!」




 ここで一瞬の隙が生まれた。


 覚悟を決めたルイペナが、自ら刃を押し込んで背中ごとソブカに体当たりをする。


 ズブズブズブッ どんっ


 刃はさらに深く突き刺さり、がっしりと固定される。



「はぁっはっ…! 逃げ…て」


「邪魔を…スルナ!!」




 激情のままにソブカが剣を―――振り上げる。




 剣はルイペナの右胸に刺さっていたので、それを振り上げるということは、そのまま右肩ごと切り裂くということだ。


 身体が頑強な武人の戦士ならば、多少は剣の動きを封じ込めることができたかもしれないが、いかんせん彼女は一般人である。


 剣士として修練を積んでいるソブカにとって、その抵抗はまったくの無意味。無駄。無価値であった。



「あっ―――」



 ルイペナの声が漏れたと同時に―――鮮血。




 ブシャーーーーッ




 赤い血が噴き出し、視界が赤に染まった。



「ルイ―――」


「ふんっ!!」



 プライリーラが彼女の名前を呼び終わる前に、アーブスラットは動いていた。


 シュルルッ


 ワイヤーマインが宙を飛び、振り上げたソブカの剣に絡みつく。



(まだ間に合う! ここで武器を破壊できれば!)



 プライリーラがルイペナを助けたいと願うのならば、最大限の努力をするのが執事の務めである。


 本当は彼女ごとソブカを絡め取りたかったが、主人はそれを望まないだろう。


 可能性が1%でもあるのならば賭けてみる価値はある。



 パンパンパンパンパンッ!!



 爆竹のような音を立ててワイヤーマインが爆発。マタゾーの槍にやったように武器と利き手破壊を狙う。



 しかし、1%は1%。



 万馬券など、そう簡単にくるものではない。多くの者がそれを夢見ながら最後は散っていったものだ。


 ソブカが持っている剣は普通のものではない。



 ジュオオオオオオッ バチュンッ



 爆発と同時に剣が激しい熱を発し、瞬時にジュエルを溶かす。爆破術式が完全に起動する前に破壊してしまった。


 それによってソブカは無傷で済む。



(惜しかったですねぇ。直接私を狙わなかったのは、あなたらしからぬ甘さですが…今回は正しい判断でしたよ)



 プライリーラが産まれる前のアーブスラットならば、躊躇なくルイペナごとソブカに巻きつけて殺していただろう。


 だが、彼も年老いた。多くの愛情を受けて、情けを覚えるようになっていた。


 アーブスラットとて同じ主人に仕える仲間を殺したくはない。ルイペナも彼にとっては孫娘のようなものなのだ。


 それと同時にソブカに巻き付けなかったことは、彼の慎重さが直感という形で正解を見つけ出していたからだろう。


 ソブカの着ているローブには『特殊な能力』がある。


 もし直接突っ込んできたりすれば、それこそソブカの思う壺だったに違いない。




 だから、これは必然。



 ズシャアアアアア!!




 振り下ろされた火聯ひれんが―――ルイペナを切り裂く。




 斜めに入った剣は右腕を切り落とし、そのまま腹まで一気に切り裂く。




「あっ…あ……お…じょう……さま……もうしわけ……ごぶっ」



 ゴトッ ドロォオ



 倒れたルイペナから、おびただしい量の血液が流れ出る。



 ゴポゴポッ ドロドロッ


 ゴポゴポッ ドロドロッ


 ゴポゴポッ ドロドロッ



 彼女は何度かびくびくと痙攣したあと、そのまま動かなくなった。





 ルイペナが―――死んだ。





 ソブカに殺されたのだ。






「ぁっ…ぁああ…ぺな……るい…ペナ……」



 プライリーラは、ただただ倒れたルイペナを見つめていた。


 自分の家族ともいうべき存在が冷たい地面に倒れている。血を出して動かなくなっている。


 ギロードを失ったばかりの彼女には、その光景はショッキングなものだった。


 そのことをどう受け止めていいのかわからず、心に刃が突き刺さったような痛みが走った。


 そう、ソブカの一撃はルイペナに向けられたのではない。



 これは―――プライリーラへの精神攻撃である。




「どうして…なぜ……なぜぇ……私は…君と歩もうと言ったのに…君のお嫁さんになってもいいと…言った……じゃないか!! そんな私に…ルイペナに……どうし…て……!!」


「ああ、プライリーラ…いいですね、その顔」


「どうして…どうして……どうしてぇええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」


「あなたは…そんなに綺麗だったんですね。ああ、そうだったのですか。…今初めて、私はあなたの顔を見ましたよ」



 絶叫するプライリーラの顔を見て、ソブカは嬉しそうに笑っていた。



 プライリーラは―――とても綺麗だった。



 ショックを受けて涙をこぼす姿が、輝いて見える。


 民衆が彼女をアイドルと呼ぶのも頷ける。美しく可憐で、まるで花のようだ。今までアイドルに興味などなかったが、これはたしかに美しい。


 今までそのことに気付かなかった。彼女の美しさを知らなかった。


 なぜならばソブカが見ていたのは【プライリーラ・ジングラス】であり、【ただのプライリーラ】ではなかったからだ。



「プライリーラ・ジングラス。それがあなたでした。私にとっては、あなたはジングラスでしかなかった。ですが、今は…そう、ただの…プライリーラなのですねぇ」


「酷い、酷いよぉ、ソブカ氏!! 君は一度たりとも私を見ていなかった! そう言うんだね! 今のこの私に向かって!! 傷ついた私に向かって!!」


「ええ、そうですよ。事実ですからね。いつだって…事実は変えられないのです。それにしてもルイペナさんは素晴らしい死に方でした。花は散る時が一番美しいとは本当ですねぇ。憧れますよ」


「ソブカ氏ぃいいいいいいい!!! 君はっ!!」


「リーラ様!! 失礼いたします!!」


「じ、爺…は、放せ!!」


「冷静になってください! 逃げますぞ!」


「ルイペナが…ルイペナがああああ!」


「彼女は死にました! もう話し合いは終わったのです!」


「っ!!」



 アーブスラットは半狂乱となったプライリーラを強引に連れ出そうとする。


 ルイペナが死んだのならば、もう人質としての利用価値はない。ソブカは自ら交渉道具を捨ててしまったのだ。


 彼女の死はつらいが、プライリーラを守るという意味では好都合でもある。


 本当はまだほかに人質がいるのだが、少なくとも今のプライリーラに他の館の人間を心配する余裕はない。目の前の惨状に気を取られている。


 それを狙っての冷静な行動である。




「さすがはアーブスラットさん。ジングラスの懐刀は伊達ではない。頭の悪い魔獣などよりも、あなたが一番厄介ですよ」



 ソブカが握っていた術符を発動させる。


 それ自体はただの若癒の符だが、それに連動して床や天井に貼られていた何枚もの術符が起動。



 キュイイインッ



 部屋を覆うように結界が生まれた。


 複数の術符で構成する結界術で、『破仰無罫陣はぎょうむけいじん』と呼ばれる【封印結界】である。


 特に攻撃性はなく、その場所を隔離するだけのものであるが、閉じ込める力はかなりのものだ。



 部屋から脱出しようとした二人は、結界に激突。妨害される。



 やはりソブカは部屋に仕掛けを施していたのだ。この結界と同時に、彼の周りにも違う結界が展開されている。


 もしプライリーラが激情に任せて突っ込んでいたら捕縛されていた可能性もある。



「この程度で!! ぬんっ!」



 ボオオオオオッ!


 アーブスラットの戦気が燃え上がる。


 それからの拳ラッシュ。



 ドガドガドガドガドガッ


 バリバリバリバリッ バキンッ



 軽々と結界を破壊し、部屋から脱出していった。


 これにはソブカも呆れ顔だ。



「おやおや、なんとも強引な手段で壊しますねぇ。討滅級魔獣でも十秒くらいは押さえ込めるものなのですが…これだから強い武人というのは卑怯なのですよ。それ自体が異質で常識がまるで通用しない。しかし、このまま逃げられるとは思わないことですねぇ。ふふふ、楽しくなってきましたよ」



 ソブカの中の獣が喜んでいる。


 狩りをすることに、自分を表現することに歓喜している。



 この瞬間、もう一匹の獣が解き放たれた。



 プライリーラの獣よりも遙かに凶暴な獣が動き出すのだ。




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