319話 「もう一匹の獣 前編」


「安心してください。あなたには生きていてもらわないと困ります。戦獣乙女の名は他の都市にも知られていますからね。都市最強の武人が死んだと知られたら、狙われる可能性が高まります。もちろん、こんな辺境な寂れた都市に興味を覚えるような者がいれば、ですが、今はDBDも関わっていますから、無駄に混乱を引き起こすようなことはしません。生きたまま役立ってもらいます」


「一応は都市のことを考えているのだね」


「誤解がありますね。私は最初から都市のことしか考えておりませんよ」


「君が欲しているのはジングラスの力か?」


「そうです。ジングラスの都市内における食糧管理の権利と人材に加え、その魔獣の力が欲しいのです。あなたも言っていたようにラングラスとジングラスが合わされば、マングラスにも対抗できるでしょう」


「私を人質にしても他の者が従うだろうか? 負けた私に、もはや影響力はないと思うがね」


「その点はご自分を過小評価していますねぇ。ジングラスは長い時間をかけて家族間の繋がりを強化してきました。あなたのアイドル性はジングラス一派内では絶対的です。むしろ負けたからこそ、今まで世話になった自分たちが守らねばと思うものです。そこのアーブスラットさんのようにね。いやはや、女性アイドルとは得なものですねぇ。男性ならば即座に見限られますよ」


「…なるほど、君はジングラスの内情にも詳しかったね。内部の者を敵に回すと怖いってことがよくわかったよ」


「あなたが生きている証があればよいのです。姿を見せる必要はありません。私の指示通りに声明を出せば、あとは私が上手くやっておきます」


「偶像の次は傀儡とは、なかなか洒落ているね。だが、それでいつまでもつかな。ジングラスを甘く見ないほうがいいよ。そんな脅しに屈するような者たちじゃない」


「そうですか…あなたも私を甘く見ないほうがよいと思いますがねぇ」


「っ!」



 ソブカが剣をルイペナの耳に軽く押し当てる。


 ツツツッ


 剣はその重みだけで、何の抵抗もなく耳を切り裂いていく。


 ゆっくりゆっくり、一ミリずつ。



「こんなふうにあなたの耳を切り落として送ったら、ジングラス傘下の組織は素直に従ってくれるでしょうか? 従ってくれると楽なんですが…その前にルイペナさんで試してみましょうか」


「ううっ…ううっ…」



 ルイペナは、じっと耐えている。


 自分が声を出せばプライリーラに負担をかけるとわかっているのだろう。



「待て!! やめろ!! 彼女に罪はない!!」


「お嬢様! 私のことは気にしないでください!! この命、すべてジングラスのために捧げております!」


「ルイペナ…!」


「ふふふ、皮肉ですねぇ。わかったでしょう? 結び付きが強いからこそ、あなたには価値があるのです。ルイペナさんはあなたのためならば自分の命など、どうなってもかまわないと思っている。裏返せば、あなたの身に何かあれば死んでも死にきれない、というわけです。それだけあなたが大切なのです」



 ルイペナの献身性こそがジングラスを象徴している。


 彼女は特にプライリーラに近いので想い入れが強いが、ジングラス一派の人間は多かれ少なかれ当主に恩を受けている身だ。


 プライリーラを人質にされれば怒り狂うのは間違いないものの、まずは安否を気にするだろう。しばらくはそれで動きを封じられる。



「くっ! 食糧の権利が欲しいというのならば、持っていけばいい。同じことだ」


「言葉だけで傘下の組織が素直に受け入れるとは思えませんね。それに魔獣の力も手に入れたいのですよ」


「魔獣は無理だ。これはジングラスの血脈のみに許された力だからね」


「嘘ではありませんが正しくはないですね。当主から委任されれば魔獣の支配権を受け継ぐことができるはずです。それは当主が死んでも継続される。亡くなられたログラス様の支配権を委任されたアーブスラットさんがいまだに持っているようにね」


「なぜそれを…最重要機密のはずだよ!」


「推測すればわかることですし、これだけ長く狭い空間で暮らしていれば、機密の一つや二つは漏れるものではないでしょうか。私がここに忍び込めたようにね」


「さすがに頭が切れるものだね。私が負けることまで予想していたのか?」


「さて、私は生粋の武人ではありませんし、そのあたりは微妙なところでしたね。ですが、デアンカ・ギースを倒したアンシュラオンさんならば…とは思っていましたよ」


「彼は強いぞ。君が思っている数十倍もな。私など子供扱いだ」


「それは嬉しい誤算です。それならば本当にマングラスも打倒できるかもしれません。私では、どうやってもグマシカさんは殺せませんしねぇ」


「都合よく操れると思っているのか? 彼が君に牙を剥くとは思わないのか?」


「操る? 災厄を操ることなどできません。嵐に怯える小動物は、それを上手く利用するだけです。嵐によって損害を受けた敵の弱みに付け込んで、少しずつ支配力を削っていくのです。今、私がこうしているようにね」


「まるで火事場泥棒だな」


「言い得て妙ですねぇ。その通りです。しかし、それもまた弱者の知恵というものです。これが現実であり、事実ですよ。言っておきますが、人質が彼女だけとは思わないことですねぇ。館にいた人間は、すべてこちらが預かっています」


「くっ…」



 状況は完全にプライリーラが不利であるが、ソブカもかなりのリスクを負っている。


 ここで失敗すれば彼もすべてを失う可能性が高い。だからこそ本気さがうかがえる。





(この弱っている身体では、ルイペナを助けることは難しい。ソブカ氏は、ああ見えて鍛えている。最低限の腕前はあるはずだ。攻撃される前に剣を突き刺すくらいは簡単だろう。もっと危険なのは、それが誘いであった場合だ。ルイペナも助けられずソブカ氏も制圧できなければ、状況はさらに悪くなる。どうする!? どうすればいい!? …くそっ、方法が浮かばない。爺ならばどうする?)



「………」



 アーブスラットは会話に参加せず、ソブカと周囲の様子をうかがっている。


 彼もプライリーラと同じことを考えているのだろう。飛びかかる様子はない。


 また、老執事の役目はプライリーラの護衛が最優先事項である。ルイペナを助けるためにプライリーラを危険な目に遭わせることはできないのだろう。


 ただ彼は体調が悪いながらも、いつもと同じ立ち方をしていた。左手だけを常に後ろに隠す独特の立ち方だ。



 彼が日常からその立ち方をしているのは―――違和感なく【暗器】を取り出すためである。



 彼の左手には、いつの間にかワイヤーマインが握られている。こういうところは抜け目がない。


 しかし絡ませる武器の性質上、ルイペナが邪魔で今は使えない。直線も塞がれているので放出系の技も難しいだろう。



(私よりも爺のほうが状況を正確に把握しているだろう。何かあれば反応してくれるはずだ。ならば私は感情のままに会話に専念すべきだ。下手に動きを見せれば勘付かれる)



 今プライリーラにできることは彼を説得することだけだ。それがいくら低い成功率でも、やらないよりはましである。



 何より―――自分が納得できない。




「ソブカ氏、なぜなんだ? 君は何が不満なのだ!? こんなことをやるような男ではなかったはずだよ! 少なくとも人質を取るような卑怯な真似はしなかった! これが君が目指していた理想の都市の姿なのか!」


「ご立派ですねぇ。まさに正義の味方、都市の守護者、アイドル。どれもぴったりですよ」


「それは本当の私ではない。誰かに作られたものだ!」


「そのようですね。今のあなたからは以前のような気迫が感じられない。疲れているのでしょうが…もっと根本の問題です。…彼に【喰われ】ましたか」



 プライリーラは着ているものだけではなく、その本質自体が変わっていた。


 今の彼女からは獰猛さを感じない。前回会った時のようなビリビリとした圧力を感じない。




 『暴風の獣』が―――喰われたから。




 そのせいでプライリーラは、【普通の女性】になってしまっていた。


 それにソブカは落胆する。



「本当に酷い人だ。他人の獲物を掠め取るなんて…ふふふ、だからこそあの人は面白いのですけどねぇ。それでもあなたという器が手に入るのならば問題はありません。それで妥協しましょう」


「いつから器を欲するようになったんだ! それでは今の腐ったグラス・ギースと変わらないじゃないか! 君が一番嫌っていたもののはずだよ!」


「中身がいつだって上等で有用とは限りません。時には器や表面だけのほうが良いこともあります。そう、たとえばあなたが知っているソブカという男も、その表面は誰かに作られたものだとは思いませんか? 本当の私は、どのような人間なのでしょうかねぇ? それをあなたは知らないし、知らないほうがよいでしょう」


「悪ぶる必要はない。君はそんな男じゃない! 私が保証する!」



 プライリーラは、ソブカを子供の頃から知っている。


 彼は正義感が強く、不正を好まない。弱い子がいれば守るような男だった。あのソイドビッグのような落ちこぼれだって見捨てたことはないのだ。



(だからこそ私は憧れたんだよ。君のその強さに)



 プライリーラにとって、ソブカは憧れだった。若い頃から才能豊かで、その力を誰かのために使おうとする者であった。


 病気の者がいれば、それが貧困者であろうと自分の身分を使って助けようとした。不平等と不条理に怒り、いつだって正しいものを探し、その可能性を模索しようとしていた。


 それは成長してからも変わらない。


 自分などよりも、よほどアイドルに相応しい人物のように思えた。誰よりも都市のことを考えていた。



「今回のことも何か事情があるのだろう? 言ってくれないか。そして、協力し合えるはずだ。二人ならば何だってできる。そうだろう? 君は昔、そう語ってくれたじゃないか」


「…ええ、覚えていますよ。あなたも覚えていたのですね」


「忘れるわけがない。君は…私にとっての【英雄ヒーロー】だからね」


「ヒーロー…ですか。そうですね。私はずっとそうなりたかったのかもしれません。この心の奥底には、いつだってその言葉があった。だからこんなものを着ている」



 英雄になりたかった。


 初代ラングラスのような、多くの人を救えるような存在に。


 自分が今着ている臙脂色のローブは、『鳳薬師ほうやくしの天衣』と呼ばれるラングラスの秘宝のレプリカである。




 それはまるで―――コスプレ。




 憧れの人物と同じ格好をすることで、自分もそうなった気持ちになるという、なんとも哀れな慰めである。


 そう、ずっと初代ラングラスに憧れていた。


 薬師として困っている人々を助け、戦いとなれば仲間を守る最高の英雄。


 今でこそラングラスの立場は低いが、自分にとっては永遠のヒーローだったのだ。




 しかし、少年の夢は―――壊れる。




 あの日、あの時、あの瞬間に。





「プライリーラ、私の名前は何ですか?」


「なま…え? ソブカ・キブカラン…だろう?」


「ええ、その通り。私はキブカラン。ラングラスでは―――ない!!」



 ルイペナの背中に押し付けられたソブカの剣が、さらに抵抗を超えて、ぐいっと前に押し出される。



「あっ」




 刃先がツプッと柔らかい肉に突き刺さり―――貫く。



 準魔剣と呼ばれる強力な術式武具である刃は、豆腐に突き刺すように何の抵抗もなく入り込み、貫通。


 ソブカの剣は、ルイペナの右胸を貫いていた。


 ツゥウウ


 傷口から、静かにゆっくりと血が流れる。



「…くふっ! うっ…!」


「動かないでください。ギリギリの場所に刺しましたからね。手元が狂えば大量出血ですよ」



 ショックで動きそうになったルイペナの身体をソブカが押さえる。


 だが、一番ショックだったのはプライリーラであろう。


 目を見開いて、その衝撃の現場を見つめている。



「なっ、なんということを…!! 君がやっていることは最低のことだぞ! 人質を…それも女性を…!!」


「いまさら何を言うのです。これはマフィア同士の抗争なのですよ。いや、私にとってはグラス・ギースの未来を決める大事な戦いです。どんな手段を使っても勝たねばなりません」


「ソブカ氏…!! 君は!!」


「医者の知識も役立つものです。今刺した場所は急所ではありません。ですが、もう少し刃が左側に動けば動脈が傷つきます。そうなれば大量出血で死にますねぇ。しかし、従うのならばルイペナさんを助けることもできます」



 ソブカはそう言うと、若癒の術符を取り出す。


 まだ致命傷ではないので応急処置には十分な術式だろう。


 プライリーラとアーブスラットの様子から、彼らが回復術式を持っていないことを悟ったがゆえの交渉術である。


 このあたりも抜け目のない男である。



「やめろ! ルイペナを殺すな! こんなことをしても意味がない!」


「意味はありますよ。あなたにこの女性は見捨てられないでしょう? だって、アイドルですものねぇ。ジングラスの総裁として、この状況を見過ごして逃げるなんてできませんから」


「私が見捨てないのは、彼女が家族だからだ!! そんなこともわからないのか!!」


「お、お嬢様…お逃げ…ぐっ…ください…! 私のことは…お気になさらず…」


「いけませんねぇ、ルイペナさん。さきほどは私に協力して、魔獣を眠らせるためのお手伝いをしてくれたじゃないですか。さっきのように最後まで素直でいてくださると、お互いにとって幸せな結果になると思いますよ」


「眠らせた…だと!? あの子たちに何をした!」


「私の家は本家筋ではないので秘宝ほどではありませんが、代々伝わっている秘薬が数多くあります。それを使えば魔獣を眠らせることなど簡単なことです」



 ソブカが館に入って真っ先にやったことは、人質の確保と同時に魔獣の制圧である。


 むしろ魔獣さえいなければ、この館など簡単に落とすことができる。それが難しいからこそ誰もできなかったのだ。



 しかし、ラングラスならば簡単なこと。薬の力を使えば魔獣の無力化も可能である。



 よく地球でも医療関係の事件が起きるが、点滴に洗剤を混ぜただけで人は簡単に死ぬ。筋弛緩剤が死刑に使われるのも有名な話だ。


 その薬を管理するのがラングラスである。


 この都市ではラングラスは侮られているが、実はもっとも危険な存在であることを証明した。



 ソブカは外のクラゲ騎士を薬物入りの水を吸収させて無効化したあと、館に侵入。他の使用人を人質にして脅し、ルイペナに眠り薬入りの餌を魔獣に与えさせた。


 見ず知らずの他人からならばともかく、普段世話をしている者に信頼を置いていた魔獣たちは、あっさりとそれを口にして眠りに落ちた。


 ルイペナとしては、人質を取られているので従うしかない状況であった。


 彼女がプライリーラを見て激しく驚いていたのは、まさか聖堂から戻ってくるとは思わなかったことと、それに加担してしまった罪悪感からであった。




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