318話 「待ち受ける者」


「ルイペナ…何を言っているのだ?」



 プライリーラは、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、頭の中が混乱して真っ白になってしまう。


 普段ならば警戒を怠らないが、ここは自分の館である。誰とて自分の家ならば気を許してしまうものだ。


 ましてや相手が信頼の置ける侍女だとすれば、その傾向はなおさら強い。



 だが、その間にも【魔の手】は忍び寄っていた。



 その気配に気付いたアーブスラットが叫ぶ。



「リーラ様、お逃げください! すぐに聖堂に戻って転移するのです! あそこならばジングラス以外の人間は入れませんから安全です!」


「爺、どうしたのだ?」


「ルイペナの様子がおかしい。今すぐここを―――」




「おや、何やら騒がしいと思ったら、もう来てくださいましたか」




 ガチャッ


 館側の扉から、一人の男が入ってきた。


 この男の存在はすでにアーブスラットも感知していたが、やはりというべきかハウーロではなかった。


 ただし、まったく知らない人間ではない。


 むしろ、よく知っている人物である。




「君は…ソブカ氏!」




 そこにはソブカ・キブカランがいた。


 白茶髪のすらっとしたイケメンだが、釣り上がった目は肉食獣のように輝いている。


 この目を見間違えるわけがない。間違いなくソブカ当人である。



「なぜここに…!?」


「あなたを待っていたのですよ、プライリーラ。どうやらお出かけのご様子だったので、しばらく館で待たせていただきました。そのついでにルイペナさんに魔獣を見せてもらっていたのです。いやいや、まさか地下にこのような場所があるとは驚きでしたね」



 ソブカは珍しそうに周囲を眺める。


 すべてが魔獣管理用の道具なので、一般生活ではお目にかかれないものばかりだ。


 人間ならば押さえつけられたら死ぬような鋭利な刺叉さすまたも、リザラヴァンの皮膚ならば心地よい刺激になるだろう。身体を洗うブラシも大きく、剣山のように鋭い。


 たしかに別宅の地下、都市内部にこのような場所があるとわかれば誰もが驚くに違いない。ソブカの言葉に不自然な点はない。


 が、プライリーラはすぐに見破る。



「それは嘘だね」


「なぜですか?」


「この場所はジングラスにとって重要な施設だ。入れるのは私の側近のみ。爺以外では、この館の使用人だけだよ。いくら君が客人とはいえ、私の許可なくルイペナが入れるわけがない」


「なるほど、もっともなお話ですね。では、私があなたと婚姻すると言えば、入れる理由にはなるわけですかね?」


「話の順序が違うだろう。私がいない間にそのようなことが決まるはずもない。…もっとも、君がそんなことを言い出すとは意外だったけどね」


「ふふふ、プライリーラ。私はあなたのことが嫌いではありません。むしろ好きですよ。そういう姿ならば、特にね」


「へぇ、君はこういう服装のほうが好みだったのかな? だったらもっと早く言ってくれればよかったのに」


「あなたに鎧を脱げと私が言うのですか? それは傑作ですね。もしそう言ったら、あなたは脱いでくれたのですか?」


「…いや、脱がなかっただろうね。脱げなかった、と言ったほうが正確かな」


「でしょうね。あなたは戦獣乙女としての誇りがあった。その呪縛は言葉程度で剥がせるものではありません」


「呪縛…か。なかなか的を射た形容だ。いつから私が道化だと気付いていたのだ?」


「あなたとは付き合いが長いですからね。子供の頃からですよ」


「そうか。周りの人間から見れば、私はさぞや滑稽な存在だっただろうね」


「いえいえ、そう卑下するものではありません。それなりに役割は果たしてきたと思いますよ。グラス・ギースに住む者たちは、常々四大悪獣の脅威に怯えて暮らしています。気休めにはなったことでしょう。崇めても何も起こらない女神像よりはましです」


「相変わらず辛辣だな」


「それで、どうですか? 鎧を脱いだ気分は? こうして見ると、まるで普通の街娘のようですよ」


「悪くはないよ。できれば自分で脱ぎたかったがね」


「それはよかった。それもホワイトさんのおかげですね」


「………」



 プライリーラは注意深くソブカの動きを監視する。


 ソブカの服装は、いつものスーツではない。


 生地の裏側に鎖帷子が仕込まれた、鳥のような金色の紋様が描かれた臙脂えんじ色の戦闘用ローブを羽織い、腰には赤い剣を下げている。


 赤い剣はもちろん、アズ・アクス工房で仕入れた準魔剣の火聯ひれんである。


 剣がこれだけ上等なものなのだから、この臙脂色のローブも普通の防具とは思えない。


 豪華な見た目の段階で金がかかっていることがわかるので、これも術具かつ高級品に違いない。



 普段は商売に勤しんでいるので滅多に見ることはないが、これがソブカの【戦闘用装備】なのだろう。



 だが、その段階で―――異常。



 完全武装した人間がジングラスの機密施設にいることは、明らかに異常事態だ。


 その証拠にルイペナの表情は強張っている。客を歓迎するような顔ではない。


 そして何よりソブカは、アンシュラオンのことを隠そうともしていない。


 もう隠す気がないのだ。その必要がないと判断したのだ。




 ソブカは―――【敵】だ!!




 それに疑いの余地はない。



 この瞬間、プライリーラは最大臨戦態勢の戦闘モードに入った。


 いくら疲れていても優れた武人である。この状況で楽観視などできない。




「それでソブカ氏、こんな夜分にわが邸宅に何か用事かな?」


「久々にあなたと語らいたいと思いましてねぇ。無理を言って通してもらいました」


「話なら前回、十分に話し合ったと思ったがね」


「あれはビジネスの話です。今回は個人的な話ですよ」


「こんな夜にかい? 一応は淑女の家だよ」 


「さして不思議ではないでしょう。婚姻中の男女が夜中に語り合うなど珍しくもないことです」


「なるほど。相変わらず辻褄だけは合わせるのだね。…で、どうやって館に入ったのかな? 外には私のクラゲちゃんがいたはずだ」


「伊達にあなたとは幼馴染ではありません。覚えていませんか? 子供の頃、一緒に館の裏から侵入してみたじゃないですか。あれは楽しかったですねぇ。ソイドビッグなんて、大きな身体が壁に挟まって身動きが取れなくなっていました。まだあるか心配でしたが、思えばあれも緊急脱出用の隠し通路だったのですね。確認しておきましたが、特に異常はありませんでしたよ」


「…それはありがとう。頼みもしないのに安全確認をしてくれるとは、君は気が利く男だな。見直したよ」


「物のついでですからね。礼は要りませんよ」


「しかし、裏にも警備のクラゲはいたはずだよ」


「そういえばいましたね。ですが、私の顔を見たら通してくれましたよ。顔パスしてくれるなんて意外と可愛いところがあるものです。今までは不気味でしかなかった魔獣ですが、少しは愛着が湧きましたよ」




(この言葉も嘘だな。抜け道は迂闊だったが、裏庭も厳重に警備しているはずだ。侵入者がいたら即座に排除するように訓練している。ソブカ氏たちの戦力でホスモルサルファを突破できるか? …微妙だな。仮に術具で突破できても、かなりの物音がするだろう。アラームに引っかかればグループの者たちがすぐに駆けつけるはずだ。…いったい何をしたのだ?)



 ソブカが何らかの手段をもちいて侵入したのは間違いないだろう。


 だが、まったく誰にも気付かれずにクラゲ騎士を突破するのは、かなり至難の業だと思われる。そのあたりが非常に薄気味悪い。



(いるのはソブカ氏だけか? 私の波動円では他に反応を感じない。まさか本当に独りで来たのか? だが、この余裕は何だ? いくらあの武具が術具でも我々に勝てるとは思えないが…。しかし、油断はしない。もし戦いになったら二人がかりでも取り押さえる! 私もアンシュラオンとの戦いで学んだのだ)



 プライリーラは油断しない。独りで戦うなどという馬鹿なことは考えない。


 それもアンシュラオンから学んだことだ。確実な方法を選ぶべきである。



 しかし、ソブカは余裕を崩さない。



 特に構えることもなく自然体で無防備に立っている。


 プライリーラがその気になれば、初撃で打ち倒すことができそうなくらい隙だらけだ。


 彼の戦闘能力は、プライリーラに遠く及ばない。


 いくら弱っていてもアーブスラットと二人がかりならば、あっという間に制圧することができるだろう。


 当然、そんなことはソブカも理解しているはずだ。



 だが、この男は笑っていた。



 ただの笑みではない。心の奥底から搾り出る感情を抑えるかのように、どことなくぎこちない。


 その複雑な感情が理解できず、プライリーラの動きは止まっていた。




 そこにアーブスラットの鋭い声が響く。



「リーラ様、ここはやはり態勢を整えたほうがよいでしょう。今すぐに聖堂に避難を!」



(爺は不利と考えたか…それも仕方ない)



 プライリーラはソブカを制圧することを考えていたが、老執事は撤退を選択したようだ。


 もともと彼のコンディションは悪いので、現状での戦いを不利だと感じるのは当然だろう。


 さらに余裕のあるソブカを見て、何かしらの準備があると判断したはずだ。



 相手はこちらを【待ち伏せ】していた。



 何も対策がないとは思えない。老執事の判断は極めて正しい。



 だが、その前にソブカが動く。



「それは困りますね。あなたたちには、ここにいてもらわないと」


「そのようなことに従う義理はない! リーラ様、お早く! ここは私が抑えます!」


「アーブスラットさんが相手だと分が悪いですね。仕方ありませんねぇ。…では、こういうのはどうでしょう?」


「ひくっ!」


「動かないでくださいよ。女性を殺したくはないですからね」



 シュッ ぴた


 ソブカが剣を抜き、ルイペナの背中に押し当てる。


 まるで彼女を盾にするかのように背後に回り、アーブスラットを牽制した。


 それにはプライリーラも驚きを隠せない。



「ソブカ氏、何をしている!!」


「見てわかるでしょう? ルイペナさんを人質にしています」


「な、なんということを…! 彼女を放すんだ!!」


「それはあなた次第ですね。あなたが逃げたら殺してしまうかもしれません。いいですか、そのまま動かないでくださいよ」


「やめろ、ソブカ氏!! 君がこんなことをするなんて…なぜだ! 理由は何だ!!」


「おや? 彼から聞いたのではありませんか? 私と組んでいると」


「それは聞いている。だが、君がこんなことをする理由にはならない」


「それだけで十分でしょう? それに、お互い様だと思いますがねぇ。あなただって私を売ろうとしたのではないですか? アンシュラオンさんを勧誘したのでしょう? 一緒になって私をイジメようって」


「…何の話だ?」


「ふふふ、隠し事が苦手ですねぇ。まあ、そういう話になるとは思いましたよ。あなたが彼を放っておくはずがないですからね」


「そうなると知っていて炊き付けたのかい? そちらにもリスクがあったはずだ」


「リスクなんて、生きていればいくらでもあります。もともと命など惜しんでおりませんよ。しかしその様子だと、アンシュラオンさんとは交渉決裂といったところでしょうか。ふむ…どういう考えでしょうかね? 彼からすると私のほうがやりやすい…? それは光栄ですが、資金的にはジングラスのほうが上ですし…あなたを捕らえなかったのも不思議ですねぇ」


「ソブカ氏、君は論理的で合理的だが、大切なことを一つ忘れているね」


「…何でしょう?」


「この世界には男女が存在する。二人が出会えば…【愛】が生まれる」


「………」



 ソブカはしばらく訝しげな表情を浮かべ、プライリーラの言葉の意味を考える。


 この頭脳明晰な男がこれだけ思考に時間がかかるということは、彼の頭の中には「そういったこと」が抜けているのだろう。



「わからないのかい? 彼は私を守りたいんだよ」


「守る…ですか。その理由は?」


「言っただろう。彼は私のことを好きに……いや、気に入ったからだよ。だから私を戦いから遠ざけようとしたんだ」


「………」



 ぽんっ



 それでようやく理解したのか―――ソブカが思わず手を叩いた。




「ふふふ…ははははは! なるほど、なるほど! そうですか。ああ、なるほど。そういう考えはまったくなかったですねぇ!! そうか、そうですか。彼は実に面白い!! まったくもってあの人にしてみれば、こんなことは全部遊びなんですねぇ! いやいや、本当に愉快なお人だ」


「愛や恋がそんなに可笑しなことかな? 女性にとっては最重要だよ」


「いえいえ、否定はしませんよ。私にとっては意外だっただけにすぎません。人間の価値観はそれぞれですからね。そういう動機で行動する人もいるでしょう。…ですが、それならばなおさらのことです。ここに戻ってきたことは迂闊でしたね」



 改めてルイペナに剣を突きつける。


 何があってもソブカは行動指針を変更しないらしい。



「私をどうするつもりだ? 手篭めにでもするつもりかな? あいにく、もう処女ではないよ。アンシュラオンに奪われたからね」


「私は彼とは違います。そんなことはしませんよ」


「なぜだ!! ありえない!! それでも男か!!」


「…そこは怒るところですか?」


「当然だ。狙っていた女が処女を奪われたんだぞ!! もっと嫉妬するべきだ!!」


「私は『狙われていた』のであって、狙っていたわけではありませんがね…。あなたを狙う理由は簡単ですよ。いろいろと使い道があるからです。ジングラスの総裁としても戦獣乙女としても、ね」


「私はもう戦獣乙女ではないよ」


「あなたがどう思っていようが、どうでもよいことです。大事なことは他人がどう思っているかです。都市の人間からすれば、あなたはアイドルのままだ。ジングラスを掌握するための餌になってもらいます」



 ソブカがプライリーラを狙う理由は―――アンシュラオンがやらなかったことをするため。



 つまりはプライリーラを【道具】として利用することである。


 彼女を利用すれば、ジングラスグループの組織に対して圧力をかけられる。個人的にプライリーラを慕う者もいるので、人質としての価値は計り知れない。



 ソブカの目的はジングラスを【乗っ取る】ことなのだから、この行動は極めて自然である。




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