317話 「館への帰還」


「リーラ様、使用人に伝えたあとは、最低限の物だけを持ってすぐに戻りましょう。長居は無用です」


「やはり館の者も連れてきたほうがいいのではないか? たいした手間ではあるまい」


「それでは他派閥の者に結託を怪しまれましょう。それよりはホワイトとの戦いで行方不明になった、と思わせたほうがいいでしょう。我々と違って館の人間はいつでも都市を出ることができます。そのほうが自然です」


「…そうだな。わかった」



(転移できる人数は、五、六人くらいで精一杯だ。どのみち彼ら全員は連れていけない…か。着の身着のまま最低限のものだけを持って隠れる。まさに夜逃げだね。敗者はつらいものだ)



 なぜこの聖堂の収容人数が十人という小規模のものなのか、理由は簡単である。



 それが転移の限界だからである。



 しかも往復で十人程度ということは、安全を考えても片道になれば五人しか移動できないことを意味する。



 プライリーラとアーブスラットを除けば、残りの枠は三つ。



 館には十人以上の人間がいるので、残念ながら全員を連れてはいけない。


 アーブスラットの提案は、いつもながら嫌味なほどに、甚だ正しい。



(爺がいなければ私はどうなっていたのだろうな。今までも知らないところで守ってくれていたのだろう。…いつも近くにいると口うるさく感じることもあるが、改めて感謝しないといけないな)



「爺、長生きしてくれよ」


「急にどうされました?」


「爺は頼りになると思ってね。まだまだ私には爺が必要だ」


「プライリーラ様のお世継ぎが生まれるまでは死ぬつもりはありませんよ。どうぞ、ご安心ください」


「かなり老けたようだが?」


「男の魅力は年老いてから出るものです。まだまだこれからです」


「ふっ、そうか。期待しているよ。では、行こうか」




 ブウウウウンッ ぽわんっ




 プライリーラが転移珠に触れると、二人の身体が光に包まれ、森に入った時に経験したように周囲の映像が切り替わる。




 気がつくと―――そこは館の地下。




 そこにある聖堂の中だった。


 聖堂は聖森のものとまったく同じ造りになっているので一瞬わからなかったが、日光の明るさが消えたので地下であることがすぐにわかる。



「…ふぅ、無事に移動できたか」


「そのようですね」


「久々だから緊張したね。宝珠が老朽化していて、変なところに飛ばされないか心配だったよ」


「初代様の時代から色褪せていないのです。大丈夫でしょう」


「そうだな…思えばすごいものだよ。そうなると私は、初代様の武具を壊した罰当たりものだろうか」


「物は所詮、物です。いつか壊れる運命にあります。逆に考えれば、今まで初代様の武具を壊すまで使い込んだ人間がいなかった、ということでもありましょう。むしろ誇るべきです」


「…なるほど。それも一理あるな。今までの戦獣乙女はアンシュラオンのような怪物と戦ってこなかった、ということだものな」


「その通りです。あれに勝てる者など想像できませんな。…参りましょう。私が先に出ます」



 ギィイイッ



 プライリーラとアーブスラットは、聖堂の外に出る。安全を考慮してアーブスラットが先頭だ。


 地下なので真っ暗だったが、プライリーラが出るとセンサーライトのように、ほのかに壁が明るく輝き出した。


 この壁にも何かしらの術式がかかっているらしい。


 アーブスラットが通ったときは反応しなかったので、その発動条件もジングラスの血筋の人間がいることのようだ。



 聖堂のあるこのエリアは、屋敷の地下二百メートルあたりに位置している。


 裏スレイブの店も地下にあることから、グラス・ギースにはかなりの大きさの地下空間が存在していることになる。



 実際のところ、グラス・ギースの地下には「広大なダンジョン」が存在する。



 いきなりのカミングアウトに聴こえるかもしれないが、公式の情報としてハローワークに登録されている、ごくごくありふれたデータだ。



 「輝霊きれい草原地下墳墓」という名のダンジョンで、領主城の地下に入り口が存在する。



 というよりは、そのダンジョンの入り口に領主城が作られた、といったほうが正確だろうか。


 領主城に入り口があることから基本的にディングラス家だけが入れるダンジョンなので、一般のハンターや『イクター〈掘り探す者〉』と呼ばれるダンジョン探索専門のハンターは入ることができない。


 唯一例外として、ハローワークが誘致されて都市にやってきた大昔に、存在を確認するために潜った記録があるくらいだ。


 どうやらこのダンジョンはかなりの深さらしく、最深部は地下千メートルを超えるという話である。


 ハローワークの調査隊も踏破はしておらず、ある程度調べたあたりで戻ってきたので、底がどこまであるのかは謎のままである。


 前にアンシュラオンがサナのためにペンダントを買ったが、その店主が言っていたように東側には古代遺跡が数多くある。


 そうした場所には人が集まる傾向にあるので、もしかしたらグラス・タウンは、遺跡に集まった人々が生み出した【発掘都市】だったのかもしれない。



 と、このように地下に制限はないので、それを含めればグラス・ギースは非常に広大な敷地を持っていることになる。


 おそらく四大会議で使われた例の会議場も、地下にあると思われる。


 さらにもう一つ驚くべきことがある。



 実はこの地下空間にも―――【城壁】が存在している。



 他の都市の人間からすれば、「城塞都市なんて、地面を掘って地下から侵入すればいいんじゃね?」と思うかもしれないが、しっかりと地下空間にも壁が存在するのだ。



 そして、地上よりも【強力な結界】が張られている。



 アンシュラオンがスケスケのボロボロと称した地上の結界と違い、地下は初代五英雄たちが張ったものなので非常に強力だ。


 会議場の透明の壁同様、プライリーラが全力で叩いてもびくともしない。それが全域に渡って張られているのだから相当な力の入れようだ。


 なぜそうなっているのかわからないが、グラス・マンサーの見解としては、上の城壁が出来る前から地下には城壁があった、と考えられている。


 考えてみれば、グラス・ギースの城壁が出来たのは三百年前の大災厄後である。


 一方、五英雄が存命していたのは千年前なので、時系列的には地下のほうが先に存在したことになる。


 むしろ地上部にある城壁は、これに沿って建てられたのだろう。そのほうがしっくりくるし、これは城壁というより【遺跡の外壁】だった可能性が極めて高い。


 遺跡があった場所の上にそのまま都市を作り上げたとすれば、考古学的になかなか面白い題材となるだろう。


 だが当然、一般人はそんなことをしている暇はないので、この話はごくごく限られたグラス・マンサーの間でしか知られていない隠された真実である。





 プライリーラとアーブスラットは、そのままゆっくりと通路を進んでいく。


 道は一本道で迷いようがないが、聖堂から館までは螺旋状に道が造られており、館の敷地以上の面積をぐるぐると何十回も回るため思ったよりも時間がかかる。



「…ふぅ」



 珍しくアーブスラットの額に汗が滲む。武人である彼の体力を考えれば、歩いて疲れるような距離ではない。


 見ると、顔が青白くなっていた。



「爺、大丈夫か!? 顔色が悪いぞ」


「問題ありません…大丈夫です」


「少し休もうか?」


「時間が惜しいので、このまま進みましょう。これが終われば嫌でも休まねばなりません」


「…そうか。無理はしないでくれよ」



(私は三日休めたが…爺は休みなしだ。ダメージも回復しきってはいない。かなり疲労しているのは間違いないな)



 アンシュラオンの技で凍っていた間は生命維持だけで精一杯だったので、正直回復する余裕などはまったくなかった。


 傷口はくっついたが細胞はかなり弱っており、身体の中はボロボロだろう。コンディションは相当悪い。


 これは少し休んだ程度では治らない。戦士にも休息は必要である。武人として再起するには、しばらく休息が必要だ。それだけ激しい戦いだったのである。


 アーブスラットを気遣いながら、プライリーラたちはさらに進む。




 またしばらく歩くと、緑色の植物の装飾が施された白い大きな扉が見えてきた。



(ようやく館の地下か)



 白い扉から聖堂までが血脈結界の範囲なので、あの先は誰でも入れる館の地下部分に該当する。


 自分の家に戻るだけでも、これだけ苦労しなければならないとは、実に難儀なものである。


 この転移を使うのは久々なので、こちら側から白い扉を見るのも子供の時以来だ。


 この先が我が家だと知っていても普段見慣れない光景のせいか、自分がまったく違う場所にやってきたのではないかと錯覚するほどである。



「よし、行こ―――」



「リーラ様、お待ちください」




 プライリーラが扉を開けようとした瞬間、アーブスラットが止めた。



「どうした? 体調が悪化したか?」


「いえ、それは大丈夫です。それより波動円で調べましたが、この先に反応が二つあります」


「二つ? 二人ということか。この先は『魔獣管理部屋』だ。今日の当番は誰だったか…」


「本日の当番は、ハウーロとルイペナの予定です」



 ハウーロはクラゲ騎士に餌をやっていた若い男の使用人だ。ルイペナは若い女性メイドの一人である。


 魔獣管理部屋は、ホスモルサルファなどのジングラスが保有している魔獣を管理している場所である。


 ジングラスの血統遺伝である『魔獣支配』スキルを完全に発動させるためには、魔獣が幼体の頃から慣らす必要があるため、大きくなるまでは都市内で飼い、成体になる前にあの森に移動させている。


 プライリーラは外に出ることも多いので、その管理と世話は使用人とメイドが日替わりのローテーションで行っていた。


 そして、今日はハウーロとルイペナが当番である。



「では、その二人ではないのか?」


「一人はルイペナのようですが…もう一人の感覚が少し違います。ふぅ…集中が乱れて定かではありませんが、もっとこう…荒々しいのです」


「爺は疲れているのだ。波動円も万全ではなかろう」


「たしかに万全ではありませんが…万一のことを考え、一度戻るべきかもしれません」


「もう目の前だぞ? それに一度戻るといっても、次に転移が使えるようになるのは一年後ではないのか?」


「それでもリスクがある場合は下がるべきです」


「さすがに心配性だろう。そこにルイペナがいるのならば、彼女に伝えれば終わりだ。物資も彼女に用意してもらえばいいだろう?」


「そうですが…」


「大丈夫だ。すぐに終わる。ここは私の家だ。危険はないよ」


「…かしこまりました。ですが、すぐに戻るようにいたしましょう」


「わかっているさ」



 アーブスラットは渋い表情であったが、プライリーラがそう言うのならばと従った。




 だが、改めて思い返せば―――この老執事の言葉はすべて正しかったのだ。




 彼は生死の境を何度も潜り抜けた歴戦の勇士である。


 激しく疲労しているとはいえ、その勘が告げる予感の精度は高い。弱っているからこそ敏感になる。


 一方、プライリーラは戦獣乙女とはいえ都市育ちのお嬢様だ。強くて頭が良くて凛々しい以外は、正直言えばベルロアナと大差がない。(けっこうな違いだが)


 結局のところ、温室で育った花は野生には遠く及ばないのである。




 ゴゴゴッ ギィイイイ



 プライリーラが扉に埋め込まれたジュエルに触れると、重々しい音を立てて開き出す。


 それと同時に少し強めの光が目に入ってきた。


 壁の発光は柔らかいもので違和感は感じなかったが、今感じているものは明らかに人工の光である。


 その光を感じることで、ようやく戻ってきたという実感が湧いた。



 魔獣管理部屋には地下を最大限利用した大きな空間が広がっており、魔獣ごとに分けられた快適な生活スペースが設けられていた。


 本来ならば鉄格子が必要なのだが、魔獣を愛するジングラスは水族館のように軽くガラスで区切っているだけだ。


 彼らは身内であり、ペット(家族)のようなもの。檻に閉じ込めるような乱暴なやり方はしない。


 動物園と同じく、慣れていない飼育係が怪我をしないように区切りを用意してあるだけだ。


 もしプライリーラとアーブスラットだけならば放し飼いでも問題はないくらいだ。



「さて、あの子たちは元気にしているかな?」



 プライリーラが嬉しそうにリザラヴァンの幼体がいるスペースを覗き見る。


 彼らの生息域である岩場を忠実に再現した寝床には、まだ一メートルにも満たない幼体が五体ほどいた。


 成体はほぼ恐竜だが、これくらいの大きさならば、まだまだ一般人が見ても可愛いと思えるレベルである。


 が、まったく動いていない。



(寝てる…のか? お昼寝中かな?)



 近くに餌を食べた跡が残っているので、ご飯を食べてお腹が一杯になって眠ってしまったのかもしれない。


 さして珍しい光景ではない。ペットショップでもよく見る光景だろう。



 そうして歩きながら各スペースを見て回るが、どの魔獣も眠っているようだった。



 珍しいことにホスモルサルファの母体も動かずに静かにしている。


 ホスモルサルファはクラゲなので、海水を入れた水槽の中で暮らしている。この海水もハピ・クジュネから輸入した高級品である。


 その彼らも眠ったように動かない。



(ふむ、クラゲちゃんがおとなしく寝ているのは珍しいな。いつもならば誰かしら動いているはずなんだが…)



 プライリーラは『寝る』と表現したが、ホスモルサルファ自体は寝るということはない。


 ただし不活性の時間帯があるので、そうした時間を寝ると呼称しているにすぎない。


 リザラヴァンは不思議ではなかったが、こちらは珍しいことである。だいたいはどこかの部分が動いているものだからだ。



 それに多少違和感を覚えつつ、さらに進む。



 この時、彼女もまた疲れていた。


 万全のプライリーラならば、さすがに異変に気付いていただろう。


 アンシュラオンとの戦いは、それほどまでに熾烈だったのだ。すべてをかけた戦いだったので、実際のところ彼女もまたボロボロであった。


 それゆえに思考も上手くまとまらず、「早く終わりたい」「休みたい」といった感情と焦燥だけに支配されていた。



 サナを捕らえようと焦ったアーブスラットと同じ心理である。



 ゴールが見えると、人間は急ぎたくなるものだ。


 あと一時間で一つの仕事が終わると思うと、もう限界に近いのに強引に終わらせて「憂うことなき休息」を欲するものである。


 これは誰にでも経験があることだろう。


 この宿題を終わらせて、早く遊びに行きたい。この仕事を終わらせて、早くビールが飲みたい。その後は自由だ、楽しみだな、と。


 そういった欲求に逆らうことは難しい。特に身体が限界の状態では、心もまた引っ張られる。


 これはそんな不運が招いた災難。



 ガチャッ




 魔獣部屋の入り口、飼育係の詰め所に行くと―――そこにはルイペナがいた。




 椅子に座っていた彼女は驚いたように立ち上がり、プライリーラをじっと見ている。


 ルイペナの年齢はプライリーラより少し上で、幼い頃より一緒に育ったので姉妹のような愛情さえ湧く女性だ。


 自分によく尽くし、苦しみも分かち合える、使用人の中でも、もっとも信頼の置ける人物の一人である。



「ルイペナ、よかった! 君がいてくれると助かる!」


「お、お嬢様…! そのお姿は…」


「ああ、話せば長くなるのだが…残念な結果になってしまった。我々は敗北して…ギロードも……死んだ」


「っ! まさか彼女が…!」



 ルイペナは信じられないといった顔をしている。


 彼女もまたギロードのことをよく知っており、その強さも認識していたからだ。


 遠征の際は何度か一緒に来てギロードの世話をしたこともあるので、プライリーラほどとはいかないが、それなりにショックであろう。



「信じられないだろうが真実だ。だから私と爺は、一度ここから離れようと思っている。状況が状況だ。弱った我々を狙う者たちが出てくるかもしれない。いいかい、魔獣たちの搬送が済んだら、君たちも順次すぐに館を離れて…」




「お嬢様―――お逃げください!!」




「…え? ルイペナ…?」


「ここにいてはいけません! 早く逃げてください!! 我々のことになどかまわず!!」


「何を…言っている?」




 プライリーラは勘違いをしていた。



 ルイペナはたしかにギロードが死んだことに驚いた。



 しかし、その驚愕の眼差しの理由は、プライリーラがここに現れたことに対してのものだったのだ。




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