316話 「戦獣乙女の聖森」


 プライリーラたちは目的の場所に到着する。


 少し急いだので真夜中のうちには着くことができた。



「ありがとう。助かったよ」



 プライリーラが馬を撫で、礼を述べる。


 その馬にギロードの面影を重ねながら、優しく優しく触れる。


 いくら武人が闘争の中で暮らし、常時死と隣り合わせの存在とはいえ、家族への愛情が消えるわけではない。


 失った者への哀しみは簡単には消えない。それが戦友とも呼べる守護者ならば、なおさらのことだ。



(すまない、ギロード。今は感傷に浸る時ではない。改めて君を偲ぶ時間を作ると約束しよう)



「ほら、行きな」



 ぽんっと馬を叩くと、馬車は無人のまま去っていく。


 どうしても馬車の跡は残ってしまうので、こうすることで再び移動したように見せることができる。


 馬車用の馬に関しては、誰も乗っていない場合は人里に戻るように訓練されているので、そのまま馬車組合が管理保護するか、通りがかった旅人が再利用するだろう。


 この大地では魔獣に襲われて馬や馬車だけが残されることも珍しくはない。


 よって、荒野で無人の馬車を見つけた場合は、そのまま自分のものにしてもよい、という暗黙のルールがある。


 ただ、馬車を管理するにも手間がかかるので、そこらの旅人程度ならば一度使ったらそのまま逃がすか、馬車組合に売りに行くことも多い。


 このように上手く資源を使い回しているわけだ。



 ガタゴト ガタゴト



 馬車が荒野に消えていく。


 プライリーラは彼らを見送ったあと、周囲を見回した。


 そこは一見すれば普通の荒野であり、遠くから見ても近寄っても平凡な土の大地しかない。



 場所で言えば、グラス・ギースから南西に百五十キロほど行った場所だ。



 グラス・ギースの南にはハビナ・ザマという【交易消費都市】がある。


 規模としてはグラス・ギースの半分以下であるが、ハピ・クジュネとの間にあるので、高速道路のサービスエリアのような感覚で一般人や商人が多く訪れる都市だ。


 と、ハビナ・ザマについてはいつか改めて紹介するが、そのハビナ・ザマとグラス・ギース、そして魔獣の狩場で三角形を作った際のちょうど真ん中にプライリーラたちはいることになる。


 見渡す限り荒野なので、ここに好き好んで訪れる者はいない。ハンターも素通りするような場所であろう。



 だが、ここが彼女たちの目的地なのだ。




「行こう」



 プライリーラがアーブスラットを先導するような形で進む。



 トコトコトコッ ぷわんっ




 そしてプライリーラがある一線を越えると―――まるで映像が切り替わるように周囲の光景が変わった。




 荒野がいきなり消失したと思ったら、突如として青々とした世界が生まれた。


 生命の香りが鼻をくすぐる。足で踏みしめた芝生も、手に触れた葉の感触も本物と同じだ。




 そこには―――【森】があった。




 幻などではなく、まさに本物である。


 実に奇妙だが、何もないと思われていた場所には森が隠されていた。


 大きさは、だいたい直径三キロ程度だろうか。その中にぎっしりと草木が生え茂った森があったのだ。



 トトトトッ



 プライリーラたちが森を歩いていると、小さなリスのような動物とすれ違う。


 ピッタースキュット〈森蝕栗鼠〉という魔獣の幼体である。


 まだまだ小さいが成長するとプレーリードッグくらいの大きさになり、極めて温厚で戦闘力も乏しく、魔獣と呼ぶのも躊躇うくらい愛らしい生き物だ。


 この魔獣の最大の特徴は、風龍馬と同じく環境変容型であるという点である。


 ただし、風龍馬のように人間に害のあるものとは違って、環境にとても優しいタイプだ。(竜巻も星の生体活動に必要だから発生している。あくまで人間にとって害悪、という話である)


 彼らは常時植物、主に樹木などの種子を口の中で保存食として管理しており、それをさまざまな場所で食い散らかすことによって、意識せずとも緑化に貢献するのである。


 温和がゆえに生存力に乏しいため、今では絶滅危惧種に指定されている。非常に珍しい魔獣である。



「ちゅっちゅっ」


「ふふ、可愛いな。久しぶりだね。元気にしていたかい?」


「ちゅっ」



 一匹のピッタースキュットの幼体がプライリーラに駆け上る。主人に挨拶をしているのだ。


 しばらく首の周りを駆け回ったあと、幼体は再び大地に降りて草木の中に消えていった。


 それからも、すれ違う魔獣がプライリーラにすり寄ってくる。その数は三十種にも及ぶので、この森の中には多様な魔獣がいることがうかがえる。




―――『戦獣乙女の聖森せいりん




 それがこの森の名前である。





(ここは無事のようだな。ジングラス一族しか入れないから当然か。【鍵】が私自身で助かったよ)



 プライリーラは守られている空間に入って安心したのか、ほっと息を吐いた。


 森は結界によって保護されており、入れるのはジングラスの血筋の人間だけとなっている。


 もし違う人間が入り込んでも認識されず、知らずのうちに結界の外周を歩くことになるだろう。


 こうしたタイプのものを【血脈結界】と呼ぶ。原理としては割符結界の人間版と考えればいいだろう。


 触れた人間の情報を術式がスキャンして鍵がどうかを判断すると思われるが、代々受け継がれてきたものなのでプライリーラ自身にもよくわかっていない。



 そう、この技術は四大会議にあったものと同じである。



 つまりは初代ジングラスたち、五英雄が生み出した結界なのだ。


 アンシュラオンの力を見たので絶対に安全とは言えないが、この場所が生まれて千年間、一族以外の者が入ったことはない【聖域】に指定されている。


 プライリーラが許可すれば他の人間が入れることも同じなので、アーブスラットも一緒に入ることができる。


 会議場とは違って人数制限はないのだが、ここも基本的に信頼が置ける人間し入れないようにしている。


 プライリーラもアーブスラット以外の人間を入れたことはない。身内に等しい館の使用人たちも、ここには入れないくらいだ。


 それだけ重要で、ジングラスの機密の中心部とも呼べる場所である。



(他派閥も各自の聖域を持っているはずだ。…互いに隠し事が多いのは今も昔も変わらないということかな。アンシュラオンもマングラスの聖域を見つけられればよいのだが…)



 この場所のようにマングラスもどこかに聖域を持っているのだろう。グマシカがそうした場所に戦力を隠し持っている可能性は高い。


 ただ、互いの切り札になりうるものだ。場所も知らなければ規模も不明。他の派閥がジングラスと同じ森であるかもわからない。



 ジングラスは、この場所に数多くの魔獣を放し飼いにして管理している。


 さきほどのピッタースキュットのように戦力にならずとも有益な種も多くいるので、魔獣を闘争の道具だけに使っていないことがよくわかる。



 初代ジングラスがこの森を作ったのは、おそらくは【しゅの保存】のためだ。



 聖森の中には希少な動植物も多々あり、それらはかつての大災厄によって失われた貴重な種ばかりである。


 初代がこの状況を予見していたかはわからない。単なる趣味で集めたものかもしれない。


 だが、現在の荒野を見渡せば、種子の重要性に気付く者は大勢いるだろう。



(初代様が遺してくださったたねで、いつかこの荒野に緑を取り戻す。武具は失ったが、ジングラスの使命だけは失うわけにはいかない。魔獣がすべて悪だという概念も取り払わねばならないな)



 いつかこの大地を再び緑に。


 それがプライリーラのもう一つの夢である。



 そして、魔獣と人間の共存も果たさねばならない。



 魔獣は人間にとっては脅威であるが、彼らもまたこの星で成長を続ける【霊】である。彼らには彼らの進化の工程が存在するのだ。


 星に存在するものは、すべて調和と協調によって手を取り合うように作られている。それが女神の意思であり、世界のシステムだとプライリーラは考えていた。


 この聖森があればジングラスはやり直せる。ここも彼女にとっての希望の一つであった。


 ちなみにアンシュラオンが置き場所に困っている輸送船も、この森で管理されていたものである。


 ここは普段、ギロードが生活していた場所でもあるのだ。あの輸送船は移動する際の寝床の一つにすぎない。





 プライリーラとアーブスラットは、森の中央に移動する。


 そこには小さな家屋と【聖堂】があった。


 家屋のほうは下級市民が暮らす家に近く、生活に必要最低限のものしかない質素なものだが、一か月分程度の食糧の備蓄もあるので隠れ家にするには悪くない。


 一方の聖堂もこじんまりとしたもので、大人が十人も入れば一杯になるくらいの大きさだ。



「懐かしいな…」



 プライリーラは十七歳から十八歳までの間、この森で暮らしていたことがある。


 ジングラスの戦獣乙女となった者は、あるいは資質を宿した女性は、ここで最低一年間以上暮らす義務があるのだ。


 言ってしまえば、禊であり清めの儀式だ。


 都市の喧騒から離れて身を清め、魔獣を扱いこなすための修練をするためである。そのため基本的には一人で暮らさねばならない。


 ただ、ギロードや他の魔獣がいたおかげで寂しくはなかった。


 もともと魔獣に好かれやすく、彼女自身も魔獣が好きだったので、子供の頃からここが遊び場の一つになっていたものである。



「よくここでギロードと水浴びをしたな…」



 聖堂の前にある泉の前で、プライリーラは思い出に浸る。


 乙女と白馬、この組み合わせは昔から物語の題材にされるが、まさに二人は一心同体だったのだ。


 その半身を失ったことは、あまりに哀しい出来事であったと痛感する。



「痛みというものは簡単には拭えないものだな」


「…それも経験でございます」


「経験か。こんな痛い思いをして、その先に何があるのだろうね」


「痛みの先には必ず幸福が待っています。…と、僧侶ならば申し上げるところでしょうな。本当のところは女神にしかわかりません」


「では、女神に直接訊いてみるとしようか」



 ギロードを思い出し心が沈むが、今はその時間すら惜しい。



 ガチャッ ギィイイッ



 木製の扉を開けて聖堂に入ると、まず最初に目に入ったのが大きな『女神像』である。


 光の女神マリスをかたどったといわれる像は、優しい眼差しで両手を広げて傷ついたプライリーラを受け入れてくれた。


 グラス・ギースでは特段話題に上らないが、基本的にこの世界では【女神信仰】が主流となっている。


 その中でいろいろな宗派があるだけで、ロイゼン神聖王国に総本山がある『カーリス教』も、女神信仰の一つと捉えることができる。



 だが本来、信仰に形式はないはずだ。



 女神が人類の母であることには変わりないのである。


 それもあってグラス・ギースでは特に教会もないし、女神像を奉る習慣もない。


 ここに女神像があるのは、その清純さを見習うためとされている。あくまでシンボルだ。



(思えば、これも偶像なのかもしれないな。女神は光そのもの。最初から形などはない。それを無理やり人が形状を与えたのだ。そのほうがわかりやすくはあるがね…。女神の清純さより、像そのものを崇めるようになったらお仕舞いだな)



 戦獣乙女として立派になるために、よく祈ったものである。


 祈り自体は素晴らしい力だ。それ自体にエネルギーが存在する。


 願った通りの自分になるという話をよく聞くが、祈りによって決意を固めることによって、自動的にその人間にはエネルギーが引き寄せられる。


 意思は磁力なので、それによって力を得ることができるのだ。また、想いを同じくする霊団が愛の園から派遣され、その者を指導する。


 女神は実際に存在し、地上の人々に助力をしているのだ。



 だが、それを偶像にしてしまうのが地上の人間の愚かさである。



 女神信仰自体は価値あるものなのに、余計なものを付属させるから劣化する。


 今のプライリーラが願う純粋な想いこそが重要。自然の豊かさと、人と魔獣の平穏な暮らしを願う気持ちこそが尊いものである。


 アンシュラオンが壊した偶像によって、彼女は本当の意味で戦獣乙女に近づいたのかもしれない。だが、当人がそれを意識することはないだろう。


 本物の力とは、自覚することはあっても当人が周囲に言いふらすものではないのだ。



 何よりもプライリーラは、ここに祈りに来たのではない。



 若干そうしたい気分ではあったが、そんな女々しいことをしていても何も変わらない。今必要なのは実行力である。




「たしか…ここだな」



 女神像の胸、心臓の部分に触れる。


 これも会議場の椅子やテーブルと同じく、何か特殊な石で出来ている像なので壊すことはできない。



 が、プライリーラが触ると―――



 ガコンッ



 胸が開いた。


 その中には、緑色に光る十センチ程度の宝玉が納められている。



「あった。【転移珠】だ」



 これは転移珠と呼ばれる特殊な術式がかけられたジュエルで、その効果は名前通りに【転移】である。


 これまた会議場に行く際も使ったものであるが、あれとは繋がっている場所が違う別のものだ。



 この行き先は―――都市内部の館。



 彼女の自宅となっている別邸の地下室につながっている。


 そこにも聖堂と女神像があり、対となっている転移珠の間を移動できる仕組みなのだ。


 こんな便利なものがあれば、もっと使ってもよいはずだと思うかもしれないが、世の中はそこまで万能ではない。



「リーラ様、たしかこの宝珠は使用回数が決まっておりましたな」


「ああ、そうだ。一往復しかできないはずだ。魔力が尽きてしまうからね。その後、回復に一年かかる。私も子供の頃に一度使ったくらいだよ」



 これを普段から使わないのは、まさに【緊急脱出用】だからである。


 転移というものは術式の中でもっとも困難なものに該当し、人間の中では扱える者がほとんどいないといわれている超高等術である。


 そのため人間が使える転移の大半がこうして場所を特定したもので、しかも回数が決まっているものばかりだ。



 そして、今回は―――まさに緊急事態。



 ここで使わねばいつ使うのか、という状況である。惜しむ必要はないだろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます