315話 「白常盤、運命の分岐点」


「リーラ様、これからどうされますか?」



 雑談も終わり、アーブスラットが本題に入る。


 プライリーラの獣性が抜けてすっきりしたのは良きにせよ、現状は何も変わっていない。


 むしろ負けてしまったことで、ジングラスとしての状況は悪化しているのだ。



「このまま都市に戻られますか?」


「それは…戻るだろうね。私が負けたとて、ジングラスグループがなくなったわけではない。味方に引き入れることはできなかったが、ひとまずアンシュラオンとは停戦が成立したんだ。結果を見れば悪い話ではないよ」



 そこはジングラス総裁。商売人としての頭も働く。


 アンシュラオンがジングラスに、これ以上の手出しをしないのならば建て直しは難しくない。



「たしかにもう私はアイドルではない。ギロードがいない以上、戦獣乙女ですらないのだ。そこは受け入れるしかないだろう。だが、私を信じてついてきてくれる者たちを見捨てることはできない。今までのような求心力は見込めないが、そこは自らの力で最初からやり直すさ。再起には時間がかかるだろうが、まずはそれを皆に伝える義務がある」



 ジングラスの誇りがすべて間違っていたわけではない。都市の食糧事情を一手に担っていることには変わりない。


 総裁がいきなりいなくなれば組織内はもちろん、都市全体に大きな混乱が起きてしまう。


 結局、生まれ持ったものをすべて否定することはできないのだ。


 今まで自分を愛してくれた者たちを、たった一回の敗北で失うわけにはいかない。


 本来ならば失われていたかもしれない命だ。それが助かったのならば、残された責任だけはしっかりと果たしたい。


 これがプライリーラの素直な気持ちであった。



「左様でございますか…。リーラ様らしいお考えですな」


「…爺? 何か気になることでもあるのか? 私が述べたことは普通だと思うのだが…」


「もちろんです。ご立派な答えだと思います。まさにジングラスグループ総裁に相応しい器量でしょう」


「言いたいことがあるのならば言ってくれ。気になるじゃないか」


「ふむ……」


「…??」



 しばし思案するアーブスラットを、首を傾げながらプライリーラは見つめる。


 彼女には老執事の沈黙が理解できないのだ。



「私の言葉に何か間違いがあったか? もし間違っているのならば教えてくれ」



 今までならば自分の意見を突き通していたかもしれないが、アンシュラオンによって自信を砕かれたことで聞く耳が生まれた。



 その様子を見て決心が固まったのか、アーブスラットは言葉を紡ぐ。



 だがそれはプライリーラからすれば、まったく想定していない提案であった。





「間違ってはおりませんが…私個人の意見を申し上げれば、このまましばらく身を隠すのが正解だと思います」





 アーブスラットが何を言っているのか、プライリーラには理解できなかった。


 だが、徐々にその言葉が浸透していくにつれて、彼女の美しい顔が動揺したものに変化していく。



「み、身を隠す? 私がか?」


「はい。できれば早急に」


「それも一つの案だろうが…では、一度戻った後に…」


「いけません。このまますぐに移動するべきです」


「着の身着のままだぞ?」


「問題ありません。こういうときのために物資を蓄えた隠れ家がありますし、船に合流するという手もあります。どちらにせよ、すぐに移動すべきでしょう」


「…都市の皆はどうする!? グループの構成員は?」


「見捨てます」


「っ! 爺! 何を言っているのだ! 正気か!?」


「はい。私は極めて正気です。こんな姿になろうとも、もうろくはしておりません」


「………」



 アーブスラットの顔を見つめるが、老執事は黙ってそれを見つめ返すのみである。


 どうやら本当にそう思っているようだ。




 彼の提案は―――【逃げる】というもの。




 すべてを捨てて逃げる。


 それはまさにアンシュラオンが提言したものと同じである。



「…アンシュラオンも同じことを言っていた。爺は彼を信じているということか?」


「いいえ、私はあの男を信用してはいません」


「…??? どういうことだ? ではなぜ、そのようなことを…」


「彼には大陸王のような魅力があるのは事実です。しかしながら、そういった人物は味方にすれば心強い反面、敵になれば危ういものです。リーラ様はすっかりと気を許されてしまったようですが、彼はいまだに【敵】なのです。それを忘れてはいけません」


「ううむ…たしかに不干渉というだけであって同盟を結んだわけではないが…彼が約束を破ると言いたいのか?」


「私の立場からすれば、その可能性も考慮したほうがよいと申し上げるべきでしょう。が、今回はそういう意味ではありません。彼があまりにあっさりと我々を逃がしたことが気になるのです」


「それは……私を守るためではないのか? その…なんだ。恋人的なそういう意味で…」



 ちょっとだけ気恥ずかしかったが、あえてそう言ってみる。


 まるで少女のように頬を赤らめる姿は愛らしいが―――




「それは無いでしょう」




 ばっさり斬られる。


 ザクザクザクッ


 プライリーラに痛恨の一撃。9999のダメージを受けた。


 激しいダメージを受けて、胸を押さえながらプライリーラがよろめく。



「…じ、爺…もう少し優しくしてくれ…乙女心が傷ついた。私はフラれたばかりなのだぞ…」


「申し訳ありません。重要なことなのではっきり申し上げました」


「相変わらず、そういうところは厳しいな…」


「淡い夢を見て痛い目に遭うのは乙女の常でございます。悪い男に騙されないように指導するのも、ログラス様から承った私の大切な役目ですので」



 父親のログラスは、プライリーラが「恋に落ちやすい」ことを見抜いていた。


 子供の頃から強かった彼女が普通の恋愛などできるはずもない。実際、この歳まで処女だったのだ。


 そんな女性がいきなり男と関係を持てば、コロリとやられるのが世間の常識である。


 結婚詐欺師、ホスト、ヒモ、ジゴロ等々、女性を食い物にする男はたくさんいる。


 たまたまプライリーラが強かったので手出しされていないが、より強い男からすれば「ちょろい女」でしかない。


 そういった悪者から彼女を守るのも老執事の大切な役目である。



「くっ、お父様はすべてお見通しか…これでは私が馬鹿みたいではないか」


「それも経験というものです。話を戻しますが、私のような老人はともかくリーラ様には価値がいくらでもあります。仮に女性として興味がなくても、ジングラス総裁として考えればいくらでも金になりましょう」


「地味に傷つく言い方だな。…さすがにショックだ」


「事実は事実です。彼の目的が金である以上、そのまま放置する選択肢は、いささか甘いのではないかと思われます」


「あの時の約束を守っただけではないか? 私を犯すという目的と、ジングラスを疲弊させることで結果的には手を引かせることになった。だからもう関わらないということではないのか?」


「意外と義理堅い男だった、と言われればどうしようもありませんが、これだけのことをしている人物です。注意が必要でしょう。リーラ様ご自身がおっしゃったように、あなたはジングラスの総裁であり、最後の血を受け継ぐ者なのです。厳しいことを申し上げますが、その血が途絶えることこそジングラスにとって最大の痛手となるのです。どうかご理解ください」


「…そうだ。たしかにそうだ。さきほどは身体も参っていて上手く思考ができなかったが…その通りだ。爺は正しい」



 アーブスラットの言葉に、はっとする。


 知らない間に舞い上がってしまっていたようだ。ただの乙女の感傷に浸っていた。


 だが、自分はプライリーラ・ジングラスである。そこを忘れてはいけない。




 プライリーラは深呼吸をして、少し頭と心を整理する。


 それから改めてアーブスラットに問う。



「アンシュラオンのことはどう思っているのだ? 率直な評価を訊きたい」


「今しがた申し上げたように信用はしておりません。ただし、自分が気に入ったものに対しては愛情を向ける習性があるようです。リーラ様を守りたい…もっと正確に言えば、自分が手に入れるまで他人に触れさせたくない、とは思っているようです。だから逃げるように提案したのでしょう。都市内部はこれからもっと荒れるでしょうから、力を失ったリーラ様を狙う輩が出てくるかもしれません」


「…その可能性はあるな。初代様の武具とギロードを失ったとて、普通の連中に負けるつもりはないが…万一のこともあると思われているのだろう。彼から見れば、私は『か弱い女』だからね。つまり爺は、そこだけは逆に信用している、ということなのかな?」


「その通りです。当然ながら都市に戻らねば争いに巻き込まれる心配はなくなります。消極的な案ですが、身を守るうえではこれが一番確実です」


「昔の私ならば、あまりに弱気だと一蹴していただろうね。だが、今の状況では安易に否定するわけにもいかないな。爺がここまで言うのだ。それは長年の経験から来る勘かな?」


「はい。あくまで勘ですが、嫌な予感がするのです。ここは一度態勢を整える意味でも離れるべきでしょう」


「なるほど…。しかし、それではグループはどうなる? 私がいなければ組織は瓦解してしまう。それでなくとも今は重要な時期だ。私だけが隠れるわけにはいかないはずだ。都市を見捨てて逃げるようなことをすれば、ジングラスとしての存在意義がなくなる。そうだろう?」


「その通りです。ならば、もうお捨てになっては?」


「…へ?」


「戦獣乙女をお捨てになられるのならば、ジングラスとしての立場もお捨てになってもよろしいのではないかと存じます」


「だ、だが…爺はさっき、ジングラスの血筋を守るために逃げる、と言っていなかったか? それでは矛盾していないか?」


「ジングラスという存在の本質は、身分や立場ではありません。かの初代ジングラス様も都市を築くまでは英雄ではなかったのです。同様にグラス・ギースを離れれば、初代様とてアイドルではなくなるのです。一方で、それでも初代様は初代様です。どこに行っても何ら変わることはありません」


「………」



 アーブスラットのあまりの言葉に、プライリーラは口をあんぐり開けて放心する。



 彼の言葉は―――まさに【本質】。



 たとえば学生が就職して社会人になったとしても、その日を境に急激に力が伸びるわけではない。昨日や今日程度で何かが変化するわけもない。


 ジングラスの血には魔獣を統べる力がある。それはグラス・ギースでなくても変わらないものなのだ。


 食糧を担当しているのは信頼度の高さからであり、ジングラスだからではない。


 プライリーラこそがジングラスそのもの。ここが重要である。



「随分と…飛躍したものだね。その理由を訊いてもいいか?」


「ホワイトとの戦いで思い出したのです。この荒野を生き抜くには何が大事なのか。それは―――【死なぬこと】です。生き延びることです。他の何を捨てても必死になって逃げることです。死なねば負けません」



 アンシュラオンの言動は実にシンプルだった。


 強い者が勝ち、弱い者が負ける。


 それは若い頃のアーブスラットの考え方と同じである。生き延びるために戦い、奪い、殺し、死なないために逃げる。


 そこにプライドも未練も何もない動物的な生き方である。


 だが、真実の一端を示してもいる。



「リーラ様の人生はまだ長い。長い人生においては致し方なく逃げる時期もあります。どうか、この老いぼれの言葉を信じてはくださいませんか」


「爺…」



 アーブスラットは、生まれた時から自分を助けてきてくれた。


 この言葉に嘘偽りは何一つない。保身もない。ただプライリーラだけを案じての言葉だ。



 しばし迷う。



 簡単に総裁としての責務を放棄すれば、今まで血族が積み上げてきたものをすべて失うことになる。


 だが、負けたのも事実。


 戦獣乙女としてのプライリーラの信頼は失墜し、アイドルとしての価値が薄れていく。


 さらにギロードという切り札を失ったジングラスは、急速に弱くなるだろう。他の魔獣もいるが、あの聖獣ほど強くはない。


 こうなると他の派閥に吸収されるおそれさえある。プライドさえ捨てられれば、隠れて力を蓄えるのも妙案である。



 迷う。迷う。




 その迷いを払ったのは―――白い光。




 アンシュラオンが放っていた純粋なまでに白いオーラである。



(彼ならば何と言うだろうか? ああ、きっとこう言うな。『弱いやつが逃げるのなんて当たり前だ。逆に向かってくるほうがおかしい』、と)



 きっとあの男は逃げることに何の躊躇いもないだろう。それが生き延びるために必要ならば、当然の選択だと思うに違いない。


 そして、そんなふうにアンシュラオンが理解できる自分が、どこか可笑しい。



(ふふ、やれやれ…一気に自分を壊された気分だな。単純明快というやつかな。アンシュラオン、君はやはり面白い男だ)




「…わかった。爺の言う通りにしよう」


「リーラ様!」


「今は年長者の言うことを聞いておこう。私が信頼すべきは、いつも傍にいて助けてくれた爺の言葉だ。いつか気が変わるかもしれないが、その時までは休もう」


「ありがとうございます。悔しいでしょうが、必ず再起の道は開けます」


「いいんだ。疲れているのは本音だからね。…と、その前に屋敷には戻らないといけないな。さすがに館の身内には、このことを伝えねばならない。それくらいは認めてくれるだろう? 魔獣も退避させねばならないし、その点も彼らならば上手くやってくれるはずだ。大丈夫。他の者には接触しない。あくまで身内だけだ」



 館の使用人たちはプライリーラがもっとも信頼できる者たちなので、事情を伝えれば財務管理を含めて上手くやってくれるだろう。


 何よりも魔獣をそのままにはできない。あれはジングラスにとって最大の資産でもあるのだ。


 もちろん、それはアーブスラットも承知の上だ。



「わかりました。ただし通常のルートで戻るのは危険です。【抜け穴】を使うべきでしょう」


「そうだね。あまり使いたくはないけど…仕方ないか。では、そちらに向かってくれ」


「かしこまりました」



 実は、門を通らずともグラス・ギースに入る方法がある。


 グラス・マンサーには各々に専用の抜け道が存在し、秘密裏に都市の出入りが可能となっている。


 グマシカ・マングラスもまた、そうしたものを使っていると思われる。だからこそ誰にも所在が掴めないのだ。



(グラス・ギースともしばらくお別れか…。心苦しいが…私は負けたのだ。敗者は立場を受け入れねばなるまいな。…ああ、やっぱり心細いな。アンシュラオンが傍にいてくれれば……いや、彼に依存してはいけない。彼を振り向かせるくらい強くならねばなるまい)



 ガタゴト ガタゴト



 馬車は静かに夜の荒野を進んでいくのであった。





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