「第三幕 番外編 『偶像の終わり』」

314話 「大陸王の逸話」


 ガタゴト ガタゴト


 一台の馬車が荒野を進んでいる。


 交通ルートからだいぶ離れた場所なので、他の人影はない。大きな荒野にぽつんと一つだけ取り残されたように馬車が走っている。


 非常に質素な馬車で、御者台と荷台しかない農作業で使われるような簡易タイプのものだ。



 その荷台には―――プライリーラ。



 ワンピースを着たプライリーラが座っており、虚ろな表情を浮かべながら揺られている。


 彼女は何をするわけでもなく、夕暮れとなった荒野を見つめていた。



(綺麗だな…)



 何もない荒野。単なる夕暮れ。都市の外にある当たり前の光景。


 しかし、それが妙に美しく感じられた。


 今まで何度も見てきたはずなのに、このように感じたことは初めてだった。


 いや、記憶はある。忘れていただけだ。


 もっと昔、もっともっと昔。自分が子供だった頃、まだブランシー・リーラ〈純潔の白常盤〉とも〈戦獣乙女〉とも呼ばれていなかった時代、彼女は今と同じことを思っていた。


 何もないことが美しく思えた。自由であることが楽しく感じられた。


 それがいつしか、そうは思えなくなっていた。そう感じることもなくなっていた。



(慢心していた…のだろうか。戦獣乙女などと呼ばれて舞い上がり、自分の力を過信していたのか。なんてことはない。ただの小娘の恥ずかしい勘違いだ。ふふふ、若気の至りとは、こういうことをいうのだろうな。私だけならばいいが、爺にも多くの負担をかけてしまったな…)



 ふと前を見ると、御者台にはアーブスラットが乗っていた。


 寿命が減るということは細胞が急速に成長することでもあるので、紳士風に短く整えていた髪の毛も、今では仙人のように伸びてしまっている。


 まだ体力も回復しておらずつらい状態だが、彼は自分のためにこうしてがんばってくれている。


 この馬車もそうだ。彼がいなければ歩いて戻っていたところだ。


 これはアーブスラットが、万一のためにとプライリーラにも内緒で隠して用意していたものである。


 簡素な馬車にしたのも目立たないためだ。まさかこんな馬車にプライリーラが乗っているとは誰も思わないだろう。



(爺は、負けることも予期していたのだろうか。それとも、いかなるときも万全を尽くしただけなのか。ああ…両方か。それが人間として、武人として当然の行為だものな)



 つまりは、こうなることも想定の範囲内だった、ということだ。



 勝つことしか考えなかった自分に対し、彼は負けた場合の最悪の状況も想定して動いていた。


 相変わらず用意周到な老執事に感謝しつつ、そのしたたかさに若干呆れる。


 だが、彼が一方的に全面的に正しいのは認めるしかない。


 アーブスラットのほうが人生経験が豊かだったのだ。それだけ苦労して生きてきたともいえる。



 何が起こるかわからないのが世の常である。


 突然火事になり住む家がなくなることもあれば、この大地では住んでいた都市そのものが、ある日いきなりなくなることも珍しくはない。


 他の人間勢力や強力な魔獣がひしめく場所だ。誰も何の保証もできない。


 そんな中で最善の準備をする。そうやって人々は強く生き延びてきたのだ。


 しかしながら都市が発展していくにつれて、安全と安定が揺るがないものだと勘違いしてしまっていたのかもしれない。


 当然それはプライリーラだけの問題ではないが、知らずのうちに毒されていたことは間違いない。




 それを―――アンシュラオンが壊した。




 この世界には、そもそも安定などはないと教えてくれた。


 すべては万物が流転する中における一時的な状態にすぎない。一部分を見れば静かに見えるが、全体を見渡せば絶えず動いている。


 それこそが真理。新しい活力が古いものを突き動かし、破壊しながら再生するシステムである。



(アンシュラオン…か。不思議な男だ。ギロードを殺され、これだけのことをされたのに…怒りを感じない。悔しくはあるが、復讐心のような暗いものは感じないな。本当ならば怒り狂うところなのだろうが…私にはそんな感情すらなくなってしまったのか? 彼によって喰われたのだろうか?)



 人間、やられた怒りというのは非常に強力なものである。それが忘れられず、何年も何十年も復讐の機会をうかがう人間も多い。


 プライリーラだって怒りは感じる。大切な家族を殺されたのだ。あの時は怒りで自分を見失ったものだ。



 だが同時に―――肌の感触も思い出す。



 アンシュラオンによって、アイドルという仮面を剥がされたプライリーラは、ただの女になっていた。


 彼の前では、プライリーラはただの女。か弱い女性にすぎない。


 それが妙に快感でもあったのだ。


 アンシュラオンは自分を特別扱いしない。それどころか戦っている間は、侮蔑や毛嫌いするような視線さえ向けていたものだ。


 「ああ、また勘違いしている馬鹿女がいるのか」といった具合に。


 それは今まで「ジングラスの娘」として生きてきた自分にとっては、まったくありえないことだった。



(ああ、私は女にされてしまったのだ。…『乙女』ではなく、【女】に。だからこんなにも彼の肌が恋しいのだろう)



 いまだにアンシュラオンとの触れあいが忘れられない。


 女だから情愛に弱いのだ、と言われればその通りだが、彼との交わりは別格である。もう忘れることはできないだろう。


 なにせ彼は、グラス・ギースの戦獣乙女を子供扱いして倒してしまったのだ。


 その強さに惹かれない女はいないだろう。





「どうして…彼はあんなに強いのだろうね」



 その気持ちが強かったのか、ついつい言葉に出してしまった。


 半分は独り言だったのだろう。特に返事を期待したわけではない。


 だが、御者のアーブスラットは静かに答える。


 彼もまたアンシュラオンに負けた武人だ。気持ちは同じだろうから。



「あの男には、ジングラスにあるような信念や理念といったものはありません。正直申し上げて、そこらの盗賊と何ら変わりない生き方をしています。刹那的で享楽的で、おおよそ人間としては低俗な部類に入ります」



 話を聞いている限り、アンシュラオンの動機は最悪だ。


 アーブスラットが言うように最低の部類に入るだろう。



「しかし、関係ないのです。単純な力という意味において、そんなものは不要なのです。私もそれを改めて思い知りました」



 単純に強い。それは偉大なことである。


 どんなに意思が強い人間であっても、肉体が弱ければ銃で簡単に撃ち殺されてしまう。


 それと同じで、純粋な意味での力は非常に重要である。



「そうした純粋な力を求める人間は大勢おります。特に東側では、そういった人間のほうが大半でしょう。力があれば何でも叶います。欲しがらない者のほうが少ないものですな。ただ、彼ほどのレベルに到達している者は初めて見ました。まったくもって羨ましいことです」



 アーブスラットが笑う。そこにも憎しみといったものは感じられなかった。


 これまでの傾向を分析すると、強い武人ほどアンシュラオンを恨まない。


 そのいただきに至るまでの努力と才能を知ることができるからだ。


 自分のすべてをぶつけて負けたのだから後悔などあるわけもない。守れなかったのは自分が弱かったからだ。


 むしろ清廉とした様子で、達観した雰囲気を醸し出していた。



「信念は…戦いに必要ないのか? 我々は都市を守るという意思を持ってきた。だが、それはまったく通じなかった。ならば意思は無意味なのだろうか?」


「それは半分正しく、半分誤りでしょう。たしかに彼の強さは才能に起因しておりますが、心がないわけではありません。そもそも意思がなければ戦気も放出できないものです。なればこそ武人の本質は、どれだけ意思が強いかでもあります。その意思の強さに反応して周囲の神の粒子は味方するのです。とすれば、彼は我々とは違う意味での強い信念を持っていることになりましょう。我々以上に強くそれを信じていることになります」


「アンシュラオンの信念…か。興味深いな。いったい何が彼をあそこまで強くするのだろうか」


「あの言動から察するに、彼にとっては純粋な力の強さこそが信念なのでしょう。これも逆説的ですが単純な力を信奉するからこそ、その力を得ることができるのです。そもそも信念や想いといったものは、その人間の傾向性によって形成されますからな。そういう環境で育ってきたことも大きいでしょう」


「では、私も厳しい環境に身を置けば強くなれるか?」


「…ある程度はなれましょう。まだリーラ様には多くの可能性がありますからな。全部を引き出せば、彼ほどでなくとも強くはなれます」


「それでも、ある程度は…か。なぜだ? 何が違う?」


「才能と鍛練による技量を別とすれば、残る要素はあと一つ。それは精神力の源、つまりは魂の強さに関連するものです。彼は一見すれば即物的な人物ですが、人間としての奥深さがあります。魂の経験値が高いのです」


「魂の経験値…か。漠然的だな。それはどうやって手に入る?」


「いろいろと経験するしかないですな。あの少女に対する愛情を見れば、彼の情緒が人一倍なのはすぐにわかることです。一度表側の道を深く歩いたからこそ、人間という存在の機微をよく知っているのです。だからこそ、ああやってこちらの裏がかけるのです」


「ん? 表側の道を歩いた? どういうことだ?」


「闇を知るにはどうすればよいと思われますか? 闇の中で光を知ることはできても、逆に闇を知ることはできないのです。ならば、光の側に立つしかありません。彼はおそらく一度は光の道を歩いています。それもかなり深く」


「それはつまり…善良な人間として、という意味だろうか?」


「左様ですな。そうでなければ闇を知ることはできません」


「…想像できないな。それならば普通、そのまま真面目で勤勉な人間になるのではないのか?」


「もちろん彼の中にある闘争本能や支配欲求が強いことは間違いありません。ただ、前も話しましたが、彼は何らかの反動で今の状態に陥っていると思われます。あの人間不信は相当なものですからな。よほど嫌な目に遭ったのでしょう」


「子供の反抗期のようなものか?」


「ふむ、なるほど…。そう言うこともできましょうな。ともあれ久々に私以上の壊れた人間を見たものです。はははは、まったく…凄い男です。いろいろとしてやられました」


「爺すら出し抜くほどだからな。だが、それだけの経験だ。あの若さで学べるものだろうか?」


「さて、見た目通りの年齢とは限りません。血が活性化した強い武人はピーク時の肉体を維持しようとします。もしかしたら本当は、かなりの年齢の可能性もあるでしょう。それに魂の年齢という意味では肉体年齢は関係ないものです。かの【直系】の方々は、見た目は若くても何千年もの経験をお持ちですからな」



 直系とは一般的に、【偉大なる者たちの直系】、と呼ばれる存在のことを指す。


 簡単に言えば女神たちの直接的な子孫のことで、地上人と違って物的生活を送らない人間のことである。


 地球で言うところの高級霊である「天使」や「龍神」に近い存在なので、地上人からすれば、ほぼ神々と呼んで差し支えないだろう。


 有名どころでいえば、初めて新人類をこの大地に導いた闇の女神の子「マリス(光の女神とは同名だが別人)」や、初代剣聖「紅虎丸」の子孫である「紅虎」などがいる。


 それ以外にも数多くいるが、基本的に彼らは【愛のその】と呼ばれる高級霊界で仕事をしているので、地上でお目にかかることはまずない。(紅虎は物的仕事が多いので、たまに見るが)


 彼らの身体は幽体で作られているので見た目は若いままであるが、魂としての経験値はかなり高い。


 それと同じでアンシュラオンの見た目が若いからといって、中身まで同じとは限らないのだ。



「…たしかにな。私よりも年上のような雰囲気だったな…」


「彼に心惹かれましたかな?」


「女が強い男に憧れるのは当然だ。私はずっとそういう男を欲していたのだ。何か悪いのか?」


「いえいえ、リーラ様も普通の女性だった、ということですな。こうなってしまえば、そちらの路線で彼を手にするのも一興ですな」


「結局、相手にもされなかったがね。彼は妹のほうがいいらしいよ」


「そう拗ねるものではありません。まだチャンスはありましょう。ただ…彼と対等になることは誰にもできないのかもしれませんな。…ところでリーラ様は【大陸王】をご存知ですか?」


「大陸王…、大陸暦を作った王。初めて全世界を一つにした王、だったか?」


「その通りです。まさに【世界征服】を成した偉大なる王です」



 アル先生の国も「大陸」と呼ばれているが、こちらの大陸王は全世界を統一し、現在の暦を作り出した【本物の覇王】のほうである。


 国としての大陸の元首は、昔の中国に倣って【天子】という存在が治めている。こちらは大陸王とはまったくの別物だ。



「恥ずかしながら大陸王に憧れておりましてな。彼の伝記はよく読んだものです。いやはや、本当に凄い人物です」



 大陸王を語るアーブスラットの顔は、まるで英雄に憧れる子供のようだった。


 それも当然だ。


 現在の地球を考えればわかるが、すべての国家を統一するなど夢物語である。


 世界征服という言葉は簡単に使われるものの、実際にそれを成した存在は誰一人としていないのだ。




 が―――大陸王は統一した。




 その中には数多くの苦難もあったが、武力によって全世界を統一したのだ。


 現在使われている共通言語の「大陸語」や共通貨幣の「大陸通貨」も、その時代に一気に普及させたものだ。


 また、積極的に他民族同士の交配を進めて血を混ぜていった。


 融和を図るには、まずは言葉と金と血を統一する。まさに侵略のお手本のような戦略であるが、その結果として世界は統一の道に至った。


 アンシュラオンが驚いたように人種の違いが存在しないのも、大陸王がそうして全世界の人間を混ぜ合わせたことが大きい。


 まさに人種の垣根をすべて取り払ったのだ。



 もちろんその後は、現在の世界のように分裂という結果になってしまったが、二千年近く統一国家が続いたのだから偉業と呼んでいいだろう。


 一つだけ注釈すれば、大陸王は全大陸を統一したわけではない。主に西側と東側大陸を支配下に治めたのであって、南東南西大陸などは手付かずのところもあったそうだ。


 これは文化の中心が西側だったので仕方ないだろう。地球で国連加盟国を統一しても、それ以外の国や地域が漏れているようなものである。


 そういう国家も時代が進むにつれて、次第に大陸言語や通貨を受け入れているので十分統一したともいえる。(未開の場所もあるが)




「それだけの偉業を成し遂げた者だ。さぞかし立派な人間だったのだろう。真面目で理想に燃えていて、人類平等を目指す公正な人物で…」


「ははは!!」


「な、なんだ? 何が可笑しい?」


「いえ、申し訳ありません。リーラ様がそう思われるのも致し方ありませんな。人間は誰だって偉業を成し遂げた者を立派な人間だと思い込んでしまうものですので」


「もしかして…違うのか?」


「ええ。伝記が真実かはわかりませんが、彼はとても粗暴で横暴で自分の言うことが常に絶対だと信じておりました。敵対する相手は容赦なく排除し、数多くの女性を後宮に迎えたとも聞きます。男性に対しては厳しく、気に入らない相手は味方であっても冷遇したという話です」


「そ、それはなんとも…酷いな」


「しかし間違いなく全大陸を統一した王です。人間としては問題があっても強くて魅力があって、酷いことをされてもなぜか憎めない。それどころか逆に興味を惹かれるという非常に磁力が強い人物です。私がなぜこの話をしたのか、もうおわかりでしょう。どこか似ていませんか?」


「そういうこと…か。力ある者が人格者とは限らない。また、そうである必要性がないのか」


「信念は大事です。役割も大事です。ですが、それだけに囚われることは危険なのかもしれません。なにせ人の数だけ信念があるのです。彼は人を愛することもできるし、残酷に殺すこともできる。清濁併せ持つからこそ人間の深みが出ているのでしょう。考えてみれば自然なことです。我々の母たる女神も、お二人いらっしゃるのですから」



 女神がなぜ二人いるのか。なぜ光と闇で分かれているのか。


 それを疑問に思った者もいることだろう。


 人間には光と闇がある。愛と憎しみがある。怒りと哀しみがある。その二つを知らねば進化は成しえない。



 アンシュラオンは一度光の道を歩み、【馬鹿馬鹿しくなった】。



 だから今はそれを破壊するようなことをしているが、それもまた光を知るからこそ魅力的に映る。仮にただの粗暴な人間ならば嫌悪感しか抱かないだろう。



 そうしたものをひっくるめて、プライリーラはまだ弱かったのである。



(我々はジングラスの誇りという思想に汚染されていた、ということか。まったくもってアイドルだったというわけだ。滑稽なものだよ)



 ジングラスだから強いわけではない。魔獣を従えているから強いわけではない。


 アンシュラオンによって多くのことを学んだ。敗北を教えられた。


 だからこそ今の彼女は、戦獣乙女だった頃よりも魅力的である。



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