304話 「老執事、燃ゆる 前編」


「リーラ様!!」



 アーブスラットは、一つの選択をした。


 自分が守るべき大切なものを最優先にすると。


 一度決めれば即座に動く。一直線にこちらに向かってきた。



 それを見てアンシュラオンは納得する。



(そうだよな。お前なら絶対にそうすると思ったよ。オレだって逆の立場ならばそうする。もしサナが痛めつけられていたら、そいつを殺してやろうと思うもんな。理屈じゃない。感情なんだ)



 それはとても自然な行動である。おそらく他の大勢の人間がそうだろうし、魔獣だって自分の子供が攻撃されていたら助けるだろう。



 しかしながらアーブスラットの本来の目的からすれば、下策であり失敗である。



 彼がサナを狙うと決めた以上、そこは貫かねばならなかった。


 モグマウスがいるので簡単ではないだろうが、まだそちらのほうが可能性はあっただろう。


 仮に0.1%未満の確率でも、それはりっぱな可能性だ。



 が―――ゼロになった



 アンシュラオンと交戦するのならば、万に一つも勝ち目はない。彼の未来は完全に閉ざされたことになる。



(お前の不運は【プライリーラの姿が見えていた】こと。それだけかな。サナの姿がここから見えていれば、オレは間違いなく向かっていた。しかし、離れていたからこそ【信じる】という選択肢が生まれた。サナは戦いの道に入った。武人の山を登り始めた。これからは、ただ守られるだけの存在じゃないんだ。そのきっかけを与えてくれたお前には感謝しているよ)



 過保護であることはスキル名でも実証されてしまったので、自らを律するには離れるのが一番である。


 可愛い子には旅をさせよ、とは真実なのだろう。


 近くにいたら絶対に守ってしまう。安全は保たれるものの、それではサナが成長しない。


 この時のアンシュラオンはサナの状況を詳しくは知らないが、グラサナ・カジュミライト〈庇護せし黒き雷狼の閃断〉が覚醒したのも、あえて彼女を危険に晒したからだ。


 この用心深く心配性な男が、これほど大胆な決断を下したのだ。どれだけ苦渋のものだったかは想像に難くない。


 他人を信じられない男が、いくら可愛いサナだからといって信じきるのは、本当に難しかったのだろう。


 それでも信じた。だからチャンスが巡ってきたのだ。



 一方、アーブスラットは信じきれなかった。



 プライリーラをただ守ることだけに傾倒していた彼は、大きな流れで大切な決断を下せなかった。



 それは―――もう一人の自分の姿。



 サナに対して過保護なままのアンシュラオンを、自分自身で見ているようなものである。


 だからアーブスラットを憎みきれないのだろう。他人から見た自分の姿だからだ。




(この世界では、つくづくオレは自分の鏡を見せられる。イタ嬢もソブカも執事のじいさんも他人には見えないな。そして、それと区切りをつけてこその成長と成功だ。お前はサナのために役立った。その褒美をやらないとな)



 がしっ ぐいっ


 アンシュラオンが、悶えているプライリーラを持ち上げ―――投げる。



「うあっぁあああああああ!!」



 ヒューーーーーンッ ドンッ


 巨馬すら簡単に吹き飛ばす膂力で投げられたプライリーラは、小石か何かのように軽々と飛んでいく。


 大気を切り裂き、空気の壁に激突しながら、一直線にアーブスラットに向かっていった。



「リーラ様!! ぐっ!」



 アーブスラットも全力でこちらに走ってきていたので、落下する前に見事キャッチ。


 剛速球をわが身をもって受け止めつつ、背後に飛んで衝撃を吸収して主人を守る。


 その姿は、まさに執事。


 彼にとっては主人こそが一番の存在なのだ。だからこれは当然の行動である。



「リーラ様! ああ、なんという御姿に…! 私が参りましたから、もう大丈夫ですぞ!」


「うっ…じ、じい…か? …すまない。ギロードを……彼女を失って…しまった。戦獣乙女とは…名ばかりだな…」


「しっかりなさいませ! それよりも今は御身が大事でございます! 一度退いて態勢を整え―――」


「おっと、褒美はあげたけど簡単に持ち逃げはさせないよ」


「ホワイトっ!!」



 投げた物が到達した瞬間には、投げた当人もそこにいるという現象が起きる。


 以前、火怨山でアンシュラオンがパミエルキにやられたことだが、この短い距離ならば彼も同じことができる。


 姉の場合は何千メートルもある山の上から投げたのに、なぜか先に着いていたので、これと比べるのは失礼だろう。レベルが違いすぎる。



「あんたには妹がいろいろと世話になったようだ。オレは貸し借りはしっかりとケジメをつけるタイプでさ。その借りは返さないといけないよね」


「ホワイト、リーラ様はやらせんぞ!!」


「どっちの意味? 卑猥なほう? というか完全に地が出てるぞ」



 アンシュラオンを睨む目は、執事ではなく激しい怒りを内包した武人であり、無頼者とも呼べる荒々しい気質であった。


 もともと荒野を一人で渡り歩き、武を磨いてきた男だ。素の顔のほうが似合っている。




「リーラ様、今しばしのご辛抱を」



 アーブスラットは、かなりボロボロになった上着をプライリーラにかけて寝かし、自身は武器を持って戦闘モードに入る。



「いいね。やる気じゃないか。そういう相手を求めていたんだ」


「お前が強いことは知っている。だが、こちらとてすべてを出しているわけではないぞ!」


「なら、見せてみなよ。オレを楽しませて―――」


「ぬぅうううおおおおおおおおお!」



 ゴゴゴゴゴゴゴゴッ ボォオオオオオオッ!!


 アーブスラットの戦気が激しく燃え上がる。赤紫だった色合いが、さらに濃くなり、重厚になっていく。


 身体中の細胞が活性化し、一気にアーブスラットの肉体が目覚めていく。


 その戦気の質は、今アンシュラオンがまとっているものと大差ないレベルである。


 シュンッ



 アーブスラットは加速すると、アンシュラオンに体当たり。



 アンシュラオンはガードするも、そのまま抱え込むように押し込んでいく。



「うおおおおおおおお!」



 アーブスラットは大地を抉りながら、アンシュラオンを押していく。


 これはプライリーラから距離を取ろうとしているのだ。


 では、アンシュラオンがそれを見越して、あえて受けているのかといえば、そうではない。



 単純に―――【力負け】している。



 アーブスラットの戦気は強大で、アンシュラオンとほぼ互角であった。そこに体格差が生まれて、この押し込まれる状況が発生しているのだ。



 そして三キロ近く押し込んだあと、アンシュラオンに蹴りを放って吹っ飛ばす。


 バゴンンッ!! ズズズズズッ


 その蹴りも両手でしっかりガードするが、アンシュラオンは後方に流される。こちらの蹴りも相当な威力だ。


 ただ、そのままやられるような男ではない。



「よっこいせ!!」



 アンシュラオンは即座に体勢を立て直し、ダッシュ。


 お返しとばかりにアーブスラットに蹴りを放つ。


 アーブスラットは左手のトンファーで防御。手首を返して武器を操り、衝撃を逃がす。


 アーブスラットの反撃。素早いフットワークからの右ジャブの連打。


 ドドド ドドドッ シュッ


 一瞬で六発のジャブがアンシュラオンに目掛けて放たれる。アンシュラオンも華麗な足捌きと腕によるガードで見事に回避。




 そこから両者の打撃戦が始まった。




 アーブスラットは一気に鋭く踏み込み、閃光のようなジャブを放つ。


 アンシュラオンが首を捻って回避すると、拳圧の威力で後方の大地が大きく抉れる。


 まるで巨人が怒り狂って棍棒を振り回し、大地を破壊したような大きな破壊痕が残る。


 たかだかジャブでこの威力だ。これが高速で放たれるのだから怖ろしいものである。



 アンシュラオンも速度重視の動きでジャブをよけながら、時折掌底を放って応戦。


 アーブスラットは再びトンファーを使って防御し、一旦距離を取る。それ以上は絶対に踏み込まない。


 アンシュラオンの一撃も凄まじい威力で、いなしたはずなのに左腕がもげそうになるほどだ。


 こちらも衝撃で背後の大地が吹き飛ぶという現象が起きている。直撃すれば致命傷であろう。



 鋭くS字を描くような動きのアーブスラットに対し、水のように無限に変化する体術を操るアンシュラオン。


 これはなかなか見応えのある勝負だ。


 アーブスラットは利き腕の右ジャブで速くて強い攻撃を打ち出しながら、本来は武器であるトンファーを盾に見立てて応戦。


 強い相手は簡単に隙を作らない。大きな攻撃を放つ間がないので、こうした戦術を取るのだ。


 無手で真っ向から受け、それでも打ち負けないアンシュラオンも、いつも通りに強い。



 ドドドドッ バンバンッ!! ボンッ


 ドドドドッ バンバンッ!! ボンッ


 ドドドドッ バンバンッ!! ボンッ



 そうしてこの場では、凄まじい戦闘が繰り広げられていた。


 両者を中心にして衝撃波の嵐が吹き荒れ、再び場は誰も入り込めない戦場と化す。




(やるな、じいさん。やはり実力を隠していたか)



 アンシュラオンは久々に楽しい気持ちを味わっていた。身体が喜んでいるのを感じる。


 現在の自分は、本来の力を開放した高因子高出力モードである。戦士因子も8まで覚醒させている。



 つまりは火怨山における普通の戦闘状態である、ということだ。



 むろん技を使ったり戦気の出力強化状態になれば、この数倍以上のパワーを出すことができるわけだが、これだけでも並の相手ならば一発で即死だ。



 その自分相手にアーブスラットは互角に打ち合っている。



 スピード型であるアーブスラットだ。素早さには定評があるし、長年積み重ねてきた技量も相当高い。


 今はパワーもかなりのもので、体格差によってアンシュラオンよりも上の腕力を誇っている。さきほど押し負けたのが、その証拠である。



 これは―――異常。



 いくらアーブスラットが強いからといって、明らかにおかしい現象である。


 だが、アンシュラオンはまったく驚いていない。最初からこれを知っていたかのように冷静に対応している。


 なぜアンシュラオンは、サナを助ける前にアーブスラットをおびき寄せたのか。


 その理由が、ここにある。



(これがアーブスラットのユニークスキル、『寿命戦闘力転化』か。オレとこれだけ殴り合いができるんだ。それだけの価値はあるんだろう。やはり甘く見ないで正解だったよ)



 アーブスラット、最後のユニークスキル『寿命戦闘力転化』。



 細胞操作に長ける彼が最後の最後に頼るのがこれ。


 もう最後。ここで負けたらもう終わり、という時に使うものである



 アーブスラットは要人のため、アンシュラオンは最初に出会った時に情報公開を使っていた。


 そこで見たステータスもそれなりに高かったが、「死」やら「癌」やらとなかなか不穏な文字が並ぶユニークスキルのほうが気になっていたものだ。


 死痕拳と美癌門は想像するしかないが、こちらのスキルは文字通りの意味だと解釈した。



 そして、予想通りの技であったようだ。



 グランハムでさえまったくついてこれなかったアンシュラオンの速度に、この老執事は食らいついてくる。


 『寿命戦闘力転化』は、アル先生が使った『匪封門ひふうもん丹柱穴たんちゅうけつ』と同じく身体強化系の技で、細胞の活性化で一時的に【限界を突破】できるスキルだ。


 これによってアーブスラットは、通常の戦闘力を遙かに超えた力を手にしている。だからアンシュラオンと打ち合えるのだ。



 しかし、代償は他の二つよりも激しく重い。



 美癌門や死痕拳よりも激しく細胞が傷んでいき、老化が加速する。こうして打ち合っている間も肌から色艶が失われていき、少しずつシワが増えていくのがわかる。


 このスキルは、細胞操作で長生きするものとは完全に逆系統のものだ。


 使えば使うほど急激に老化するのだから、アーブスラットに余裕があるはずがない。


 これほどの戦いを繰り広げているのにもかかわらず、顔が強張っている。


 実際に戦ってみて、アンシュラオンの底知れない強さをさらに感じているのだ。



(こちらは限界を超えているというのに、まったく普通についてくる。凄まじい戦闘速度だ。これがホワイトの通常戦闘のレベルか…。これが通常ということは、ここからさらに上がるということだ。フルポテンシャルを発揮すれば本物の怪物だ。このままでは勝ち目などはない。一発、一発でいい! 『死痕拳』を当てて逃げる隙を生み出す!)



 技の持続時間は、もってあと数秒。これ以上の消耗は命に関わる。


 自分の命などどうなってもいいが、プライリーラだけは逃がさねばならない。


 残った体力も残りわずか。この一瞬にすべてをかける。



 動きがわずかに鈍ってきたアーブスラットに、アンシュラオンが連打を浴びせる。



 ドガドガドガドガドガドガッ!!!


 ドガドガドガドガドガドガッ!!!


 ドガドガドガドガドガドガッ!!!



 ガンプドルフ戦では途中で終わってしまったので、アンシュラオンからしてもこうして素の状態で殴り合うのは久々だ。


 それが楽しくてしょうがないというように、乱雑に思うままに拳を振るっている。


 アンシュラオンにとっては、これからが勝負。ここから駆け引きや技など、数多くのやり取りが発生する段階だ。


 この状況を楽しむだけの余裕があるということ。


 しかしアーブスラットにとっては、これが限界のさらにまた限界である。



 シュッ ボシュンッ


 トンファーで受け損ね、掠った拳が頬肉を抉り取っていく。



 アンシュラオンは明らかに軽く殴っているはずなのに、防御の戦気で強化した身体を軽々と貫通する。


 これが超一流と呼ばれる魔戯級以上の武人の領域である。


 本来は第六階級の名崙めいろん級であるアーブスラットにとっては、二階級以上も上の未知の領域だ。


 一手一手の動きも、一足一足のスピードも、一発一発の重みもまるで違う世界では、この老練な執事もヒヨっこと同義。次第に押されていく。


 だが、けっして引かない。退かない。ギリギリの間合いで耐える。



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