299話 「〈黒き雷狼〉の目覚め 後編」


 傷ついたリザラヴァンがサナに近寄ってくる。


 その目は怒りに満ちていた。




―――【怒り】




 怒りとは原初の感情である。どんな下等な生物でも、恐怖と怒りだけは必ずそなえているものだ。


 リザラヴァンは闘争本能が強い魔獣なので、その怒りがさらに強い。


 たとえ死にそうなダメージを受けても逃げることはない。それを上回る怒りの感情が芽生えるからだ。


 ドビュンッ


 爆発でも無事だった強靭な舌を出し、サナに向かって攻撃を放つ。


 サナは脱臼して動きが鈍っているが、なんとか回避。


 しかし、怒りに満ちたリザラヴァンはここから猛撃に出る。



 ビュ、ビューーーーンッ



 舌の軌道が変化。


 真っ直ぐではなく、横薙ぎの一撃が繰り出される。


 最初は命令通りに吸い付けて捕らえようとしていたため、舌の尖端を執拗に繰り出していたのだが、今度は相手を倒すための攻撃に切り替える。


 所詮は頭の悪い魔獣。ギロードのような理解力もない爬虫類にすぎない。


 傍に主人がいれば諌めることもできるが、今は彼らだけの単独行動なので制止する者がいない。


 これは悪例。命令より本能が勝ってしまった瞬間だ。



 バゴンッ バゴンッ ドコドコドコッ



 突然軌道を変えた舌の動きにサナは対応できない。


 右からくる舌に左に飛ばされるが、鞭のようにしなった舌が即座に左側に回って右側に薙ぐ。それによって右に飛ばされると、また舌がやってくる。


 交互に左右から攻撃がくるので今度はそれに対応しようとすると、再び真っ直ぐの軌道に変化。



 どひゅんっ メキィイイッ



 サナは必死にガード―――するも、腕に激しい衝撃。左腕の橈骨とうこつにヒビが入る。



 もし戦気をまとっていなければ、骨折および破裂貫通した可能性すらある。


 それからも無意識のうちに戦気を集中させて防御していくが、怒り任せの攻撃をすべて防ぐことはできない。



 バゴンッ バゴンッ ドコドコドコッ


 バゴンッ バゴンッ ドコドコドコッ


 バゴンッ バゴンッ ドコドコドコッ



 舌が―――サナをめった打ち。



 一度燃え上がった怒りの炎は簡単には消えない。


 理性ある人間でもそうなのだから、より本能が強い魔獣は殺すまで攻撃をやめないものだ。


 美しい肌が切れ、こすれ、腫れ、傷ついていく。アンシュラオンが見たら悲鳴を上げそうな光景である。



 ただし、致命傷には至っていない。



 反撃しないサナを一方的に攻めているせいか、リザラヴァンの攻撃は単調で防御がしやすい。


 また、サナは大切な頭と胸を中心にガードを固めており、それ以外の部分は捨てている。だからダメージは受けても致命傷にはなっていない。



 どこかで見たことがあると思ったら、これはアーブスラットの防御。



 ついさっき自分が痛めつけた老執事がやったことをコピーしているのだ。


 足を攻撃されるのはつらいところだが、ひとまず生存を目的とするのならば、脳と心臓を守るべきである。


 これも常々アンシュラオンが言っていることだ。殺す時は必ず頭と心臓を撃ち抜けと、口を酸っぱく言い聞かせている。


 まだサナは諦めていない。戦うということを忘れていない。



 このままではアンシュラオンの言うことを聞く単なる人形のままだが、今のサナには小さいながらも【意思】が宿っていた。


 そして、意思があるということは【感情】が生まれるということだ。



 なんと、意思無き少女はついに感情を覚えるに至ったのだ。



 とてもとても小さいながらも偉大なる第一歩である。これはアンシュラオンの目論見すら超えた奇跡であり、大珍事だ。



 では、黒き少女が最初に覚えた感情とは何なのか?



 人はいったい最初にどんな感情を得るのか。これは実に興味深い話題だ。



 その答えは―――



「…はぁはぁ…」



 サナの息遣いが荒くなる。しかし、これは血をめぐらすためにやっている行為ではない。


 身体の内側からメラメラと燃え上がる衝動によって、抑えきれない何かが湧き上がってくることによって発生したものだ。




―――「ふざけるな!!」



―――「お前だけは絶対に許さない!」




 サナの黒い世界の中で誰かが叫ぶ声がする。


 アンシュラオンだけではなく、いろいろな人の声が混じっている。


 彼女の記憶に残っている怒りの〈記録〉はだいぶ前で色褪せているが、大人たちが叫んでいる声だった気がする。


 子供も大人も叫んでいる。なぜ叫んでいるのかはわからない。きっと何かと争っているのだろう。


 そこから記録は一気に進み、より最近かつ鮮明なものになっていく。





―――「オレのものに手を出したら殺すぞ!」



 アンシュラオンが怒っていた。



―――「どうして助けてくれないんですか!!」



 シャイナが怒っていた。



―――「死ね、ホワイト!!」



 ソイドビッグが怒っていた。グランハムが怒っていた。マフィアたちが怒っていた。



 怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り!!!!!!





 人間が最初に抱く感情は―――怒りぃいいいいいいいいい!!!





「…ふーー、ふーーーー!!」



 サナが歯を食いしばる。


 初めてこんなに強く噛み締めたのだろう。歯がギリギリと音を立てて軋んでおり、口からよだれも出ている。


 ブワッ ブワワッ


 それによって、さきほどよりも強い戦気が噴き出す。


 戦気は意念の力なので感情に大きく左右される。より強い感情が力となっているのだ。



 アンシュラオンがなぜ、サナに【劇】を見せているのだろうか。



 情報公開で彼女に意思が無いことを知った彼は、他人の意思を見せることでサナの中に擬似的に感情を植えつけようと考えた。


 サナ個人に感情が存在しないのは事実だ。


 だが、それを発してきた者たちの怒りが彼女の中に蓄積され、それが次第に覚醒のきっかけになることを直感で理解していたのだ。


 特に今回の一連の騒動で人々が発してきた感情の大半が、怒りである。その多くの怒りをサナは吸収してきた。



 バシュッ ドコッ バシュッ ドコッ



 リザラヴァンは横薙ぎの攻撃を続けている。サナもガードを続ける。


 サナの戦気は強くなったが付け焼刃にすぎない。多少防御力がアップした程度で、受ければやはりダメージは避けられない。


 傷の影響もあり、満足によけられず舌の攻撃を受け続ける。



 バシュッ ドコッ バシュッ ドコッ



 耐える、耐える、耐える。


 サリータのように熱血で耐えるわけでもなく、ビッグのように怒り狂って耐えるわけでもない。淡々と受ける。


 バシュンッ ぶしゅっ


 舌が顔付近にかすり、頬に切り傷が生まれる。それでも視線は外さない。


 その目は、静かに冷静にすべてを見つめていた。




 エメラルドの瞳に―――【赤い光】を灯しながら。




 パチッ パチッ


 何かが光っている。



 彼女の瞳の光に呼応して、【ソレ】が少しずつ目を覚ましていく。



 バチンッ! バチンッ!!


 何かが強く弾けるような音がする。すごくすごく、すごく痛そうな音だ。


 リザラヴァンも異変に気がつき、ぎょろりぎょろりと周囲を見回す。


 だが、音の原因になるようなものは存在しない。もう一匹の個体も不思議そうに周囲を見回すが、何も発見できない。


 バチッ! バチバチンッ! バチンッ!!!!


 その音は少しずつ強くなっていく。リザラヴァンはさらに目を動かし、音の元凶を探ろうとしている。



「…ふーーー、ふーーー!!」



 そして、ようやくにして発見。


 その音は、目の前にいる獲物の【胸元】から発せられていた。




 そこにあるのは―――ペンダント。




 アンシュラオンがサナのためだけに用意した、この世でたった一つのオリジナルのスレイブ・ギアスだ。


 これはただのジュエルではない。ただのギアスでもない。


 悪党やらクズやら鬼畜やら外道やら、おおよそ他人からは尊敬されないアンシュラオンであるが、そんな彼が持っている唯一と呼べる愛情がこもった超希少なものである。


 魔人が愛するサナのためにすべてを注いで作ったものだ。それが単なるジュエルのはずがない。


 バチンッ バチンッ!!! ピカピカピカッ!


 音がさらに大きくなっていき、青の中にいくつもの金色の光が入った美しいジュエルが明滅を繰り返す。



 バチンバチンッ バチバチバチバチバチッ!!


 ババババババババババババババッ!!!!!!



 ついに―――光が外部に放出。




 その光は―――【雷】




 普通の雷ではない。青い色をしている【青雷】が、サナの体表に絡み付いていく。


 その輝きは異様なほどに明るく、そのせいで太陽が放つ通常の昼間の明かりが偽物にさえ思えてしまう。この光に比べると薄暗く感じてしまうほどだ。



「…はっ、はっ、はっ」





―――「サナ、お兄ちゃんが守るからな。この身、この命をかけて、お前にすべてをやろう」





 契約。白き魔人が黒き少女と交わした絶対の約束。


 それは何があっても遂行されねばならない。他のいかなるものを犠牲にしても成されねばならない。



「ギュッギュッ!!」



 リザラヴァンが舌をべろんと出し、尖端をサナに向ける。


 再び火炎を放出するつもりらしい。ここで舌で直接攻撃しなかったのは彼の本能が危険を告げたからだろう。


 それは誇っていい。さすが魔獣だ。自然の動物の勘は鋭い。



 だがしかし、彼はそうするべきではなかった。



 雑魚は雑魚らしく、今すぐに尻尾を巻いて逃げればよかったのだ。


 ブオオオッと舌先から火炎が放出される。今回のサナは本物なので、くらえば確実に身体が焼けてしまう。



 ばちんっ バババババッ



 だが、サナの体表を覆う青雷が迸り、迫ってきた炎を迎撃。霧散させていく。


 リザラヴァンが炎を噴き続けても青雷はサナを守り続け、炎の熱すらも感じさせない。




―――「ヴヴヴヴヴヴヴヴ」




「っ!?」



 突然聴こえた【唸り声】に、リザラヴァンが攻撃を止める。


 それは明らかに自分よりも格上の魔獣が発する威嚇音に聴こえたからだ。


 しかし、サナは何もしゃべっていない。ただ歯軋りをしているだけだ。


 意思が少し発現したとはいえ、言葉をしゃべるまでには至っていない。



 では、誰の唸り声なのか。



 バチバチッ バチンッ


 青雷が少しずつ形を変化させ、リザラヴァンの二倍はありそうな『生物』の形を生み出す。


 ふさふさの体毛をそなえた、すらりと長く伸びた体躯。鋭く強く輝く双眸。ぎらりと光る牙。強靭な爪。



 それはまるで―――【狼】。



 サナの身体と重なり合って、青い狼が出現した。



 この姿に酷似した魔獣が実在する。


 そう、サナのジュエルの元となった魔獣、サンダーカジュミロン〈帯電せし青き雷狼の凪〉と呼ばれる討滅級に属する狼系魔獣の希少種である。


 出現した狼の姿は、非常にそれによく似ていた。


 しかし当然、生きている魔獣ではない。いくら心臓から生み出したジュエルとはいえ魔獣が蘇るわけがない。


 だからこれはジュエルが生み出した幻と呼ぶべきものだろう。青雷が変化して、そう見えているだけにすぎない。



 そうでありながら、ただの幻でも雷でもない。





「ヴヴヴヴヴッ…バオオオーーーーーーンッ!!!」




「―――っ!?!?!?!!」



 バッチーーーーーーーンッ!!


 その幻影が叫ぶと凄まじい咆哮が響き、リザラヴァンを突き抜ける。


 ゴロンッ バタバタッ バタバタッ びくびくっ


 咆哮を聴いた二匹のリザラヴァンがひっくり返り、手足をばたつかせて痙攣している。



 『サンダー・マインドショックボイス』。サンダーカジュミロンが使う精神感応波である。



 感応振動波によって相手の精神に干渉してズタボロにしつつ、雷の追加効果で肉体にも強いショックダメージを与える凶悪なスキルだ。


 人間がこれを受けたら武人であっても、精神崩壊および感電死は免れない。


 同じ討滅級といっても、ギロードとリザラヴァンに大きな差があるように、サンダーカジュミロンとリザラヴァンの間にも大きな開きがある。


 青雷狼はドラゴンワンドホーゼリアにも匹敵する魔獣なので、リザラヴァン程度ではこのスキルを防ぐことはできない。


 ただしこれは本物の魔獣の攻撃ではなく、青雷が生み出した擬似的な攻撃方法だと思われる。


 サナがジュエルに宿された〈前の宿主の記憶〉をコピーしているのだ。この姿も彼女の仕業だと思われるが原理は不明だ。



 そして、なぜこのような状況になっているのかも不明である。



 サナの怒りの感情にジュエルが反応して、彼女が持っていたスキルが暴走して発動しているのかもしれない。


 あるいはアンシュラオンが力を込めすぎた可能性もある。なにせ「思念液」を丸々全部使い果たすほどに意念を注いだのだ。


 あの男には高い術式の才能がある。まだ術士としては目覚めていないが、才能的にはパミエルキと同格の存在なのだ。


 ジュエルに魔人の力が注がれた結果、このような謎の現象が起こっているのかもしれない。




―――「ヴヴヴヴウヴウヴヴヴヴヴヴヴウヴッ」




 バチンバチンバチンッ!!



 だが、それで終わらない。


 さらに青雷は拡大し続け、サナの身体が浮かび上がるほどの規模になっている。



―――エネルギーが足りない


―――力が足りない


―――相手を滅ぼす力が足りない


―――守る力が足りない



 ジュエルはサナを守るためだけに生まれた存在である。


 その命令を遂行するために、さらなる顕現を欲していた。だが、思念液で補充された力だけでは足りない。


 探す、探す、探す。


 自分の養分になるものを探す。


 リザラヴァンは駄目だ。こんな低俗な魔獣など養分にもならない。土や石などは論外。ここは荒野だ。大気にもエネルギーがない。


 無い、無い、無い。どこだ、どこだ、どこだ。


 雷がバチバチと走りながらエネルギー源を探す。もちろん適したものでないといけない。できるだけ高エネルギーかつ純粋なものがいい。



 そこで―――見つける。



 灯台下暗し。



 そのエネルギー源は、まさに自分の真下にあった。



 現在、サナの真下の地中にはアンシュラオンが放った【モグマウスたち】が待機している。


 彼らはサナの危機に対して飛び出す機会をうかがっていた。思考アルゴリズム通り、彼女がギリギリの状態になるのを待っていた。


 しかし、まさかの異常事態。


 ゲームのAIが予想外の状況に挙動不審になるように、彼らも判断に困っていたのだ。



 そんな時―――ジュエルに目を付けられてしまった。



 ジジジジッ ドドドドドドドオンッ!!


 青雷が迸り、地面を破壊して地中に突入。



 そして、地下四十メートルあたりにいたモグマウスを―――貫いた!!



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