298話 「〈黒き雷狼〉の目覚め 中編」


 術は防御無視なのでリザラヴァンにもダメージは入るが、威力は術者の魔力依存であり、サナの力ではさしたるダメージにもならない。


 さらにリザラヴァンのHPは二千を超えている。賦気や『天才』スキルで強化されていても与えたダメージは、この三発でせいぜい四百程度だろう。




 リザラヴァンは、振り向いてサナと対峙。


 ダメージを受けてはいるが、まだまだ戦闘力は健在だ。いくら不意打ちでも、サナには強すぎる魔獣である。


 では、その間に逃げればよかったのでは、と思うかもしれないが、それもまた難しいだろう。


 分身自体、意識して操作しないと自分と同じ行動を取るうえ、ある程度離れると消えてしまうので、また追われることになる。


 体力、スタミナ面でもリザラヴァンのほうが上。すでに疲弊している彼女では長くは逃げられない。


 逃げている間に違う魔獣に遭遇してしまえば、もはや一巻の終わり。その段階で死亡は確定だ。


 戦罪者たちもアーブスラットに特攻している以上、助けはないと思ったほうがいい。


 その前提ならば、とにかく相手を動けなくさせようとしたサナの判断は正しい。



 が、倒せなかったのは痛い。



 せめて足を一つでも吹き飛ばしたかったが、いかんせん低い体勢の爬虫類タイプの魔獣である。そこだけを狙うのは難しかった。


 そこで脊椎に損傷を与えられれば、といった戦術に変更したわけだが、思った以上に相手の体力があったことも誤算であった。


 サナは情報公開を持っていない。相手のHPもわからないし、力量を感じ取るだけの経験もない。


 結果的には、すべてが力不足。彼女の能力不足である。



 ピタピタ



 またもやリザラヴァンが迫る。


 絶対に逃がしてはくれないので、何とかして倒す方法を考えるしかない。



「…じりじり」



 サナはじりじりと下がる。下がるしかない。


 術符の不意打ちで仕留められなかった以上、正面から攻撃してもたいしたダメージは与えられないだろう。


 ここはやはり爆発矢を使うしかない。それだけが唯一の可能性だ。


 ただし、使う瞬間には注意が必要である。相手も必ず反応してくるはずだ。




「…じー…しゅっ」



 サナは相手をよく見ながらタイミングを見計らい、ポケット倉庫からクロスボウを取り出す。


 が、それを構える前に迎撃。



 どひゅん バキャッ



 舌が飛んできてクロスボウを破壊する。


 予想した通り、こちらの動きにカウンターを合わせてきた。


 クロスボウを盾にしたおかげで回避が間に合ったものの、ギリギリの攻防であった。


 強引に撃つこともできたが、一撃で倒せる確信がなければ相打ちで大ダメージを受けてしまう。そうなれば負けは確定となるので仕方のない選択であった。



 リザラヴァンは、やはり強い魔獣だ。



 こうして真正面から対峙すれば透明化は気にせずに済むが、単純に強いので簡単に武器を取り出すこともできない。


 生物にとって肉体能力がいかに重要かがわかる場面である。


 人間と魔獣とでは身体能力に違いがありすぎるので、どうしても不利になってしまうのだ。




「…ふっ、ふー、ふっ」



 しかし、この状況でもサナは敵を怖れない。


 呼吸が激しいのはアンシュラオンに言われた通り、適度な血圧を保とうと努力しているからだ。


 ここまできても戦うことを諦めない。いくら恐怖心を感じないからとはいえ、これは立派な武人としての才能である。



 サナは、ただただアンシュラオンの言葉に従う。



 だからこそ少しずつ実っていく。



 ジワジワ ジュンジュン ギュルギュル



「…ふー、ふー」



 呼吸を繰り返すごとに、サナの周囲に何か膜のようなものが生まれていく。


 彼女の身体に【力】が宿っていく。





―――「サナ、何があっても生き延びるんだぞ。絶対に諦めちゃいけない。そりゃ人生なんてものは面倒だしつまらないことも多いから、『生きていればいいこともある』なんて無責任なことは言わない。だからオレがサナを絶対に幸せにすると約束する。お兄ちゃんがお前にたくさん面白いものを見せてやるからな。そのために絶対に生き延びるんだぞ」





―――生きる




 今まで自分は『生きる』ということを考えたことがない。『生きていた』かもしれないが、自ら『生きる』ことはなかった。


 だから彼の言葉が光となって世界に染み入った時、自分は初めて『生』というものを意識したのだ。



 生きる。呼吸する。心臓が動く。


 生きる。食べる。飲む。


 生きる。歩く。座る。寝る。



 否。


 それは生理現象であって、所詮は機械の生命維持反応にすぎない。それを生きるとはいわない。



 ならば、生きるとは何か。



 最初は彼にそう言われたから、全身全霊を込めて生きようとした。


 だが、生きることが何かを知らねば、どうやっても生きることはできない。だから話を聞いただけでは駄目だった。


 それがこうして追い詰められ、考えるのではなく感じることで自然と発生する。



 ボワッ



 何かが、世界に生まれた。


 彼から与えられた白い球体以外には何もなかった場所に、今まで見たことがないものが出てきた。


 それはゆらゆらと揺れる何か。ほんのり熱くて弱々しいもの。


 焚き火をする際、火種に火花が付着して生まれたような、とてもとても小さな【炎】であった。


 しかしながら、どんなに小さくても炎は炎である。



「はぁはぁ…はっ、はっ、はっ!!」



 身体が熱い。燃えるようだ。


 その小さな揺らめきから、今まで味わったことがない熱量が発生している。こんなに小さいのに、なぜこんなに熱いのか。



 生きる、生きる、生きる。


 生きる、生きる、生きる。


 生きる、生きる、生きる。生きる、生きる、生きる。生きる、生きる、生きる。生きる、生きる、生きる。生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる、生きる。



 危機的状況に生存本能が刺激され、サナの意識が『生きる』ということを肌で感じた。



 その瞬間―――【意思】が生まれる。



 まだ言葉にはできない小さなもの。定義すら難しい弱いものだ。


 しかしながら、そもそも言葉というものは感覚の共有に使われる道具にすぎない。社会生活に必要だから渋々使っているだけのものである。



 物事の本質、真理とは内面の世界にこそある。



 ゆえに、これは立派な意思なのだ。言葉にできずとも意思なのだ。


 アンシュラオンが何度も何度もサナに接したことで、あの白き魔人の強い愛情と意思が何度も何度も染み込んだことで、サナに意思が生まれた。



 意思が―――燃える。



 心の奥底に宿った意思は、今度は身体に表現される。


 世界のシステムは意思ある者に大きな力を与える。サナの炎を感知した無限のエネルギー元素である神の粒子が、磁石のように集まってきて化合燃焼していく。



 ボォオッ ボボボッ




 両者の結合、それこそ―――【戦気】。




 強力な魔獣を前にしたこと。何度も命気や賦気を受けたこと。戦気の雫を受けたこと。生き延びるために必死になること。



 そして、アンシュラオンに愛されたこと。



 愛が、愛が、愛が、愛が燃える!!


 どんなに偏屈で偏狭でも愛は愛だ。愛こそ宇宙最大のエネルギーである。


 それが『意思無き少女』の中に、ついに小さな火種を与えるに至る!!!



 ドクンドクンドクンッ



 サナの心臓が激しく脈動する。身体が熱くなる。


 だが、同時にもう一つ熱くなっている場所がある。


 ピカッピカッピカッ


 首からさげているペンダントが激しく明滅している。青く美しいジュエルが輝いている。


 それは日光による光の反射ではない。サナの変化に呼応するように自らの意思で輝きを発している。




「っ!! っ―――!!」



 何かが違う。何か異変が起きている。


 サナはあまりの変化に戸惑い、自分の胸を手で押さえる。



 どびゅんっ!



 だが、そんな彼女の事情など、この魔獣が考慮するはずもない。


 動かない標的に対して、これ幸いとリザラヴァンが舌を放つ。


 ドンッ シュッ


 しかし、サナは奇妙な感覚に襲われながらもサイドステップで回避。


 あまり余裕はないが、今度は相手が攻撃してからでも回避が十分に間に合った。


 軽く大地を蹴っただけなのに軽々と三メートルは移動していたのだ。今までと脚力が違いすぎる。



 ボボッ ボボボッ



 体表には、うっすら赤い、少し桃色に似た戦気が見える。


 白い肌が火照って桜色になった時の色合いに似ているだろうか。それが彼女の浅黒い肌を優しく包んでいた。


 当然ながらサナの動きが一気に鋭くなったのは、戦気が肉体に力を与えていたからだ。


 戦気があるとないとでは天地ほどの差があるのは、今までの戦いを見ればよくわかる。


 戦気の質や熟練度によって強化の具合は大きく変化するものの、初めて出した戦気であっても三倍近い身体能力の向上が見られていた。



 ビュンビュンビュンッ シュッシュッシュッ



 舌の攻撃。回避。舌の攻撃。回避。舌の攻撃。回避。


 三回連続でかわす。



「…じー」



 じっとリザラヴァンを観察し、舌が動くのを見てから回避を続ける。


 十回ばかり攻撃されたが、そのすべてをよけていた。直線的に放たれる舌の動きは完全に見切ったといえるだろう。



「…? …かちゃ」



 自分の動きの変化に少しばかり首を傾げながらも、サナは攻撃をよけながら蛇双を取り出す。


 一本はアーブスラットとの戦闘で落としてしまったので、片手だけに装備する。


 どひゅんっ シュッ


 再び放たれた舌を避けながら、伸びた舌を切り払った。


 ズバッ ブシュッ


 さすがに武器に使っているだけあって筋組織は硬く、切断には至らない。スジ肉に軽く切れ目が入る程度のものだ。


 だが、リザラヴァンにとっては意外だったのだろう。



「キギュッッ!!」



 意外と細く可愛い声を出してリザラヴァンが怯む。舌を出したまま硬直している。


 まさか矮小な人間の子供相手にダメージを負うとは思わなかったのだ。



 その隙にサナは接近し、大きな目玉に蛇双をぶっ刺した!!



 ブスッ!! ザクザク びちゃっ


 根元まで完全に刺さった蛇双を体重をかけて押し込んでいくと、目玉が切れ、ドロッとした液体がこぼれ落ちる。



「ッ―――!!」



 攻撃を受けたリザラヴァンは、激しくのた打ち回る。


 これだけ目立つ大きな部位だ。やはり弱点だったようである。




「…ごそごそ」



 その間にサナはクロスボウを取り出し、爆発矢を発射。


 矢はドスッとリザラヴァンの足下、地面に突き刺さる。普通に撃っても皮膚に刺さらないので、あえて地面を狙ったのだ。


 しかし、それで終わらない。


 すかさずサナはクロスボウを投げ捨て、もう一本の爆発矢がセットされたクロスボウを取り出し、放った。


 それは地面には突き刺さらず、相手の顔に向かって撃つ。



 まず一本目が―――爆発


 それと同時に、今撃った二本目がリザラヴァンの眼前で―――誘爆。



 ドカドカーーーーンッ!!



 大きな爆発が同時に二回起きた。時間差を利用したダブル同時爆破である。


 大納魔射津は比較的衝撃に強いが、限界以上の強い衝撃を与えると誤爆する可能性があり、それが同じ術式であればさらに誘爆の危険性は高まる。


 サナはそれを利用し、一発目の爆発に合わせて二発目を撃ったのだ。


 狙いは見事成功。


 土煙が晴れて姿を見せたのは、前足と顔の一部がかなり損壊しているリザラヴァンの姿だった。


 木っ端微塵に吹っ飛ばないあたりが、さすが討滅級魔獣である。まだHPは四割近く残っている。



「ギュッ…ギュッ」



 そして戦闘意欲も失っていない。まだやる気だ。


 この魔獣は待ち伏せタイプだが、自ら積極的に狩りをする習性があるので好戦的なのだ。


 それが訓練によって死ぬまで戦うように教えられているので、普通の荒野の魔獣のように簡単に逃げ出したりはしない。


 ただでさえ耐久力が高い魔獣を人間が操るというのは、これほど怖ろしいことなのだ。ジングラスの秘術になるだけのことはある。




 サナはダメージを負ったリザラヴァンにとどめを刺そうと、爆発矢がセットされたクロスボウを取り出した。


 大納魔射津はまだ少しあるが、爆発矢はこれで最後だ。ここで決めなければならない。


 リザラヴァンは動かない。もう一つの目がぎょろぎょろ動き、サナを牽制しているだけだ。


 もしかしたら、もう動けないのかもしれない。ならば、ここが最大のチャンスである。



「…じー」



 じっと見据えてクロスボウを構える。かなり皮膚が削れているので、このまま撃っても肉に刺さるだろう。


 これで終わりだ。


 そう思って放とうとした時である。




―――ピタピタ




「…っ」



 感情表現に乏しくいつも静かなサナであるが、この時ばかりは驚きのあまり目を見開いた。


 彼女だって常に周囲を観察しているわけではない。人間の目は前方に二つしかないのだ。観察できる範囲には限界がある。


 これは油断ではない。どうしようもないことなのだ。




 最大の誤算は、【その個体】が―――『完全環境同化』スキルを使用していた、ということだ。




 どひゅんっ



 サナの背後から舌伸び―――



 ドガッ メキィイイイッ



 左肩に直撃。



「っ…っ……」



 軽々とその小さな身体が浮き上がり、地面に叩きつけられ、ごろごろと転がっていく。


 完全無防備なところに背後から受けたものなので、受身も満足に取れなかった。クロスボウも離れた場所に転がっていく。



 ジジジジッ



 そして、背後から【もう一匹のリザラヴァン】が姿を現した。



 リザラヴァンは【二匹いた】のだ。


 一匹しかいないとは誰も言っていない。この魔獣は「つがい」で動く習性があるので、通常は二匹一組で狩りをする。


 ジングラスもその習性を利用して、常に二匹同時に使っている。今回も同時投入をしていたのだ。


 一匹が見つかった場合、もう一匹は『完全環境同化』スキルを使い、様子をうかがう。これもまた彼らの優れた狩りの本能である。




 ピタピタ


 新手のもう一匹がサナに向かってくる。


 むくり


 敵の射程距離に入る前にサナが立ち上がった。ダメージは受けたが警戒は緩めていない。



「………」



 相変わらず声はない。


 されど、その左肩は右肩と比べて、少しだけ垂れ下がっていた。折れてはいない。脱臼したのだ。


 リザラヴァンの舌攻撃を受けて脱臼程度で済むことは幸いだ。戦気を放出していたことと耐力壁の『物理耐性』の効果が如実に出た結果だろう。


 もし戦気なしの彼女だったならば、左肩が粉々に吹き飛んでいた可能性がある。



「…ふー、ふー、さわさわ」



 肩の脱臼は痛い。外れ方によっては叫ぶこともある。


 だが、呼吸は荒いもののサナはまったく声を出さない。違和感だけは感じるのか、軽く撫でるだけである。


 彼女は、痛みを痛みとして感じていない。それが痛みであることを知らない。だから観察する。



「…じー」



 これが痛み。身体の痛み。脱臼する痛み。


 狐面との戦いでも頭部に強いダメージを受けたが、今はその時よりも少しばかり、はっきりと痛みを痛みとして認識できる。


 これもわずかばかり意思が生まれたからだろうか。



「ギュギュッ!!」



 その様子を見て何かを感じたのか、新手の個体を押しのけて身体が損壊した最初のリザラヴァンがサナに向かってきた。


 失われた前足を岩にこすりつけるように移動している。魔獣にだって痛みはある。かなりつらいはずだ。


 では、なぜそこまでして移動してきたかといえば―――


 ぎょろっぎょろっ!!


 大きな目がぐるんぐるん動いて、サナを睨みつける。



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