297話 「〈黒き雷狼〉の目覚め 前編」


「…じー」



 サナの目が、リザラヴァンがいるであろう場所を観察する。


 そこにいるとわかっているからこそ、なんとなくわかるのであって、もし知らなかったら気付かないに違いない。遠くからなら、まず発見は不可能である。


 ジジッジジジッ



「…っ」



 サナの耳がノイズ音を捉える。


 にょろっと何もない空間から舌が飛び出て―――



 どひゅんっ



 サナに向かって飛んできた。


 その速度は実に恐ろしいもので、放たれてから一瞬でこちらに到達する。


 この魔獣も地球のカメレオン同様の構造をしていて、舌には骨があって尖端が丸く膨れており、それを筋肉のバネで打ち出す仕組みになっている。


 魔獣の筋組織は人間とは比べられないほど強い。それが一気に押し出されれば、まさに弾丸と変わらない速度になる。


 サナは回避動作。咄嗟に身を屈める。



 バッゴンッ ビギッ



 舌はサナの頭上を通り過ぎ、岩に激突。ビシビシと亀裂が入った。


 もし当たっていれば、サナの防御力ならば最低でも骨折は免れないだろう。反応できたのは音がしたことと、一瞬でも舌先が見えたからだ。


 リザラヴァンのスキルには効果範囲があり、自身の周囲半径一メートルを超えるとスキルの効果が消えてしまう。


 舌を飛ばす以上、攻撃する際にはどうしてもその部分が範囲から出てしまう。その時に通信障害の音も出てしまうのだ。


 本来は透明化したあとに物陰に潜んで獲物を狙うので、少しくらい見えても問題ないのだが、こうして対面してしまうと対処が可能になるのも弱点だろうか。



 だが、相手が見えないことには変わりはない。それだけでも脅威である。


 トトトトッ ぴょんっ


 サナは足を止めずに走り、危なくなったら逃げ込むために位置を覚えておいた岩にジャンプ。


 賦気によって強化された脚力は、自身の身長よりも高い岩を軽々飛び越える。



 ジジジッ ドヒュンッ パキンッ



 その直後、サナがいた場所に再び舌が飛んできて、岩に亀裂が入った。


 少しでも足を止めていたらやられていた。これもアンシュラオンの教えに従ったから回避できたことである。



 岩に隠れたサナは、足音を聞き逃さないように耳に神経を集中させる。



「…ふっ、ふっ、ふーー」



 呼吸が荒くなる。心臓が激しく鼓動していく。


 恐怖を感じているからではない。あらゆる事態に即座に動けるように身体が環境に順応しているのだ。


 緊張を感じた際、人によっては深呼吸したいところだろうが、こんなところでリラックスしている場合ではない。


 今必要なのは適度な緊張による活性化した心臓である。


 サナの身体に急速に血液が流れていく。心臓のポンプが急稼動を始め、身体中に血液を送り出す。



 ドクンドクンドクンッ



 激しく血が送られ、サナの肉体が強くなっていく。筋肉がしなやかに、強靭になり、握力が増し、視界もさらにクリアになる。



 肉体にとって力とは【血流の強さ】でもある。



 運動すると血圧が上がっていくのも、それだけの能力を発揮するには血の力が必要だからだ。


 だからこそ肉体競技に関わる場合は、むしろ緊張したほうがいい。それは肉体性能を最大限使うための準備なのだ。


 サナの身体も緊迫した現状に対応するために、最大限のポテンシャルを発揮しようとしているのだ。



 ピタピタ ピタピタピタッ



 リザラヴァンが追ってくる音が聴こえる。


 サナはポケット倉庫から銃を取り出すと、近くの岩に向かって一発放った。



 パスンッ ドヒュンッ バキッ



 放たれた銃弾にリザラヴァンが反応し、着弾した付近の岩を破壊した。だが当然、これは囮だ。


 サナは素早くリボルバーを回しながら次弾を装填。続けて岩場を飛び出し、さきほど足音がした場所に銃弾を撃ち込む。



 バスンッ ガンッ



 命中。石がドラム缶に当たったような音が響く。姿は見えなくても音は隠せない。そこが狙い目だ。


 衝撃を受けたリザラヴァンが、一瞬だけ見えた。


 しかし、銃弾は弾かれてしまったようだ。皮膚に軽くこすった跡が残っただけでダメージはない。


 特異なスキルが評価されたとはいえ、さすがは討滅級魔獣である。戦闘力もそれなりにあるようだ。



 ジジジッ ジュワヮッ



 すると、リザラヴァンが『透明化』のスキルを消して姿を見せた。見つかった以上、無駄だと思ったのかもしれない。


 名前に「土」が付いているせいか、よく見ると胡桃のような土色をしており、岩場の大地とあまり見分けがつかない。


 リザラヴァンは『保護色』というスキルも持っているので、透明化せずとも周囲の色を常時真似ているのだ。


 そして、『透明化』を解除したのは攻撃に集中するためである。


 攻撃する際のノイズ音が、逆に相手にタイミングを教えていることを知っているのだ。


 魔獣という生き物は、不思議なことに生まれながらに自分の才能やスキルを本能で知っている。どう戦えば最大限の効果を発揮するか理解しているのだ。


 そこで今は隠れることよりも正面から叩き潰すことを選択した。サナが弱いことを理解したようだ。




 ピタピタ トットッ



 リザラヴァンが歩を進め、サナが敵を見据えながら少しずつ下がる。


 体躯は魔獣のほうが大きいため、じりじりと両者の距離が縮む。



「…ふっ、ふっ、ふっ」


「………」


「…ふっ、ふっ―――っ」



 バシュンッ


 サナが息を吸った瞬間に舌が伸びてきた。


 人間は息を吸ったときに無防備になりやすい。よく対人競技で相手の呼吸を読めといわれるのはそのためだ。


 魔獣は本能でタイミングを計る。この瞬間が一番攻撃を当てやすいと知っているのだ。


 だが、すでに全身の筋肉を稼動状態にしていたサナは、突然の攻撃に対しても反応。


 ザシュッ


 舌が革鎧を掠めながらも回避に成功。


 呼吸をする際に、すでに回避の状態に入っていたのだ。だからギリギリで間に合った。



「…じー」



 サナはけっして相手から目を離さない。同時に周囲の気配を探ってもいる。





―――「サナ、戦いで重要なのは相手をよく見ることだ。攻撃するときには必ず何かしらの予備動作がある。それを見抜くんだ。だが、相手が一人であっても周囲を常に見張るのを忘れるな。まだお前は弱いからな。足場が悪くてバランスを崩しただけでも危険だ。次に移動できる安全な場所を最低でも三つは見つけておくんだぞ。目じゃない。感覚を広げる感じで周囲を探れ。肌で地形を感じ取るんだ」





 正直、子供に教えるには内容が高度すぎる気がしないでもない。こんなことは達人レベルでしかできない芸当だろう。


 それでも意識させるとさせないとでは成長が違ってくる。戦いに関する知識はとても重要だ。知っておいて損はない。


 しかも覇王である陽禅公から戦闘技術を叩き込まれたアンシュラオンの言葉である。


 超一流の武人が自らの体験によって得た『極意』や『奥義』を惜しげもなく教えているのだ。



 それはまさに―――至宝。



 何もない少女に与えられたのは、誰もが羨む白き魔人による戦いの英才教育である。


 そして、サナだからこそ最大限に吸収できる。宝物にすることができる。


 他方、サリータのように教えられても理解できなければまったく意味がない。猫に小判、豚に真珠である。


 アンシュラオンとサナが出会ったのは、まさに運命。


 【宿命の螺旋】において、二人は出会うべくして出会ったのだ。




 すべてを吸収する黒き少女は、至言を迷わず実行。


 できるかできないか、ではない。やるのだ。言われた通りに。生き残るために全力で。


 ブワッ ブワワッ


 サナの感覚が自己の体表だけではなく、ほんの少し、本当にわずかに広がっていく。



 自分の意識が皮膚を離れて、大気に触れている感覚。



 視覚では何も見えないものの、そこには【大気の触感】が存在し、場所によってさまざまな成分の違いがあることまでわかってくる。触れた感覚がすべて微妙に違うのだ。


 それはまだ五十センチから一メートルといった程度の距離でしかないが、周囲の状況がなんとなくだが理解できる。



 左後ろには岩があって、その下には窪みがあるので足を取られたら危険だ。


 真後ろは平らだが、横から小さな石の突起が飛び出ているので、後ずさりするときは注意が必要だ。


 逃げ込むのならば右後ろにあるスペースだろう。そこには盾にできそうな岩がある。飛び越えることも可能だ。



 そんな情報がサナに与えられる。目で見なくても背後がわかる。



 そう、これは―――




―――波動円




 アンシュラオンが日常的にやっている技であり、ガンプドルフのような優れた武人もけっして疎かにしない基本の技だ。


 そして基本だからこそ、もっとも重要な技である。これが使えると使えないとでは生存率がかなり変わってくる。



 今、サナは波動円を展開していた。



 ほんのわずかだが、それでもりっぱな技である。


 波動円は【戦気】を薄く伸ばして放射する技なので、今のサナでは使えないはずである。


 しかし、賦気でもらったアンシュラオンの戦気が微弱に影響を及ぼし、この極限状態でサナに力を与えている。


 自分より強い相手に追い詰められているという情報が、血液内部にある武人の因子に伝達されていく。


 本能は生存するために肉体能力の向上を図る。その結果、いまだ覚醒していない因子にまで食指を動かそうとする。


 「なんだ、まだこっちには先があるじゃないか」と、打開策を求めていた本能が手付かずの因子を発見していくのだ。



 これこそがアンシュラオンの目論見。武人の成長。



 武人という生き物は、死闘を経験すればするほど強くなっていく。サナにとっては、それが今という瞬間なのだ。



 どひゅんっ


 再びリザラヴァンから舌が放たれる。



「…!」



 サナの全身の感覚はさらに伸びており、舌が出る瞬間を捉えた。


 それと同時に反射的に腕が動き、術符を発動。


 前方に透明な【盾】が複数生まれ―――舌を受け止める。



 ドゴンッ バリバリンッ!!



 盾は破壊されるが、それによって舌が大きく減速。余裕をもってよけることができた。


 サナが使ったのは術式シールドを展開する『無限盾』の術符だ。ちょっと懐かしいが、荒野で出会ったブルーハンターのシーバンから奪った術符である。


 これはその時に奪ったものではなく、そちらは実験用に使い、今使ったものは改めてコッペパンで仕入れたものである。


 耐力壁とは違って一定ダメージを完全に肩代わりしてくれるので、なかなか便利な術式である。


 ただ、こうして砕けてしまえば一回限りでなくなるため、金がない者には割高な術式ともいえる。



 トトトッ ザザッ


 サナはその隙に背後に駆け出し、波動円で確認していた岩場に滑り込む。それから岩をぴょんぴょんと跳ねて移動。


 ピタピタ


 リザラヴァンは追ってくる。


 岩場にがっしりと鉤爪を食い込ませつつ、肉球を石に密着させて滑り止めにして機敏に移動してきた。


 このピタピタという音は、その肉球が岩に吸着する際に出る音のようだ。これは音を消すための器官ではなく、岩に張り付くためのものらしい。


 また、命令を受けているせいもあってか執拗に追ってくる。狭い隙間でも身体を強引に捻じ込んで入ってくる。



 タタタタッ


 サナが隠れていた岩場から飛び出し、走る。再び追うリザラヴァン。


 強化されているとはいえ、まだ覚醒しきれていない普通の少女である。追いかけっこになれば、どうしても分が悪くなる。


 こちらから攻撃する手段が限られているのも痛い。すでに銃弾も弾かれている。


 こうした相手には爆発矢を使いたいところだが時間起動なので難しいし、術符だって常に舌で狙われていると発動は大変だ。


 射線を確保した瞬間には舌が襲ってくる。相打ちになれば耐久力の低いサナが圧倒的に不利である。


 仮にサリータがいたとて結果は変わらないだろう。むしろ最初の一撃でノックアウトされる可能性が高い。


 通常ならばブラックハンターでしか討伐できない討滅級魔獣なのだから、こうなるのも当然の結果だ。



 ピタピタ ピタピタッ ドンッ



 逃げていたサナの背が、岩にぶつかる。この先は行き止まりだ。


 ついにリザラヴァンがサナを岩場の隅に追い込んだ。もう逃げ場がない絶体絶命のピンチである。


 ただ、舌の攻撃は出してこない。何度も避けられているので慎重になっているようだ。



 その代わりに舌がベロンと飛び出ると、尖端がぶくっと膨らんだ。



 尖端は獲物を捕らえるために丸い吸盤のようになっているが、実はそこは【穴があいた空洞】になっている。



 その穴から―――炎が噴き出た。



 仕組みとしては、前にサナが倒したヘビーポンプの火炎放射と同じである。


 体内に可燃性の体液を蓄えておき、それを発射時に引火させて噴出するのだ。


 リザラヴァンの攻撃方法は、大きく分けて二つ。


 一つが舌での攻撃。二つ目が炎での攻撃だ。後者は動きが速くて捕まえられない相手を弱らせるために使うことが多い。


 アーブスラットからは対象を生かしたまま捕獲するようにと命令されているが、いかんせんギロードと違って頭の悪い魔獣である。その細かい意図までは理解していない。


 そもそも魔獣に他種族を労わる気持ちなど存在しない。


 とりあえず生きていればよいのであって、身体を焼くくらいは問題ないと思っているのだろう。


 このあたりもアーブスラットが最後まで使いたくなかった理由である。あくまで敵を処理するための魔獣であり、そういった微妙な加減ができないのだ。



 ブオオっと火炎が放射され―――サナを焼く。



 逃げ場がないサナは、大きく広がった炎を受け続けるしかない。


 これだけの炎を受ければ、人間の皮膚など数秒も経たずに焼けただれるに違いない。


 サナにとっては、いや、女性にとっては最悪の魔獣であろう。髪の毛を焼かれただけでもショックは相当なものだ。



 だがしかし―――




 服が燃え、肌が焼―――かれない。




 炎を何秒受けてもサナはそのままの姿勢で黙って立っている。


 いくら感情が乏しいサナとて、もう少しリアクションがあってしかるべきだ。


 仕方がない。



 だって、これは―――【幻】だから。



 ボワワンッ


 次第にサナの姿が薄れていき、最後は煙とともにボワンと消えた。忍者漫画で分身が消えるシーンに似ている。


 そう、これは偽者。


 岩に隠れていた際にサナが『分身』の術符を使って生み出した幻影だ。それを囮にして食いつかせたのだ。



 では、本物の彼女はどこにいるかといえば、背後。



 獲物を攻撃して完全に無防備になっているリザラヴァンの背後に回り、術符を構えていた。



 ドドドドッ ドバーーッ ザクッ!!



 水刃砲の符が炸裂。


 背後からリザラヴァンを切り裂いていく。皮膚を切り裂き、青い血が流れる。


 サナは続けて、二発三発と水刃砲を連続発射。



 ドバーーッ ドバーーッ ザクザクッ



 水刃砲は同じ箇所に当たり、皮膚が大きく抉れる。さすが術符だ。しっかりとダメージが入っている。



 ぎょろり



 しかし、後ろを振り向いたリザラヴァンが本物のサナを視認。不気味な瞳が光る。




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