296話 「サナに迫りしもの」


 サナは岩場の陰でじっと身を潜めている。


 ここは複数の岩が重なっている場所で、その間に比較的大きな隙間が生まれているので、サナならば十分に大の字で寝られるほどのスペースがある。


 外側からならば岩しか見えないため、ここにいれば目で見るタイプの魔獣に発見される心配はないだろう。


 しかし、【彼】に言われたことを思い出す。





―――「サナ、外に出たら油断しちゃいけないよ。もしお兄ちゃんと離れることがあったら常時周囲は警戒すること。隠れている場合は、耳をそばだてるんだ」





「…こくり」



 誰もいない場所ではあるが、すぐ傍であの人が話しているようにはっきり聴こえた。


 不思議だ。他の人間の言葉はぼやけて聴こえるのに、あの人の声だけは自分の中に染み入ってくる。


 それがどんな言葉でも、自分を労わる優しい言葉であっても、あるいは敵を罵る言葉でも心の中に残るのだ。


 自分は頷くことで、それを受け入れる。すると言葉は光となって中に入ってくる。



 自分の中の真っ黒な世界において、その光は貴重だった。



 この空間は非常に安定しており、波風一つ立たないことが多い。外部で何が起きても中身には届かないのだ。


 だから殴られて身体がダメージを受けても、その感触が伝わってこない。まるで映画を見ているかのように他人事に思えてくる。


 でも、ここにはあの人が生み出した白い球体がいくつもあり、それらが互いに触れあいながら振動するたびに音を出す。


 綺麗な音を出したり耳障りな音を出したりと、さまざまな色合いを生み出し、自分の中の世界を彩っていく。



 ドクンドクンッ ドクンドクンッ



 その音、あの人の言葉を聞くと、心臓の鼓動がいつもより大きく、多くなる。


 なぜそうなるのかわからないが、嫌いなものではない。むしろ包まれるようで安心感を抱く。



 サナはアンシュラオンに言われた通り、耳をそばだてて周囲を警戒する。


 ビューー ビューーー


 今はまだ昼の三時過ぎといった時間帯だ。風が吹き荒れ、かすかな日の明かりと砂埃が外から入り込んでくる以外、特に変わったことはない。


 都市から離れた荒野の真っ只中である。人が通りかかる可能性は、ほぼゼロに近い。通りかかっても、まさか岩場に少女が隠れているとは思わないだろう。


 波動円を使えば見つけることもできるだろうが、こうも障害物が多いと見分けるのがなかなか難しいものだ。



 波動円には段階があり、普段使うのは大雑把なレーダーのようなもので、そこに何かあるかどうかを調べるためだけに使われる。


 普通は有機物か無機物かどうかの判断まではしない。仮に対象が動いていれば生物だと判断できるので、それで十分なのだ。


 さらに上の段階にいけば、アンシュラオンが領主城でサナを探したように、相手の細部までスキャンして特定の人物を発見することまでできるが、それを荒野で使う者はまずいないだろう。


 こうしてサナがじっとしていれば、よほどの使い手でない限り、普通の波動円で感知するのは難しいというわけだ。


 つまり、ここは安全である。




 身体が休息を欲していたため、サナはしばらくこの場で休むことにした。


 アーブスラットとの戦闘は非常に高い負荷がかかるものだった。命気足はサナの神経と結びついていたため、動かすだけで視神経を酷く消耗させる。


 相手のプレッシャーも強く、少しでも気を抜けば突破されるおそれもあった。あの槍足の一撃も刹那のタイミングが必要だったため、サナの神経を相当磨耗させたものだ。


 まだ少女。まだ子供。


 アンシュラオンと出会う前は、本当にただの子供だったのだ。高い集中力を長時間維持することは、やはり難しい。



「…こくり…こくり…」



 ついつい眠くなるが、荒野で眠る際は気をつけろとも言われているので、なんとか身体を制御する。



「…ふー」



 岩に寄りかかり、深く息を吐く。身体の回復を早めるために深呼吸をしているのだ。


 これも『練気』の練習法の一つで、暇があったらやるように言われていることだった。


 深呼吸を続けていると、ぼーっとしてくる。


 通常の瞑想は、こうして深い呼吸を続けることによって肉体の活動を一時的に弱め、霊的意識を覚醒させることで外部の力を多く取り入れる。


 練気も呼吸によって外的な力、神の粒子や生命素を多量に取り入れて力にする行為なので、瞑想と原理は似ている。


 まだ体内には命気が残っているので、その効果もあってか少しずつサナの身体が回復していった。


 こうして待っていれば、そのうちアンシュラオンがやってくる。言われた通り、サナはそれをひたすら待っている。



 その健気な様子は、まるで飼い主を待つ子猫だ。



 こんな姿を見たらアンシュラオンは悶え死ぬ。あまりの可愛さにすぐに助けてしまうに違いない。


 だからこそ彼自身がやってこないことに意味があるのだ。




―――ピタピタ




 そんな時である。何かの音が外から聴こえた気がした。



「…? …じー、きょろきょろ」



 不審に思ったので少しだけ顔を外に出して周囲を見回すが、何もいない。見えるのは荒れ果てた岩場の光景だけだ。


 ここは全体を見回せるような少し高い岩場かつ、複数の脱出ルートがある場所を選んだので、今逃げてきた方角もばっちり確認できる。


 追っ手はいない。あの老執事は追ってきていないようだ。おそらく戦罪者が文字通りの命がけで戦ってくれているのだろう。


 アーブスラットはとても広い範囲を捜索できるので、少しでも姿が見えればさらに移動を開始しなくてはいけない。


 だが、今はまったく姿がないので、その心配はないだろう。



 ピタピタ



 それでも音はなくならない。それどころか少しずつ近づいてきているようにさえ思える。


 すっと、サナがポケット倉庫からクロスボウを取り出す。





―――「サナ、たとえ何も見えなくても、何かおかしいと思ったら武器を構えるんだ。すぐに攻撃できる状態にしておくことが重要だ。間違って味方を撃ってもいい。何もしないよりはいいんだ。常に自分の身を守ることを優先するんだよ」





 また隣で彼の言葉が響く。すっと心の中に入ってきて、言いたいことが全部理解できる。


 自分にとってこの声は、まさに【導き】だ。


 これに従っていれば、まず悪いことには遭遇しない。彼の声は自分を守ってくれるものだ。



 その導きに従い、違和感を感じたサナは武器を構える。



 装填しているものは爆発矢ではなく普通の矢だ。あれは五秒という時間が必要なので咄嗟の時は不便である。


 最近は強い相手が多かったので出番は少なかったが、普通の矢でも抹殺級以下の相手には十分な威力がある。


 誤爆の危険もないので、最初に使うにはうってつけだろう。



「………」



 警戒して様子をうかがっていると、音はしなくなった。


 もしかしたら近くに地下水源があって、水が漏れている音だったのかもしれない。


 あるいはそこに魔獣と呼ぶにもおこがましい小型の動物がいるのかもしれない。


 そんなことで神経をすり減らしていれば、並の人間では長くはもたない。緊張の連続に心がもたないのだ。


 されどサナには恐怖という感情自体が存在しない。警戒はしているが緊張はしない。


 淀みも濁りもない目で、素直に周囲をただただ見つめる。淡々と観察を続ける。



 だからだろうか。


 そんな純粋な目だったからこそ、【ソレ】に気付けたのだろう。




―――外の岩場で、キラリと何かが光ったのが見えた。




 ほんの小さな反射の輝き。少しでも他の場所を見ていたら気付かなかったであろう、かすかな光。


 これは黒き少女だからこそ見つけられたものであり、最初から警戒していたからこその発見である。



 その光が―――伸びた。




「…っ」



 サナは咄嗟にクロスボウを放棄して横に飛び退いた。


 バキンッ ドガッ


 直後クロスボウが粉々に砕け散り、背後にあった岩に何かがめり込んだ。


 もしその場にいたら彼女も無事では済まなかっただろう。クロスボウを構えていては回避は不可能だったに違いない。


 このクロスボウを捨てるという選択肢を取ったのも、アンシュラオンの言葉のおかげだ。





―――「サナ、緊急の行動を選択した時、邪魔になるものは全部捨てるんだ。武器だって例外じゃないぞ。特に銃やクロスボウなんて山ほどあるんだ。いくらでも捨ててかまわない。それより身の安全を最優先にするんだ。当然、物だけじゃなくて人間も同じだ。邪魔だったら捨てるんだぞ。一番大切なものは自分の身だ。わかったね?」





 さきほど戦罪者を見捨てたのも、そうした助言によるものだ。


 自分が生き残るためならば何を犠牲にしてもいい。それを徹底させたがゆえの生存である。


 逆に言えば小さなサナには、その選択肢しかないのだ。


 命気足のない彼女は、なんと矮小な存在だろうか。武人としてもまだまだ「萌芽」の段階で、咲き乱れるには何年、何十年の時間が必要だろう。


 アンシュラオンが傍にいない。たったそれだけで無防備になる。この魔獣溢れる荒野においては小動物と同じく最弱の部類である。


 ひとたび外に出れば、すべてが弱肉強食。強さこそが絶対のルールとなる。


 その中で人間の子供が生きていくことは非常に難しい。



 だが、彼女には【知恵】がある。



 モヒカンに簡単に捕まった時のような無抵抗の子供ではない。


 今のサナにはアンシュラオンから教えられた戦いの知識がある。ただ黙ってやられる存在ではないのだ。




「…さわさわ」



 サナが革鎧の内側を探ると、紙の感触がした。


 ここには術符が貼り付けられており、仮にポケット倉庫をなくしてもいつでも使えるようにしてある。


 こういう場合はいちいち取り出している余裕がないので、こちらの緊急のストックを使う。これもグランハムがそうしていたのを見て、それをコピーしたのだ。


 ザッ トトトトッ


 サナは風鎌牙の術符を取り出しながら、狭い岩穴を飛び出る。





―――「サナ、一度見つかったら走り続けて止まらないことが大切だ。そうじゃないと狙い撃ちにされるからね。走りながらクロスボウや術符が起動できるように訓練するんだぞ。ただ、出たところを狙ってくるやつらもいるから注意が必要だ。死角は必ず何かを壁にしながら守って、射線上に集中できるようにするんだ」





 その言葉の通りサナは背後を岩場でカバーしながら、今攻撃が飛んできたあたりとの射線を確保し、走りながら術符を発動。


 風の鎌が生まれ、その場所を攻撃する。



 ズバババッ!! ガリガリガリッ!



 風が向こう側にあった大地と岩を切り裂いていく。まるでサナが勘違いをして、何もない空間に術符を放ったようにさえ見える。


 されど風鎌牙は周囲にも影響を与える術である。その一部がかすかに当たったことを見逃さない。



 ジジジジッ



 スピーカーからノイズが流れるような音を発し、蛍光灯のように明滅する存在が一瞬だけ見えた。


 大きくぎょろっとした目が付いている恐竜のような顔、ちろちろと口から出ている長い舌、がっしりと大地を踏みしめている四足と長くて太い爪、ごつごつした硬そうな皮膚で覆われている身体。



 それは全長四メートルもある―――『トカゲ』に似た何か。



 地球でいえば、おそらくは『カメレオン』と呼ばれるものに酷似したものである。


 ジジジジ


 ノイズ音が響くと、一瞬だけ見えたカメレオンが消えていく。再び隠れたのだろう。


 これによって確実に敵がいることが判明した。




 ローダ・リザラヴァン〈土炎変色蜥蜴〉。


 荒野の岩場などに生息する魔獣で、全長三メートルから四メートルほどのカメレオンのような生物である。



 特徴は言わずもがな、『透明化』の能力である。



 光学迷彩のように周囲の地形とまったく同じ色彩を写し取り、透明になったように見えるのだ。


 現在使っているのはこの能力で、角度によってはわずかに色彩が異なって見える。サナはそれを見破ったのだ。さすがの観察眼である。


 ただし、この能力はまだ第一段階。次の段階に至れば完全に気配を消すことも可能となる。



 消費BPが異様に高いので普段は使わないものの、アンシュラオンの波動円すら誤魔化すことができる『完全環境同化』というスキルである。



 これは周辺環境にある物体の触覚や音響データを完全に写し取るもので、波動円による探知を完全に封じることができる。


 音響も真似るので、ソナータイプの探知方法も通用しない。近くにいれば周囲にある物体との違和感で看破も可能だが、距離があれば見分けるのは難しいだろう。


 だが、これらのスキルにも弱点がある。


 今サナにやられたように、ダメージを受けた際は読み取り通信に障害が発生するので、一時的にスキルが停止するというものだ。


 また、自分の足音や行動に伴う音までは消せないため、探知を完全に誤魔化すには動かずにじっとしている必要がある。


 手当たり次第に周囲を攻撃されても効果が薄いスキルなので、けっして万能とはいえない。


 が、それでも厄介であることには変わりはない。特に初見では、情報を知らなければ防ぐことはできないだろう。


 そのスキルの特異性から、この魔獣は第三級の討滅級魔獣に指定されている危険な魔獣だ。



 そしてもっとも重要なことは、彼らの生息域がもっと西部の未開発エリアであるということだ。


 ここは荒野ではあるが、ギリギリ警戒区域には入っていない場所だ。そんな場所に彼らがいることは不自然でしかない。



 であれば、これが―――奥の手。



 ジングラスが保有する魔獣であり、アーブスラットが放った刺客である。


 彼は決闘が始まる前の段階で、リザラヴァンを少し離れた場所に配置してあったのだ。


 サナを確保しても波動円でアンシュラオンに追われては意味がない。捕まえた彼女をこの魔獣の能力で隠すために用意していたものだ。


 あくまで保険。予備の存在。ここで投入する予定はなかった。


 それに頼らねばならないのは不本意だっただろうが、これもまた準備を怠らなかった者だけが手にする幸運でもある。


 本来はリザラヴァンもプライリーラの支配下にあるものなのだが、追跡者の掃除等、主に裏の仕事に使われるので普段からアーブスラットが管理している。


 だからプライリーラは、このことを知らない。


 そもそもこの魔獣は前当主のログラスから支配権を託されているものなので、プライリーラの守備範囲外のものだ。


 彼女はアイドルである。裏の仕事を無理に知る必要はない。



 ピタピタ



 姿を消したリザラヴァンが、サナに迫る。



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