276話 「アーブスラットの思案」


「リーラ様、あれでよろしかったのですか?」



 アーブスラットが、ドレスを脱ぎ捨てていつものスーツ姿になったプライリーラに話しかける。


 すでにアンシュラオンたちは船を降りており、この場にいるのは二人だけだ。


 都市付近までクルマで送ると言ったのだが、「妹の修練にちょうどいいから」と、それを断って荒野に消えていった。


 ジングラス側も他の組織との接触の可能性があるので、当人がそう言うのならば受け入れるほうが得策であった。


 すでに日は落ちている。警戒区域に近いこのエリアには、第三階級の討滅級クラスの危険な魔獣も徘徊する時刻である。


 普通のハンターならば、仕方のない野営を除いて絶対に都市外には出ないだろう。


 が、ホワイトハンターである彼には、そんな常識は通じない。むしろ好都合と意気揚々と出て行ってしまった。


 そんな自由な姿に、憧れと同時に一抹の不安を感じたのだ。



「よいも悪いも相手が断ったのだから仕方ないだろう。あれしか手は残されていなかったよ」


「これもソブカ様の手の内かもしれません。最初から彼はこちらと手を組むつもりはなかったのではないでしょうか。情報だけ訊き出すのが目的だった可能性もあります」


「どうだろうな。断るまではそれなりに悪くない手応えだった。ただ、グマシカ氏の情報を聞いてから様子が変わったな。マングラスが手ごわいのは知っているが、そこまで怖れるものだろうか?」


「何時も慎重な者ほど怖ろしいものです。彼はあれだけの力を持ちながら、けっして慢心しない。常に警戒しながら動いている。それだけ自分の弱さを知っているのでしょうな」


「あのホワイト氏が? 何を怖れるというのだ?」


「あの口ぶりからすると、彼は自分より上の存在を知っているのでしょう。あるいはその存在に何かしらのトラウマを植え付けられた結果、あのようになっている可能性もあります。スレイブを求めるのはその捌け口と思われます」


「ふむ、反動…か。自分がやられたから他人にもそうする、というのは往々にしてよくあることだ。あまりよいことではないが…それもまた人間かな。それ以上に、あのホワイト氏にそれだけのことができる者がいるのが怖ろしいがね」



 アンシュラオンの中には、パミエルキへの恐怖が刻み込まれている。


 明らかに弱い相手やデアンカ・ギース程度には余裕は崩さないが、それ以上の相手になると慎重になるものだ。


 つまりアンシュラオンは、「グマシカたちを四大悪獣以上の脅威と定義した」ということだ。



 そしてプライリーラは、そのグマシカに対抗できないと判断された。



 たしかにマングラスは甘い相手ではない。それは知っている。それでも覚悟を決めて戦うつもりでいたのだから、プライリーラのショックは大きい。


 しかもアンシュラオンは、自分をソブカよりも下と断じたのだ。その点が一番不愉快である。



(私がソブカ氏に劣るとは思えない。もちろん悪巧みでは彼には及ばないが…武人としての実力に問題はないはずだ。ならば私を選ぶべきではないのか? …やはり軍という言葉を危惧したのだろうか? それともそれ以外の要素か? …わからない。なぜ彼は私を選ばなかったのだ)



 選ばれない、というのはつらいものである。


 オーディションであれ交渉であれ、相手に選択権がある状況でそうなれば、どんな人間でも多少なりに傷つくものだ。


 強がっていても、やはりショックはショックである。それが【乙女】ならば、なおさらだろう。


 プライリーラもまた複雑な要素の集合体である。


 凶暴な獣でありながら総裁としての責任感があり、アイドルとしての正義感と倫理感があり、それでいながら乙女の純粋さを持っている。


 否定された部分はその一部なのだろうが、全体として力不足と判断されたことには違いない。


 そこで少しばかり自信が揺らぐ。



「爺、私は間違っているか? 今回の策は失敗だったか?」


「いえ、そんなことはありません。ジングラスの総裁として、やれることはすべてやっております」


「父上ならばどうしただろう? もっと上手くやっただろうか?」


「むしろログラス様ならば、打てる手はもっと弱かったでしょう。戦獣乙女という戦略もリーラ様だからこそ可能だったもの。そうでなければマングラス側に好きにやられていたでしょうな。マングラス主導の制裁が決まり、我々は蚊帳の外であったと思われます。ただのやられ損、というわけですな」


「では、なぜこうなる? 打った手がよくても負ければ意味はない」


「僭越ながら申し上げれば、【状況が異常】なのではないでしょうか」


「…? どういうことだ?」


「私がこの都市に来て四十年近くになりますが、記憶している限り、ホワイトハンターが滞在したことはありません。また、ここまで都市内が荒れたこともありません。少なくとも単独の勢力にここまで圧迫されたことはないでしょう。さらにグマシカ様が全面に出てきたこともございません。ましてやデアンカ・ギースが都市の近くに出没し、それが倒されるなど…異常中の異常ではないでしょうか。西側の接触もその一つです。今までグラス・ギースに目を付ける者はいても、いずれも魔獣が理由になって頓挫しているはずです」


「…言われてみれば、その通りだね。時代が急速に動き出している。それはグラス・ギースに限ったことではない。南の入植が進んで勢力図が塗り変わろうとしている。当然ホワイト氏自体も異端ではあるが、全体的に起こっている異常事態の中の一つというわけだな。個別に見るのではなく全体で見るべき、か」


「いつまでも災厄の再来だけに目を奪われているわけにはまいりません。外部の変化に目を向けない限り、グラス・ギースに未来はありません。一番の敵は魔獣ではなく、いつの時代も人間でございます」


「四大悪獣だけでも手一杯だというのに、内部もこんなありさまだ。そのうえ外の変化にも対応しなくてはならないか。あまりに困難な道程だな。だが、だからこそホワイト氏の力は必要だ。外部の人間だろうが有能な人材は積極的に取り入れねばなるまい。…この勝負、勝てると思うか?」


「あのような勝負を言い出したのです。勝算があってのことでしょう。慎重で狡猾な彼は負ける戦いはしません。これは断言できます」


「そうか。私では腕の一本すら取れないと…そこまで低評価をされたわけか。…さすがにショックだな。爺から見て、彼はどうだ?」


「凄まじい達人です。いえ、もはや達人を超えている可能性が高いでしょう。最低でも王竜おうりゅう級、あるいは魔戯まぎ級か…さらに超えるレベルかもしれません。本当にホワイトハンターなのか疑わしいほどです。最上位のゴールドハンターでないのが不思議でなりませんな」


「そこまでか…! 王竜級といえば、国家最強の筆頭騎士団長レベルだな。魔戯級はすでに人のレベルではない。そのような人材は聞いたこともないが…」


「そういった者たちは滅多に表には出てきません。国家にしても重要な人材ですから秘匿されていることが多いものです。ただ、ここは西側ほど人間の統治が進んでおりませんから、誰にも知られずに強者が存在していてもおかしくはありません。むろん、極めて稀なことですが…」



 第五階級の王竜級は、一般的な人間種が得られる最高の地位といわれているランクで、名立たる国家の最強の武人たちが該当する。


 第四階級の魔戯級ともなれば、すでに魔王城のマスター〈支配者〉たちとも渡り合える人間を超えた存在である。一部の限界を突破した武人だけが到達できる至高の領域だ。


 念のため補足しておくと、この世界に魔王はいるが西洋ファンタジーのような存在ではなく、サリータが言っていたように【人間の称号】の一つである。


 魔王城は魔王が統治する城で、世界の中心、世界地図の真ん中に存在する。地図でいえば、ロイゼン神聖王国の南にある島である。


 ただし、一応は城のような景観が存在するものの、内部は多次元によって構成されているので、無限の空間があるとされている。


 小さな城に見えても、下手をするとこの星以上の許容量を秘めているというわけである。



 魔王はそこで【マスター】と呼ばれる謎の存在を管理しているという。



 一説によれば、彼らはかつての神々の末裔ともいわれており、多くの者が人間を超える力を持っている。見た目も人間からすると奇怪なものばかりで、人によっては彼らを「鬼」やら「鬼神」と呼ぶ者たちもいる。


 といっても、見た目に反して意図的に悪さをするような者たちではない。むしろ人間よりも善性が強く、模範的で穏やかで、自然界の味方に近い存在だ。


 自然界の味方という点が重要で、人為的な大規模な自然破壊が起これば人間と対立することもあるようだが、好戦的なものは一部にすぎない。


 その強い力の大半も自然環境の維持に使われるので、人間の味方をすることも多く見受けられる。


 しかし、なぜ魔王が彼らを統治しているのかは最大の謎である。そして、なぜ人間が魔王の称号を得ているのかも謎である。


 三大権威の一つである魔王は、人外のマスターたちを管理する性質上、覇王や剣王以上に人間とは馴染みがないということだろう。住んでいる世界が違うのだから仕方がない。


 そんなマスターたちだが、人間すべてが善人ではないように、中には悪さをする者たちもいる。そういった者が外界に出没した際は大惨事となるので、各地の不吉な伝承の多くは彼らの狼藉によって生まれたものであるといわれている。



 その時、彼らを折伏しゃくぶくする者たちが、第四階級に位置する魔戯級以上の武人たちである。



 自発的に、あるいは魔王から要請を受けて強者が派遣され、密かに成敗するということが古来より行われてきた。


 そうした武闘者たちが歴史の表舞台に出ることは稀で、存在自体が知られないことも多い。世間一般では、王竜級を越える階級があることすら知らない者たちもいるくらいだ。


 知らなければそれでいい。知る必要もない。知らないところで世界の維持が行われているだけのことだ。



 ただ、中には有名な者もいる。それは目立ったというより、その人物自体が有名だったことが要因である。


 その者こそ、かつての覇王であるハウリング・ジル〈唸る戦鐘せんしょう〉。


 魔王の圧制(彼らにはそう映るのだろう)に不満を募らせ、反乱を企てた勢力が外界に出た際、単独で【鬼神軍】を壊滅させた恐るべき男である。


 この事件によって人々は改めて覇王の強さと怖ろしさを知るのである。同時に覇王への憧憬を強めることになったものだ。


 このように、世には常識を超えた武人がいる。いるが、普段は出てこないだけである。



「彼は魔獣と常に一緒だったと言っておりました。どこかはわかりませんが、そこで長年修練を積んだのでしょう。厳しい環境にあってこそ武人は強くなりますからな。世には好き好んでそうした環境に身を置く者がおります。真の武闘者とは、そういう人物を指すのでしょう。現覇王の陽禅公も表に出てこないのは、秘境で修練を続けているからという噂もあります。人嫌いとも聞きますな。まあ、陽禅公の場合は素行の悪さが有名で、あまり人里では歓迎されていなかったともいわれておりますが…」


「彼もその一人ということか。…ますます自信がなくなったな。都市しか知らない私では役に立たないというのか?」


「身内の贔屓目と言われると肩身が狭いものですが、リーラ様は王竜級に匹敵すると思っております」


「本当か? 下手な気遣いではないだろうね?」


「いえ、事実です。特に【彼女】と組み合わされば魔戯級に到達する可能性もあります。これはけっしてお世辞ではありません。そもそも強さには種類があります。特定の条件下で他を圧倒できるのならば、それは立派な強さでしょう」


「…そうだね。私たちは二人で一つだからね。扱いにくいが、それだけ合わさった時の力はすごいと思っているよ。ホワイト氏も地形条件を呑んでくれたから全力を出すことができるだろう。周りを気にせずに戦えることは大きいね」


「ですから、今回の勝負はけっして一方的に分が悪いわけではないのです。リーラ様はリーラ様で、ご自分の力をすべてぶつければよろしいでしょう」


「うむ、もはやそれしかできないのだから、遠慮なく全力を出させてもらうさ」


「それがよろしいでしょう。リーラ様自身の問題の解決にも役立ちます」


「それではなんだか、私が異常者や病人みたいではないか。ホワイト氏ほど病んではいないつもりだがね」


「はてさて、どっちもどっちといったところでしょうか。どちらも相当なものです」


「ふふ、酷いな。…しかし、ホワイト氏か、ああも簡単に言ってのけるとはな。犯罪行為を何とも思っていないようだ。私を犯す…犯す……かっ! ふふふ、くふふふ…獣が私を狙っているのか! アイドルの私に淫靡な視線を向ける輩もいたが…彼のものは格も桁も違う! あんな凶悪で下卑た獣が私の処女を奪いにくる…ふふふふ! 楽しみだな!」



 そう考えるだけで、身体が芯からゾクゾクッと震える。


 負ければ色欲たっぷりの獣に蹂躙されるだろう。逆に勝利条件を満たせば、あれだけのものを手に入れることができる。


 想像するだけでたまらない。自分の中の獣が喜んでいることがわかる。


 プライリーラも獣であり武人だ。本来は奪い合いが大好きなのだ。



「はー、はーー、我慢だ。我慢しないと…。毎日やっている自慰行為も対決まで禁止だな。鬱憤を溜めておかねば…全力で戦うために…激しくぶつかるために…! くううう! はあああ! はぁはぁ! ふふふ…ははははは!! くくくくっ! ひひひひっ!」



 目を見開き、わずかによだれも垂れている。巷で噂のアイドルとは思えない淫猥で狂った形相だ。


 それでも美しさは微塵も損なわれていない。これが本来の姿だからだ。



 それを見ながらアーブスラットは複雑な表情を浮かべる。



(ホワイトとの接触は、リーラ様にとってはどう転ぶか…。だが、どのみち長くはもたなかった。いつかは爆発していた。その時の反動が出る前に出会えたことは幸運だと捉えるべきか。だが、このままでは負けるかもしれない。それだけは避けねばなるまい)



 アーブスラットは当然ながらプライリーラの獣性には気付いていた。


 これだけの獣だ。いつか爆発すれば怖ろしい惨事を引き起こすだろう。災厄を防ぐための戦獣乙女が災厄自体になっては目も当てられない。


 なまじアイドルだからこそ世間の反動も大きくなるだろう。人気があったからこその『手の平返し』はよくあることだ。


 それよりは今のうちに爆発したほうがいい。その相手がいることは幸運である。


 しかし、負ければ戦獣乙女の権威とともに乙女まで失う。それを容認するほどアーブスラットは甘くはない。



「リーラ様、此度の戦いですが、私も参加させていただきます」


「なに? ホワイト氏とは私がやる予定だ。私の楽しみを奪…ではなく、爺まで加えればさすがに卑怯だろう」


「そのあたりはご心配なく、そちらの戦いに関与するつもりはありません」


「…どういうことだ? 何かやるつもりか?」


「いえ、単純に彼らに興味があるだけです。ですから、少しだけ文章にその旨を加えさせていただきたいのです」


「ふむ…爺には何か考えがあってのことだろう。私もそれにずっと助けられてきた。だが、本当にホワイト氏との戦いには手を出さないのだな?」


「お約束いたします。相手のほうから来たら反撃はいたしますが」


「それならばかまわないが…まあ、好きにすればいい。ホワイト氏自身が何でもやっていいと言ったのだ。そのあたりは任せるよ」


「ありがとうございます。では、書状は後ほど送っておきます」


「ああ、頼む。日程も場所も任せる。私は戦えればそれでいい…全力で…彼とね」


「かしこまりました」



 火照った心を鎮めるべく、プライリーラは静かに外を眺めていた。


 一方、アーブスラットは決意を新たにする。



(ホワイトの実力は想像以上だ。守護者込みでも、このままでは勝ち目は薄い。だが、唯一勝てる可能性があるとすれば…アレだけだ。危険な賭けだが、それしか方法はあるまい)



 アーブスラットの鋭い目は、アンシュラオンの【唯一の弱点】を見定めていた。




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