272話 「君の中の獣 後編」


「こう聞いていると、ソブカに特別な感情があるように思えるけど?」


「ああ、あるよ。一応、貴重な【婿候補】だからね」



 プライリーラはニヤリと笑うと、懐から一枚の紙を取り出した。


 わざわざドレスに仕込んでおくのだ。最初から見せるつもりで用意していたのだろう。



「彼と『ホワイト商会を止めたら、プライリーラ・ジングラスとソブカ・キブカランは結婚する』という約束を交わしている。これが証文だ」


「結婚!? あいつが! そんな約束をしたの?」


「驚いたかい? 読んでみたまえ。しっかりと書いてあるだろう?」



 アンシュラオンはじっと証文を見つめる。



 読むごとに顔がにやけたものに変化していき―――大笑い。



「ぶはははは!! こりゃ面白い!! あいつが結婚!! しかも精子の提供って…!! ひーーー! おもしれーー! 負けたい! 負けてやりたい! あいつがドナドナになる顔が見たくなる!」



 哀れなソブカは荷台に入れられてプライリーラに持ち去られ、精子を搾り取られるのだ。


 こんな面白いことはないだろう。その時の能面のような顔を想像しただけで笑えてくる。


 まさに夢の終わり。死んだ魚のような目をしているに違いない。



「ひー、楽しい! しかしまあ、結婚ねぇ。あいつも随分と無茶をしたもんだよ」


「これが今回の話にもつながるわけだ。この証文には【穴】がある。気付いたかね?」


「…ふむ。そうだな…『止める』という点が怪しい。普通なら『倒す』だよね。あるいは殺す、捕縛するといった具体的な文言が並ぶはずだ。が、それがない。これだとどうとでも解釈できる。注釈もないしね。さすがに同名トリックは厳しいし…これくらいしかないかな」


「すごいな。すぐにわかるのだね」


「言葉のトリックは好きだからね」



 日本語は「あれ」とか「これ」という代名詞をよく使い、同じ結果を示すのにも言い回しはたくさんある。


 だから契約書では、あんな細かい条項がうだうだと並ぶのである。本来ならば「こっちがあれをやるから代金をくれ」の一言で済むはずだが、文章にするとよくわからなくてあとで困るから詳細に記すのだ。


 しかし、それでも曖昧に設定されている項目はあるものだ。


 民法の不法行為のように、「よくわからないものは、とりあえず不法行為に入れて処理しよう」と、人間生活のすべてを言葉で定義することは非常に難しい。


 逆に詳細にしすぎると「じゃあ、注意事項に具体名が書いていないから、それ以外のものはいいんですね?」とかいうアメリカ的な問題が出てくる。だからわざと曖昧にしておく必要がある。


 ただ、曖昧は曖昧なので、それを利用して至る所にトラップを仕掛けることができる。


 アンシュラオンは文系だったので、大学での討論も罠を仕掛けて揚げ足を取ることに熱中したものだ。相手の弱みに付け込む楽しさをそこで知ったわけである。


 だからこそ相手に付け込まれないように常に慎重に行動するのだ。特に契約の際にはいつも以上に気をつける。



 そして、プライリーラもトラップを仕掛けた。



 アンシュラオンのように悪質ではないが、多様な解釈ができるものである。



「止めるってことは、戦わなくてもいいって意味なんでしょう? どんな手段を使っても結果的に騒動が収まればいいわけだ」


「その通り。ホワイト氏が破壊行動をやめてくれれば、それで済む話だ」


「それでソブカはプライリーラのもの、か。なかなか策士だね」


「私の案ではないがね。アーブスラットと事前に打ち合わせて決めたことだ」



 ソブカが食糧を仕入れていると聞いた時から、アーブスラットとジングラスの一部の者たちはキブカ商会を疑っていた。


 もしソブカが何かを仕掛けてきた際は、どうとでも解釈できる文言にするようにと言われていたのだ。



「じいさんは汚いな」


「危険な獣には注意をするものです。それが人間の知恵ですから」



 アーブスラットもソブカとは長い付き合いだ。彼に宿る危うさには気付いていただろう。




「それでオレを懐柔しようってことか。オレの武力も手に入り、ソブカも手に入る。君の丸勝ちだね」


「私と君はパートナーだ。両者は対等のつもりだよ。そのために納得するだけのメリットを与えたい」


「となると、ソブカが負け組か」


「そうなるね。しかし、賭け事とは本来そういうものだろう。彼だって勝負を仕掛けた以上、こうなる可能性はあった。私だって危ない博打をしている。お互いに勝つか負けるかの瀬戸際で競っているのだ。手段を選ぶ余裕はないよ」


「たしかにね。それには完全に同意だ」



(ソブカがプライリーラを知っているように、プライリーラもソブカを知っているな。動かすことには成功したようだが…この行動は予測できなかったか?)



 ソブカはたしかにプライリーラを引っ張り出すことに成功はした。


 ただし、もしかしたら逆効果になったかもしれない。下手に刺激すれば、眠っていたものを起こしてしまうリスクも潜んでいるのだ。


 プライリーラはこれを利用して、さらにジングラスの力を増そうと考えている。ついでに自分の問題も解決させてしまおうという「したたかさ」も持ち合わせている。


 こうなるとソブカが一気に劣勢に追い込まれる。



(プライリーラは思った以上にしっかりしていた、ということか。しかし、ソブカがそれに気付かないとは思わないな。馴染みが根拠だっていうなら、あいつだってプライリーラのことをもっとよく知っているはずだ。こうなることも可能性としては理解していたはず。…これも火遊びか?)



 一見すればソブカのミスに思えるが、アンシュラオンには彼がその程度の男には見えなかった。


 彼が宿す炎は、けっして小さくはない。周囲のものをすべて喰らいつくし、燃やし尽くすような危険なものだ。


 となれば、これもサリータの一件と同様に彼の遊びの可能性がある。「流れ」や「ツキ」が自分にあるのか試しているのだ。



 あるいは【アンシュラオンを試している】のかもしれない。



 こうなることを漠然とでも予想していれば、最終選択権は必ずアンシュラオンに委ねられることになる。


 ソブカに接触したのはアンシュラオンからだ。彼に受諾以外の選択肢がなかったとはいえ、野心を託すからには勝算があってのことだろう。



 ソブカはアンシュラオンが自分を選ぶと確信している。



 普通に考えると分が悪い賭けに思える。アンシュラオンが女好きであることは彼も知っている。プライリーラを選んでも、まったくおかしくはない。


 それでも賭けに勝つ自信があるということだ。ただの運任せではない何かを感じる。



(あいつもまだオレにすべての事情を話しているわけではない。オレだってあいつに秘密にしていることはある。前世の情報とかもそうだしな。そこに何かの根拠があるのかもしれない)



 ここからは―――選択の時間。



 アンシュラオンが、ソブカとプライリーラ、どちらを選ぶかの問題となる。




「君の要求は理解したよ。つまりはソブカを裏切れってことだ」


「裏切りは嫌かな?」


「こう見えても義理堅い男でね。先約は優先したいんだよね。そのほうが裏切られたときに遠慮なく殺せるし、殺さずとも優位に立てる。オレは無駄は嫌いだから、そのままスレイブにするけど」



 たとえばモヒカンがそれに該当する。


 彼はアンシュラオンを侮り、約束を違えてイタ嬢にサナを譲ってしまった。その代償が今の状況だ。


 勝ち組になったといえなくもないが、アンシュラオンには二度と逆らえないようになったことは計算外だろう。



「ただ、あいつは誰かに従うようなやつじゃないから死ぬしかないけど、その前にいろいろと役立ってから死んでもらうよ。それだけやるんだから、せめてオレからは約束を違えないってことさ。過失で失敗したやつを一方的に責めるってのは快感だしね」


「怖いことを言うものだね」


「今度はそっちのことが知りたいな。そうじゃないと比較ができないでしょう? プライリーラのことを教えてよ」


「私か? たいした人生ではないさ。ただジングラスに生まれて戦獣乙女になり、父親が死んだから総裁も引き継いだ。それだけのことさ。世間知らずな面があるのは承知しているが、商売をやっていれば少しはわかってくる。足りない部分はアーブスラットが補ってくれるからね」


「なるほど、お嬢様らしいね。…乙女ってことは処女なの?」


「そうだよ。名に偽りはなし、さ」


「ほぉ…処女か」



 その言葉にアンシュラオンが少し興味を抱いたことをプライリーラは見逃さない。



「ふふん、清らかな生娘なんだよ。どうだい、さらに価値が出ただろう?」


「うん、出たね。処女はいいもんだ」



 たしかに「処女は面倒くさい」という一般論も存在するが、アンシュラオンからすれば他人の手垢がついていない女性は価値がある。自分色に染める楽しみがあるのだ。



「ところで処女じゃないと戦獣乙女にはなれないの?」


「そんなことはない。単に相手がいなかっただけだよ。立場上、簡単に関係はもてないからね」


「ふーん、性欲は強そうだけどね。よく今まで我慢できたね。毎日オナニーしてるの? それで足りる?」


「…いきなり攻めてくるね。というか攻めすぎじゃないかね?」


「女はそこそこ見てきているし経験もある。だからわかるんだ。君から出るオーラは【相手を喰らう】ものだ。本当は飢えているんじゃないの?」



 アンシュラオンは肉体オーラで相手を判断するので、その人間がどういったタイプかがうっすらとわかる。


 さらに前世の経験も含めて女性をいくらか見てきたため、そういったことも感覚で少しばかりわかるのだ。



 やはり―――男女。



 こうして面と向かい合えば、知らずのうちにお互いを【オスとメス】で意識する。


 結婚すれば落ち着くが、未婚の男女というものは生物的、性的に臨戦態勢にあるものだ。


 アンシュラオンがプライリーラを魅力的に感じるように、プライリーラもアンシュラオンを魅力的に感じている。


 心はもちろん肉体が激しく反応している。【生殖本能】が相手を求めるのだ。


 ただし、両者のソレは互いに喰らうもの。


 相手を支配し、奪い、吸収する要素を伴ったものだ。



「プライリーラ、君はまるでケダモノだ。性に飢えて発情しているメスだよ。それがジングラスという、まるで動物園の檻の中に入れられて欲求不満になっている。本当は喰らって喰らって喰らい尽くしたいと思っているのにね」



 アンシュラオンの赤い瞳が―――お嬢様の正体を見破る。



 相手の本質を見破る力を持った目だ。情報公開を使わずとも簡単にわかる。


 プライリーラは最初は驚いた表情をしていたが、次第に歓喜の顔へと変わっていく。




 そして、獣が―――正体を現す。




「ふふ…ふふふ! 見たな! 私の中にいる…【獣】を!!!」



 瞳孔が鋭く細くなっていく。


 その目はまさに肉食獣のもの。相手を狩り、一方的に喰らう存在。


 お嬢様という皮を被った獰猛なケダモノが、彼女の中には眠っている。


 だが、その目を見てもアンシュラオンは動じない。



「何年も魔獣と一緒に暮らしてきたからね。獣臭には敏感なんだ。ソブカの中にあった獣もすぐにわかったよ」



 第一階級の撃滅級魔獣と嫌でも一緒にいたアンシュラオンにとって、プライリーラの獣性などたいしたものではない。


 火怨山では獣臭いのが普通だ。すべてのものが弱肉強食の生存競争の中にいる。



「人間なんてものは誰だって獣の側面を持っているものだ。それが強いか弱いかの話さ。そしてプライリーラ、君は強いタイプだ。だから性欲も強い」


「自然界の法則から見れば、弱い者ほど強くなるのでは?」


「それは数の問題だよ。弱いから多く産むだけだ。オレが言っているのは性欲、言い換えれば破壊を伴った衝動かな。弱い草食動物が温和なように、強い獣ほど奪う欲求が強いんだ。その点で君はだいぶ苦労しているようだね。権力者の子供に生まれるのも考え物だな」


「…私の中には獣がいる。そして獣は獣を理解する。ホワイト氏、君の中にも獣がいるね。それも、とびっきりの大きな獣が!」


「ああ、そうだよ。だから君はオレが羨ましく見えているはずだ。本能の赴くままに生きているオレをね。といっても、こんな好き勝手に生きたのは最近になってからだけどさ」



 姉と一緒にいた頃も、『実姉とイチャラブしたい』という願望は叶っていたので難しいところだが、支配欲求を満足させているのはグラス・ギースに来てからだ。


 姉という檻から解き放たれたアンシュラオンは、自由に好きなことをする。


 幼女が欲しければ白スレイブを買い、交尾したくなれば女性をはべらし、殺したくなれば魔獣やマフィアを殺す。


 まさに自然の動物のように好き勝手に生きている。それは快楽以外の何物でもない。


 人間の本質たる霊から見れば獣性を抑えることが進化であるが、武人にとっては違う。肉体の強さを求めるのならば、地上世界にある欲求はとても大事なものとなる。


 喰らい、奪う。


 そのたびに武人は強くなっていく。肉体が活性化して獣となっていく。



 だから―――羨ましい。



 プライリーラがアンシュラオンのことを知った時、最初に芽生えたのがその感情だ。


 どんなに真面目ぶっても、美貌や正論で人々の羨望を勝ち取っても、心は満たされないまま。立場上、自分を騙しながら生きていくしかない。




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