253話 「道化の配役 中編」


 彼らがいる場所は雑居ビルの五階。


 その下ということは、ここより下の階であるということ。そこで何かが割れる音が響いた。


 マンションでも上の階の音はよく聴こえるが、下の階からはあまり聴こえないものだ。となれば、よほど大きな音が鳴ったのだろう。


 ツボのような上品なものは飾っていないので、割れるとすればせいぜい窓ガラス程度。


 普通に生きていればガラスはなかなか割れない。ならば、この音は「人為的」なものだと思われる。



「何かあったのか?」


「どうせ若い連中が騒いでいるんでしょう。おい、注意してこい」


「おっす!」



 ワカマツの命令で、直属のチンピラが下の階に下りていく。


 ホワイト商会とひと悶着あった時にもいた丸刈りの男だ。彼はワカマツ周辺の雑用も担当している。



「ちっ、少しくらいじっとしていられねぇのか。これだから若いやつはよ…」



(ほんと、これならスレイブのほうが楽かもしれねぇな)



 モザート協会はスレイブ以外が担当なので、構成員も普通の人間を使っている。


 それはそれでメリットもあるのだが、最近の若い連中は保障がどうだの最低賃金がどうだのと言い出すので、今では構成員を集めることにも苦労しているのが実情だ。


 死んだら死んだで面倒なことも多いため、それならばいっそのことスレイブにしてしまうほうが楽かもしれない。



(ここ数年はスレイブの『入り』も好調らしいしな。外からの人間が増えたせいだろう)



 ソブカも言っていたが、日々外から多くの人々がやってくるため人口は増加の一途を辿っている。


 しかし、人は増えても仕事は増えない。多くの産業が行き詰っているからだ。そうなると人手は余っているのにワカマツたちの利益にならない、という最悪の状況が生まれる。


 一方、スレイブは増加傾向にある。それだけ需要があるということだ。


 最悪は住居と食事だけ提供すれば働く者もいるくらいだ。一般の労働者よりも気楽に使えるのが要因だろう。特に『貧困街』に行くしか道がない人間は、困窮を怖れてスレイブになる傾向にある。


 モザート協会と同じエリアかつスレイブ担当の「ラギャット商会」は、こうした事情によって業績を伸ばしているようだ。



(スレイブが人気とは、世も末だ。だが、まっとうにやっていても利益にはならない。そろそろ何かしないとな)



 眉毛じいさんも言っていたが、彼らの中ではスレイブへの印象はあまり良くない。


 金は失っても自分は失わない。そういった矜持のある者にとっては、スレイブになるということは「意思の放棄」に見えるからだろう。


 よって、スレイブは日雇い労働者よりも下と捉える者が多く、アンシュラオンはもちろんスレイブを積極的に使う領主などは珍しい存在といえる。


 ただ、使えるものならば使いたい。そのほうが儲かるのならば一枚噛みたいものである。



「オジキ、うちらも外に出たほうがいいんじゃないですかね。外に出た連中はだいたい成功していますし、中は手詰まりですよ」


「こっちが扱うのは人間だからな。他の輸出品のようにはいかんだろう」


「それならスレイブを増やせばいいんです。あれなら問題はないでしょう? 買い手も多いはずだ」


「外に出れば諍いも増える。他の都市だって似たような状況だ。内部は苦しい。迂闊に刺激したら戦争になっちまう」


「どっちにしても城壁内じゃもう限界ですよ。同じ餌場で食い合いですからね。これじゃ息苦しいだけです」


「…たしかにな。新しい事業を起こすやつも少なくなった。昔はもっと活気があったもんだが…」



 周囲は魔獣に囲まれており、人間が壁の中で暮らす生活に未来があるわけがない。


 外も中も手詰まり。それが彼らにとっての現状だ。




 ガチャッ




 その時、ドアが開いた。


 そこからさきほどのチンピラの顔が覗く。



「ん? 帰ってくるのが早いな。どうした、若いやつらは静かになったのか?」


「………」


「おい、何を黙ってやがる。…ん? 何か頭に赤いものが…」



 トロリ ポタッ


 チンピラの頭から何かが流れて、床に落ちた。


 ボトッ ボトッ ボトボトボトッ



 それは―――血。



 かなりの量の血が頭から流れている。


 彼らにとって怪我は日常的なものであるが、室内でこれほど出血する事態は珍しい。


 さすがのワカマツも、ぎょっと目を見開く。



「お、おい、血が出てるぞ! だ、大丈夫か!? 喧嘩でもやらかしたか?」


「………」



 丸刈りの男は答えない。


 ワカマツたちが呆然とそれを見ている間にも、傷口は少しずつ開いていく。



 バキバキッ グチャグチャッ メキメキ


 バキバキッ グチャグチャッ メキメキ


 バキバキッ グチャグチャッ メキメキ




 めきょめきょと彼の身体が割れ―――




 どさっ ばしゃーーー




―――血を噴き出しながら倒れる




 完全に真っ二つになった頭をこちらに見せつけてから、どさっと倒れた。


 調べるまでもなくチンピラは死んでいた。完全に完璧に。誰がどう見ても死んでいる。



「こ、こりゃ…いったい!! っ!! な、なんだぁ!!」



 突然のチンピラの死に驚いているワカマツの目に、さらに訝しげなものが映り込む。



 ギリギリッ バンッ



 姿を見せたのは、ドアを破壊して中に入ってきた大男。



 どすんどすん ゴリゴリッ



 あまりの大きさのため、歩くたびに天井に頭がこすれて抉れていく。


 それなりに広い室内だが、この大男にとってはかなり手狭に感じられることだろう。サイズの規格そのものが違う。


 そして、ワカマツはその男に見覚えがあった。



「なっ!! て、てめぇは!! あの時の!!」



 バクンバクンッ


 自分の心臓が激しく鼓動する音が聴こえる。


 忘れるわけがない。あの日からずっと思い出しては悔しい思いをしてきたのだ。


 会いたいとは思っていた。復讐したいとは考えていた。ただ、それが今であることは想定外。


 啖呵を切ろうにも、意外すぎて動けない。



 そうこうしている間に――― 【本命】がやってきた。



「やぁ、久しぶりだね。その顔、覚えているよ」


「っ!?」



 チンピラの頭を割った大男、マサゴロウを押しのけて黒い少女とともに一人の少年が入ってくる。


 なぜか狐のお面を被っているが見間違えるわけがない。ワカマツの心の棘になっているホワイトと呼ばれる人物である。


 その憎き顔(お面だが)を見た瞬間、心の奥底から怒りが溢れ出してきた。それが力となり、声になる。



「ぐうううっ! ほ、ホワイトォッォォオオオオ!! 貴様、なんでここにいる!!!」


「そんなに大声を出さなくても聴こえるさ。ええと、ワカマツ…だったかな。元気そうで何よりだ。ところであんたは野球でもしているのかな?」


「な、何を…! やきゅう?」


「いやいや、なんとなく野球で成功しそうな名前だと思ってさ。まあ、こっちに野球があるかは知らないけど」



 ちなみに東大陸には野球は存在しないが、アンシュラオンが流行らせて百年後には多くの野球チームができたことは、また違うお話である。




「それじゃ、お邪魔するよ」



 激しく困惑するワカマツをよそに、スタスタとアンシュラオンが中に入ってくる。


 同時にマサゴロウが巨体で入り口を塞いだので、ワカマツたちは閉じ込められる形になった。


 ここから逃げるには窓から飛び降りるしかないだろうが、彼らが無事で済むかはわからない。



「ホワイト、貴様!! 何の用だ!! いや、こんなことをして無事で済むと思ってやがるのか!! 今度こそは殺すぞ!!」


「あれ? しばらく会わないうちに凶暴になってるね。ここじゃ力の流儀は通用しないって、あんた自身で言わなかったっけ? まあ、ここ以外の世間じゃ、ばっちり通じているみたいだけどね」


「ふざけやがって! ここがどこだかわかってんのか! うちの事務所だ!! 何人いると思ってやがる! お前たちなんざ、あっという間にバラバラだ!!」


「へー、そうなんだ。マサゴロウ、何人いたっけ?」


「覚えていやせん。五人殺したところで数えるのをやめましたが…わらわらと群れていた気がします」


「という話だけど…ここって何人いるの? これくらいの相手なら最低三百人は用意してもらわないとね。この子の分がなくなっちゃうよ」



 サナの黒い服には赤黒い染みが多々見受けられる。これは彼女のものではなく、当然ながら「返り血」だろう。


 ここに来るまでにいくつも組を潰したので、いろいろなところで付いた血である。彼女も今夜だけで、すでに二十人以上は殺している。


 が、まだ足りない。このレベルならば最低百人は【生贄】に欲しいところだ。


 それだけ殺せば少しは慣れるはずなので、むしろそこからがスタートである。質が悪いのならば数で補うという考え方だ。それもまた悪くはない。



「なっ!! なぁ!! し、下のやつらはどうした!! なんで来ない!?」


「話聞いてた? だから、殺したよ。嘘だと思うなら見に行ってみなよ。死んでるから」


「うそ…だろう? お前ら、いつここに来た!!」


「んー、何分前だ? 五分くらい?」


「それくらいです」


「これでも遊びながらゆっくり来たんだよ。単独でのタイムアタックなら一秒を切る自信があるし」


「ば、馬鹿な……」



 モザート協会には六十人の人間がいる。休みや外に出ている者もいるので全員ではないが、ビル内に四十人はいるはずだ。


 いくら奇襲とはいえ、それをたかが五分で全滅させるなど、ありえない。あってはいけない。



「そうか! お前ら、大人数で来やがったな! 卑怯なやつらだ!!」


「中に入ったのは、オレとこの子を入れて五人だぞ」


「ご、五人…!?」



 違う組を襲っていたマサゴロウと戦罪者一人と合流したので、ベンケイ先生を入れて計五人となっている。


 正直、過剰戦力である。ベンケイ先生だけでも誰も止められないので、相手がかわいそうになるレベルだ。


 だが、あまりの弱さと脆さにアンシュラオンも肩を竦める。



「いやぁ…さすがにショックだな。あんたら弱すぎだよ。一応その筋の人間なんだろう? ソイドファミリーのチンピラより弱いって、どういうことさ。なさけないなぁ」


「ソイドファミリー! お前たちの裏には、やっぱりやつらがいるのか!」


「んー、どうかな」


「てめぇらと金のつながりがあるだろうが!」


「ああ、そういえばそうだね。ソイドビッグとはそれなりに仲良くやっているよ」


「否定はしないんだな!?」


「しょうがないよね。事実なんだし。で、それが何か?」


「何かじゃねえ! お前らもあいつらも絶対に殺す!!」


「あっ、そう。おや、もしかしてそちらは…組長さんかな?」



 アンシュラオンがワカマツを無視して、モザートに目を向ける。



「ええ、モザート協会の会長をしております、ジャグ・モザートと申します。どうぞお見知りおきください」


「ホワイト商会のホワイトです。よろしく」



 さすが組を一つ預かる人間だ。モザートはこの状況でも落ち着いている。


 だが当然、こんなことを認めるわけがない。



「ホワイトさん、お噂は伺っておりますが、これは少々やりすぎじゃないですかね」


「そうかな? 喧嘩を売られたら殺す。当然だと思うけど」


「うちは揉めたつもりはありませんよ。…ここは狭い場所だ。お互いに殺しあっていれば、あっという間に人が住めない街になる。昔みたいにドンパチやる時代じゃないんですよ」


「ははは、腑抜けてるなぁ。それは壁の中に引っ込んでいる、あんたらだけの流儀だろう? だが、外は違う。何も変わっていない。魔獣だらけのフロンティアだ」


「…フロンティア…ですか。懐かしい響きだ」



 今では久しく聞かなくなった言葉である。


 壁に守られ、いつしかそのことを忘れてしまった。外のことはハンターに任せて自分たちが中に閉じこもった日から。


 しかし、実態は何一つ変わっていない。力ある者がすべてを支配する法則は、今も昔もこれからも同じである。



「中で安穏と暮らしているあんたらは弱くなったんだ。だからこうも外部からやってきた【ウィルス】に簡単にやられる。風邪と一緒だね。抵抗力がないんだ」


「なるほど、面白いたとえです。まったくもっておっしゃる通りだ。それで、どうなさるんですか? 殺しますか? どうやら実力差は歴然のようだ。一捻りでしょうな、私などは」



 モザートも若い頃は、剣を振り回して血を降らせたような男だ。だからこそ目の前の侵入者たちが桁違いであることがわかる。


 マサゴロウは見ただけで危険だ。簡単に殺されるだろう。だが、もっと危険なのは小さな白スーツの少年である。


 お面の隙間からかすかに見えた瞳にモザートは震える。



(なんてぇ目をしてやがるよぉ。獣は獣でも…こいつはヤバイ。ワカマツが怯えるわけだな)



 モザートも組長という立場上、覚悟はできているが、自然と身体が身震いする。


 それはあまりに目の前の少年が人間離れしているからだろう。身にまとう気配は魔獣そのもの。


 しかもただの魔獣ではない。まるでデアンカ・ギースに出会ったように、戦おうという気概すらなくなるほどだ。格が違いすぎる。



「殺そうかと思ったけど、やめておくよ。あんたは使えそうだ。優秀な人材を殺すのは惜しいからね。生かしておいてやる」


「ホワイト、貴様!! オジキになんて口を!! ころっ―――ぐばっ!」


「まったく学んでいないな。オヤジを呼び捨てにするとは…そろそろ死ぬか?」


「がっ! ぐっ! はな…ぜっ……がはっ!!」



 アンシュラオンに詰め寄ったワカマツが、マサゴロウに捕まる。


 大きな手で首を絞められ、そのまま宙吊りになった。この男の腕力ならば簡単に首を折ることもできるだろう。



「ごごっっげぼっ……」


「マサゴロウ、放っておけ。ただの雑魚だ」


「そういうやつを殺すのも面白ぇって、オヤジも言っていたんじゃ?」


「こいつはそれにも値しないクズだ。捨てておけ」


「ふっ、クズで命拾いしたな」



 ポイッ ドガッ


 近くにあった机に投げ捨てられ、身体を強打する。



「がっ!! げほげほっ! がほっ!! でべぇ…覚えて…おげっ! ころず…がらなぁ!」



 喉がやられてしまったのだろう。しわがれた声で叫ぶ。


 その声にはさまざまな感情が宿されていた。怒り、怨嗟、憎しみ、それから恐怖。


 しかし、それだけで相手を殺すことはできない。実際の力がなければ、この世界では人は死なない。



「お前には一生できないよ」



 アンシュラオンが懐から二本、ナイフを取り出し―――投げる。



 シュッ カチンッ



 まっすぐ投げられたナイフ同士が途中でぶつかり、二つに分かれ―――



 ブスブスッ



 ワカマツの両足に突き刺さる。


 遠隔操作で操ったものなので狙いは正確。見事二本は太ももに根元まで刺さっていた。




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