252話 「道化の配役 前編」


 下級街にある、とある雑居ビルの一室。


 そこでは白髪の男と、彼よりも二十以上は年下であろう男が言い争っていた。



「あいつらのことは放っておけ」


「そんな! 黙っていろっていうんですかい! うちらのシマですよ! あれからもちょっかいは続いている。これ以上は無理ですよ!」


「本来ならば黙ってはいねえ。やつらは他のシマも荒らしている。【制裁】は間違いない」


「なら、どうして!」


「だからこそだ。うちらが独断で動いて事態を混乱させることはない。先に手を出したほうが負けだ」


「オジキ、そいつはあまりに弱気じゃないですかい! うちらはなめられたら終わりですよ!」


「じゃあ、お前はやつらに勝てるのか? ハングラスの第一警備商隊すら壊滅させたやつらだぞ。あれがどれだけ強かったか知っているだろう?」


「それは…でも、うちらの人材を使えばやれなくはないでしょう」


「その人材ってのは誰のものだ? お前のもんじゃねえ。オヤジのもんだ。俺らが勝手に使うわけにはいかねえよ」


「うっ…」


「お前の気持ちはわかっている。だが、今は動くべき時じゃねぇんだ」



 白髪の男が年下の男、ワカマツに苦渋の顔を見せる。



 白髪の男の名前は、ジャグ・モザート。モザート協会の【会長】である。



 ここはモザート協会の事務所。最初にホワイト商会が標的にした風俗店を管理していたマングラス一派の人材管理商会である。


 彼らが管理しているのは風俗店だけではない。下級街(主に下層区)にある店で働く人間は、すべてモザート協会の管理下に置かれている。


 スレイブだけは違う商会の管轄だが、それ以外の労働者は彼らに給金の一部を支払って働く許可を得ている。


 それらは天引きされているので、明細書をよく見ていないと気付かないこともあるが、しっかりと「労働許可金」の項目で引かれているはずだ。


 この都市では、あらゆるものが四大市民を経由することになっている。それによってグラス・マンサーの誰もが儲けられる仕組みが出来ているのだ。



 だが、そこに【異物】が侵入してきた。



 わざわざ説明するまでもない。ホワイト商会のことである。


 ホワイトはもっとも単純な暴力という手段をもちいて、次々と火種を撒いている。



「うちらは生粋の武闘派組織じゃねえ。人材管理が仕事の商会だ。多少の荒事には慣れているが軍隊じゃない」



 その最初の火種となったモザート協会としては非常に腹立たしいが、かといって対抗できるだけの力があるわけではない。


 モザート協会は中小規模の組織で、構成員はソイドファミリーの倍である六十人ほど。完全武闘派ではないので戦闘力は多少落ちるが、荒事にも強い組織として有名だ。


 それでも間違いなくホワイト商会には勝てない。モザート協会のような組織は干渉したくてもできないのだ。


 だがそれは、逆にこう言うこともできる。



「単独で動いても意味はない。この意味がわかるだろう?」


「他の派閥と連動して動くってわけですかい?」


「上ではそういう話も出ているそうだ。まあ、まだ提案の段階らしいがな」


「そいつはすげぇ。くくく、それならばホワイトのやつだって終わりだ。勝てるわけがねぇ」



 この都市の全派閥から選りすぐりの武人を集めてぶつければ、ホワイトたちがいくら強くても対応できないだろう。


 暴力自慢の彼らが、より強い暴力によって潰れるさまは見ていて楽しいに違いない。ワカマツは頭の中でそれを想像して、少しばかり溜飲を下げる。


 アンシュラオンの本当の強さを知っていれば、思わず笑ってしまうような会話だが、これが普通の認識である。


 仮にプライリーラやアーブスラット、(生きていた頃の)グランハムたち、それとマングラスが抱える武人の人材たちが加われば、二十人にも満たない小さな商会など簡単に潰せるはずなのだ。


 だからこそ誰もが制裁を怖れて馬鹿なことはしない。四つの勢力は常にお互いを監視しているのである。


 誰かが逸脱すれば、他のメンバーが止める。そうやってグラス・ギースは平穏を【生み出してきた】のだ。けっして何もせずに安定してきたわけではない。



「だが、簡単にはいかねぇ。考えてもみろ。俺らは今まで別々に行動してきたんだ。利権もそれぞれ違うし、それだけ他のやつらと関わりが薄いってことを意味している。折衝に時間がかかるんだよ。そこはオヤジに任せるしかない。要するに四大会議次第ってことだな」


「次の会議は例年通りですかい? それで間に合いますかね?」


「これ以上の被害があれば臨時で開かれる可能性もあるだろうさ。俺らのような下っ端は、おとなしく待っているのが賢明だ。ごねてオヤジの機嫌を損ねる必要もない」


「なるほど…わかりやした。うちらは準備だけ進めておきます」


「ああ、そうしてくれ」




(だが、オヤジは簡単には動かないだろうな。先に動いたほうが不利だし、あの慎重な人が動くわけがない)



 ワカマツにそう言いながら、モザート自身はグマシカが動かないと思っていた。


 グマシカ・マングラスは極めて慎重な男だ。それは普段の私生活からも同じで、モザートでさえ重要な会議以外ではまず会えないほどである。


 近年では欠席することも多くなり、ここ十数年は見かけてもいない。同じマングラス一派とはいえ、生きているのか疑ったことさえあるくらいだ。


 とりあえず生きていると仮定して、そんな彼がどうやって情報を得ているのかといえば、当然ながら各地にいる人材を使って、ということになる。


 それに関しても秘匿性はかなりのものだ。


 各地区にいる連絡員は、次に伝言を伝える者の場所しか知らない。それがひたすら続き、最後は側近の【最高幹部】二名に行き着くが、それ以上は追跡できなくなる。



 二人の名は、セイリュウとコウリュウ。



 『マングラスの双龍』という異名で呼ばれるマングラス最強の武人であり、グマシカの警備を担当している強者二人組だ。


 二人は双子なので見た目はほとんど同じ。青い服を着ているのがセイリュウで、黄色い服を着ているのがコウリュウといった見分け方しかできない。


 最終的に情報を受けたその二人がグマシカに伝える仕組みになっているため、他の人間が直接会うことはできないようになっている。


 グマシカも謎が多い人物だが、その二人もなかなかミステリアスだ。


 なぜならばその二人は、何十年もグラス・ギースでグマシカの護衛をしており、すでに六十歳近いモザートが子供の頃から容姿が変わっていない。


 おそらく武人の血が強くて老化が抑えられているのだろうが、モザートからすればグマシカともども畏怖の対象でもある。



 彼ら二人はただの連絡係ではなく、マングラス内部における【制裁役】でもあるのだ。



 何度か興味本位で彼らを追った者がいたが、そのすべては後日死体として発見されることになる。さらに見せしめなのか、かなり凄惨な殺され方をされるのが常だ。


 モザートも一度、裏道に晒された蛆が湧いた頭部を見てからは、その映像が今でも忘れられなくなってしまった。トラウマでしかない。


 味方であっても容赦なく殺すのだ。無理に調べるような者は次第にいなくなる。


 しかしながら、重要なところはそこではない。



 べつにグマシカと会えなくてもいいのだ。会う必要性がないともいえる。



 たとえば官僚制度がしっかりしている日本で一時的に政権が空白になっても、国民生活は維持される。地盤がしっかりしているから簡単に崩れないのだ。


 それと同じく、グラス・マンサー当人がいなくてもマングラスとしての機能は滞りなく維持されている。


 すでにモザート協会を含む各組間でネットワークが構築されており、人の流れさえ追えれば自動的に管理できるようになっている。


 家を借りるときでも働くときでも、マングラス一派の許可が必要になってくるので、どうしても知られるのだ。


 ジングラスの食糧がなければ大勢が飢え死ぬが、マングラス自体が何もしなくても何も起きない。黙っていても勝手に人が動き、勝手に金が入る仕組みだからだ。



 これこそ人材を管理しているマングラスの最大の強みである。



 よって、グマシカは自分の時間を好きに過ごしていればいい。それだけで金と人が手に入る。アンシュラオンが羨むのも当然である。


 そして、そんな彼がホワイト商会のことを知らないわけがない。セイリュウとコウリュウはすでに知っているので、情報は確実に伝わっているはずだ。



 だが、何も通達はない。



 制裁や共闘の話もモザートのような組長クラスが勝手に言っているだけで、最高幹部の二人からは何も言ってこない。ただ傍観しているだけである。


 その段階で、グマシカにやる気がまったく感じられない。



(ホワイト商会は凶暴な獣だが、その牙はまだ喉元に迫ってはいない。ここで苛立って動いたら、それこそ割に合わないことになる。どうせ違う派閥同士で仲良くなんてやれないんだ。オヤジが動くわけがない。まあ、俺にはオヤジの考えなんてわからないけどな…あの人はよくわからん)



 モザートの印象だと、グマシカは穏やかな老人である。


 どんな問題が起こっても笑っているような人物なので、世間が言うような「妖怪ジジイ」とはかけ離れているような気がする。


 同時に浮世離れした雰囲気もあるので、もしかしたら俗事に興味がない可能性もある。要するに「よくわからない人物」なのだ。


 最高幹部の二人が許可を出せば提案は通るので、それで間に合ってきた。だから疑問を抱いたこともない。


 そもそも最高幹部の二人は、モザートたちに命令しない。あれをやれとかこれをやれとは、まったく言わないのだ。ただ好きなようにさせている。


 上納金だけを納めればあとは自由なので、マングラス一派はトップの介入なしで動いている珍しい組織でもあるのだ。


 ただ唯一、時々人材を工面するように通達されることがあり、モザート協会は年に十数人程度の人間を送っている。それ以外は特に何も言われたことはない。


 人材も武人というわけではなく、一般人の老若男女問わずにいろいろなので、いったい何に使っているのかは不明だ。もしかしたらグマシカの個人的嗜好のために使われるのかもしれないが、それに触れるほどモザートは愚かではない。



(うちは他の派閥とは違う。何かわからねぇが、何かが違うんだ。だが、ワカマツたちに説明しても、この感覚は理解できないだろうな…。そう考えている俺もわからないくらいだ。どのみちオヤジから動くことはないから、こうやってなんとか引き止めるしかないが…そろそろヤバそうだな)



 そうした上の事情を下の人間が理解できるとは限らない。ワカマツのように実際に出会って脅された者の中には、今すぐにでも動きたいという感情が植えつけられている。


 モザートのような各組の組長は、それを抑えるのに手一杯である。それだけホワイトたちの暴れっぷりが目に余るということだが。



 二人はしばらく黙っていたが、その沈黙がワカマツに考える時間を与えたようで、こう切り出してきた。



「ところでオジキ、今回のことはラングラス一派の差し金って話がありますが…どう思います?」


「ソイド商会とつながっている、という話か?」


「そうです。やつらとホワイト商会の間で金のやり取りがあるのは間違いない事実です。すでに確認は取ってあります。麻薬と医者だ。頷ける話ですよ」


「だが、ソイドダディーのやつも寝耳に水だって話じゃねぇか。俺も一度会ったが、嘘を言っているようには見えなかったぜ」


「オジキはそれで済ましたんですかい!?」


「当人がそう言っているんだ。しょうがねえ」


「『はい、そうですか』で終わらすんですかい。もしやつらが結託しているのなら、話はまた変わってきますよ!」



(やれやれ、ホワイトのことで頭が一杯らしいな)



 ワカマツは最初の騒動以来、ずっとホワイトに腹を立ててきた。


 筋者がなめられたら終わり。その矜持を持って生きてきた彼にとって、それは絶対のルールであり、もっとも大切なものだったのだ。



「あっちは【筋】を通していないでしょう! それを認めるんですか! 新しい組を始めるには、どこかの勢力に属さないといけないはず! あんな無法者を放っておくなんて許されませんよ!」



 何より、筋を通していない。


 若い頃から筋を叩き込まれてきた男ゆえに、そこがもっとも許せないことのようだ。当然、それはモザートも理解している。


 しかし、ワカマツ以上に裏の世界で過ごしてきたモザートは、ここにこそ今回の危うさが潜んでいるように思えてならない。



(筋者…か。最初から筋がないやつには通じない理屈だな。俺たちは筋が一番だと考えているが、実際の世の中はそうじゃないところも多い。いきなり道端で魔獣と遭遇して殺されるんだ。そこに筋なんて何もねえよ。ホワイトってやつからはそんな臭いがしやがる。獣に筋を説いても無駄だ)



 モザートのこの見立ては正しい。


 その業界での常識は、そこでしか通用しないものだ。それを押し付けても上手くいく可能性は低い。


 相手は魔獣。そう思って対応しなければならない。


 あくまで勘であるが、彼は自らを何度も救ってきた勘を信じる大切さを知っていた。ただし、それを目の前の若頭に言ったところで納得はしないだろう。



「ずいぶんと熱くなっているじゃねえか。本当にどうした?」



 ワカマツはたしかにカッとしやすい性格だが、損得がわかる男のはずだ。それがここまで話しても噛み付くとは、正直言って意外である。


 これが同格ならばまだしも、自分のオジキであるモザートに対してまでそうだとすれば、かなりの重症だ。


 その問いに対して、ワカマツが一瞬震えた。


 だが、それを抑え込んで、少しだけ俯いて答える。



「…なんでもねえですよ。ただ…あいつ……あいつの目が……」



 ワカマツが最後に見たホワイトの目。


 仮面に隠れてよく見えなかったが、闇の中で赤く光った双眸は、あまりにも人間離れしていた。



 それを見た時から、彼の中には一つの【感情】が芽生えていたのだ。



 だがしかし、それを認めるわけにはいかない。それこそ彼の矜持に反することなのだから。



(ふざけるなよ。俺があんなやつらにびびるもんか! オジキは歳を取って丸くなっちまった。だが、俺はなめられたまま終わらねえ。若い連中を連れて、やつらの事務所に殴り込みだ!! 俺が動かせる人材の範囲内なら文句はないはずだ。やってやるさ。こっちから仕掛けてやる!)



 ワカマツは知らない。


 それこそが弱い犬の証明だと。認めるのが怖くて相手に挑むしかない「かませ犬」でしかないと。


 しかし後々のことを思えば、ワカマツこそがもっとも「正常な判断力」を有していたことがわかる。


 それが恐怖からもたらされたものとはいえ、そうすべきだったのかもしれない。短絡的でも、ラングラス一派に対して強硬策に出ておけばよかったのだ。



 だが、もう遅い。





―――ガシャンッ





「ん? なんだ?」



 モザートが遠くで何かが割れる音を聴く。それはちょうど彼の真下から聴こえてきた。




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