248話 「怒れる闘人 後編」


「な、なんじゃありゃぁ!! 化け物みたいなやつが出てきたぞ! あ、あれがやつの本体かい!」



 ゲロ吉がそのあまりに異様な姿を見て、腰を抜かす。


 ただこうして近くにいるだけでも肌が焼けるように痛い。それだけの戦気を噴き出しているのだ。



「そうアル…か。だから効かなかったネ」


「せ、先生! 何か知っているんですかい!?」


「あれは『闘人とうじん』ネ。簡単に言えば戦気で作った人形アル。ワタシの技が効かないのは当然ヨ。だって、最初から全部が戦気だったアル」


「戦気の人形? あ、あれが…ですかい?」


「闘人操術、そういう術があるヨ。アレを操っているやつが他にいるということネ」



 ここでアル先生もカラクリに気がつく。これだけはっきり見せられれば気付くのが普通だ。



 戦気術奥義、『闘人とうじん操術』。



 分戦子の上位技で、より多くの戦気を凝縮して作られた『闘人』と呼ばれる傀儡を生み出す技だ。


 闘人は名前の通り、戦うための存在である。その存在意義は闘争のためだけにある。主人とともに、あるいは主人の代理で戦うのが彼らの使命だ。


 たとえば生身の格闘は苦手だが戦気量が多い人間などが使うと効果的である。


 戦気の消費は膨大なものとなるが、肉体そのものが傷つくリスクはゼロにすることができる。これは実に大きな恩恵だ。


 また、使い手によっては何百メートルも先まで行動が可能となるので、先行させて罠や伏兵をあぶり出したり、使い捨ての尖兵として使うこともできる。


 アンシュラオンは後者の囮としてよく使っていたものだ。


 撃滅級魔獣の正面から闘人でちょっかいを出し、自身は背後から強烈な一撃を与えるために力を溜める等の使い方ができる。


 あるいは陽禅公の実分身というチートスキルに対抗するため、闘人を複数生み出して、彼らがやられているうちに本体を狙うなどといったこともしていた。


 実のところ火怨山では、アンシュラオンは「人間の中で一番下(弱い)」という扱いなので、地味に有用なスキルではある。魔獣含めて攻撃力が高すぎるので、一撃でももらうと相当危ない状態になるからだ。



 次に、闘人そのものの説明だ。


 闘人は操者によってさまざまな形態をとるが、意図的に操作しなければ基本的には人型になることが多い。


 陽禅公は鳥型の闘人(闘鳥)を作って空を飛んだりもするが、目の前に顕現した存在は無意識下で創造されたものなので人型をしている。



 顕現した闘人の名前は「アーシュラ」。



 アンシュラオンが闘人操術を使った際、何も指定していない場合に出る【初期型闘人】である。


 その姿は、大人体型になったアンシュラオンにやや似ている。なぜならばこれは「理想の体型」をイメージして作られたものだからだ。


 彼自身は自分の少年のような容姿も気に入っているが、前の人生では成人男性でもあったわけで、そうした力強さに憧れないわけではない。


 特に武人として理想体型のゼブラエスを間近で見ているため、「オレもあれくらいになれたらなー」と漠然に思っていた姿が忠実に再現されている。


 そして闘人は戦気で生み出すため、荒々しい姿をしていることが多い。この闘人アーシュラもまた炎をまとったような、ファンタジーでよく見かける「炎の人型精霊」を彷彿させる姿をしている。


 ただし、現在はそれがより顕著な状態。より荒々しく、より猛々しい姿になっている。


 闘人は操縦者の特性を色濃く反映するので、この姿も現在のアンシュラオンの心情をよりよく表現した形態になったのだ。



 つまりは―――怒っている。



 サナが傷つけられたことへの怒りが表面化し、激情となって顕現しているのだ。


 だからこそ周囲に恐怖を撒き散らし、ゲロ吉が腰を抜かす結果になる。誰だって激怒している人間には近寄りたくないものだ。存在そのものに恐怖を感じる。




(まさか闘人操術にお目にかかるとは思わなかったアル。老師の方々にも使い手はいるアルが…ここまでのものは見たことがないヨ)



 さすが大陸四千年の武術の歴史。技自体に驚くことはない。


 武芸に秀でた大陸でも、特に『十二老師』と呼ばれる上級拳士たちは誰もが超が付くほどの達人である。その中には闘人操術の使い手もいる。


 しかし、目の前の闘人の存在感は、アル先生が今まで見た中でも一二を争うものだ。十二老師の一人が操る闘人にも匹敵する。



(信じられないネ。こんなものがこの辺境の地にいる。それを扱う者がいるアル。この感覚…まず勝ち目はないネ。でも、雇われた以上は仕方ないアル。見捨てるわけにもいかないネ)



 後方の森には、顔だけひょっこり出して硬直しているゲロ吉がいる。雇い主の彼を見捨てることはできない。


 さらに大陸出身の武闘者が雇い主を捨てて逃げたりすれば、同門に迷惑がかかる。若手の拳法家は各地に趣き、修練がてらに傭兵をやることも多いので、その妨げになるだろう。


 そして、武人としても終わる。



(武人とは厄介な生き物アル。こんなときでも…ワクワクしているヨ。ハハハ、ワタシも狂人ネ。死ぬまで戦うしかない大馬鹿ヨ)



「せ、先生…」


「任せるアル。相手が闘人とわかれば戦い方変えるヨ!!」



 アル先生は両手に戦気を集中させ、再び回転。


 ギュルルルッ


 凄まじい暴風が再びゲロ吉を襲うが、今度は放出しない。手に宿したまま一気に間合いを詰める。



(まだ闘人は動いていないアル。あのタイミングでのいきなりの豹変を見るに、突発的な変化と考えるべきネ。まだ完全に支配下にないアル。狙うなら今しかないネ!!)



 闘人アーシュラは、まだ黙って立っている。何もしていない。


 アル先生の見立て通り、アンシュラオンの殺気を受けて強制進化したものの、本体がサナに夢中でそれどころではないので一時的にリンクが切れているところだ。


 この段階では、アンシュラオンはアーシュラのことを忘れている。それほどサナが大事だということだ。


 ならば、この瞬間しかない。今しか倒す機会はないのだ。



 接近したアル先生が両手を振り抜く。



 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ



 放ったのは再び高速拳。しかし、前回やったような普通の打撃ではない。


 手を覆った戦気を使って、相手の表面を削るように攻撃している。そのたびにアーシュラの戦気が少しずつ消失していく。


 覇王技、戦岩削せんがんさく


 手に集めた戦気で、相手を削り取る技である。わかりやすくいえば、戦気を大根おろしを作る「おろし金」状に変化させ、ガリガリと削っていくものだ。


 名前を見ればわかるように岩を削ったりする際に使われる技で、戦闘では相手の武具を削る際にもたまに使われる。


 因子レベル2もあれば使える技なので、さきほどの二つの技よりは下位にあたる。


 当然、これを選択したことには意味があった。



(最初の状態でも打撃はほぼ通じなかったアル。中身がないし、ワタシのパワーじゃ掻き消すのは不可能ネ。ならば、削り取っていくしかないヨ!)



 闘人は戦気の塊。人間と違って臓器や筋肉があるわけではないので、打撃はなかなか通じにくい。


 圧倒的なパワーで打ち消すならばともかく、本来がスピードテクニック型のアル先生では難しい。


 となれば、方法は一つ。こうして削ることで相手を弱体化、できれば行動不能にしたい。戦気の塊なのだから、戦気がなくなれば消失するのは間違いない。


 たかが戦岩削と侮ることなかれ。



 アル先生の高速拳でやれば―――確実に削れる。



 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 アンシュラオンの戦気とはいえ、こうした無防備状態ならば削ることはできた。


 それもアル先生の「連打」があるからだ。彼は連打でひたすら手数を出すタイプなので、ここが生命線だ。


 その高速拳と戦岩削の相性はよく、どんどん削っていく。



 削る削る削る。


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。

 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。

 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ



(まだか! まだアルか!! まだ削りきれないアルか!!)



 相手の胸の形が変わるくらいには削れている。それが数十センチとはいえ、あのアンシュラオンの戦気を削っているのだ。


 アル先生は間違いなく強い。まさに武芸の達人、助っ人外国人に相応しい。


 しかし、目の前の闘人を生み出したものは、この世でもっとも怖ろしい【魔人】である。


 その彼がただの闘人を生み出すわけがないのだ。



 ギロリ



 アーシュラの視線が、アル先生を睨む。


 その目には明確な【意思】が宿っていた。明らかに敵意が交じった視線だ。


 遠隔操作系を極めると、停滞反応発動のように特定の条件下で発動するトラップを作ることができる。


 それは戦気で作られた闘人も同じ。作った際に何かしらの条件、思考アルゴリズムを与えておけばそれに即した行動を自動で行う。


 アーシュラに搭載されているのは、「自分を攻撃する者を排除せよ」というもの。いわゆる自己防衛システムである。


 今回は特に指定したわけではないが、そうやって作るのは当然のことなので、これまた無意識のうちにそう作ってしまっている。



 その防衛システム、あるいは防衛本能が―――発動。




「ウッォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」




 再び咆える。戦気の波動が周囲に迸り、大地も木々も一瞬で消失していく。



「しまった! 動き出したアルか!! でも、こうなればもう攻めるしかないネ!!」



 アル先生は戦気の奔流に呑まれながらも、足にも戦岩削を展開して両手両足を使ってひたすら削る。


 いまさら逃げる時間もない。必死に削り続ける。


 だが哀しいかな。


 ガシッ


 すでに起動してしまったアーシュラは、軽々と蹴りを受け止め、掴み―――無造作に叩きつける。



 ドッガーーーーーーンッ!!



 足を持ったまま、ただただ力任せにアル先生を地面に叩きつける。それ自身を棒切れか何かに見立てて、何度も大地に叩きつける。



 ドッガーーーーーーンッ!!

 ドッガーーーーーーンッ!!

 ドッガーーーーーーンッ!!



 二回、三回、四回と繰り返す。


 そこに躊躇は一切ない。ただただ純然なまでに暴力を暴力として使う存在がいるだけだ。


 メキメキッ


 その凄まじいパワーにアル先生の身体が軋む。すべての戦気を防御に回していても、一撃一撃が致命的で深刻なダメージを与えていく。



「ウッォオオオオオオ!!! ウッォオオオオオオ!!! ウッォオオオオオオ!!!」



(なんて…暴力性ネ!! 作った人間は…相当ヤバイやつアル! 内側にどれだけの激情を隠しているアルか!!)



 闘人は生み出した者の本質を的確に示す鏡である。


 勘違いしてはいけないのは、どれもがこんな凶暴な闘人ではないということ。同じ自己防衛システムが組み込まれていても、中には静かに対応する存在もいる。


 だが、アーシュラは完全に暴力的衝動の塊。その目は怒りに満ち溢れ、すべてを破壊することしか考えていない。


 なるほど、たしかに囮に向いている。こんな激情を叩きつけられたら、魔獣など簡単に刺激できてしまうだろう。



 ドッガーーーーーーンッ!!

 ドッガーーーーーーンッ!!

 ドッガーーーーーーンッ!!



(手が離れない…アル! 仕方ない…ネ!!)



 なんとか手を外そうとしているが、アーシュラのパワーが強すぎてまったく離れない。


 このまま何度も叩きつけられれば死んでしまう。そこで、決断。



 アル先生が自ら―――足を切り離す。



 ズバッ


 掴まれた左足を自ら戦刃で切断。太ももからバッサリと切り離した。無事逃げ出すことに成功する。



「せ、先生! あ、足が!」


「問題…はあるけど、大丈夫ネ」



 アル先生は肉体操作で出血を止めると、欠損部分から戦気を放出。


 それを戦硬気で固めて足の代わりにする。これで両足で立つことができ、バランスも崩れない。


 「義体術」と呼ばれる戦気術の技で、戦気を義足代わりにするものだ。これで武器を持つこともできるので便利である。


 このあたりが狐面とアル先生の実力差ともいえる。


 サナと戦った狐面も腕を失ったが、そのままだった。単純に義体術が使えなかっただけであるが、戦気を腕や足代わりにする以上、それだけ消耗が激しくなる。


 さらに戦気を正確に制御するだけの戦気術の腕前も必要だ。戦気の総量と正しく制御する技術。両方なければ扱えない技である。



 しかし、あくまで義足。



 バランスが崩れないというだけで、実際の肉体とは大きく違う。




 これで―――勝ち目がなくなった。




(ハハハ、勝ち目なんて最初からないネ。わかっていたことヨ。ワタシ、ここで死ぬアルか)



 アル先生ほどになれば、どれくらいの実力差があるかなんてすぐにわかる。


 最初から勝ち目などなかった戦いだ。それを改めて自覚しただけにすぎない。



「アナタ、逃げるヨロシ。ここはワタシだけで十分ネ」


「で、ですが…先生!」


「吉報を待って事務所で待っているアル。大丈夫。なんとかするヨ」


「…わしだって、この道を歩いてきた人間ですわ。わかりますよ。…先生、あんたは…」


「大丈夫ネ。大丈夫。あとは任せるネ。雇い主死なせたら、ちょっと困るアルよ。ワタシだって拳法家。誇りあるヨ」


「先生…くっ! わかりやした! 事務所で待っていやす! わしは信じていますぜ!!」



 ゲロ吉にはわかった。アル先生は死ぬ気だと。背中がそう語っている。


 しかし、そこには彼の誇りや矜持というものが浮かんでいる。人生を武人として生きた者の意地が宿っている。


 誰がいったい止めることができようか。誰が邪魔できようか!


 自分にできることは、ただ信じて待つだけである。




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