246話 「サナの震え」


「ふーーー、ふーーー!」



 荒い息を吐きながらサナがメイスを下ろす。


 狐面が動くことはない。彼女が殺したからだ。もう安心していいだろう。


 しかし、ぎゅっと握り締めて、まだ離そうとしない。力が入ったままだ。


 彼女にとっても厳しい戦いだったのだろう。汗を掻いた顔は紅潮して真っ赤で、荒い呼吸もそのまま。いまだ軽い興奮状態にあることがわかる。


 アンシュラオンは、無駄に刺激をしないようにゆっくりと近づくと、激闘を終えた彼女を労わるように優しく肩に触れた。



「サナ、大変だったか?」


「ふーふー、…こくり」


「強かったか?」


「ふーふー、…こくり」


「そうか。…もう終わったぞ。武器を放して大丈夫だ」


「…こくり、ふーふー」



 サナは頷くが、メイスは握られたままだ。


 自分では放そうとしているのに指が上手く動かないのだ。


 『反動軽減』仕様とはいえ、少女が大人の武人を殴り殺すにはかなりの衝撃があったはずだ。強く握り締めすぎていたため痺れて動かないのだろう。



「大丈夫だ。お兄ちゃんが取ってあげるな」



 アンシュラオンはメイスを掴み、サナの指を一本一本剥がしてやる。


 その指は少しばかり強張っていて力が残っていたが、それ以上傷つかないように優しくどけてやる。


 するりとメイスは抜ける。



 ブルブル ブルブル



 だが、サナの手はまだ震えていた。



「サナ、怖いのか?」


「…ふるふる」


「手が痛いのか?」


「…ふるふる」



(罪悪感で震えているわけではないようだ。怖いという感情もない。だが、身体は緊張状態のままか)



 彼女には人を殺す罪悪感は存在しない。武者震いという感情さえもない。


 情報公開で見た通り、彼女はまだ『意思無き少女』のままなのだ。悪く言えば、アンシュラオンの命令を素直に聞く人形だ。


 言われた通りに動き、教えたようにやる。クロスボウの扱い方もそうやって学んだし、何人か殺したこともある。


 今しがたの戦いも自分の教えを忠実に守っていた。慎重に安全に効果的に相手を倒そうとした。


 ただこれも、彼女が殺したくて殺したわけではないことも事実だ。言われたからそうした。それだけのことだろう。



(人形…か。イタ嬢にも言われたな。だが、オレはサナを一人の人間として立派に育ててやる。それがサナとの契約だからな)



「ほら、お兄ちゃんを握っていな。ここならいくら握っても大丈夫だぞ」



 サナの震える手を自分の胸に持ってくると―――ぎゅっと掴む。



 ぎゅっ、ぎゅうぅううう



 まるで武器を握るかのように思いきり全力で握ってきた。白いスーツがしわくちゃになる。



「ふー、ふー、ふーーー」



 それでもサナの興奮はまだ収まらない。


 今まで安全な場所から殺してきた者が、今度は命の危険がある接近戦で戦ったのだ。それも自分よりも強い相手に。


 ならば、これは当然。


 当人が自覚していなくても身体は命の危険を感じて強張っているのだ。それを彼女が認識していないだけである。


 もしこれが普通の人間ならば、へたり込んで泣いたり叫んだり、何かしらの大きなアクションをするところだが、彼女の場合はそれができない。



(ああ、サナ。かわいそうに…こんなに怯えて。だが、お前はまだ怯えるということを知らない。それが震えだということも知らないんだ。そんな体験をさせてあげるためにオレがいるんだよ)



 彼女の目元が光っている。涙がうっすらと滲んでいる。


 しかしこれは、身体が興奮状態で開きっぱなしの目を乾燥させないためであり、目に入った土を体外に流し出すための『反射反応』にすぎない。



 それは『人間としての涙』ではないのだ。



 本当ならば、サナには幸せだけを味わってほしい。何不自由なく過ごしてほしい。


 誰もが愛する者にそう願ってやまないだろう。


 だが、幸せとは苦労しないことではないし、何も感じないことではない。


 寒さの中に凍えること、熱さの中に焼かれること、痛みの中に悶えること。人間が嫌がるものすべての中に幸せが宿っている。


 なぜならば何も感じないということは、何も知らない『人形』のままだからだ。



 それよりは―――痛いほうがいい。



 まだ痛みに悶えて苦しむほうが人間らしい。


 そもそもそこまでして人間になる意味があるのか、という疑問も生まれるが、人間の霊が生まれた瞬間から進化を義務付けられている。


 どうせ進化するしかないのならば、彼女の人生を自分の手で導いてやりたい。それがアンシュラオンの願いである。


 そこに彼女の本当の幸せがあるような気がするからだ。



「サナ、世界はお前の知らないことで満ちている。お兄ちゃんだって知らないこともいっぱいある。それを知りたいと願うか? だが、知るということは楽しいことばかりではないんだ。苦しいこともあるし、知らなかったほうが良いと思えることもある。人間としての感情が高まれば高まるほど、それは苦痛になっていくものだ。それでも知りたいか?」


「…ふー、ふー、ぎゅっ」



 サナは答えない。ただ握るだけ。


 だが、彼女には握るだけの力がある。それは生きている証だ。


 生を与えられた以上、彼女には死ぬまで生きる義務がある。少なくとも地上で生をまっとうする責務がある。意思があろうとなかろうと、それだけは変わらない事実だ。


 ただ、その中で生きていくためには多くを知らねばならない。そして、強くあらねばならない。


 痛みを受けても、さらに前に進まねばならない。



「世の中は残酷で汚くて愚かなもので埋まっている。埋め尽くされている。そこで生きるってことは大変なことだ。何かを知るためには、まずは生き延びねばならない。そのために戦うんだ。戦い続けるしかない。サナが幸せになるためには、まずは強くあらねばならない。それはわかるか?」


「…こくり」


「弱い者がどうなるかを見てきただろう? サナにはそうなってほしくないんだ。サナのことが大好きだから幸せになってほしいんだ。この戦いも幸せを得るための手段なんだ。これもわかってくれるか?」


「…こくり」


「…サナを戦わせたお兄ちゃんを許してくれるか? お前に痛みを与えたオレを許してくれるか?」


「…こくり、ぎゅっ」


「そうか。ありがとう、サナ。それがまだ本当の意思じゃなくてもオレは嬉しいよ。大丈夫。オレが守るから。どんなつらい状況でもサナがサナらしく生きられるような場所を作るからな。そして、お前を強くするから。信じてくれ」



 ぎゅぅうう


 サナを少しだけ強く抱きしめる。


 愛しい気持ちを込めて、優しく優しく、それでいて愛が抑えられないように強く。



「ふーー、ふーー……ふぅ…ふぅ…」



 そうするとサナの呼吸が安定してきた。


 安心したのかもしれないし、単に時間経過で心拍数が戻っただけかもしれない。


 ただ、手だけはずっとそのまま。ぎゅっと握られたままだ。それが嬉しくて、何度もサナを抱きしめる。



 すりすり すりすり



「あっ…」


「…すりすり」


「サナ…?」



 ここで思わぬことが起こった。



 サナが―――自分から頭をすり寄せてきた。



 すりすり すりすり


 アンシュラオンの胸元にサナが頭をすり寄せている。まるで親を求める小動物の子供のように。


 思えば、サナが自分からすり寄ってくるなど初めてかもしれない。


 いつも自分のほうから触ったり嗅いだりしているので、サナのほうから来た記憶がまったくない。



 それが―――すりすり。



 ブルルルッ



 思わず身体が震える。


 こんなことがあっていいのだろうか。まさに奇跡。まさに感動。思わず泣きそうになるほど嬉しい。


 その反応があまりに可愛くて、自分が仮面なのがもどかしくて、脱いで投げ捨てる。


 愛しいサナに顔をすり付けるためならば、素顔を晒すことに抵抗はまったくない。この瞬間を逃すことこそ罪である。



「ああ、サナ…可愛いサナ…オレのサナ」



 すりすり すりすり


 甘えてくるラノアも可愛かったが、やはりサナは別格。その香りも感触も、心に宿る愛情も桁違いだ。


 世界の中心にサナがいる。それだけで自分の心は満たされるのだ。



 ザラザラッ


 髪の毛に触れると、手に土が付いた。


 見ると美しい黒髪は土に汚れている。さきほどホテルのお風呂に入ったばかりだったので、余計にもったいなく思えてくる。


 しかし、それは彼女が自らの力で勝ち取った勲章でもあるのだ。それを否定することはできない。



「きれいきれいしような」



 サナを抱きしめながら汚れた身体を命気で綺麗にしてあげる。出血や打撲も治したので、これですっかり元通りである。


 だが、心の中にはしこりが残ったままだ。



(強くなるにはこうするしかないが、やはり心苦しいな。サナが痛めつけられるのを見るだけで怒りが湧きあがってくる。危うくオレが殺しそうだったよ)



 この戦いを仕組んだのはアンシュラオン自身である。


 最大の被害者は狐面の男なのだが、そんなことは粉微塵も思わない。自分にとってサナを痛めつける人間は、すべて抹殺対象なのである。


 その狐面の男も死んでしまったので、怒りをぶつける場所がない。それがまたイラつくわけだ。


 そしてその怒りは、これまたまったく関係ないアル先生へと向かうわけだが、ひとまずサナの総括をしておくべきだろう。




(さて、実験は終わった。サナが勝つには勝ったが、いろいろと課題が残る戦いだったのは事実だな。オレがうっかり介入してしまったがゆえに把握できないところもあったし…。まあ、最終的にはサナが勝っていたのは間違いないだろうがな)



 アンシュラオンがサナを抱きながら、最初に彼女が立っていたあたりに向かい、地面に手を伸ばす。


 ごそごそ ひょい



 土を掻き分け、そこから出てきたのは―――大納魔射津。



 土の中には、カプセルに入った大納魔射津があった。軽く指を入れるだけで簡単に取ることができたので、浅い部分に埋まっていたことがわかる。


 これはサナが風鎌牙を使って土を巻き上げた際、相手に向かう前に仕込んだものだ。


 あの行動の本当の目的は、これを隠すためであった。


 サナが劣勢に陥ったのは間違いない。あの後退も誘いではない。ただし、万一自分が追い詰められた場合に備えて、ここに大納魔射津を置いておいたのだ。


 もしアンシュラオンの介入がなければ、このあたりまで引き寄せて起爆しようとしていたはずだ。


 わざわざ設置したのは、あれだけの相手だと目の前で準備をしていたら対応される危険性があったことと、それ以前の問題として取り出す暇さえ与えてもらえないからだろう。


 サナは相手が強いことは理解していたのだ。だからこそ準備を怠らなかった。


 相手が引っかかっていたかはやってみないとわからないが、自爆であっても相手を巻き添えにすることはできただろう。


 サナには命気が張り付いているので死ぬことはない。どのみち相手は死んでいたはずだ。


 最終手段ではあるが、接近して起爆すれば条件に反していないし、アンシュラオンの命令だけを愚直に聞いているだけでは生き残れないこともある。


 監督から「ドリブルをするな」と言われても、それをただ守っているだけでは一流になれないのと同じだ。それを無視しても結果を出すことのほうが重要である。



 このことから一つのことがわかる。



(感情は乏しくても、サナには間違いなく先を読む思考力がある。何度か戦いを見てきたが、サナは【知略派】だな。うちの裏スレイブどものように力だけに頼ることはまずない。これは悪くない方向だ。どんなに強くなっても頭を使わないと勝てない戦いってのはよくある。今後が楽しみだな)



 ワイルダーインパスやヤドイガニの戦いからも垣間見えていたが、サナはしっかりと物事を考えて動いている。


 これもアンシュラオンが日々戦いの話をしていたからだろう。そのすべてを糧としているのだ。


 これはぜひ、このまま育ってもらいたい。未来が楽しみだ。


 一方、身体能力的には課題が残る。



(子供だから仕方ないが、この程度の相手に力負けするようでは問題だな。やはりサナは腕力で押すタイプではないんだ。レベルが上がって技を覚えればいろいろとできるが、間違いなく武器は必要なタイプだろう。剣士の覚醒限界も3だし、剣士ならば武器の質と剣気で攻撃力をカバーできる)



 もし相手が万全な状態、あるいは戦士系だったら捻じ伏せられていた可能性が高い。


 そんなサナの貧弱なパワーを考えれば、腕力を無理に鍛える必要はない。武器を使う中で自然に筋肉を付けるほうが自然な動きができるはずだ。


 攻撃力は武器の性能と剣気による補正、技の習得によって補えばいいのだ。重要なのはテクニックと知略。サナの長所を生かすべきだろう。


 あとはアンシュラオンが本格的に体術と覇王技を教えて、万一無手になった場合でも対応できるようにしていけばいい。技さえ覚えれば、素手でもかなり強くはなれる。



(逆に今の何も教えていない状況でこれだけやれたんだ。それってすごくないか? おお、そうだよ! いきなり放り込んでここまでやれたんだ! ただの女の子がだぞ! これはすごい! やはりサナは天才だ!! オレと同じとはいかないが、まだまだ可能性はあるじゃないか!)



「サナ、お前には才能がある! これからお兄ちゃんが本格的に鍛えてやるからな。大丈夫。もっともっと強くなるぞ! お兄ちゃんと合体攻撃だってできるはずだ!」


「…こくり、ぎゅっ」


「おお、サナもやりたいか? よし、ガンガン教えてやるからな! 楽しみにしておくんだぞ!」



 まだ「愛のラブラブダブル雷神掌」の夢は捨てていない。必ずやれるはずだ。



(自由を得るためには力が必要だ。それをオレは知っている。世界中のすべての災いから自分を守るために、それを打ち破る力が必要なんだ。オレはサナを守る。サナが自分で自分を守れる力を得るまで、鍛え抜くぞ!)



 そして、これからさらに数多くの生贄が捧げられることになる。


 主にマフィア連中が涙を流すことになるだろうが、それは致し方のない犠牲だ。喜んで犠牲になってもらおう。


 そのたびにサナがすり寄ってくれるのならば、さらに素晴らしい。この感動をまた味わいたいと思うのであった。



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