217話 「戦獣乙女たる所以 後編」


「はーーーはーーー!! ひーーー!!」


「ベ・ヴェル、まだ治まらないのですか?」



 ファレアスティが隣で肌をさすっているベ・ヴェルを、じとっと見ている。


 その視線は労わりというよりは、どちらかといえば訝しがるもの。「こいつ、なんでこんなになってんの?」みたいな感じである。


 だが、当人にしてみれば一大事のようだ。



「だ、だって、しょうがないだろう!! あ、あんなものを見たら…ひいいい!!」


「意外ですね。あなたにも弱点があったとは」


「当然だよ! よくあんなものを見ても平気だな!?! あれだぞ! あんな得体の知れないグチャグチャしたものが動いていたんだぞ!!! ひ、ひいっ! 気色悪い!」


「グロテスクな魔獣だっているでしょう。珍しくはありませんよ」


「いるのと大丈夫なのとは違うだろう!! 子供の頃にああいうやつに刺されてからトラウマになって…あああああ! 思い出しただけで…うううう!! 死んじゃう!」


「もう館の中なのですから静かにしてください」


「相変わらず冷たい女だね、お前さんは!」


「ええ、理解できませんから。見た目という意味では怖くないですし」



 現在、彼女たちがいるのは館の内部。あの後、中に通されたのだ。


 ベ・ヴェルは中に通されてからも、さきほど見たものが忘れられずに鳥肌を立てているというわけだ。



(たしかに気持ちはわかるけれど…これで傭兵が務まってきたのかしら)



 彼女の気持ちはわかるが、虫系や海系魔獣の中にはあのような気持ち悪いものもいる。


 その多くは環境に適応するためにそうなっているので、あの触手だって必要だからそなわっているものだ。好き好んで付けているわけではない。


 いくら気持ち悪いからといって、いちいち怖がっていたら戦えないと思うのだが、人が潜在的にゴキブリを怖がるのと同じく、ベ・ヴェルにとって【アレ】はそういったものなのだろう。



 そんなベ・ヴェルは放っておき、ファレアスティは周囲を観察する。



(相変わらず閑散とした館です)



 自分がいるのは館の中の一室で、客間の一つだ。かなり大きな部屋なので何十人も集まってパーティーができそうなくらい広い。


 が、ここにいるのは自分とベ・ヴェルとアーブスラットに加えて、ルイペナと呼ばれた若い女性の使用人が一人だけだ。


 そこそこ館を歩いたが、その間に見かけた使用人は数人程度。玄関で出会ったハウーロを入れても、たいした数ではないだろう。


 しかも使用人自体は弱い。ファレアスティでも十分勝てるレベルである。



(使用人たちは武人ではない。警備としては相当脆弱。襲おうと思えば襲える。でも、あの老人一人がいるだけでご破算になるでしょうね。それ以前に、この館にいる者は誰一人として彼女を裏切らない。それが一番厄介です)



 この別邸はプライリーラの私邸となっているので、警備を考えるのならばもっと人がいるべきである。使用人も武術の心得がある人間を選ぶべきだろう。


 しかし、プライリーラはそうした人選はしない。


 すべての使用人は代々ジングラスに仕えている者たちで、ルイペナやハウーロといった若い世代も、親がジングラスの使用人だった者しかいない。


 プライリーラ当人が強く、護衛はアーブスラット一人いれば過剰戦力なので、強い人間を集める理由がないのだ。


 それよりは【信頼】を一番大切にしている。【家族】といったものが生み出す一体感を重視しているのだ。


 そのおかげで彼女の周囲にいる人間は、誰もがプライリーラと強い絆で繋がっている。彼女自身の魅力や人柄もあるので普通の家族以上の絆を有する。


 それこそが一番の安全だと知っているのだ。


 彼らは何を犠牲にしてもプライリーラを守ろうとするだろう。懐柔や買収は効かないし、誘拐による脅迫も効かない。


 裏の人間が得意とする技能がまったく通じない。これは実に厄介なことだ。



 そして、もっと厄介なものがこの館にはいる。



「さっきのクラゲみたいなやつ…兵隊なのかい?」


「ええ、そうです。彼女が飼っている【魔獣ペット】です」



 あの騎士の中身は―――魔獣。



 細い触手を何本も持ったイソギンチャクのような軟体魔獣で、あれが鎧の中に入って動かしている。


 魔獣の名前は、『ホスモルサルファ〈多着刺水母〉』。文字通りクラゲの一種であるが、地球にいるものとは違って陸上で生活している。


 触手には毒棘があり、刺さった相手を痺れさせて捕食する。獲物は丸呑みされて体内で溶かすのだが、大きい場合は細かい歯がついた口にあたる部位で噛み砕くこともある。


 単体でもそれなりに強いが凶暴ではないので、レッドハンターでも対応できる第五級の抹殺級魔獣に指定されている。


 しかし、この魔獣の怖いところは【増殖】するところだ。


 一定の栄養分があれば無性生殖で数を増やすので、餌をあげて良質な場所で育てると大量に発生する。


 この数が数百にもなれば、第三級の討滅級魔獣扱いにもなるという危険な魔獣である。



 これだけでも危険だが、ホスモルサルファはさらに厄介な能力を持つ。それが【群体融合】だ。



 あの騎士の中にはいくつものホスモルサルファがくっついて存在しており、一つの生命体として活動している。身体の一部をくっつけ、栄養素を分け合って暮らしているのだ。


 欠損があっても増殖して再融合することが可能で、非常に生命力が強い魔獣として有名だ。


 彼らが増殖した際には一気に焼き払うなどしない限り、討伐はかなり難しいだろう。


 プライリーラが鎧の中に入れているのは世間体を考えてのことだ。知らない人間からすれば、ベ・ヴェルがそうであったように人間に見える。



 それを知らないで館に忍び込もうものならば―――彼らの餌となる。



 事実、何度かそういう事件があった。


 空き巣に入ろうとした者や、外部の勢力が情報を得るために忍び込んだ忍者が、もれなくクラゲ騎士の餌食になっている。



「とんでもないものを飼っているねぇ。正気とは思えない。この都市では魔獣を飼う習慣でもあるのかい?」


「フォーナドッグを筆頭に、ほかにも家畜化された魔獣はいるでしょう? 魔獣は有益な資源でもありますから」


「そりゃそうだけど…あれはレベルが違うんじゃないのかい? ちょっと普通じゃないさ」



 魔獣の最低位は、第八級の無害級魔獣である。この階級の魔獣は家畜化が可能な種族も多く、魔獣が多いグラス・ギース周辺では大切な資源になっている。


 この程度の魔獣に関しては他の地域でも普通に家畜化されているので、さほど珍しくはないだろう。場所によってはワイルダーインパスの近縁種が家畜化されて労働力になっているところもある。


 ただ、プライリーラが飼っている魔獣は毛色がかなり異なる。ベ・ヴェルもいろいろな都市を見てきたが、あのようなものを見るのは初めてだった。



「その意見には賛同しましょう。彼女が特別なのです。そして、それこそがジングラスの恐ろしさ。私がここに『最大戦力がある』と言った意味がわかったはずです」


「つまりプライリーラは、あのクラゲ騎士を自由に操れるってのかい?」


「あなたも見たように飼い主には服従しています」


「犬とか猫ならわかるけど、あんなクラゲと意思疎通ができるとは思えないけど…」


「それにも賛同ですが、事実なのですから仕方ありません。ジングラスの秘術の中には特定の魔獣を飼い慣らすものがあるといいます。おそらく何かしらの薬などによるものでしょうが…」


「薬の担当は、あんたらラングラスだろう。何か知らないのかい?」


「ラングラスがすべての薬を知っているわけではありません。それに薬の原料は何だと思いますか? 鉱物や菌類も使いますが、大半が植物です。そして人間の食糧の大半も植物です」


「もしかして仕入れの担当はジングラスなのかい?」


「そこが問題なのです。我々ラングラスは薬に使用する材料の仕入れを担当していますが、本来医薬品に使用する植物でもジングラスが食糧と言い張れば競合が発生します。鉱物になればハングラスの担当です」



 グラス・マンサーの権益というものは複雑に絡み合っており、簡単に裏切れない仕組みが生まれている。


 ジングラスがラングラスに近いのは、さまざまな食料品を扱う点だ。


 当然その中には植物などもあり、薬に使えそうなものはラングラスに回されるが、そこでさまざまな諍いやトラブルが起こる可能性があるのだ。


 ソブカがジングラスを目障りと思うのも当然である。ジングラスがいなければ作れない薬品もあるので、もし争えば輸入に頼るしかなくなってしまう。


 一番困るのはその流通過程で、ジングラスが薬の知識を得る点である。


 原料は秘密にされているが、仕入れがわかれば推測することが可能だ。仮にそこで原料を値上げすればラングラスの権益にも影響が出てくる。


 一方のラングラスも医療拒否などで抵抗すればいいが、病人に薬が必須というわけではないのがつらいところだ。


 この力関係がある限り、ラングラスはジングラスに勝つことはできない。それを打開しようにも現状では太刀打ちできない。



「クラゲ騎士は緩慢な動きに見えたかもしれませんが、敵と認識した場合は機敏になります。戦闘になったらあなたでも勝てないでしょうね。仮に鎧を打ち砕いても、その中にはあれが何十匹もいるのですから。数匹倒してもすぐに再生しますし」


「ひ、ひっ! 嫌なことを言うんじゃないよ! また鳥肌が…!」


「見た目はともかく強力な【兵器】です。私たちが知る限りでも鎧に入った存在が三十体以上はいますし、彼女たちはさらに【大型の魔獣】も飼っています」


「あんなのが、まだいるってのかい!?」


「さすがに軟体魔獣はあれだけだと思いますが、大型魔獣は戦闘力が極めて高いです。羽馬の紋章を見たでしょう? …あれは【ジングラスの守護者】を暗示しているのです」


「羽馬…つまり馬型の魔獣かい?」


「そう聞いています。私も実際に見たことはありませんから噂の域を出ませんが、他に魔獣を飼育しているのは間違いありません。ジングラスは武闘派組織が少ない派閥ですが、それらを含めればけっして他のグラス・マンサーには劣りません。いえ、あるいは戦闘力はトップかもしれませんね。だからこそ彼女は【戦獣乙女】と呼ばれるのです」



 個人でも強力な武人であるプライリーラとアーブスラットに加え、クラゲ騎士に守護者の馬型魔獣、さらに他の大型魔獣たち。



 それらの魔獣を操り戦場を駆ける戦乙女―――すなわち【戦獣乙女】。



 あの二人だけでも強力なのに魔獣まで加われば非常に厄介である。


 初代ジングラスは、その力を使って英雄になった。魔獣に怯える人々を魔獣で救う勇ましい姿は、まさに人々のアイドルになるに相応しい存在である。


 その英雄の武具を身につけ魔獣を操るプライリーラは、まさに初代の生き写し。都市内部で人気が出て当然である。



「なるほどねぇ。たしかに降参だわ」


「思い違いをしてもらいたくありませんが、ラングラスとてジングラスに劣っているわけではありません。すべての力を結集できれば勝ち目もあります。集まれば…ですが」



 ラングラスは医者の系統なので秘薬や秘術も多く、ソイドファミリーなどの武闘派を軸にすれば戦闘力も確保できるだろう。


 しかも伝説通りならば初代ラングラスは死者すら蘇生できたという。倒れるたびに仲間を蘇生させ、何度も強力な魔獣に挑んだという逸話がある。


 所詮伝説にすぎないが、何かしらの薬を使って擬似的な不死の集団が作れるのならば圧倒的に有利だ。消耗戦に持ち込めれば勝機もある。


 しかし当然ながら、ラングラス全体が一つにまとまらねば前提条件すらクリアできない。長い時間をかけて腐敗してきた組織に一致団結は望めないだろう。



「結局、待つことしかできないってことだねぇ」



 ベ・ヴェルは、この部屋の奥にある扉に視線を移す。


 この先にある重役専用の応接室の中には、プライリーラとソブカだけが入っている。


 本当はファレアスティも入りたかったのだが、トップ同士の大切な話し合いということで「二人きり」ということになった。



「若い男女が二人きり…ねぇ」


「何が言いたいのですか?」


「いやいや、べつに。ソブカだって男だしね。『あの坊や』みたいに欲望に正直じゃないにしても、若い男ってのはどうしようもない欲求を持っているもんだ。さっきのあんたみたいにムラムラすれば、中で何があっても…いたっ!?」


「やめなさい。刺しますよ」


「刺してから言うんじゃないよ!! 怖い女だね!」



 自信の表れなのか、ファレアスティたちは武器の携帯も認められている。それだけ力の差があることを示してもいるのだ。


 ソブカの性格上、中で色恋沙汰が発生するとは思わないが、相手が武力に訴えたら終わりである。


 プライリーラの性格を考えれば、それもまた低い確率であるも、彼女自身が言ったように絶対はない。そこが心配である。


 何よりファレアスティはプライリーラを【女として】信用していない。


 女は強い生き物であり、獣だ。自分の欲望に一番正直なのは男ではなく女のほうなのだ。だから信用しない。できるわけがない。



(ソブカ様、どうかご無事で…)



 今のファレアスティにはソブカの無事を祈るしかない。それが歯がゆい。




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