193話 「勝者の美、敗者の罪」


(うーむ、技量に差があったようだな。ちょっとアンフェアだった気もするが、サナは女の子だしな。これくらいのハンデは妥当だろう。やはりルアンが弱かったのが悪いんだ。男ならばもっと鍛えておくべきだろうし。うん、これは正当な結果だ)



 結果的にサナのほうが技量が上だったので、アンシュラオンの見立ては完全に間違っていたようだ。


 が、サナが思った以上に強かったことを知って、心の中ではホクホク顔である。


 世間に大々的に自慢したいところだが、それができないのがもどかしい。



「…ふー、ふー」


「黒姫、よくやった! 追い詰めた段階でお前の勝ちだ。よく周りが見えているな!」


「…こくり」


「その後もすごかったぞ! すごい! 素晴らしい! 最高だ! いい子、いい子。ほら、自分の手を見てごらん。それが勝者の手だ。この世でもっとも美しいものの一つだ。よく覚えておくんだよ」


「…ふー、ふー、こくり」



 サナは興奮した様子で自分の手を見た。


 それは勝者の手。勝った者だけが得られる美しい手だ。



「真剣勝負において勝敗は一度きりだ。その感覚は勝った者だけが味わえる。お前は勝ったんだ。勝ち残ったんだ」


「…こくり」



 これが、サナが初めて一対一で勝った戦いである。


 サリータの手も借りず、クロスボウも使わず、術具も使わず、相手と同じ条件で勝った。


 場合によっては刺されていたのは自分かもしれない。その緊張感を感じていたかはわからないが、この経験は彼女に大きな恩恵をもたらすだろう。



(人生では負けて学ぶこともある。負けなければわからないこともある。だがそれは殺し合い以外の分野の話だ。勉強の順位やデスクワークでの失敗なら、いくらやってもいい。人間関係も、いくらでも失敗すればいい。しかし、戦いでそれをやったら死ぬ。だから勝ち続けねばならない。勝った者だけが強くなり続ける。それが武人なんだ)



 人類はすべて勝者によって形成されている。


 無限の生命を持つ本体の霊は失敗を経験しながら向上するが、地上世界に存在する生物は、遺伝子上、肉体要素的に全員勝者の因子を持っているのだ。


 その勝者の中でまた生存競争が行われ、勝った者だけが生き残り、人の肉体は進化し続ける。


 それこそ武人。武人の闘争本能の真髄。勝たねば進化できない宿命を与えられた存在である。



 サナは―――勝ったのだ。



 負けてはいけない戦いに勝った。この意味は非常に大きい。



(サナはやっぱりすごいぞ!! この成長率は半端ない! マジヤバイって! もう最高だよ、サナちゃん最高!!)



 アンシュラオンは結果に大満足である。


 そして、こうして喜ぶ勝者が存在するということは、もう一方は敗者となったことを意味する。


 その落差は激しい。



「ルアン、ルアン!! しっかりしろ!!」


「…ぁ…と…さん…。ぼく…ぁ……」


「ルアン! 死ぬな!! 死んだら駄目だぞ!! 死んだら負けるってことだ!! 死ななければ負けてないんだぞ!! がんばるんだ!!」


「負け……ああ……くや…しぃ……なぁっ……」



 ボタボタ


 ルアンの腹から血液が流れ出る。それは敗者の証。負けた人間が受ける残酷な結果と痛み。


 急所ではなかったのですぐに死ぬことはないが、現在のグラス・ギースの医療技術では助かるかどうかは微妙なところだ。


 それ以前に、この男が逃がしてくれるわけもない。ニヤニヤしながら敗者に近寄る。



「よぉ、負け犬君、気分はどうだ?」


「ぁっ…ぁ…く…そっ…」


「人の顔を見てクソはないだろう、クソは。で、どうだ? 痛いか? 痛いよな?」


「いた…く…なんか…」


「んー? そうか? これでもか?」



 アンシュラオンがルアンの腹に突き刺さったナイフを―――さらに押し込む。



「がぁあああああ!!」


「おや、痛くないんじゃないのか? 嘘はいけないなぁ、嘘は。その歳で嘘ばかりつくと歪んだ大人になっちまうぞ。で、満足か? これがお前が望んだ結末だ」


「こ、こんな…もの…望む…ひぐっ―――!!」


「なんだ? よく聴こえないな? もっとはっきり教えてくれよ」



 それからさらに柄を動かしてぐりぐりと抉る。



「ぐあぁあああ!! ぎゃあああああああ!」


「お前は負けたんだ。敗者がどうなるか、わかるか?」


「がぁっっ…ぁっ!!!」


「おいおい、どうした。ちゃんと答えろよ。人の話を無視するのがお前の正義なのか? 父親から学んだことはそんなことなのか?」


「がっ…ぐっ…がぁぁっ!」


「全然聴こえないなぁ。もっと大きな声で教えてくれよ。お前の正義ってやつをさ。あんなに偉そうにオレのことを罵倒したんだ。その素晴らしいご高説を、ぜひもう一度拝聴したいもんだなぁ」


「がぁああああ!!」


「がぁあ? それがお前の正義なのか? すまんが人間の言葉でしゃべってくれないか? それともオレには正義を語ってくれないのか? なぁ、おい、そんな寂しいこと言うなよ。オレも仲間に入れてくれよ」


「かはぁっ…はっ……っ!」



 ビクビクビクッ


 あまりの痛みに身体が痙攣。もはや言葉を発せられる状況ではない。



「やめろ!! これ以上、息子を穢すな!!!」


「黙れよ、レブファト。これはお前が招いた結果なんだぞ。お前が息子にちゃんと教育をしなかったからだ」


「な、なんだと…!」


「正義なんぞを振りかざした以上、こいつにも責任がある。この痛みはその代償だな」



 正義は素晴らしい。正義は美徳だ。正義なきところには何も存在しえない。誰だってそう思う。それは真実だ。


 しかし、ルアンの言葉は正しくても、決定的に足りないものがあった。


 それは父親から教わらなかったもの。今彼を追い込んでいるもの。



「ルアン、お前はかわいそうなやつだ。ただ真面目だけが取り柄の父親に美学だけを教えられ、真実を教わってこなかった。敗者がどうなるかを教わらなかった。『力無き正義が、悪よりも悪質』であることを教わらなかった。それは『愚者』と同じなんだ。無責任に自分の正義だけを振りかざす馬鹿と同じなんだよ」


「がああぁっ…ああ!」


「痛いか? そうだろうな。お前は負けたんだからさ。正義を求めるのならば、まず先に力を求めるべきだったんだよ。だからこれは勝者であるオレの権利であり、敗者であるお前が受け入れるべき痛みだ」



 サリータを身内に入れた時、まず彼女には強くなることを勧めた。それ以外を考えるなと。


 その意味は、わざわざ説明する必要もない。ルアンを見ればすぐにわかる。


 いくら勇気があっても無謀な行動の結果は残酷だ。抉るごとにルアンの身体から血液が溢れる。この血が罪なのだ。まさに口だけの正義の末路だ。



 当然、それを納得できない者もいる。ルアンを教育したレブファトだ。



「やめろ!! こんなことをして何の意味がある! 誰もがお前のように力を持っているわけではない! 力無き者は正義を語る資格もないと言うのか!」


「実行力がない思想に何の意味がある? その結果がこれだぞ? お前は自分のみならず息子まで巻き込んだ。その責任を少しは感じろよ。この結果だって予測はできたはずだ。こんな余興でなくてもオレがお前たちに何をするか、想像はできたはずだ。嫌ならば最初から従っておくべきだったな」


「くう…うう…!」


「力無き正義のなんと愚かなことか。たった一人の愚か者の行動が多くの人々を不幸にしてしまう。その典型だな。レブファト、ルアン、お前たちが正義を貫くのならば力ある者に付き従い、積極的に力を得る努力をすべきだった。もしオレが気に入らないのならば服従したふりをして、オレが弱る時を何十年でも待つべきだった。そんな覚悟もなしにお前たちは自分の正義に酔ったんだよ。力無き正義にな」



 ズボッ ごぶごぶごぶっ


 ダガーを抜くと一気に出血が増える。



「あぁあああ!! ぁっっ―――はぁはぁ…はぁはぁ…! とさん…おとう……さぁ…―――がく」



 何度か激しく痙攣して、がくっと意識を失う。


 血を失うごとに顔色が一気に青白くなっていくのがわかる。非常に危険な状況だ。



「かなりショックが強いな。そりゃ刺されたんだ。当然だな。治療をしなければ、すぐにでも死ぬぞ。子供は弱いからな…恨むなよ、対等な勝負だったんだ。逆の立場だってありえた。そこは納得しろ」


「た、頼む!! 息子を助けてくれ!!! 頼む!! 頼むから!!」


「グマシカ・マングラスの居場所を教えろ」


「本当に知らないんだ! 本当だ!! 信じてくれ!! ううぅう…ほ、本当なんだぁ…!!」



 あの真面目で堅物のレブファトが泣きじゃくりながら懇願する。その様子は鬼気迫るものがある。



「ふん、まあそうだろうな。グマシカは用心深い男らしい。他派閥とはいえ組長クラスでも知らないんだ。お前が知っている可能性は低いとは思っていたさ。だが、知らないのでは息子を生かしておく価値がないな。人質はお前の妻だけで十分だろうし。がんばって二人目を作るんだな」


「努力する!! 調べる! わかったことは全部知らせる! だから頼む! 頼むぅううう!!!」


「命をかけて調べろ。約束できなければ、息子はここで死ぬ」


「わかった!! 約束する!!」


「約束は絶対だ。裏切ったらどうなるか、わかるな。お前の妻もこうなるだけだぞ。仮にお前が逃げても追いかける。その先々ですべての人間が同じ結末を迎える。こいつのように泣きながら死んでいく。お前のせいでな」


「わかった! わかったから!! 服従する!」


「いいだろう。助けてやる」



 契約は成った。



 命気を放出してルアンを治療。見る見る間に傷が治っていく。


 だが、まだ意識は戻らない。



「刺し傷は損壊より遥かに簡単だな。ちょっとオレが抉った部分の治りが遅いが…もう大丈夫だ」


「…本当に…治ったのか?」


「オレを誰だと思っている。名医のホワイトだぞ。信用しろ」


「る、ルアン…うううっ、お父さんを許してくれ…ううう、ううう!」


「感涙しているところ悪いが、こいつはオレが預かる」


「な、なんだって!?」


「負けた場合、オレの言うことを聞くと約束したはずだ。こいつには違う役割を与える」


「ま、待ってくれ! 何をさせるつもりだ! それで死んだらどうするんだ!」


「それは賭けに負けたこいつの責任だろう。それともお前の正義は約束を反故にすることなのか? 都合が悪くなったら破っていいと教えているのか? もしそうならば、オレもお前との約束を守れなくなるぞ。それでもいいのか?」


「そ、それは…」


「お前がグマシカの居場所を突き止めるか、あるいは有力な情報を提供したら息子を返してやる。安心しろ。それまではオレなりのやり方で教育してやる。子供の教育は大事だからな。お前のせいで多少歪んでいるが、少しはましになるようにしてやるよ」



 レブファトは何も言えなかった。その権利すらない。


 彼がやることはたった一つ。グマシカの居場所を突き止めることだけである。恐ろしく困難で危険だが、やるしかない。



 アンシュラオンは、レブファトに抱えられたルアンを見る。


 彼はたしかに負けたが、光るものはあった。その事実は認める。



「ルアン、お前は案外根性があるな。あのまま終わるかと思ったが最後に気迫を見せた。安っぽい正義感は嫌いだが、家族を守ろうとする意思の強さは本物だ。誰にでもできることじゃない。オレにだって簡単にはできない」



 よく根性を見せろ、見せてやる、とは言うものの、実際に厳しい環境下に置かれると実行するのは難しいものだ。


 アンシュラオンでも同じ真似はできないに違いない。そもそもこの狡猾な男がルアンだったら、痛い目に遭う前に服従するだろう。姉にそうしていたように。


 だからこそルアンのがんばりは称賛に値する。



(ふむ、男にはあまり興味がないが…嫌いじゃないタイプだ。ゼブ兄に少し似ているせいかな? まあ、あの人は力があるから正義を振りかざしても問題ないんだが…こいつを鍛えたらどうなるんだろうな。その力でオレに向かってくるか? それもまた面白いか。ふっ、オレもあまりソブカのことは言えないな)



 あえて危険を放置して楽しむ。遊び人の悪い癖である。


 だが、ルアンという少年には少しばかり見込みがある。ひとまず無意味に殺すという選択肢はなくなった。


 それは憐憫やら無責任な同情ではなく、彼自身が自らの行動で勝ち取った【権利】である。



 これもある意味で恩寵。



 魔人に教育されるのだ。世の中を何も知らないまま無力な正義を振りかざすよりは、よほどましな人間になることだろう。


 当然、それが幸せとは限らないが。

 



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