192話 「サナとルアンの決闘 後編」


 前蹴りのように押し出された蹴りが、みぞおちに直撃。


 自分の手で視界が塞がれたため相手の挙動がまったく見えず、さらに武器を投げられたことで思考が止まった一瞬の隙を狙われたものだ。


 ここでは体格差が悪いほうに出た。腕を上げてしまえば、小柄なサナからはルアンの胴体が丸見えなのだ。



「っ…ぁ!」



 激しい衝撃でルアンの息が止まる。


 みぞおちへの攻撃は、それが軽いものでも事前に踏ん張っていなければ大きなダメージになる。


 しかもサナの蹴りは思った以上に重かった。まるで大人の男性に蹴りを入れられたような衝撃である。


 こうなると本当に呼吸が止まる。衝撃と痛み、呼吸ができない状況にパニックになるのだ。



「かはっ…はっ…っ…」


「……しゅっ」



 当然、その隙をサナが逃すはずがない。


 動きが止まったルアンの膝に、もう一撃。今度はかかとの部分を強く押し当てるように、外側から膝を思いきり蹴る。


 メキィッ


 嫌な音がすると同時に、膝に激しい痛みが走る。



「がぁああ!」



 みぞおちの痛みに加えて膝が曲がったことで、前屈みのような状態になる。


 バシッ


 今度は手首に手刀を叩き込み、持っていたダガーを奪おうとする。



「は、放すか―――っ!?」



 ルアンは必死にダガーを守ろうと身体を丸める。


 これを奪われたら終わりなのだ。それはもう決死の覚悟で守る。



 が、それは―――フェイント。



 少し離れた場所から見ていれば何が起こったのかわかる。


 ルアンが丸まった瞬間、サナは一度バックステップをすると、身体を大きく捻った。


 小さな体躯の少女とはいえ、身体全体を回転させて勢いをつけた一撃は強力。



 無防備になったルアンの側頭部に―――蹴りが入る。



 それは回し蹴り。こちらもかかとの部分が、まともに入った。



「っ!??!? ―――がっ…はっ…」



 激しい衝撃の後、ジィイインという熱湯をかけられたような熱さが走る。


 側頭部は軽く押しただけでも痛みを感じるような場所だ。空手の試合のように、そこに蹴りの一撃をもらえば屈強な男とて一発KOされるほどだ。


 ルアンの視界が揺らぐ。立ちくらみのような視界と身体のバランスが合わない感覚に襲われ、ふらっと倒れそうになる。


 されど、これで攻撃は終わらない。


 サナは、さらに膝、腕、顔面に続けて蹴りとパンチを入れて、完全に無力化を図る。


 当然、自分の肉体は武器の一つ。格闘は正当な手段である。ルール違反ではない。


 ただアンシュラオンがあえて言わなかったので、ルアンの中には選択肢として浮かばなかったにすぎない。


 彼には、せいぜい組み付いて倒すくらいしか頭になかった。それもまた体格が上の自分だからこそであり、まさか小柄な少女が格闘戦を挑むとは思わなかったのだ。


 それは油断であるが、そもそもダガーを投げるという突飛な戦術を取った段階で、サナが圧倒的に有利に立ったのは間違いない。



 これは実に不思議な光景。



 いまだダガーを掴んで離さないルアン。おそらくそれは離したら死ぬという防衛本能によって、無意識下で行われているものなのだろう。


 その彼とは対照的に、ダガーを手放したサナのほうが一方的に彼を攻撃している。これこそ戦いの妙というものだ。



(サナ、すごいな。ボコボコにしてるな。格闘術は…少し教えたっけ? でも本当に基本だけだし、護身術程度だよな? あんなフェイントなんて教えてないしね。それともオレの戦闘中に学んだのか?)



 アンシュラオンが教えたのは、軽い護身術程度だ。


 シャイナがホテルでアンシュラオンの顔を殴って拳を痛めたので、拳を痛めない殴り方や効果の高い蹴り方を軽くレクチャーしただけだ。


 あとはサナ用に作った戦闘絵本教材で、一通りの知識を教えただけである。本格的な訓練はしていない。


 しかしながら陽禅公の下で武芸をほぼ極めた男である。意識せずとも格闘オタクといってもよいレベルにあるため、「軽く教えた=空手の奥義を教えた」に近い可能性があるのも否定できない。


 サナが何の躊躇いもなく回し蹴りをするなど異常だ。絶対に教えたに違いない。忘れているだけである。



 また、サナは今まで自分の戦いをすべて見てきた。


 思えばガンプドルフの戦いからずっと見てきているので、一般人とは思えないほどの「見る経験」を積んできているのは確かだろう。


 見る、というのは学びの基本だ。昔の技術の大半は見て盗んだものである。しかもサナは普段から、いろいろなものをじっと見つめている。吸収しようとしている。


 それが見えていたらの話だが、アンシュラオンやガンプドルフなどの一流の武人が行うフェイントを見ていたので、なんとなく覚えていてやってみたのかもしれない。


 そう考えると、さきほどの回し蹴りはガンプドルフがやったものに似ている。まるでトレースしたかのように完璧にあの時のものだ。サナには真似る才能があるのかもしれない。



 これは、ちょっと卑怯。



 この事実は、ルアンにとって不運でしかない。


 武芸を習った成人ならばともかく、何の訓練も受けていない子供にならば、これは効果覿面。かわいそうになるほど、ほぼすべての攻撃がヒットしていく。



 カランッ




 そしてついにルアンが―――ダガーを落とす。




 サナにボコボコにされ、握る力もなくしてしまったのだろう。顔が腫れ上がっており、目は開いているが意識があるのかもわからないほど虚ろだ。


 逆によくこれだけもったものだ。やはり体格差の影響は大きかったと思われる。


 体重が軽いサナの一撃では、一発のダメージは少ない。これだけ打ってようやく無力化できたのだ。



 だが、勝負は終わりではない。



 これはあくまで余興にすぎない。結果を出すための手段にすぎない。


 サナは相手の様子をうかがいながら、まずルアンが落としたダガーを蹴り飛ばし、次に自分が投げたほうのダガーを回収。


 これで準備は整った。あとは刺すだけだ。


 ゆっくり、ゆっくりと両手に持ったダガーを構え、サナがうずくまったルアンに近づいていく。この段階でもまだ油断はしていない。


 サナは刺すという行為だけに集中している。刺さないで終わる、などという決着はありえない。



 その状況に、レブファトが叫ぶ。



「ま、待て! もう勝負はついた! こっちの負けでいい!! だからルアンを殺さないでくれ!」


「レブファト、なさけないことを言うな。お前も男ならばわかるだろう? 勝負とは完全決着でのみ終わる。ルールは絶対だ」


「なんてことを!! もういいだろう! 負けだ!! 頼む!! 頼むから!! この通りだ!」



 レブファトが土下座。床に頭をこすりつける。


 それは必死に子供を守りたいと願う父親の純粋な姿であった。


 その姿に、さすがのアンシュラオンも少し考える。



「ううむ、お前は武人じゃないしな…そこまで言うのならば考えてやらんこともないが…教育上はよくないんだよな…中途半端に終わるとさ」


「頼む! 何でもする!! だから助けてくれ!!」


「ふむ…」



(これ以上やるのはマイナスか? せっかく相手が負けを認めているんだから、そっちのほうが得かな? あとで根に持たれて自暴自棄になられても困るしな…)



 相手が負けを認めたため、利益を優先するアンシュラオンにとっては、これ以上やることはむしろマイナスにもなりかねない。


 ごりごりのヤクザが相手ならばいざ知らず、はっきり言えばただの少年である。そこまでする必要がないのも事実。


 一番最悪なのは、利益が出ないこと。


 レブファトが息子を殺された恨みで破壊的、破滅的な行動に出ることだ。それでは一銭の得にもならない。それはまさに無駄でしかない。



「しょうがない。お前がそこまで言うのなら…」


「…ちゃ…いけ……ない」



 だが、その言葉に反発する者が、この部屋に一人だけいる。



 それは―――ルアン。



 顔中をアザだらけにした少年が、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。


 膝をがくがくさせながら、身体をぶるぶる震わせながら、鈍い痛みに耐えて起きようとする。


 その目にはまだ光があった。


 意思の光、心の光、信念の光だ。意思こそが人の本質。魂の炎が彼に最後の力を与える。



「負けちゃ…いけ…ない…。負けたら…いけない!!!」


「ルアン、もういい! もうやめろ!!」


「お父さんは…ぼく…は……負けたら…いけないいいいいいい!!!」



 しゃべるたびに口から血がぼたぼた垂れているが、そんなことは気にしない。


 いや、おそらくルアンには、レブファトの声すら聴こえていないのだろう。もう外部からの言葉は何も届かない。


 自分が負けたら終わってしまう。家族が不幸になってしまう。ただそれだけが彼を動かす原動力であった。



「うう、うぅぅうううぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」



 ルアンは最後の力を振り絞ってサナに襲いかかる。


 もう自分の手にダガーがないということすら理解していない。防衛本能だけで動いている獣と同じである。


 意識を失うまで頭の中に刷り込んでいたイメージ。押し倒して刺す、ということしか考えていない。


 そう、側頭部への攻撃でほぼ意識が飛んでいたのだ。それ以後の記憶は彼にはない。


 あるのは執念。守らねばならないという意思のみ。



「………」



 サナは、数歩下がった。


 それは臆したわけでも逃げたわけでもない。


 歳相応の普通の少女、たとえばセノアならば怯えて動けなくなっていたところだろうが、サナにそんな感情は存在しない。


 彼女にとっては、これは好都合。相手が両手を広げて突っかかってきてくれる。その腹は丸見えだ。



 一度下がって、反動と助走をつけ―――再び前に向かう。



 彼女の背後には壁はない。まるで弓の弦のように引き絞られた身体が、一気に前方へ加速。



 ドンッ!!




―――激突




 上から覆い被さるようなルアン。下から突き上げるような形となったサナ。




 二人の身体が重なり合い、勝敗は決まった。




 勝負を分けたのは、とても簡単な理由だった。


 硬い壁を背にして反動なく飛びかかったルアンと、勢いをつけて万全の体勢で突っ込んだサナ。


 それはもう始まる前から結果が決まっていたことなのだ。この状況を生み出した少女の圧倒的有利から始まったことだ。



 結果は―――突き刺さる。



 ルアンの腹に、ずっぷりとダガーが突き刺さっていた。


 お互いに勢いがついたので途中で止まるということにはならず、根元まで突き刺さっている。


 貫通はしていないが、それなりの長さがあるので確実に臓器まで達しているだろう。



「ぁ…ぁあ……」



 ルアンから力が抜け、ずるりと崩れ落ちた。



 これで勝負あり。サナの勝ちである。



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