191話 「サナとルアンの決闘 前編」


「ぐっ…!」



 ルアンの左腕に痛みが走る。傷は浅いがショックが大きい。


 ダガーが本物であることはわかっていても実感や認識がなかった。知識では知っていても痛みは知らなかった。


 これが本当に自分を殺す道具であることを、今まさに身をもって知ったのだ。


 だからこそ動きが鈍る。誰がどう見てもピンチである。ここに突っ込まれてきたら危うい。



 そのチャンスに、サナは追撃―――しない。



 少しだけ間合いを取って、ルアンの様子を眺めている。


 その間にルアンは体勢を整えることに成功。再び真正面を向く。


 だが、疑問は消えない。



(なんで攻撃してこないんだ? 怖くなったのか? …いや、そんなことはない。さっきの一撃は本当に殺すつもりだったはずだ。そう、本気で…僕を…)



 サナのことを知らないルアンでも相手が本気であったことくらいはわかる。


 料理人が魚を捌くくらい自然に、小学生が虫かごにセミをぶっ込むくらい強く、何の躊躇もなく刺してきた。


 そのことに驚愕と戦慄を覚える。



(どうして人を簡単に殺そうと思えるんだ…! 信じられない!! 少しくらい迷ったり躊躇ったりしろよ! くそっ、違う! そうじゃない! そんなことを考えている暇なんてないぞ!! なんとかしないと…この状況をもっとよく考えるんだ)



 ルアンには、一つだけ才能があった。


 それは物を考える思考力。ソイドビッグにはなかった知的要素である。一方でビッグにはある腕力が彼にはないので、そうたやすく天は人に二物を与えないものらしい。


 どちらにせよ、今の彼にできることは考えることだけである。それしかできない。



(あの子は、今もああやって僕を見ている…なんで見ているんだ? 弱い場所を探っている? その可能性もあるけど…さっきは今よりチャンスだったはず。あっ…もしかして、そのチャンスの攻撃を防いだから?)



 少女が追撃しないのは、自分がさっきの攻撃を防いだからだと思われる。


 出鼻をくじくという最大のチャンスで仕留め損なったことで、相手は慎重になっているのだ。


 なにせ勝敗条件は「相手の身体にナイフを根元まで突き刺すこと」である。


 それは腕でもかまわないのだが、骨のことを考えれば根元まで突き刺すのは難しい。今のように振り払ってしまえば怪我を受けても勝敗には影響しない。


 むしろ逆に反撃されることを危惧したのだろう。ただでさえ相手は小さな女の子。揉み合ったら圧倒的に不利だ。



(この子は冷静だ。ちゃんと考えて動いている。それは怖い。でもそれって逆に言えば、腕力では僕のほうが上ってことじゃないか。相手の攻撃は防げるんだから、いざとなればそれで…。痛いけど…我慢すれば…左手を犠牲にすればチャンスはある)



 ここでルアンに少しばかり勇気が生まれる。


 非常につらいことだが、左手を犠牲にすれば攻撃は防げる。致命傷にはならない。それで家族が救えるのならば安いものだ。



「ふー、ふー、やるんだ。やるんだ。僕が守るんだ!」



 何度も何度も荒い呼吸を繰り返し、小声で自分を叱咤する。


 ちらりと両親を見ると、死にそうなほど青白い顔でこちらを見ている。


 不正を嫌う真面目な父親と、自分を愛してくれる母親。レブファト同様、ルアンにとっても家族は命にも等しいものだ。



(僕の家族を悪党どもの好きにさせはしない! たかが腕じゃないか。そう、たった一本の腕だ! それでお父さんとお母さんを助けられるのならば…安いものだ!!! 勇気を出すんだ!! 間違っていない、間違っていない、間違っていない!!)



「お父さんは……僕は間違っていない!! うおおおお!!」



 ルアンが攻めに転じる。


 ブンブンッ


 必死にダガーを振り回して牽制しながら、サナを追い詰めようとする。刺さないと勝ちにはならないが、まずは相手の戦闘力を奪うことも重要である。


 また、この行動によって相手が少しでも動揺することを狙ってのことだ。


 弱い生き物とて本気で抵抗してくれば簡単には殺せない。そういったことをアピールするためでもある。


 格好悪く言えば、子供がパニックになって滅茶苦茶に腕を振るのと同じ現象だが、刃物を持っているので実はかなり厄介な攻撃でもある。


 扇風機に手を突っ込むようなもの。簡単に受け止めに行くのも危険だ。



 サナはそれを知っているのか冷静にかわしていく。


 身体の小ささを利用してリビングのスペースを最大限活用し、軽いステップを踏みながら確実に距離を取る。


 さらに当たりそうになったダガーに対しては、サナもダガーを振って対応。自分も牽制することでルアンのダガーを引っ込めさせる。


 見た目としてはフェンシングの動きに似ている。刺すぞ刺すぞとダガーを軽く前方で振って、ルアンの動きを制限しているのだ。



(サナのやつ、いい動きをするな。立ち回りの練習以外は特に何も教えていないんだけどな…。それに足腰もしっかりしている。走らせた甲斐があったか? あるいは賦気の影響が少し出たかもしれないな)



 賦気の素晴らしいところは、受けた相手が少しずつ気質に馴染むことだ。


 サナもアンシュラオンの気を何度か受けたことで、ごくごく微量ではあるが、その力を吸収した可能性がある。


 塵一つとはいえ、この強大な白き魔人の力である。その恩寵の効果は凄まじいの一言だろう。プールに染み込んだ一滴とて、全体に薄く広がれば影響力を持つのだ。


 明らかに自分より体格の良いルアンよりも素早く動いている。小さい分、俊敏性がかなり高いようだ。その特性を生かしている。



「このこの!!」


「…じー」



 ブンブンッ シュッシュッ


 ルアンのダガーがすべて空を斬る。


 サナはまだ動かない。なぜ攻撃してこないのか理解できないが、戦う意思をなくしたわけではないようだ。


 むしろ―――逆。



(狙ってる。確実に狙ってる。だって、視線が…)



 少女の視線は、明らかにルアンの胴体を見つめている。


 それは突き刺すには一番適した場所。そして刺されば、ほぼ間違いなく致命傷になってしまう場所だ。


 少女からは明確な殺気が感じられないが、こちらの腹を狙っているのは間違いない。



(このままじゃ駄目だ! こうなったら、こっちから一気に勝負に出るしかない。僕も刺される可能性があるけど、先に刺し込めば勝ちなんだ!)



 サナが腹を狙っているように、ルアンも腹を狙う。


 少女の腹。そこだけに意識を集中して一発勝負の隙をうかがう。突撃して激突すれば、仮に刺さらずとも体格差によって少女は倒れるに違いない。


 倒してしまえばこちらの勝ちだ。


 倒して、刺す。倒して、刺す。倒して、刺す。


 頭の中でイメージが固まり、いざ実行に移すことを決める。



 そのために一度後ろに下がって反動をつけようとして―――




 ドンッ




「…え?」



 ルアンが勢いをつけてサナに飛びかかろうとした瞬間、背中に硬い感触があった。冷たくひんやりとした重量のあるものだ。


 一瞬誰かにぶつかったのかとも思ったが、この場にいる人間は限られており、すべて視界内にいる。


 となれば、答えは一つ。




―――壁




 ルアンがぶつかったのは、リビングの壁だ。


 それによって完全に勢いが吸収される。



(なんで壁が…! え? もしかして…誘われた!?)



 なぜ少女が仕掛けてこなかったのか。その理由は二つあった。


 まずはルアンの体力を奪うため。


 極限の状況下では、いつもより消耗が激しくなる。ルアンも慣れない攻撃と緊張のため、すでに息は上がっている。気がつけば服が汗でびっしょりだ。


 もう一つの理由が、今まさに起こっている現象。



 獲物を追い込むため、である。



 サナしか見ていなかったルアンは、自分がそこに追い詰められていることには気づかなかった。


 自分の家のリビングであるが、家具がなくなったのでまったく違う場所にいる感覚になる。それと思考に集中しすぎたため周囲が見えなくなっていた。


 背後には壁。しかもすでに身体をぶつけて「死に体」となっている状態。


 実際に背中を壁にぶつけるとわかるが、予期していない場合は思った以上にびっくりするし、あまりの硬さに全身から力が抜けるものだ。


 追い込まれたルアンにとっては最悪で、追い込んだサナにとっては最高の場面である。



(サナ…なんて頭がいい!!! やっぱりあの子は天才やで!! ルアンもいろいろと考えていたようだが、サナのほうが五万倍くらい上だったな。そもそも器が違うんだ。お前みたいなガキが偉大なるサナに頭で勝てると思うなよ!! 浅はかなやつめ!!)



 アンシュラオンは、その戦い方に感動すら覚える。


 たしかに「慎重に」「よく見て」「無理はせず」「防御を優先して」「常に有利なポジションで」とは教えてあるが、それを見事に実践しているのだ。


 正直サリータもビッグも頭が悪く、戦い方が雑でしょうがない。そういった者たちと出会ってばかりなので、サナの知的な戦いが際立って見える。


 これは兄馬鹿でなくても感動するに違いない。実に見事だ。



(だが、次が問題だな。追い詰めたとはいえ相手は自分よりも大きな男だ。迂闊に飛び込めば逆に危ないぞ)



 ここからが勝負の難しいところである。


 相手は自分よりも力が強い男。いざとなればクリンチのように抱きつかれ、そのまま揉み合いになる可能性もある。そうなれば腕力勝負になるのでサナには不利だ。


 少年とはいえ男に抱きつかれる画を想像するだけで、思わずルアンを殺してしまいたくなるが、そこは勝負なので我慢するしかない。



(くそっ! 来るなら来い! そのまま逆に刺してやる!! 刺してやるからな!!!)



 ルアンは覚悟を決めてダガーを両手で握り直す。


 刺すという行為に対して激しい忌避感を抱くも、死への恐怖と不利な状況が倫理観を排除する。かかっているのが自分の命だけならば諦めたかもしれないが、大切な人たちの命もかかっているのだ。


 相手が突っかかってきたら迷わず自分も飛び込むと決める。相打ちでもいい。先に刺すことだけを考える。



 そう思って、ぐっと身構えようとした瞬間―――飛んできた。



「えっ!?!!」



 思わず左手を伸ばして顔を防御してしまった。


 しょうがない。そうしなければ顔面にぶつかっていたのだ。これは反射的なことであり、意図したものではない。


 そう、人間が突然何かを顔に投げつけられた瞬間、必ず手を前に出して受身の態勢になる。


 経験豊かなヤキチでさえ、アンシュラオンの攻撃に対して受けを選択してしまったのだ。これはもう人間としての反射なので致し方ない。



「いつっ!!!」



 防御したルアンの左腕に鋭い痛みが走った。


 服の袖が裂け、血が滲む。最初の傷と合わさって、さらに痛々しい姿になってしまった。



 それはそうと―――何を投げたのか。



 受けて怪我をするもので、なおかつサナが持っていたもの。


 その答えは、簡単。



「だ、ダガー!? なんで!??」



 自分の腕に当たって跳ね返り、床に転がったダガーを見つめる。


 当然ながら、サナが投げるものといえばダガーしかない。それ以外の武器を使ってはいけないのだから当たり前だ。


 しかし、状況が理解できない。自分の武器を投げるなど、まずありえないことだ。これでは自ら負けを認めるようなものである。



(まさか…終わり? これで終わり? 勝負を放棄したの? じゃあ僕の勝ち? あれ? でも根元まで刺せって…え? どういうこと!?)



 そのルアンの一瞬の迷いが致命的なミスになる。


 いや、そもそも手で受けてしまった段階で、彼にはどうすることもできないのだ。


 困惑している間にサナは間合いを詰め、ルアンのがら空きのみぞおちに―――蹴り。



「がっ…はっ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます