190話 「仕組まれた義憤」


 サナとルアン、二人の子供がリビングで相対する。


 これが親戚同士の集まりならば、これから始まるのは単に可愛い喧嘩くらいなものだが、お互いに持っているのはダガー。


 ナイフよりもやや太くて丈夫な構造をしており、相手を殺傷するためだけに生まれた武器である。これは遊びではないのだ。



「合図をしたら始める。少しだけ考える時間を与えてやるから、それまでに環境に馴染んでおけ」



 サナには必要がないので、これはルアンのための言葉だ。


 まずはメンタル面で大きく遅れを取っているルアンに対して、公平になるように準備時間を与える。物怖じしないサナと比べると、その差は歴然としているからだ。


 また、サナはすでに実戦を経験しているので完全なる素人ではない。この事実は非常に大きなアドバンテージとなる。


 それを埋めるためには、いくつかの要素が必要だ。



(サナには今回、賦気は使っていない。普段から使うと身体へのダメージが大きいし、それだけに頼るようになるからな。本格的に戦いが始まった以上、しょっちゅう倒れられても困る。素の力を上げないと意味がない。さて、その状態でどれだけやれるかな。特に接近戦は初めてだからな…興味深いものだ)



 賭けは対等でなければ意味がない。つまらない。


 アンシュラオンは勝ちが決まっている勝負しか挑まないが、賭け事ならば遊ばねば面白くない。


 そこで、できるだけ対等になるようにしたのが今回の勝負である。



(体格は間違いなくルアンのほうが上だな。賦気を使わないのならば、普通に考えればサナのほうが不利だ。本当に一般人だしな。この差は大きい)



 サナがメンタルで上回っているのに対し、体格的にはルアンが圧倒的に有利だ。


 この世代では女性のほうが背が高いことも珍しくないが、ルアンはそこそこ身体がしっかりしているので、百六十センチはあるだろうか。


 レブファトの身長も高いため、このまま成長を続ければ、かなり背が高くなることも期待できそうだ。


 一方、サナは小さい。百三十センチにも満たない。


 こうして二人が並ぶと、およそ三十センチの差がある。頭一つ以上も差があるので、体格的には完全にサナのほうが不利である。


 賦気を使っていない状態ならば、体格差は致命的な差ともなる。


 ボクシングの階級が体重を厳密に定めているのは、数キロの違いが本当に大きく影響してくるからだ。実際に太っていた人間が痩せると、そのパワーの減退ぶりに驚くだろう。



(格闘能力の有無と差は、正直言ってよくわからん。サナを本格的に鍛えたわけじゃないし…弱すぎるとわからないんだよな。サリータだってオレからすれば弱すぎてわからないし…豚君との差もまったく感じないほどだ。これはこれで問題だよな。ルアンは…見るからに素人っぽいし…ここは互角かな?)



 次は技量の要素。


 サナの格闘戦の実力は正直言って未知数だ。


 ダガーも与えてあるが、軽く使い方を教えただけで実際に使われてはいない。単純に相手が大人や魔獣だったので、クロスボウを使う機会が多かったからだ。


 ルアンもダガーを見て驚いていたことから使うのは初めてだろう。ましてや人を傷つける目的で使うことは今までなかったに違いない。


 この技量の点では、両者は互角と判断した。はっきり言ってレベルが低すぎてわからない、というのが本音だが。



 メンタルで上回るサナ。フィジカルで上回るルアン。技量は互角(推定)。



 つまりは―――対等。



 完璧な対等などそもそも不可能なので、現状ではこれが最大の設定となるだろう。


 温和な人間ならば、コインやカードゲームで話をつけるということもありえただろうが、アンシュラオンには最初からそんな選択肢はない。


 どうせやるのならばサナの成長に関わるもののほうが得。そういう思考である。


 ただ、場合によってはサナのほうが分が悪い可能性もある。



(ううむ、普通の子供同士だったら間違いなくサナが不利だよな。小学六年生の男子が、小学四年生くらいの女の子と戦うわけだしな。しかし、強くなるためにはどんどん不利な戦いにも挑まないといけない。それこそ血みどろの戦いを経ないと強くはなれない。最悪はしょうがない。サナが怪我をしたら治そう。我慢、我慢だ。手を出しちゃいけない。これは試練なんだ)



 アンシュラオンはそっと見守ることにする。


 これも強くなるための試練である。サナのためでもあり、アンシュラオンが耐える練習でもあるのだ。



(しかし多少予想はしていたが、思ったより面白いことになったな。ちょうどいい相手が見つかってよかったよ。わざと放置した甲斐があった)



 実のところ、これは意外な展開ではない。アンシュラオンによって【仕組まれた】ものだ。



 ルアンを捕まえた際、彼の中に強い感情があることはわかっていた。


 自己防衛本能が強いアンシュラオンは、自身に向けられる敵意といったものに敏感である。彼からは初期のシャイナ同様、いや、それ以上に強い敵意を感じたのだ。


 捕まったのだから当然だが、それが暴発しそうなほどの危ういものだと見抜いた。だからあえて二階の鍵のない部屋に置いておいた。



 彼に「偽りの自由」を与えるのが目的だ。



 ルアンの本質を見極めるためでもあり、一つの不確定要素の「遊び駒」として配置しておいたのだ。


 彼にはいくつかの選択肢があった。


 こっそり逃げて外に助けを呼びに行く、という選択肢もあっただろう。だが、母親が気がかりだし、バレたらどうなるかわからない。


 単独で母親を助けに行くことが無謀であることも理解していたため、チャンスを待つことにしたようだ。ここまでは子供にしては冷静な判断だ。


 そして、父親が帰宅。


 ここで合流する手もあったが、状況が変わらないことを予見した彼は、父親を『囮』に使うことにした。


 父親が相手の気を引いている間に助けを呼びに行こうとしたのだ。これは半分成功。他の人間はルアンの行動には気付いていない。



 ただ、一つ予想外のことが起きた。



 ルアンが助けを呼びに行くとすれば、最初に思い浮かぶのは衛士である。ただ、中級街の詰め所までは遠いので、最短で誰かに伝えるとなれば父親の同僚、つまりは「シミトテッカー」ということになる。


 何度か遊びに来たこともある大人の男性。腕力には優れていなさそうだが、それなりに頭が良い彼ならば、自分よりも適切な行動ができると思った。


 父親を慕っている様子がわかったし、自分とも遊んでくれた気の好い青年だ。印象は悪くない。選択肢に挙がるのも当然だろう。


 このあたりは社宅エリアなので、彼が住んでいる社宅ともそう距離はない。まずは彼に伝えに行こうと考えていたのだ。



 それが―――裏切り。



 子供が持つ正義感が、すべてを許せなかった。これから助けを請おうとした人間が裏切ったのだ。純粋な子供の心は傷つけられ、強い人間不信を植え付けることになった。


 所詮は子供。人間が持つ闇まで理解はできない。彼は自分の正義だけを信じて暴発する。


 結果は、まさに予想通り。無謀な行動に出て、このような挑戦をすることになる。



 それはすべて仕組まれたこと。



 アンシュラオンは波動円を使っているので、ルアンの行動などすべてお見通しである。様子をうかがっていたことも全部知っている。


 そんな彼に対して、わざとシミトテッカーの話をしたのだ。


 もちろんレブファトに対し、駄目人間を信じる愚かさを伝えたかったこともあるが、あれはルアンにも聞かせるために話を誘導したのである。


 ここまで予想通りに運ぶとは考えていなかった。だが、種を蒔いたのは間違いない。それが最高の形で花開いた時の快感は、まさに最高の一言である。


 ちなみにルアンが玄関から逃げていた場合だが、その時はリンダと同じく両手足が凍りつくという結果になっていただろう。どちらがよかったのかは当人に訊いてみないとわからない。



(サナの練習には手頃な人材だ。見た時から使えそうだとは思っていたんだ。しかし、いくらオレでも罪のない子供を練習台にはしたくないしな。だが、こうして自ら挑んできたのならば有効利用しないと勿体ない。実に嬉しい展開だよ)





「はぁはぁ…」


「………」



 何も知らない両者は合図を待ちながら黙っている。


 だが、その様子は対照的だ。


 サナが静かに待っているのに対して、ルアンはまだ何もしていないのに荒い呼吸を繰り返す。完全に精神的な影響だろう。



(ナイフ…? いや、ダガーって言ってたっけ? こ、こんなものがあるのか…? これで戦うのか?)



 レブファトは文官ながらそこそこの地位にいるので、ルアンは「良い家のお坊ちゃん」といったところだろう。


 それゆえにナイフはもちろん、ダガーなど持ったことはない。せいぜい果物ナイフくらいなものだろう。平和な城壁の中で暮らすゆえの弊害である。


 ただ、知識はある。これが刺されば致命傷になることを知っている。


 相手の少女は、ホワイトと呼ばれた男が治すだろうが、自分が受ければそのまま死ぬかもしれない。いや、きっと死ぬだろう。


 しかも、死ぬのは自分だけではない。



 家族と―――正義が死ぬのだ。



 レブファトが説いた正義は失われ、自分が死ねば家族はバラバラになるだろう。少なくとも父親は責任に押し潰されてまともではいられなくなる。


 母親も人質に取られるだろう。哀しみと絶望に打ちひしがれながら、彼女も弄ばれてしまう。


 ならば、勝つしかない。生き残るには賭けに勝つしかない。


 自分の命だけではなく家族の命が、こんな刃物一本にかかっていると思うと、やたら重く感じられる。



「はぁはぁ…君は…こ、怖くないのか?」


「………」


「こんなことしたって…痛いだけだ。わかっているだろう? それともあいつに無理やりやらされているのか?」


「………」


「しゃべられないのか? その仮面のせいなのか? それとも無口なだけなのか?」


「………」


「はぁはぁ…なんとか言ってよ…」


「………」



 緊張からかサナに話しかけるが、少女は何も答えない。


 そもそも聞いているのかすらわからないほど静かだ。そこに感情の揺れというものが、まったくない。



(この子はもしかして…慣れているのか? だとすれば僕に勝ち目なんてないんじゃないのか…?)



 カタカタ


 ルアンのダガーを持つ手が震える。


 正義感ゆえに短絡的な行動には出たが、親の教育もあって頭自体は悪くない。次第に状況が見えてくる。



(おかしいよ。どうして僕だけ普通に部屋に置いておいたんだ? 拘束もしないで…いつだって逃げ出せるのに…。子供だから油断した? ミスをした? いや、会話を聞く限り、そんな甘いやつじゃない。だったらもしかして…待ってた? 僕が動くのを待っていたの? わざとこの状況を生み出したの? 嘘でしょう? そんなこと…狙ってできるわけがないよ…)



 ちらりとアンシュラオンの方向を見ると、目が合った。


 仮面なので目自体は見えないが、明らかに自分を観察していることがわかる。それはまるで品評会に出された動物を検分するような視線だ。


 表情、ボリューム、毛並み、頭の良さ、芸の有無、そうしたものを審査するような目である。



 それが―――怖い。



 ガタガタガタガタッ



(なんだ…あれは。怖い…怖いよ…! こんなに怖いなんて…! 僕は間違っていたのか…!? やっぱり助けを呼ぶべきだったのか!? さ、刺される…これで刺されたら……死ぬ?)



 この緊迫した状況だ。考えれば考えるほど悪いことばかりが浮かぶ。


 濁流のように思念が紛れ込んできて、頭が真っ白になった。



 その瞬間―――




「始めろ」




 ルアンの動揺を見透かしたように開始の合図が下る。


 アンシュラオンが彼の感情が理解できないわけがない。知っていてこのタイミングにしたのだ。なんともイヤらしいやり方である。



「っ!!」



 身体が硬い。脳からの情報が伝わっても、ほとんど動かない。


 ルアンはその場で硬直。


 しかし、そんなルアンとは対照的にサナはすでに動いていた。


 迷いなく突っ込むと、ダガーを右手で構えて突き刺そうとする。



「うあぁっ!」



 シュッ


 ルアンは必死に回避。なんとか生存本能が打ち勝ったようだ。


 ただし、暴漢から逃げる「か弱い女性」のように反射で動いた結果、見事に背後を相手に見せてしまう。


 こうでもしなければよけられなかったので、それが最善の動きだったのかもしれない。それは責められない。


 が、相手に身体の横から背中を見せることは、まさに最悪の状況。鎧のない二人の戦いにとって、それは致命的。



「…しゅっ」



 サナが追撃。再び突き刺そうとする。



「うわああ!!」



 ザシュッ


 容赦なく繰り出された一撃が身体を抉り、血が舞う。


 その数滴が垂れ、リビングの床に赤い染みが生まれた。



「ううっ…痛い!! 腕が…!」



 負傷したのは腕であり、しかも深い傷ではない。咄嗟に腕を払ったので、それによって生まれた傷だった。


 それでも初めて経験する刃物による傷だ。それが攻撃されたものならば、ショックはなおさら大きい。


 他人が害意を持って自分を狙ってくる。この恐怖は想像を絶するものがある。




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