189話 「力無き純粋な正義」


 そこに現れたのは、レブファトの息子である―――ルアン。



 まだ成熟していない身体と声の持ち主で、おそらくセノアと同じ十二歳くらいの年齢だと思われる。


 母親譲りの柔らかい茶色い髪と、父親から受け継いだであろう黄色い瞳が、彼らの愛の結晶であることを物語っている。


 そして、その瞳には強い光が宿っていた。



「る、ルアン、無事だったのか!?」


「うん。一度捕まったけど、僕だけ自分の部屋に入れられて…でも、声が聴こえたから出てきたんだ」


「そうか…よかった…!! 本当によかった!!」



 レブファトは息子の無事にほっとしたのか、身体から一気に力が抜ける。家族が一番大切という言葉が真実であることがよくわかる。


 だが、ルアンの言葉に再び身体を硬直させることになる。



「お父さん、こいつら悪いやつなんだろう? そんなやつの言うことを聞いたら駄目だよ! いつも正しいことをしろって言っているじゃないか! それを貫いてよ!」


「だ、だが、お前と母さんが…!」


「あなた、ルアンと逃げて!!」


「馬鹿なことを!! そんなことができるわけないだろう!! こいつらはそんな甘い連中じゃない! …いいんだ。もう…いいんだ。私はお前たちだけがいれば他には何もいらない!!」


「あなた…うう…」


「お父さん…」


「くっくっく…はははははは!!! いいね、いいよ。素晴らしい!!」



 パチパチパチッ


 アンシュラオンは、そのやり取りに拍手を惜しまない。実に予想された通りの展開だからだ。



「君たちは実に素晴らしい家族だ。そんな家族をバラバラにするのは忍びないな。なあ、そう思うだろう? そのためにどうすればいいのか、とても簡単な選択だと思うぞ。しかも金まで手に入るんだ。こんなラッキーなことはない」


「………」


「なぁ、レブファトさんよ、もう十分だろう。あんたは立派だったよ。よくここまで我慢した。なに、たいしたことじゃない。ほんの少しオレの味方になってくれればいいだけだ。それだけで全部が丸く収まる」


「本当に…それだけで済むのか? 口封じに殺すつもりじゃないのか?」


「そんなことをする必要があるか? まあもちろん、あんたがこっちを裏切るような真似をすれば相応の報復をしないといけないが…協力すれば安全は確実に保障しよう」


「妻と息子には手を出すな」


「当然だ。あんたにも手は出さない。むしろできるだけ守ってやるさ」


「…そうか。こうなった以上、もう…しょうがない……」


「お父さん、そんなやつの言葉を聞いたら駄目だよ!」


「だが…もうそれ以外には…お前たちを守るにはこうするしかない」


「それでいいの!? 間違ったことをしたら最後は失敗するんだって、いつも言っているじゃないか! だ、大丈夫! ぼ、僕が…僕がなんとかするよ!!」


「ルアン!」



 震える足で、一歩前に出る。まるで父親を守るかのようにアンシュラオンに立ち塞がった。



 それは子供が持つ―――無垢な正義感。



 穢れた社会を知る前の子供だけが持つ、まだあどけなく、それでいて崇高な使命感に満たされたもの。


 彼の中には理想がある。夢がある。希望がある。


 すべての人の幸せを願い、笑顔を願い、健やかに安らかに生活することを願い、正しきことだけで世界が満たされることを願う気持ち。



 それがアンシュラオンという【悪】を許さない。



「お父さんとお母さんに手を出すな! 帰れ!!」


「意外な勇者の登場だな。子供の頃は憧れるもんだよな、ヒーローってやつにさ。だが、現実は厳しい。お前みたいな子供がどうやって守るんだ?」


「最後は正しい者が勝つんだ! 女神様は絶対に僕たちを見捨てない!」


「ほぉ、女神様ときたか。これは参った。実際に出会った身としては気まずいよな…。顔を見ちゃうとな…」


「嘘を言うな! お前みたいなやつが女神様に会えるもんか! いい人しか出会えないんだぞ!」


「オレが『いい人』でないと、なぜわかる?」


「こんなことをするやつが正義なもんか!」


「くくく、そうか。まあ、そうかもな。で、ルアンといったか? そんなにオレのことが嫌いか?」


「嫌いだ! 悪は許さない!」


「ははは、今度は悪ときたか。いいなぁ、お前。オレの好みだよ。オレも悪が嫌いでね。似た者同士だな」


「どこが! こんなことをして恥ずかしくないのか! お前は悪だ!」


「ルアン、やめるんだ! その男から離れなさい!!」


「駄目だよ! こいつらに屈したら駄目なんだ!」



 青ざめたレブファトが止めるが、ルアンはけっしてどこうとはしない。


 その姿は、まさに勇者でありヒーロー。困っている人を悪から守る正義の化身だ。


 ルアンは正義という言葉に酔っている。まだ子供なのだから仕方がない。


 レブファトも、まさかこんなことになるとは思わなかっただろう。ただ健やかに立派な人間になってもらいたいと願い、正しいことを教えただけなのに。



「これは面白いことになってきたな。では、どうする。オレと戦うか? 言っておくが見た目で判断しないほうがいいぞ」


「…悔しいけど、暴力じゃお前には勝てない。さっきみたいに捕まっちゃう」


「その通りだ。思った以上に現状は理解しているようだな」


「だから、僕と【賭け】をしろ!!」


「…ほぉ? どんな?」


「勝負は何でもいい。僕に決める権利なんてないだろうし…。でも、賭けなんだ。対等にならないと賭けじゃないからな!!」


「ほほぅ、なるほどなるほど。たしかにそうだ。賭けは常に公平でないといけない。お前の言うことも、もっともだな」



 競馬などでも必ず負担重量などを付けて、同一の条件になるように調整される。そうしないとあまりに差が生まれるからだ。



「子供のくせに賭けなんて知っているんだな」


「お父さんから聞いたことがあるんだ。そういうのが好きな駄目な人間がいるって」


「ははは、賭け事も駄目か。ずいぶんと厳しいもんだな。流儀を貫くなら極端なほうがいい。オレもそのほうが好きだな。ふむ、そうだな…対等か。子供に合わせるには何がいいかな…」



(乗ってくれた…? 上手くいったんだ! 賭けなら少しは可能性があるぞ!)



 ルアンは、内心でほっとしていた。


 もし相手が力づくで物事を解決していたら、自分なんてあっという間に潰されていただろう。


 目の前の男は比較的小柄だが、母親を取り押さえている男はゴリゴリのマッチョである。まず勝ち目がない。


 たまたま父親が監査した違法賭博の話を思い出し、決死の覚悟で言ってみたのだが、相手はあっさりと乗ってくれたようだ。


 賭けはどちらに転ぶかわからない。ならば自分にも勝ち目があるはずだ。



 しかし、ルアンはまだ知らない。



 目の前の男が、他人の痛みなどまったく気にしない男であるということを。



「では、一つゲームをしようか。これに勝ったらお前たちを無傷で解放しよう。ついでに金もやろう。二度と手は出さない。だが、こっちが勝ったら言うことを聞いてもらう。レブファトだけじゃないぞ。お前もオレの言うことを聞いてもらう。こっちが譲歩したんだ。こうしないと公平じゃないだろう?」


「…わかった」


「ルアン! やめなさい! 危険すぎる!! 約束を守るはずがない!!」


「おいおい、酷いな。約束は守るさ。そうしないと面白くない」


「くっ、お前にとってはすべてが遊びか…!」


「さすがいい目をしているな。その通りだ。娯楽だよ。だからお前の息子がオレを満足させるなら許してやってもいい。それもまた遊びの醍醐味だろう? そこは信じろよ」


「…駄目だ。やっぱり駄目だ! ルアン、危ないことをしたらいけない! 本当に危険なんだ! 頼む、わかってくれ!」


「お父さん…正義は何があっても負けたらいけないよ! 正しくないといけないんだ!!」


「ははは、子供はいいなぁ。楽しくて。じゃあ、ルールを説明しようか」



 するり


 アンシュラオンは懐からダガーを一本出す。何の能力もない、ただの刃物だ。



「ひっ…むっ!」



 それにソニアが悲鳴を上げるが、すぐに口を塞がれて声は途中で止まった。



 しかし、それを使って攻撃するのではなく―――床に投げる。



 カランッ


 少しだけ甲高い音をさせて、ルアンの前にダガーが転がった。



「それを拾え」


「………」



 ルアンはダガーを拾う。


 大人にはさして重くなくとも、子供の彼にはまだ微妙にずっしりと重みを感じるものだ。それに加えて使い慣れてはいないので、まったく異質なものにすら感じられる。



「これで…お前を刺すのか?」


「ははっ、なかなか怖いことを言うな。それでもかまわないが、オレ相手ではどうあがいても君に勝ち目がない。それはフェアじゃない。だから、この子と戦ってもらおうかな」


「えっ!? その子と!?」



 ルアンは、今になってアンシュラオンの隣にサナがいることに気がつく。やはり白スーツの男の存在感がありすぎるのだ。



「その子は…女の子だろう?」


「ああ、そうだ。お前より年下だな。たぶん」


「身体も…小さい。ど、どういうつもりだ!? どうしてその子と…!」


「対等な勝負にすると言っただろう。この子ならちょうどいい。黒姫、いいな?」


「…こくり」



 アンシュラオンが視線を向けると、サナが立った。


 言わずとも理解をしているのか、彼女も腰からダガーを抜く。



「お互いの武器はダガーだけだ。二つの武器はまったく同じ。同じ店で買ったものだ。これで勝負してもらおう。勝敗はそうだな…先に相手に刺したほうの勝ちかな。ずっぷり根元までな」


「根元までって…それでは死んでしまうぞ!!」



 あまりの内容にレブファトが叫ぶ。息子の危機で顔がさらに青ざめている。



「おいおい、忘れるなよ。オレは医者だぞ。それくらいは治せる。だが、お前の息子が怪我をした場合は、治してやるかはわからないなぁ。そこまで譲歩すると対等ではなくなる」


「そもそも対等ではないくせに…」


「あんたの意見は聞いていない。黙って見ているといいさ。せっかく息子が助けてくれると言っているんだ。一発逆転のチャンスだぞ?」


「ルアン、教えたはずだ。賭けなど最初から胴元が勝つことが決まっているものだ。この男の口車に乗ったらいけない!」


「その言葉は正しいが、これは彼の勝負だ。彼に決めてもらうことにしよう。それでルアン、君はどうする? やるかな? 言っておくが嘘でも脅しでもない。これは本当のルールだ。甘く見るなよ」


「や、やるさ。これで…お父さんとお母さんを助けるんだ…!」


「る、ルアン…! くううっ!! 待ってくれ! 私が代わりに…」


「あんたもしつこいな。子供でも一人の人間だ。あんたとは違う人間なんだ。その意思を尊重しろ」



 アンシュラオンが札束を一度回収してから、指をパチンと鳴らす。


 バシュッ


 次の瞬間、室内にあったすべての机とソファー、家具類が消えた。戦気で消滅させたのだ。


 引っ越すと思い出すが、家具のない部屋は案外広いものである。この家のリビングも家具を全部なくすと、正方形ではないがボクシングのリングくらいの大きさは確保できる。


 子供同士が戦うのならば十分な広さだろう。



「ほ、本当に約束は守ってくれるのか!? ルアンを殺すのが目的じゃないだろうな!!」



 その光景を見て、レブファトの声が今まで以上に震える。


 正直ホワイトはその見た目から、あまり強いとは思っていなかったのだ。戦罪者が聞いたら思わず笑ってしまうだろうが、一般人からすればそんなものだ。


 こんな存在がいるのならば、後からいくらでも約束を反故にできる。



「安心しろ。何度も言うがオレは約束は守る。ただし、こっちが勝ったらお前には協力してもらうぞ」


「な、何をさせるつもりだ!」


「商会なぞ、どうでもいい。お前には、グマシカ・マングラスの居場所を吐いてもらう」


「っ!! ま、まさか…それが目的なのか!?」


「そうだ。グマシカがオレの獲物だ」


「ま、待ってくれ! 私は知らないんだ! 本当だ! だからこの勝負には意味がない! 最初から意味なんてないんだ!!」


「それが本当かどうかはオレが判断する。それに今は知らなくても、どこかで知るかもしれないだろう。もし知らないなら調べてもらおう」


「馬鹿な…狂ってる…そんなことのためだけに…こんなことを…」


「聞き慣れた言葉だな。狂った人間でなければ上にはいけないぞ。少なくともトップにはなれない。あんたには縁のない世界だろうがな」



 アンシュラオンの目的は、最初からグマシカである。


 商会などという形式や名前には意味がないし、興味もない。不備をわざと作ったのも監査官をおびき出すための罠にすぎない。


 そして、レブファトという哀れな虫が、蜘蛛の巣に引っかかっただけのことだ。



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