188話 「レブファトの思い込み 後編」


「ぁ…あ?」


「ははは、どうした。自分の家なのに変な顔をして」



 状況が理解できないときの人間は、いつだって思考だけにすべてが集中して緊迫した真顔になってしまうものだ。


 レブファトはもともとそんな顔だが、素で困惑しているので、見る側としてはなかなか楽しめる。



「自分の…家?」


「そうだ。ここはあんたの家だろう?」


「ぁ…あ…そうだ。私の家…だ。だが、なぜ…」


「なぜ、オレがいるのか、かな。オレだけじゃないぞ。この子もいる」



 アンシュラオンの隣には、サナの姿もあった。


 それに気づけなかったのは少年の存在感が強かったせいもあるが、少女の存在がひどく無機質に感じられたせいもある。



「ああ、そうそう。家主に挨拶をしないとは非礼だったな。お邪魔しているよ。それと手ぶらでは悪いと思って手土産もある」


「手土産…とは、そこにある金のことか?」


「そうだ。五百万用意してある。金はいいぞ、絶対に無駄にはならない。手土産にはこれが一番だ」


「…ふぅ」



 その金を見て思考が働いたのか、レブファトが少しだけ冷静になる。


 ホワイトの目的は一つ。自分に金を受け取らせて共犯にするつもりなのだろう。よくある手だ。



「懲りない人だな。家に押しかければどうにかなると思ったのか?」


「非礼は承知だ。ただ、あんたが時間制限を設けたからな。それに付き合ってやっただけさ」


「金などはいらない。それより不備は正されたのか?」


「残念だけど、それは無理だ」


「ならば、話し合いの余地はない。ルールはルールだ」


「話は最後まで聞けよ。あの不備はな、オレがそう『リクエスト』したんだ」


「…何を言っている?」


「わざと不備が出るようにしてもらった、という意味さ。オレがその気なら普通に商会を設立させることもできたが、あえてしなかった。なぜかわかるか?」


「わざわざそんなことをする意味など理解できないな」


「そりゃそうだろうな。どうやらあんたは堅物のようだしな。馬鹿にしているわけじゃない。オレはいい加減な性格だから、あんたみたいなやつは尊敬するよ。そんな人間がいるから社会は上手く回っているんだと思うからな」



 これは本心である。


 社会が回っていくためには、それを管理する真面目な人間が必要だ。もしずぼらな人間に任せていたら、社会はどんどん腐敗するだろう。


 だからアンシュラオンは、本当にレブファトを尊敬していた。



「世の中を見回せば、不正をする連中ばかりだ。そこまではしなくても、道理も倫理も、あまつさえ信念や誇りさえない輩も大勢いる。そんなクズと比べて、あんたは驚くほど潔癖だ。素晴らしいよ」


「…それを聞いて、礼を言えばいいのかな?」


「そう邪険にするものじゃない。オレとあんたは味方同士だ。この金を受け取れば、だがな」


「金は受け取れない。理由は一つ。私が、今あなたが言った通りの人間だからだ。不備が正されなかったのならば今すぐに都市を出たほうがいい。これは私からの好意による忠告だ」


「あんただって金は必要だろう。もし望むなら、もう少しくらい工面してやるぞ」


「必要ない。今の暮らしで十分だ」


「…なるほど。では、オレからも好意による忠告をしておこう」



 トントンッ


 アンシュラオンは机の上にある札束を軽く叩く。


 札束の感触は、いつ味わってもいいものだ。ただの紙ではあるが、暴力に次ぐ力なのだから。



「金を受け取れ。オレと手を組め。そうしないと後悔することになる」


「脅しには屈しない」


「…ほぉ、あんたは死ぬ覚悟があるんだな。オレにはわかるよ。ずいぶんと肝が据わっているじゃないか」


「当然だ。私とて本気で生きてきたからな」


「くくく、いいね、面白い。あんたは金、女、出世、そのすべてに興味がない。どうやら本当に買収は不可能らしい。いやー、立派だ。本当に尊敬するよ。あんたみたいな人間が世の大半だったら、世界平和だってできただろうにね」


「ようやく理解したか。理解したのならば、早く…」


「では、買収はやめよう。おい、出せ」



 ガタンッ


 奥のキッチンのほうから物音がした。


 そこで思い出す。


 ホワイトを見た瞬間にそのことを失念していたことが悔やまれてならない。



「むーっ…むーー…」



 戦罪者に引きずられて出てきたのは―――レブファトの妻。



 後ろ手に縄で縛られ身動きを封じられ、口に布を噛まされているので声が出ない。


 さらに髪の毛を掴まれているので、その苦悶の表情がよく見える。



「ソニア!! 貴様…!!」


「言っただろう。買収はやめた。ここからは脅迫にしよう」


「つ、妻を…」


「妻を放せとか、つまらんことを言うつもりはないだろうな? あんたなら、この状況をもっとよく理解できているはずだ。オレたちがどんな連中か、誰よりも知っている」


「ぐっ…」


「感動の対面だ。口は外してやれ」


「へい、オヤジ」



 戦罪者が布を外す。


 口には布が強く巻かれていた跡が残っていて痛々しい。



「…あなた…ごめんなさい。連絡便が来たから…開けたら…」


「そんなことはいいんだ! 無事なのか!?」


「い、今以上の酷いことは…されていないわ」



 すでに酷いことになっているが、それ以上はされていない、という意味だ。


 だが、声が震えているので、その間の恐怖は相当なものだったに違いない。


 そして、もう一人の大切な家族がいないことに気がつく。



「はっ…ルアンはどうした!! あの子は無事なのか!」


「る、ルアンは…」


「おっと、そこまでだ。それ以上はまだ言えないなぁ。奥さん、余計なことは言わないほうがいい。女性は傷つけたくないんだ。わかったね?」


「………」


「素直な女性はいいもんだ。…というわけなんだが、どうかな?」


「くっ…これがあんたらのやり方…か」


「マフィアの常套手段だろう? 略取、誘拐、恐喝、脅迫、誰だって使う手だ。それを防げないほうが悪い。これも忠告だけど、大切なものからは目を放さないほうがいいよ。片時も離れちゃいけないなぁ」



 そう言って、サナの肩に触れる。


 大切なものは、常にこうして傍に置かないと誰かに奪われてしまうかもしれない。それを実践している男からの大切な教訓だ。



(しかしまあ、こういうやり方は効果が高いな。誘拐ビジネスが流行る理由もわかる)



 あれだけ頑固だったレブファトも、今では明らかに動揺を隠せない。実に効果的だ。


 このやり方を防ぐためには、二つの方法がある。


 一つはアンシュラオンのように大切なものを手放さないことと、もう一つは「最初から弱点を作らないこと」だ。


 家族が大切だと思うのならば、最初から作らねばいい。それならば弱点にはならない。だが、レブファトはそれをしなかった。だから付け込まれる。



「私が…お前の商会を認めれば…いいのか?」


「そうだなぁ。どっちでもいいや」


「…? 何を言っている? そのために来たんじゃないのか?」


「あのさ、商会なんてものは何の意味もないんだよ。真面目に社会で働いて暮らす人間には重要かもしれないけど、オレや社会の底辺にいるクズどもには、まったくの無関係なことなんだ。いや、あんただって本当はそうなんだよ。こうして簡単に崩れるくらいなものなんだし」


「不正が続けば社会は終わる。それでは人々は安心して暮らせない」


「それだよ。あんたは人間の社会のことしか考えていない。でも、それって小さな世界だろう? ここの連中はよく言うよね、『ここは小さな世界だ』って。その通りだ。城壁がなくなれば、さして時間もかからず魔獣に蹂躙されるだけだからね。そんな小さな世界で、商会が認められようがなかろうが、どっちだっていいことだ。オレたちがやることは変わらない。欲しいものは力で奪う」


「暴力だけでは必ず限界がくる…。人間には生きる場所が必要だ。秩序ある社会が必要だ。この都市にはそれがあるんだ」


「オレはこの都市にそれほどの秩序があるとは思えないが…それはいいだろう。で、暴力を嫌うあんたは何を信じる?」


「…人間を信じる。人同士が助け合うには、それ以外にないだろう」


「…くくくく、ふふふふ!! ふはははははは!! そうか。人間を信じてるのか! これは面白い」


「何が可笑しい? お前だって人を信じることはあるだろう?」


「それはそうだ。ただ、人は選ぶなぁ。すべての人間を信じるなんて馬鹿がやることだ」


「それは私だって同じだ」


「はたしてそうかな? それじゃ教えてあげるよ。どうしてこの家の場所がわかったと思う?」


「調べたからだろう」


「では、どうやって調べる? どこで調べる?」


「…ルーン・マン商会の名簿か…不動産屋か…ハローワークか…」


「そうだな。それくらいかな。あるいは近所の人っていう可能性もあるな。だが、面倒なことは嫌いでな。そんな場所に行ったら足がつく。それでは意味がないだろう? そうなれば誰に訊くのが一番早い?」


「誰に…? 私のことを知っている人間…?」



 しばらくレブファトが考えるが、あまり人付き合いがよくない自分には、咄嗟に思い当たる人物が浮かばない。


 その姿にアンシュラオンは、呆れとも同情ともいえるような表情を浮かべた。



「やれやれ、オレもあまり人付き合いを好まないから、なんだか他人のような気がしないな。しょうがない、教えてやろう。あの若い男さ」


「若い男?」


「あんたと一緒に来た…なんだったかな。そう、シミトテッカーとかいう若い男だよ。あいつに訊いたら、家の場所から家族構成までいろいろと教えてくれたよ。あんたの仕事場での立場とか評価とか、知っていることは全部な」


「…なっ!! な、なぜ彼が!?」


「本当にわからないのか? 幸せな男だな。当然、あいつがこっち側についたからだよ」


「馬鹿な! 彼に限ってそんなことはしない! さっき会った時だって…」


「あんたが言った言葉をそのまま変えそうか。『どう思おうと自由だが、真実は一つ』だ。あいつは金を受け取ったよ。ここにあるものと同じ五百万だ。しかも、あいつはこうも言ったぞ。『あの人がいらないんだったら、その五百万もくれ』とな。だからこの金は、あいつにくれてやろうかとも思っている。一度あげると決めたものは、誰かにあげないと気が済まない性格でね」


「…本当…なのか?」


「嘘を言うメリットがないな。なんなら会って確かめてみるか。ただ、もう逃げる準備をしているかもしれないぞ。ここに残っても、どうせただじゃ済まない。金を持って他の都市に逃げるようなことも言っていたしな。まあ、賢明だな。あいつはあんたの忠告をちゃんと聞いていたってわけだ」



 どちらの側についても地獄である。それならば金を持って逃げたほうがいいだろう。


 彼はまだ若い。元手があればいくらでもやり直せる。




(…彼の様子がおかしかったのは、そういうことなのか…。そんな馬鹿な…)



 レブファトは強いショックを受けていた。まさかシミトテッカーが裏切るなんて夢にも思わなかった。


 あまりのことに頭に靄がかかったような気がして、上手く思考がまとまらない。


 唯一思い出せることは、彼は最後まで自分を説得しようとしていたということだ。ホワイトに味方するように、金を受け取るようにと遠まわしに言っていた。


 そこで、気になった。



 人間はそう簡単に裏切るものか、と。



 だから答えに行き着く。



「彼も…脅したのか? 金には興味があったが、そこまで堕ちているとは思えない。ホワイト、彼も脅したな?」


「やはり頭は悪くないようだな。そうだよ。最初は迷っていたようだが、恋人をちょっと捕まえてやったらおとなしくなったよ。ああ、安心しろ。さっき恋人も解放してやった。今頃はあいつと一緒に逃げた頃だろうさ。せがまれたから、ついでに母親の病気も治してやったんだ。ほんと至れり尽くせりだな。どうだ、オレは優しいだろう?」


「脅しておいて…! 彼は真面目だったのに!!」


「そうか? 最初から欲望丸出しだったように見えたがな。まあ、あんなやつのことはどうでもいい。で、どうする? オレの側につくか? よく考えろよ。この答えにかかっているのは、あんたの命だけじゃないぞ」


「………」


「あ、あなた…」


「くううう…不正は……くう!!」


「綺麗な奥さんだな。まだ現役でいけそうだ。二人目も産めそうだが…父親が誰になるのかまでは保証できないぞ? 豚どもに食わせるには惜しいよな」


「この外道が…!!」


「ありがとう。嬉しいよ」



 この商売、むしろ外道と言われなくなったらおしまいだ。



「最初に会った時に気付いたが、あんたは大きな思い違いをしているよ。相手も自分と同じだと思っている。ルールを守る人間だと思っている。気持ちはわかる。あんたは真面目な人間だからそう思いたいんだろうな。しかし、すべての人間にはそれぞれ違う考え方がある。あんたの潔白さと覚悟を相手も持っているとは限らない。残念だが、あいつにはあんたほどの覚悟はなかったんだ。だが、それこそが人間だ」



 シミトテッカーは誘惑に弱い男であった。当然、彼にも長所はあるのだろうが、相手の悪いところもしっかりと把握しておかねばならない。


 それを怠ってしまい、迂闊に相手を信じればこういう結果になる。まさに裏切りの典型的な展開だ。



「相手を信じれば裏切られる。あいつを安易に信じたお前の負けだよ」


「哀れな男だな…お前は」


「そう思いたければかまわんよ。だが、こうして失敗して窮地に陥るよりはいいだろう? オレは人間の闇をよく知っている。だから油断はしない。人間の光を信じるあまり、お前は闇を侮ったんだ。これがその結果だ」


「………」


「タイムリミットだ。決めろ」


「…くっ、わ、わかっ…」




 もう手の打ちようがない絶体絶命のピンチだ。


 ホワイトという男は、迷うことなく家族を蹂躙するだろう。そんな甘い男ではない。


 レブファトにとって家族は命であり、すべてだ。もう自分には服従するしか道はない。




 そう思った時―――






―――「駄目だよ、お父さん!!」






「っ―――!!」





 レブファトの心に突き刺さるような懸命な声が響いた。




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