187話 「レブファトの思い込み 前編」


「レブファトさん、このままで大丈夫ですかね?」



 夕刻、その日の仕事が終わり、直帰の命令が出ていたので帰ろうとすると、シミトテッカーがふとそんなことを言い出した。



「何がだ?」


「あれですよ、…ホワイト商会のことです」


「その案件は終わったはずだ。今日で三日目。やはり間に合わなかったようだな」



 あれ以後、ホワイト商会からは何の連絡も問い合わせもない。


 あれだけの不備がたったの数日でどうにかなるとも思えないので、結局は間に合わなかったのだろう。



「あの連中の噂を聞きました? かなり危ないみたいですよ。襲われた店は、ほとんどが全滅です。殺され方も酷いものばかりだったようですし…それで心配になって」


「いくらマフィアだとしても商会として成り立たねば、この都市で活動を続けることはできない。ただのならず者として処理されるだろう。そのための勧告だったはずだ」



 マングラスがわざわざこんな手を打ったのは、他の組織の動向を考えてのことだ。


 彼らは最大勢力がゆえに簡単には動けない。迂闊に行動すれば、他のグラス・マンサーの勢力から突き上げられる可能性がある。


 しかし、商会として認められなければ、相手はただの不法滞在者のようなもの。領主軍の介入も期待できるし、他の組織にも説明がしやすい。


 手としては穏便なやり方であるが、レブファトはそれで問題ないと思っている。監査官は抗争屋とは違う。話し合いで片がつけば、そのほうがよいに決まっている。


 しかし、シミトテッカーは心配なのか、この案件をまだ気にしているようだ。



「それはわかりますよ。ただそれって、あくまでこっちの理屈だと思うんですよね。相手がそんな理屈を考えないようなやつらだったら…どうします?」


「何を言っているんだ? ルールはルール。理屈は理屈だ。それが守られているからこそ都市は都市として機能する。例外はない」


「そ、そうですけど…その、私としては認めてしまったほうがいいんじゃないかなって思うんです」


「…なぜだ?」


「だってその…そのほうが得というか、特に不利益はないかなーと」


「不利益はあるだろう。そうなれば上に迷惑がかかる。こちらで抑えろという命令だ」


「それも何か嫌なんですよね。ほら、レブファトさんがいつも言っているじゃないですか。監査は公正にと。最初から駄目になるように細工をするなんて卑怯じゃないですか」


「私は細工をしているつもりはない」


「でも、結局は駄目になるようにしているわけで…」


「相手から問い合わせがくれば真摯に応えるつもりだ。指導もする。だが、それがない以上、どうにもできん。相手にその意思がないということだ」


「で、でも、こちらが積極的に指導してあげれば、もっと温和に話が進むんじゃないかと…」


「シミトテッカー、君は私を怒らせたいのか?」


「い、いいえ! とんでもない! ただその…一般論というか…なんというか…」


「たしかに我々が組織に属し、都市の機能を保全している以上、上から言われたことは遂行しなければならない。監査官だって人間だ。それに左右されることもある。だが、私はいつだって公正に生きてきたつもりだ。今回の不備はあまりに酷い。そのうえ改善する努力もしないのでは話にならないだろう」



 レブファトは、自身がマフィアの組織にいるとは思っていない。


 何せこのグラス・ギース内の主要機関の大半、おそらくはハローワーク以外は、例外なくグラス・マンサーの手がかかっているのだ。


 真面目に仕事をして出世していくようなタイプのレブファトは、望む望まないにかかわらず組の一員になるしかない。



 だが、それでも不正は行ってこなかった。



 そうした命令があれば、他のさまざまな不備を指摘して、あれこれと理屈で無理だと訴える。けっして悪事を働くことはしない。賄賂もすべて断っている。


 それが許されるのは、彼が優秀な人間だからだ。普通の監査の仕事では優れた成績を残し、他派閥の不正を見つけてマングラスに貢献しているからである。


 ただ、それを続けていくうちに「レブファトは仕事はできるが、付き合いづらい」ということで、上からの命令に関わる仕事からは外されていた。


 今回ホワイト商会への通達に狩り出されたのも、彼が組織の中で浮いているからにほかならない。逆に言えば、相手の言葉に左右されないレブファトが適任だったからでもある。



「レブファトさんは…どうしてそんなに…真面目なんですか? 他の監査官は賄賂だって受け取っているじゃないですか」


「そうかもしれないが、結局は最後にツケを支払っているはずだ。組織に損害を与えているわけだからな。それに私は自分が真面目だとは思っていない。ただ普通に仕事をしているだけだ」


「そう…ですね。それが仕事ですもんね」


「シミトテッカー、どうした? 普段の君らしくないな」


「そうですか? 自分は普通ですけど…」


「君は私と似たタイプの人間だと思っていたがな。…いや、それもしょうがないか。正直に言ってほしいのだが、君は金が欲しいのだろう?」


「えっ!? な、何を…」


「見くびらないでほしい。ホワイトが札束を出した時、君は反応していただろう? 相手もそれがわかったから、君に見せ付けるようにしていたんだ。あれは心に隙があったからだ」


「………」


「心当たりはある。前に言っていたな。恋人がいるって。そろそろ結婚すると言っていただろう。もしかしてそのあたりか?」



 シミトテッカーは準監査官の中では、とりわけ真面目な人間だ。


 もともとレブファトに憧れて補佐官になったという変わり者でもあるので、上司こそが彼にとっての理想像なのだ。


 そんな人間が賄賂に動揺するのならば、それ相応の理由があるのだろう。



「…レブファトさんにはかなわないですね。そうです。彼女との結婚資金が欲しかったんです。母さんも体調が悪くて、少しでもいい場所に引っ越したくて…。すみません。不純な動機でした」


「そうか。正直に言ってくれてありがとう。…それも人間だよ。そうした欲望に溺れたり耐えたりしながら、人は本当に大切なものを学んでいくんだ」


「レブファトさんの大切なものって…ルールとかですか?」


「ははは、それこそ見くびらないでほしいな。私にだって家族はいるんだ。人間にとって一番大切なものは家族さ。特に私のような趣味もないつまらない人間にとっては、家族の幸せだけがすべてさ。家族仲良く慎ましく生きていければいい。不器用な生き方だが、自分はこれでいいと思っているよ」


「…そっか。やっぱりあなたも人間なんですね。よかった。安心しました」


「みんな同じ人間だよ。誰もが迷って生きている。君が現状に不満を抱く理由もわかるが…ホワイト商会についてはこちらではどうにもできない。金は諦めてくれないか」


「もちろんですよ。そもそもそんなことをしたら、自分たちの身が危ういですからね。それこそ都市を出るしかないです」


「そうだな。また他の都市でがんばるのは難しいからな…。私も安定するまで、この歳までかかってしまったよ」



 今から他の都市で働いても同じ地位に就くことは難しいだろう。よほど自分を買ってくれる人物がいないと不可能だ。


 不器用な生き方しかできないレブファトには、それは難しい。ならば、このグラス・ギースで不器用なまま暮らすしかないだろう。


 辺境の都市ではあるが慣れれば案外悪い場所ではない。今ではそれなりに気に入ってもいた。



「そうですよね。やり直すのは難しいですよね…レブファトさんみたいな真面目で正しい人は…煙たがられますし」


「それでも正しいことをするべきだ。続けるしかない」


「でも、世の中では不正を働くやつらが多いですよ。いつだってそいつらが邪魔をする。金をもらう連中ばかりが得をしています。それが納得いかなくて…」


「そのための監査官だろう? 不正をなくすための戦いだ。それに必ず因果は巡る。最後は正しいことをする人間が報われるようになっているんだ。女神様は正しい者の味方だからな」


「レブファトさんは、すごいですね。本当に…すごい」


「君だって真面目な人間だろう。よくやっている」


「そんなことは…ないですよ。自分は誘惑に弱い人間ですから…」


「あまり自分を卑下するものではないさ。さて、そろそろ戻るとしようか。今日は家族で外食の予定なんだ。すまないね」


「い、いえ、こちらこそ変なことで呼び止めてすみません! そ、その…どうかお元気で!」


「うむ、ではまたな」





 シミトテッカーと別れて帰路につく。


 レブファトの家は中級街の社宅の中でも役員クラスの人間が暮らす大きなものだ。小百合と同じような家、といえばわかりやすいか。


 日本でいうところの一般家庭の一戸建て程度であるが、この都市でそれだけの家に住める人間はさほど多くはない。


 彼も長年真面目に勤めて、ようやく住むことができるようになったのだ。それゆえに玄関を開けるたびに感慨深い気持ちになる。



「それにしても…」



 自分の家の前に来て、なんとなく頭に引っかかることがあった。


 それはさきほど別れたシミトテッカーの様子である。



(普段の彼とは少し違う様子だったな。別れの言葉も不可思議だったような…。だが、そういう日もあるか。彼も彼女とのことでいろいろと考えることもあるのだろう)



 人間は多様な感情を持つ生き物なので、日によっては情緒不安定なこともある。


 魔が差す、という言葉の通り、どんなに真面目な人間でも時には間違ってしまうこともある。欲望に負けることもある。


 今日という日が、彼にとってそういう日だったにすぎないのだろう。よくあることだ。深く考えることもない。




 カチャカチャッ



「ん? 鍵が開いているな…。まったく、無用心なことだ。いつもかけておくように言ってあるのに。城塞都市とはいえ平和とは言い切れないからな」



 玄関の鍵が開いていた。


 レブファトには妻と小さな息子がいるので、防犯にも気を遣わねばならない。



「特に最近は物騒だからな…」



 ついついそう言ってしまったのは、ホワイト商会のことを思い出したからだ。


 白昼堂々と店を襲うような連中がまだいる。他の都市から来た組織なのかもしれないが、そういう輩を追い払うのもマフィアの仕事だ。


 日本のヤクザが経済化したように、彼らは商会を使って合法的に乗っ取りを図ろうとすることもある。それを防ぐのが自分の役割である。


 その際に、多少強引な手を使うことも致し方がない。不正はしていないが、ホワイト商会を相手にした時のようにあれこれと言いがかりをつけることはある。


 本意ではないが、それは守るためだ。この都市を混乱に陥れる勢力は、何としても抑制しなくてはいけない。それが家族の安全につながるからだ。


 レブファトも、自分の理念と上からの命令、そして家族への愛情で日々揺れている。シミトテッカーの迷いも不満も、まるで自分のことのようにわかるのだ。



(私には妻と息子がいる。家族さえいれば、どんな苦しみも耐えられる。よし、こんなことは忘れよう。今日は家族で外食だからな。しかめ面では嫌がられるだろう)



 ついついシワが寄りがちな眉根をほぐして、見た目だけは少しでも良くしようとする。


 ここは自分の家。リラックスする場所なのだ。




 廊下を通って、リビングへのドアを開く。



「今帰ったぞ。玄関のドアが開いていたが、しっかり閉めておかないと危な…」




―――「やぁ、お帰り」




「…?」



 ふと聞き慣れない声がした。


 それは妻にしては男性的で、息子にしては少年的すぎる。美しくも強く、独特の響きをした声である。



 声がした方向に視線を動かす。



 リビングにあったソファーに、一人の男が座っていた。



 その人物の特徴を一言で示すならば―――仮面。



 白いスーツに白い仮面を被った少年が、そこにはいたのだ。



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