176話 「ソイドビッグの死闘修練 中編」


 ビッグの拳が裂け、血がしたたる。


 攻撃が通じない以上、下がるしかない。無様なまでにバックステップを繰り返し、壁際まで後退。



(ここには俺の知らないもんばかりがありやがる! こんな魔獣も知らないし、ホワイトの野郎も馬鹿みたいに強ぇ。こんなもんを作っちまうんだからな…。ちっ、冷てぇな…この氷の壁はよ)



 沸騰しかけた頭が、氷壁に強制的に冷やされていく。


 アンシュラオンがそれを目的としたわけではなかったが、結果的にビッグを落ち着かせることに成功する。


 ヤドイガニが追ってこないことを確認し、防御の姿勢を保ったまま深呼吸。



(ふーー、ふーーー、落ち着け。あいつと比べるな。張り合うな。あれは人間じゃない。あいつと同じことをしようとしたって駄目だ。俺がいくら殴っても、あの岩は壊れない。認めろ。認めるんだ。俺は…弱い!!)



 さすがのビッグでも、ヤドイガニの岩を殴り続けるのは無意味と判断する。実際に痛い目に遭ったのだから、よほどの馬鹿でもそれは理解できるだろう。


 いくら武人が痛みをある程度無視できるとはいえ、無駄なことをしてダメージを受けるのは馬鹿のやることだ。


 そこでホワイトの言葉を思い出す。



(無駄なことが嫌い。無意味なことが嫌い。利益が出ないことが嫌い。なるほど、たしかにそうだ。俺たちだってそうやって組織を運営しているんだからな)



 ビッグも組織運営に携わるようになって、利益がいかに重要かを知った。


 利益が出なければ組自体が弱くなるし、曽祖父のツーバ・ラングラスにも迷惑がかかる。ひいてはラングラス一派全体を弱体化させることになる。


 ホワイトに近づいたのだって利益を求めてのことだ。意味があることだからやったのだ。


 戦闘も、それと同じ。


 無駄なこと、利益が出ないことを繰り返していては勝てるものも勝てない。



(あいつにも言われただろうが。突進するばかりじゃ勝てないってな。悔しいが、あいつは頭が切れる。それが悪知恵だとしても意味があることしかやらねぇ! ムカつくが、それを認めるんだ!)



 アンシュラオンがヤドイガニを選んだことには意味がある。


 当人が言っていたように攻撃力ではなく防御力を優先して選んでいる。ビッグに単調な突進だけでは絶対に勝てないことを教えるためである。


 あの狡猾な男が選んだのだ。絶対に突進だけでは勝てないようにできている。まさに仕様である。


 ならばどうするのか。



(考えるしかない! 考えながら戦うんだ! 頭を使うんだ!)



 魔獣のように問答無用で相手を破壊できる攻撃力を持たない人間が、唯一持つ武器がある。それこそ知恵。知識。思考の力である。


 そう、この判断こそ重要なのだ。


 アンシュラオンが言ったように力押しだけで勝てる戦いなど少ない。それが許されるのは強者のみである。


 自分は、強者ではない。それを認めることが最初の一歩となる。



(じゃあ、どうする? 頭を使うなんて言われてもな…どう考えても絶体絶命じゃねえかよ)



 壁をつたって移動しつつ、一定の距離を保ちながら状況を整理する。


 壁は完全に凍っていて張り付くことはできない。普通の氷ならば破壊しながら取っ掛かりを作って上がればいいが、アンシュラオン製のものは強固なので傷をつけることなど不可能だ。


 仮にこのカニを倒しても、彼が迎えに来ないと言った以上、絶対に来ないだろう。


 その時のことを考えると動揺もするが、死んでしまえばすべてが終わる。



(ちっ、ネガティブなことばかり考えちまう。これじゃ駄目だ。何の利益にもならない。あいつが言った考えるってのはそういうことじゃねえ。無駄に先のことを考えるんじゃない。考えたってどうにもならないことは、そのときになってからでいい。俺が考えるべきことは、こいつをどうにかするってことだ。それだけに集中しろ)



 人間の思考は難しいもので、色々な記憶と考えが流れ込んできてしまい、心配ばかりしてしまうものだ。多くの人間がこれに苦しむ。


 ただし、一度に考えられるのは一つのことだけ、という絶対のルールがある。


 その人間にいくつもの心配事があっても、その瞬間に考えられるのは一つの事象だけである。


 たとえば最初に殴られた一撃と拳の怪我、どちらかより痛いほうに神経が集中するので、怪我の浅いほうはあまり気にしないで済む。


 これと同じで、常に何かプラスになることに集中していれば、他のネガティブなことを追い払うことができる。



 そして、ビッグが考えるべきことは未来の心配をするよりも、目の前の相手をどうにかするためのアイデアを練ることだ。



 意識をすべて相手にだけ向けて、倒すことだけに集中する。自分の死すら忘れて、ただ殺すことだけに熱中するのだ。


 これもアンシュラオンが言った死ぬ覚悟を決めるということ。死ぬよりも殺すことを先に考えるということ。


 その練習をするには、この場所はうってつけである。それ以外にやることがないからだ。できなければ死ぬしかない。



(あのハサミ野郎をどうやってぶっ殺すかが重要だ。そうだ。殺すことだけを考えるんだ。どうする? どうする? どうすればいい? 何か弱点はないのか? あの岩は駄目だ。あれ以外だ)



 ヤドイガニは岩を少しだけ持ち上げて、こちらの様子をうかがっている。


 それは「さあ、こいよ。いつでもガードしてやるぞ。どうせお前には打ち砕けはしないんだからな」と言っているように思えてくる。


 それは幻聴だとしても、ヤドイガニが防御型の魔獣であることは事実。ガードが有効であることを知った相手は、岩を盾にしてじっくり攻めてくるに違いない。


 魔獣は人間よりも知能が低いが、狩猟本能によって自身の能力をフルに扱う術を知っているのだ。



(くそっ、ムカつく目をしてやがる! 叩き潰してやりてぇ!)



 どこを狙っていいのかわからない苛立ちが募り、さきほど殴られた痛みも感じ始める。それに伴って、怒りもふつふつと湧き上がってきた。


 怒りは力となる。それによって戦気がさらに燃え上がる。だが、同時に怒りは注意力を散漫にさせる。



 直後―――肌に傷が生まれた。



「なっ!?」



 バシバシバシッ


 それに驚いていると、次は顔に何かがぶつかった。頬に傷が生まれる。


 何が起こったのかは明白。



「あのやろう! 岩を飛ばしてんのか!! いてっ!! いてて!!」



 見るとヤドイガニが自分の岩を少し削って、その破片を投げていた。ほんの小さなツブテをハサミで弾くだけだが、その威力は弾丸に近い。


 バンバンバンッ バシバシバシッ


 それは戦気を撃ち抜き、肉体にまでダメージを与えてくる。このまま離れていれば安全というわけではなかったのだ。


 ビッグの注意が逸れた瞬間に、即座に岩ツブテを発してくる。実に冷静な判断だ。これも魔獣の狩猟本能である。



「ホワイトといい、どこまでも…こいつらはぁああ!!」



 ヤドイガニ自身はホワイトとまったく関係ないが、利用されていることは事実。ビッグからすれば悪の一味にすら思えてくる。



「絶対にぶっ飛ばす!!! だが、馬鹿みたいに直進はしねえ! してやるもんかよ!」



 普段ならばそのまま突進していたところだが、ツブテをくらって逆に落ち着くというラッキーが生まれた。


 相手は待ち構えているのだ。誘っているのだ。そこに突っ込めばどうなるのかは、今のビッグならばわかる。


 左腕で岩ツブテをガードしながら、どう打開しようかを考える。



(岩は何をやっても砕けない。かといって顔面を殴っても、俺の攻撃力じゃあいつを砕けない。何か武器があればいいが…そんな都合のいいものはないよな。あとは技だが…虎破くらいしか使えないしな)



 戦士は肉体自体が武器である。ただし、その大半を支えているのが【覇王技】だ。


 まともな修練をしていないビッグに使える技は、せいぜい我流の虎破くらいなものだ。はっきり言えば全力で殴るだけなので、それが技といえるかわからない。


 アンシュラオンがやったように防御無視の発勁などが使えれば楽だが、それがない以上は何かしらの武器がないと厳しい。


 戦士だって武装するものだ。攻撃力が低い防御型戦士にとっては、たとえ剣王技が使えなくても剣気を放出できれば、それだけで大きな武器になる。



(何かないか? 何か武器になるものは…! …ん? あのリュック…何が入っているんだ?)



 ふと目に入ったのは、ホワイトが置いていった大きめのリュック。


 彼の発言が正しければ、焚き火用の木材と水があるらしい。



(あれに武器が入っていれば…。だが、あの男が親切に何かを用意しておくとは思えない。それでも…確認しないと!)



 何か使えるものがあれば、この際は何でも使うしかない。生きるためには禍根や変なプライドは必要ないのだ。


 一縷いちるの望みをかけ、リュックに向かって移動を開始する。



「いてて!! この岩ガニ野郎め! 覚えてやがれ!」



 バシバシバシッ


 リュックに近寄っている間もツブテ攻撃は続く。


 ちなみに野郎野郎と言っているが、このヤドイガニは【メス】である。


 産卵時期になるとメスは多くの栄養を必要とし、普段はあまり食べない人間も食べるようになる。このあたりにヤドイガニが出現していたのは生態系の問題ではなく、単に時期的な問題であった。


 そして、メスのほうが強い。ハサミもメスのほうが大きい。


 生殖本能に忠実に従うメスほど、この世で強いものはない。それは人間と同じである。



「…よし、取った!! 何が入っている!?」



 ようやくリュックを拾い、急いで中身を確認。


 そこには言葉通りに木材と、水が入った水筒があった。当然だが剣や斧、ましてや術具などは入っていない。



「くそっ! あいつに期待した俺が馬鹿だった!!」



 ズリズリ ズリズリ


 そうしている間にヤドイガニが接近してきていた。岩ツブテでは倒せないと思ったのだろうか。再びハサミを構えている。


 それともビッグの焦りを感じ取って、チャンスだと思ったのかもしれない。どちらにせよピンチだ。



「リュックでもくらえって!!」



 あまりにイラついたので、リュックをヤドイガニに投げつける。


 もちろん何の効果もなく、ドサドサと中身だけが飛び出てきて、周囲に木材が散乱する。


 燃料薪では武器にならず、火付け石もないのでまったく役に立たない。せめて包丁でもあれば少しは希望も持てただろうに。



「やるしかない! 身体一つで…やるしか!! …ん? あれは…」



 ヒラヒラ パラリ


 ふと足元に落ちた紙切れが目に入った。おそらくリュックに一緒に入っていたものだろう。



 そこには何かの【絵】が描かれていた。



 まるで子供が落書きしたような、ひどく汚い殴り描きの絵だ。



(なんだこれは? ホワイトの妹が描いたのか? それにしても汚い絵だな。俺だってもう少しましに描けるぞ)



 たしかにサナが描いた絵である。ホワイト画伯も描いたのだが、サナのほうがまだましだったという悲劇もあったが。


 ただの嫌がらせかと思ったものの、あの男が無意味なことをするとは思えなかった。反吐が出るほど嫌いな人物であるが、頭は良いのだ。



(何の絵だ? 人間か、あれは? 手から…赤いものを出している? …駄目だ。さっぱりわからん。文字くらい書いておけよ!! 馬鹿にしてんのか!!)



 実際に馬鹿にしているのだが、そこには何か意味があるのは間違いない。


 人間と思わしきものが、手から丸くて赤いものを出している。壁画ならば神秘的にさえ見えそうな独特な抽象画である。


 だが、それが何かはわからないし、考えている暇はない。


 ヤドイガニがハサミを振り回しながら向かってきていた。巨大な岩が迫ってくるのだから、その圧力は人間の比ではない。



「ちっ! 待ってはくれないかよ!」



 なさけないことだが、ビッグは必死に逃げるしかない。


 どうやら直線は速いが小回りは利かないらしく、円の動きをしていればなんとか逃げられるようだ。


 しかし、これはまったく解決になっていない。


 あれだけの岩を背負って暮らしている魔獣である。間違いなく自分の体力のほうが先に尽きる。



(勝負を仕掛けるしかねえ! あいつの弱そうな場所といえば…もうあそこしかねえ! 顔が駄目でも、あそこなら!!)



 ビッグは突如動きを直進に変え、相手に飛び乗る。


 突然のことだったのでヤドイガニも対応できず、迎撃されずに乗ることができた。



 そこで彼が狙ったのは―――目。



 普通のカニと同じならば複眼だろうが、剥き出しの目が一番弱そうに見えた。あらゆる生物の中でもっとも弱い場所が、やはり目であろうという単純な発想からだ。


 自分もホワイトに目を潰された経験がある。あれは最悪の記憶であるが、自分がやるのならば問題はない。



「おおお!!! 砕けろ!!!」



 ガンガンッ ガンガンッ!


 殴るたびに金属のような音を響かせる。予想はしていたが、硬い。やたら硬い。目まで甲羅で出来ているようだ。


 そのたびに拳が痛むが、この場を切り抜けるにはこれしかない。必死に、全力で、無我夢中で殴り続ける。


 手に戦気を集中させて、何度も何度も叩きつける。どうせ敵の攻撃を受ければ致命傷だ。防御はほぼ無視して殴る。


 ヤドイガニは岩を下げて岩石防御をしようとするが、ビッグが目に張り付いているので上手く閉じられない。


 バタバタ グラグラ


 今度は暴れて振り落とそうとしてくるが、必死にしがみついて殴り続ける。ここを逃したら勝機はないことを知っているのだ。



「おおおおおおお!!! 潰れろぉおおおおお!!」



 ガンガンッ ガンガンッ!

 ガンガンッ ガンガンッ!

 ガンガンッ ガンガンッ!



 ガンガンッ―――グシャッ



 何回目だったか、いつもとは違う感触があった。


 それはまるで、ゆで卵を殴った時のような感触。外側の殻は硬いが、中身が半熟の卵を壊したような感覚。



 苦労の甲斐があり、ヤドイガニの目が―――潰れた。



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