175話 「ソイドビッグの死闘修練 前編」


 ズザザザッ!


 大地が大きく陥没し、周囲一帯が砂になっていく。



 ビッグはそれに呑み込まれ―――落下。



 ズルズルズルッ ヒュ~~~ ドンッ


 それは思った以上に深く、数秒の時間がかかってようやく底にたどり着く。



(くっ! どれくらい落ちたんだ!?)



 周囲の状況を確認するのは人間として当然の習性だ。


 パラパラといまだ砂が落ちつつある暗闇の世界には圧迫感はない。両手を伸ばしても何も当たらないので、スペースはかなりあるようだ。



 ドサッ ドサドサドサッ



 それから大量の砂が落ち終わり、ようやく光が差し込んできた。



「なっ…!」



 反射的に上を見上げたビッグが、呻く。


 上部には光が見えた。青空も見える。しかし、その距離は四十メートル弱はあるだろうか。


 見慣れた城壁と比べての目測なので正確な距離はわからないが、かなりの高さであることがうかがえた。



(けっこう広いぞ、ここ)



 光が差し込んだので周囲の状況がわかってきた。


 もともとただの大地だったため、周りにあるのは土か砂である。


 ただし、大地と壁はしっかりと固められており、立ち上がっても崩れるようなことはなかった。


 これはアンシュラオンがその区域だけを狙って破壊して砂に変えたからだ。よって、それ以外の場所は元の大地そのままの造りとなっている。



 まるで―――コロッセオ。



 直径二百メートルの円柱状に抉られた大地は非常に無骨だが、まさに戦うためだけに生まれた闘技場であった。


 それを証明するものがすぐに落ちてくる。



 ボスーーンッッ



 ビッグが混乱していると、その音が聴こえた。


 明らかに何か大きなものが落下してきた音だ。



「ま、まさか…」



 確認するしかないので振り向くと、そこには大きな岩があった。


 岩から巨大なハサミが覗いている。当然ながらヤドイガニ亜種大先生である。



「よしよし、ちゃんと落ちたな。では、仕上げだ」



 アンシュラオンは穴の上部からその様子を確認し、仕上げに入る。


 水気を壁一面に展開させ、直後に凍気に変換。


 バリバリバリバリッ


 周囲の土壁が氷壁に変わっていく。しかも壁は荒々しいものではなく、完璧なまでに研磨されてツルツルしたものになる。


 指を引っかける場所がまったくないので、武人であっても登るのは困難を極めるだろう。



「ホワイト、てめぇ! 何をしやがる!! どういうつもりだ!?」


「豚君が登って逃げられないように周囲を氷で覆った。おめでとう、これで先生とマンツーマンレッスンができるぞ。羨ましいなぁ。だが、色目なんて使うなよ。先生は肉食系だからな。油断すると逆に襲われて食われるぞ」


「正気か!? 狂ってやがるぞ! さっき勝てない相手だと言っただろう!!」


「そうだな。オレはたしかに狂っているかもしれんな。しかし、なるほど…そうなると師匠も狂っていたってことか。思えばあの人の倫理感もちょっとおかしかったよな。人の命なんて屁とも思っていないような人だったし…弟子は師に似るものか。なるほどなるほど、オレも師匠と同類か」



 陽禅公の生き方も助言も一般とはかけ離れていたので、彼もまた倫理感がぶっ飛んでいるタイプの人間なのだろう。


 闘争と武を追い求めて覇王になったような男である。壊れていて当然だ。


 そう思うと、アンシュラオンやパミエルキの性格にも納得がいく。もともと壊れていたところに、あんな師匠と付き合っていれば、さらにおかしくなるだろう。


 逆に正常で健全な精神を保っているゼブラエスのほうがおかしいのだ。あれだけはどうしても謎である。



「長年の謎が解けたよ。ありがとう。オレは用事があるから一足先に戻っているぞ。お前はそいつを倒したら自力で戻れよ。待っていても永遠に迎えは来ないぞ。甘えるなよ」


「お、おい! 行くのか!? 本気か!?」


「童話じゃあるまいし、豚とカニの戦いを見ても楽しくないしな。ああ、そうそう、飢えないように差し入れを入れておくから腹が減ったら食べてくれ」



 ポイッ ドスッ


 土檻の中にリュックを投げ込む。



「た、食べ物か? 案外優しい…」


「燃料薪と水が入っている。そいつを倒して焼いて食べろ。たぶんカニだから食えるはずだ。あと、生はやめとけ。どんな寄生虫がいるかわからないからな。それじゃ、生きていたらまたな」


「ほ、ホワイトぉおおお!! お前はぁあああああ!!!」



 アンシュラオンが男に優しいわけがない。


 びびりのビッグのために、わざわざこんなステージを用意してあげただけでも感謝してもらいたいものである。



「人間、死ぬ気になればなんとかなる。リンダのためにもがんばるんだな」



 そう言い残し、今度こそ消えてしまった。






「くそおお!! ホワイトのやつめ! 火付け石ぐらいは入れておけよな!!」



 焼いて食べろと言いながら、火付け石を入れていないという凡ミスを犯す。


 怒る場所はそこではないのだが、何かしらに文句を言いたかったのだ。



 ズサッズサッ



 が、大きなものが動く音が聴こえて、慌てて振り返る。



「ちっ、そんな場合じゃねえか!!」



 ビッグには、ホワイトを罵る余裕などない。


 閉じ込められたのはヤドイガニ亜種も同じことである。そして、この魔獣は人間を餌とみなしている。


 普通の人間よりも大きい彼は、さぞかし上等な餌に見えていることだろう。


 虫と虫を閉じ込めると、それが普段は絶対に食べないような相手でも空腹に負けて食べてしまうものだ。



 それが【本能】であるから。



 ならば、もともと餌である人間を見つけたら、相手は喜び勇んでやってくるに違いない。


 じわじわとヤドイガニがビッグに向かってくる。



「ちくしょう!!! お前なんかにやられてたまるかよ!! こんなところで死んだら誰が家族を守るんだ!!」



 あの男のことだ。自分が死んだら約束を反故にする可能性もある。


 すでに裏の事情をよく知るソブカと接触しているのだ。無理に自分にこだわる必要はない。


 そうなれば直接約束をしたリンダはともかく、他の家族がどうなるかわかったものではない。



(俺は死なない! こんな場所で死んでたまるか!!)



 こうなったら戦うしかない。やるしかないのだ。



「うおおおおお!」



 先手必勝とばかりに駆け出し、ヤドイガニに拳を見舞う。


 ドスドスドスッ ドガッ!!


 拳がヒット。見事、顔面らしき場所に当たる。


 魔獣の身体の仕組みなどわからないが、顔が弱点なのは一般的な知識として知っている。


 それは正しい。正しいのだが、決定的に間違っていることがある。



「どうだ、これで―――っ!?」



 次の瞬間、ビッグの身長以上もある巨大なハサミが薙ぎ払われた。



 硬い甲羅のような感触を顔面に感じた瞬間―――吹っ飛ばされる。



 その衝撃は相当なもので、大地に激突してからも止まらず、さらに凍った土壁にまで激突するほどだ。


 一瞬、意識が飛びそうになる。が、ここで失ったら死亡確定である。


 逆に痛みに身を任せることで、かろうじて踏みとどまる。



「がふっ…ごっ……ぺっ」



 鼻血を腕で拭い、折れた歯を吐き出す。吐いた唾は出血で真っ赤に染まっていた。


 その情報が脳内で処理されるまで多少の時間がかかった。


 そして、愕然。



(や、やべぇ。なんだこれは…。こいつ、マジかよ…戦気でガードしたんだぜ! それでこのダメージかよ!!)



 咄嗟に戦気でガードしたが、これほどのダメージを受けてしまったのだ。


 その一撃は何の躊躇もない強烈な攻撃だった。確実に殺す気で攻撃している。


 魔獣なのだから当然である。相手は標的に対して容赦などしない。感情豊かな人間とは違うのだ。



 だが、そんなことすらビッグは完全に理解していない。



 知ってはいても漠然としかわからない。壁の中にいることが多くて、外の世界に対しての実感が湧かないからだ。


 これは外から来たサリータもそうだったので、ハンターでないとわからない感覚かもしれない。



(受けたダメージもやばいが…それ以上に相手がダメージを受けていないっぽいのが、もっとやばいぜ)



 ビッグが犯した間違いは、たった一つ。


 あれがヤドイガニであることを意識しなかった、という点だ。


 ステータス数値を知らないので責めるのはかわいそうだが、あの魔獣の防御も通常種と同じBである。生半可な攻撃が通じる相手ではない。



(こんな強い魔獣が外にはいるのか? 外はそんなに怖い場所だってのかよ)



 鈍感な彼でも、こうなれば理解できる。今自分がいるのは家族に守られた組織でも、壁に守られた都市内部でもなく、何もない荒野だ。


 アンシュラオンが簡単に殺すので見ている側は実感が湧かないが、魔獣は非常に恐ろしい存在なのだ。


 ヤドイガニ亜種はレアだとしても、それに匹敵する魔獣は荒野には山ほどいる。あのデアンカ・ギースと同種の四大悪獣だっているのだ。まさに食物連鎖の弱肉強食世界である。


 そんな場所に、たった独り。


 しかも、あの最悪のホワイトによって生み出された土の牢獄。遠くから見れば、この場所は荒野にしか見えないので、仮にハンターがいても助けに来る可能性はゼロに近い。


 いや、そもそもヤドイガニ亜種に単独で勝てる一般ハンターはグラス・ギースにはいない。運良く大納魔射津のような術具を備えた熟練の傭兵団が通りがかるのを待つしかないが、それこそ奇跡的確率であろう。


 つまりは絶体絶命のピンチ。


 檻の中に入れられた豚と肉食動物のようなもの。このままでは間違いなく食われる。



「ちくしょく、ちくしょう!! ちくしょうぉおおおおお!! どうしろってんだ!!!」



 現実とは厳しいものだ。叫んでも何も変わらない。


 ズリズリ ズリズリ


 そうしている間にもヤドイガニは近寄ってくる。その目は黒くて無機質で、おおよそ狩猟本能以外の感情が宿っているとは思えない。


 その目に、ぞっとする。



「はぁはぁ!! はぁはぁ! やるんだ! やるしかない!!」



 戦気を放出して完全なる戦闘態勢を整える。無手の戦士である自分には、それ以外の選択肢がないのだ。



「うおおおおおおお!!」



 再び突進。一気に接近する。


 ブーーンッ


 それと同時にハサミが襲ってくる。



「二度もくらうかよ!」



 一撃は重いが大振りのハサミの下をスライディングするようにかわす。


 普段はやったことがないので、正直成功するかわからなかったが、あれを防御するのは愚策である。成功してよかったと心底思った。


 こんなことは人間相手ならば思わなかったに違いない。相手が人間だと、どうしても余計なプライドが邪魔をするが、魔獣ならば何も感じない。


 ただ生き残るためだけに身体が動く。


 そして、なんとか体勢を整えてからカニの本体に殴りかかる。


 ガシャンッ


 しかし、拳が当たる直前に岩が上から落ちてきた。



 拳が―――岩と激突。



「ぐっ!! 硬ぇえ!」



 ヤドイガニの『岩石防御』。背負った岩を覆い被さることで、鉄壁の防御を生み出すスキルだ。


 これはガードの効果があり、防御力上昇に加えてダメージを半減させる。


 攻撃がAAのアンシュラオンならば簡単に破壊できるだろうが、ソイドビッグの攻撃はD。到底打ち砕けるものではない。


 ブシャッ


 逆に―――拳が裂ける。


 戦気で覆っていても相手のほうが強固である。まったく傷一つ付かない。



(くそっ、なんだよ魔獣ってよ! こんなに強いのかよ!! これをあいつは捕まえてきたってのか!! ふざけるなよ、化け物が!!)



 ホワイトがいとも簡単に捕らえてきた魔獣に、自分は互角にも戦えていない。


 思えば、この闘技場を作る段階で人間業とは思えない。やはりあの男は化け物である。



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