173話 「豚君のデート詐欺被害報告」


「ファッ!? フォッ!?」



 べつに何かの冗談でも釣り文句でもない。


 これはソイドビッグが、【ソレ】を見た瞬間の率直な感想である。




 少し時間を遡ろう。


 彼は先日、恋人のリンダから連絡を受けた。内容は「デートしよう」という、恋人ならありふれた内容のメッセージ。


 もともとお互いに忙しく、なかなか会う機会もなかったため、その誘いはとても嬉しかったものだ。



「…そうだな。身も心もボロボロだもんな…俺たち。少しは息抜きも必要だよな」



 あの男と出会ってから、自分の人生はボロボロになってしまった。


 家族といても監視されているようで居たたまれず、裏切っているという罪悪感で胸が張り裂けそうになる。


 それが身内を生き残らせる唯一の方法だと言い聞かせているが、その分だけ自分の心を犠牲にしているのだ。


 何をやっていても集中できず、仕事にも身が入らない。いっそこのまま逃げてしまいたくもなる。


 しかし、愛するリンダも人質に取られている手前、そんなことはできない。もしそんな決断をしたら、間違いなく地獄が待っているだろう。



 よって、ボロボロ。



 何もされていないのに日々耐え難い苦痛に苛まれているのだ。


 そんな時、リンダから連絡があった。


 きっと彼女も苦しんでいるのだろう。たとえ心の底から喜べなくても、少しでも気が紛れるのならば幸運だ。


 苦しいときこそ一緒に歩むから家族なのだ。リンダともそういう関係になりたい。愛を維持したい。



 そう思ってやってきたのだが―――




 その場にいたのは、【あの男】。




 思わず変な声を出してしまうのも仕方ないだろう。



「よぉ、久しぶり」


「あっ…なっ!? ファッ!?」


「ついに人間の言葉も忘れたのか? それともオレの顔を忘れたわけではあるまい?」



 今は仮面をしていないが、この顔と声を間違えるわけがない。


 あまりの驚きで頭が真っ白になる。



「おまっ…ホワイ…ぶはっ!? ごっぼぼっ!?」



 ビッグがその言葉を発する前に、口に水気が満ちた。



「げぼっ、げぼっ!」


「迂闊にその名前を出すな。ついてこい。話がある」


「ぶはっ…くっ……」



 水気を解いてやると、ビッグは忌々しげにアンシュラオンについてくる。



「乗れ」



 用意してあった馬車を指差す。



「…どういうつもりだ? まさか彼女に何か…」


「安心しろ。お前の恋人は無事だ。そういう用事じゃない」


「…わかった」



 ビッグは訝しげな視線を向けながら、渋々馬車に乗る。


 どのみちアンシュラオンことホワイトには逆らえないのだ。従うしかない。






 馬車は金色に輝く小麦畑を通りながら、ゆっくりと南門に向かう。


 その間、ビッグはひたすら動揺する心に翻弄されていた。彼もリンダと同じく、心に大きな傷を負っているのだ。


 あの時のことを夢に見るので睡眠不足はもちろん、常に周囲から監視されているという強迫観念によって、歩いているだけでも激しいストレスを感じる。


 もう完全にPTSDの症状である。


 ただ、まだこうして出歩けるだけリンダよりはましだろう。男としての最低限のプライドと、大切なものを守る意思だけが彼を支えているのだ。



 そのすべての原因となった男が目の前にいる。



 これも相当なストレスだが、リンダが近くにいないだけ安心である。あんなに会いたかったのに、今はいないのが嬉しいとは皮肉なものだ。



「もうすぐ麦の刈り入れか。コシシケの刈り入れもやるのか?」



 少し落ち着いたのを見計らって、アンシュラオンが話しかける。



「安全のため、いくつかに分けてやっている。一期目は終わって、これから二期、三期とある。これからが本番だ」


「では、まだまだ忙しい時期だな」


「そうだ。だからあんたの道楽にかまっている暇はないんだ」


「そのわりには意気揚々とやってきたようだがな。なんだ、その格好は? 浮かれやがって」



 ビッグはセーターにズボンというカジュアルな服装でやってきた。


 よくカップルのデートで見かけるものだが、ビッグが着ると違和感が半端ない。



「それはあんたが…! じゃなくて、リンダがデートしようっていうから…」


「あれは嘘だ」


「もうわかってるよ…ちくしょう…。詐欺に遭った気分だ」



 人生の終わりのような顔をして俯く。


 またもや幸せの絶頂から奈落に突き落とされた気分である。この男と付き合うと、ろくなことにならない。


 ただ、これもソイドファミリーから仕掛けたことなので、その多大なる代償を支払っているにすぎないが。



(この様子だと、ファミリー側はまだ何も知らないようだな。リスクを負ってまでリンダを使った価値はあったかな)



 リンダに命令したのはファミリー側に怪しまれないためでもあるが、それによって何か周囲で異変が起こるかどうかをチェックする目的もある。


 ビッグ自身が裏切らずとも、他の人間が感づくかもしれない。あるいはホワイトに接触するビッグに対して見張りが付いているかもしれない。そうしたことを探るためである。


 だが、今のところ異変はない。追跡している者もいない。


 まだ完全に油断はできないが、ソイドファミリー自体は暴力を前面に出すタイプの組織なので、こうしたことに大雑把な可能性が高い。


 少なくともキブカ商会とは雰囲気が違うのは間違いないだろう。



「やはりお前は、ソブカとは似ていないな」



 その落胆する顔を見て、思わずあの男と比べてしまう。


 ソブカならばこんな顔は絶対にしないだろうし、そもそも騙されてやってくるようなこともないだろう。



「あいつはどうした? もう会ったんだよな?」


「オレに訊くより、お前のほうが詳しいんじゃないのか。親類だろう?」


「俺とあいつは幼馴染だが…ソリが合うわけじゃない。あいつが何を考えているのかなんて、俺にはわからねぇよ」


「お前とは違う意味で、あいつは面白い男だったよ。自分の欲望のために努力をしている。行動もしている。お前とは別物だ」


「もしかして…馬鹿にしたのか?」


「そうだ。それくらい気がつけ。お前は怠惰な豚だが、あいつは少なくとも目的に向かって何かをしようとしているぞ」


「なっ!? 俺が努力をしていないってのか!?」


「しているとでも思っていたのか? 親のスネをかじって、流されるままに生きていただけだろう。オレに負けたことを忘れたわけではあるまい。それともお前は、自分がソブカに勝っているとでも思っているのか?」


「それは…くっ…。あいつが商売上手だってのは認めるさ。だけどよ、俺だって…」


「仕方がないことだ。そもそもの存在が違うんだ。家畜と野生動物の違いってやつだな。家畜のお前が悪いわけじゃないさ」


「…それはもっと馬鹿にしていないか?」



 ビッグとソブカは違う。ソブカは自分の野心のためにリスクを冒すことも厭わずに決断した。


 組長と若頭という立場の違いはあれど、両者の格の違いは歴然である。


 ただ、そこにもれっきとした理由と原因はある。



(ソイドダディーは単独でのし上がった叩き上げだ。そういうタイプは子供に甘くなる。一方のキブカ商会は長く続いている組だ。そうなると今度は、ああいった異端児が生まれる。凝り固まったものを破壊するためにな)



 ソイドダディー自体が異端であり、自らの力でソイド商会を創り上げた強い固体である。いわゆる中小企業の創始者だ。


 一方のキブカ商会は、何百年も続いたラングラス一派の組織である。逆にこうした組織では、次第に衰退していく中で、自然と弱いものを淘汰する異分子が生まれることがある。



 これぞ自然界の掟、摂理。



 傲慢な金持ちの最後の子孫に、清廉潔白、品行方正な人物が生まれて清算が行われるように、すべては淘汰と再生進化の流れの中にあるのだ。


 ビッグは何も考えずに甘く育てられ、ソブカは緩慢な束縛された世界を憎しみながら育った。


 両者が違うのは当然だ。そうでなければ、かえって不公平だろう。



「ともあれ、ソブカもお前と同じ状況になった、とだけ言っておこう」


「…そうか。あんたにかかれば…それも仕方ないな」


「そういうことだ」



 アンシュラオンは、それ以上のことは言わなかった。


 そのためビッグは、ソブカも暴力で脅されたと思っているのだろう。同情するような顔がその証拠だ。



(こいつは頭が悪いからな。情報を与えると漏れる危険性もある。嘘は言っていないし、勘違いしてくれるのならばありがたい)







 ガタゴト ガタゴト



 馬車は都市を出ると、北東に向かっていく。


 さらに移動し、ついには交通ルートからも外れ、荒野の中に入っていく。


 その様子にビッグの表情が硬くなる。



「どこまで行く気だ? ひと気のない場所で俺を殺す気か?」


「せっかく苦労して手に入れた駒だ。そんなことはしない。それよりお前、強くなりたくはないか?」


「強く…だと?」


「オレに散々やられて悔しくはないのか? 少しくらい抵抗してみたいと思うだろう。それに、せめてソブカに武で勝たないとお前の存在意義がない」


「あいつと比べるな」


「ふん、それこそ意識している証拠だろうが。お前たちは血筋を大事にしているようだからな。同年代の親戚で、お互いにラングラスの組を受け持っているのならば比べられるのが当然だ。そこから目を背けても何の利益も生まれないぞ」


「…利益か。あんたらしい考え方だな」


「お前が世の中と物事を知らないだけだ。利のないところには何も生まれない。自己陶酔で自爆して満足する輩もいるが、あんな連中こそ社会の害悪、人間のクズだよ」



 意味のないこと、無価値なこと、利益が出ないこと。これは最悪だ。


 勝てない勝負をすることもそうだ。よく感情に訴えかけて人々を煽動し、勝てない戦いに導く指導者がいるが、あれこそまさに人類の害悪でしかない。


 彼らは利を与えず、破滅しか呼ばない。そして、負けたことをさらに理由にして、憎しみだけを無垢な子供たちに植え付けていく。


 まったくもって無価値でマイナスの借金だらけの存在だ。それこそアンシュラオンがもっとも嫌うものである。



 そして、ビッグもまたその境界線上にいる。



 甘やかした父親も悪いのだが、このままではただの負け犬ならぬ「負け豚」になるだろう。そういう腐った性根の者がいれば組織全体に影響を及ぼす。



「お前はソイドファミリーを維持するための道具の一つだ。だから強くなる手助けをしてやる。それならば少しは自信が持てて、世の中を見る余裕ができるはずだ。それはお前が大好きなリンダを守ることにもつながるだろうさ」


「………」


「どうした?」


「いや、まさかあんたがそんなことを言い出すとはな。何か裏があるんじゃないかと思っただけだ」


「当然だ。裏がない話など、この世には存在しない」


「では、それがあんたの利益になるということか?」


「そうだな。今言ったようにお前はファミリーに対する保険の一つだ。しかしこれから先、お前が望む望まないにかかわらず、いろいろなことが起こるだろう。そこでお前が死なれると困る。せっかく手に入れた豚を出荷しないまま死なせたら、完全なる赤字だろう? 赤字は嫌いなんだよ」


「…やっぱりあんたは変わらないな」


「当然だ。人間がそんなに簡単に変わるか」


「それで、あんたが修行をつけてくれるのか?」



 一瞬、そのことに恐怖を覚えて身体が震える。


 あの魔人の姿を想像すると、どうしてもこうなってしまうのだ。


 だが、その問いにアンシュラオンは首を横に振る。



「残念だがオレは男を鍛えるつもりはない。代わりの【師】を用意してあるから安心しろ」


「ふぅ…よかった」


「そうだな。よかったな」



 その時、アンシュラオンが不気味に笑った顔をビッグは見ていなかった。


 それを見ていれば少しは警戒できたのだろうが、もはや手遅れであろう。



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