157話 「サナの初実戦 前編」


 しばらく走っていると、ワイルダーインパスの群れを発見した。


 群れの数は十五頭。


 雑魚ではあるが、数が増えると厄介になる『集団突撃』のスキルを持っている。


 ラブヘイアの実力テストにも使った魔獣なので、サナの初実戦には悪くない相手だ。



「サリータ、魔獣との戦闘経験はあるか?」


「本格的な狩りのやり方は知りません。ただ、あの魔獣とは一度だけ交戦したことがあります」


「ふむ、交戦経験があるなら問題ないか。ちょうどノンカラーでも対応できる相手らしいからな」



 ワイルダーインパスも単体ならば駆除級に該当する魔獣である。ノンカラーのサリータでもなんとかなるだろう。



「武器はメイスだけか?」


「はい」


「人間相手にはいいが、魔獣相手では威力が弱いな」



 サリータの経験値は主に対人戦闘で培ったものである。しかも殺すのではなく制圧したり無力化させることが目的なので、殺傷力が高い武器は持っていない。


 彼女が持っているメイスでは、魔獣相手では少々分が悪いと判断する。



「扱えるかどうかわからないが、ハンマーと斧はくれてやろう」



 アンシュラオンが『鉄のハンマー』と『ペーグの斧』を取り出す。二つとも大きいので、魔獣相手でもかなり有用な武器だろう。


 最近はまったく使わないので忘れていたくらいだ。どうせ使わないのだからサリータにあげてもいいだろう。



「これは…立派なものですね」


「武器は武器だ。遠慮なく使え。斧は片手で使うには柄がちょっと長いかな? 長さはあとで調整してやるが、ひとまずこれくらいは軽々と振り回せるようになってもらうぞ」


「はい、師匠!」



 サリータの基本戦術は、盾を使って相手の攻撃をしのぐことにある。突進攻撃もあるが、ひっくり返されたら終わりなので基本は防御であろう。


 問題は、その後だ。


 彼女には防いだ後の攻撃手段が少ない。メイスで攻撃するにも、相手が強ければ弾かれてしまう。


 理想としては盾で相手の動きを止めたところに、斧かハンマーの強烈な一撃を加えることだ。


 優れた剣技が使えれば別だが、不器用そうな彼女には剣よりも打撃系の武器のほうが有用だろう。


 最低でも昏倒させるか、一旦敵を吹き飛ばすくらいの力は身につけてもらいたい。それができれば護衛としても使えるようになるだろう。



 そして、一番重要なサナに振り向く。



「サナ、これから何をしに行くか理解できるか?」


「…こくり。しゅっ、しゅっ」



 サナがダガーを持って、しゅっしゅっと動かす。彼女はその意味をすべて知っている。


 その仕草にアンシュラオンは満面の笑みを浮かべる。



「そうだ。これからやるのは実戦だ。殺すか殺されるかの素晴らしい世界がお前を待っているぞ。お兄ちゃんがずっと教えてきた世界だ。どうだ、ドキドキするか?」


「…こくり」



 サナも少しばかり興奮したように頷く。


 ホテル暮らしをしている間、アンシュラオンはサナに戦いの話をしてきた。


 武人のこと、魔獣のこと、技のこと、武器のこと、防具のこと、術のこと、簡単な説明ながら知っていることは全部教えている。



 結局のところ、アンシュラオンの人生は闘争の中にあった。



 この世界に生まれてからずっと戦う技術だけを教え込まれていたので、彼を構成している要素はすべて「戦闘」という言葉に凝縮される。


 ガンプドルフが彼を見て「戦闘マシーン」であると感じたのは、まさに真実。彼の本質をそこで垣間見たのだ。


 たしかに地球で培った平和な話題をしようと思えばできるが、この世界においてそんなものは何の役にも立たないし、女の子が喜びそうな話題など何も知らない。


 パミエルキがアンシュラオンにそうしたように、アンシュラオンはサナに自分が書いた戦闘の本を与えた。


 絵本を読み聞かせるように戦闘の話をする。


 すると子供はそれに興味を抱き、もっと知ろうとする。それが嬉しくてさらに教えていく。


 教えられるのは知識だけだったが、サナはちゃんと「殺す」という意味を知っているのである。



「大丈夫。オレは常にサナを守る。危険なことはない。ただ、それだけじゃ戦いの本当の意味と価値を知ることはできない。この空気を実際に肌で感じなくてはいけない。この空気を自然に感じられるようにならないといけない。痛みや苦しみも、すべてお前のものとして受け入れねばならないんだ」



 血と土が混じったような独特の臭いがする荒野が広がっている。


 闘争と殺戮の中に一瞬の生命を見いだす者たちが放つ空気。一つの判断ミスで死が訪れる、とても厳しくとてもリアルな世界。


 この現実感のない世界において、唯一生きていることを実感できる最低で最悪の場所。


 サナは今、そんな場所にいるのだ。



「ここでは自由だ。すべてが自由だ。何をしてもいい。誰にも文句は言われない。だが、唯一の掟がある。それこそが力の流儀、絶対強者のルールだ。サナ、強くなれ。強くなろう。お兄ちゃんが強くしてやる。まずは自らの手を血に染めろ。その感触を教えてやる」



 自分の手を血に染めることで、それを自然なものにしていく。


 最初は何事も緊張するし、特別なものに感じられるだろう。慣れてしまえばなんてことはないものだが、最初はいつだってドキドキするものだ。


 その新鮮な感動をサナに与えてあげたいと心から願っている。


 それがあんな雑魚であることに多少の不満はあるが、最初の獲物はいつだって小さなものだ。



「サナはクロスボウだ。まずは相手に当てることを目標にしよう」


「…こくり」


「サリータは、一匹でもいいから敵の動きを止めて、サナが狙いやすいようにしろ」


「はい! わかりました!」



(サリータは細かいことをぐだぐだ言わないな。そこは好感が持てるが、一応いつでも動かせるように忍ばせておくか)



 シャイナと違ってサリータはアンシュラオンに意見しない。そもそも弟子なので、自分の立場をわきまえているのかもしれない。


 ただし、サリータをまだ完全に信用したわけではないので、いつでも対応できるようにサナの背中に命気を忍ばせておく。


 遠隔操作で自在に操れるため、いざとなれば命気を水気にして攻撃することも可能だ。またはサナが攻撃された際には防御膜の役割を果たす。



(他人を信じられないのは不幸なことか? いや、慎重なのはよいことだ。失敗してからでは遅い。オレは二度と失敗はしない)



 不用意に他人を信じて裏切られることは往々にしてよくあることだ。


 ただし、それは自分が悪い。慎重さと準備が足りなかったのだ。すべての責任は自分にある。


 相手を簡単に信用する甘さも弱さの一つ。弱みを見せれば、誰かにつけ込まれるのが世の中の常識である。


 他人というものは基本的に信用すべきではない。これは人間不信ではなく、人間は常に未成熟な存在だということだ。未熟なので、その相手すら予期せぬことを相手自身がやってしまうことがある。


 それによって被害を受けることは、人生において珍しいことではない。そして、多くの人間は自尊心の拡充を図り、自己の未熟性という事実を受け入れずに自己保身と自己弁護に走るのだ。


 それはいい。人間とはそういうものだ。だが、失ったものは戻らない。損失は被ったままである。


 だからアンシュラオンは、絶対に失敗しないように常に準備を整えておく。


 まず頼れるのは自分自身であり、その強さである。


 起こってから後悔しても遅いのだ。大切なものは自分で守らねばならない。それが自衛というものだ。





「では、いくぞ。オレが追い込むから、お前たちは準備を整えて待ち伏せだ」


「師匠、どうやってあの群れを誘導するのですか? あれだけの数です。普通のやり方では…」


「本能で動く魔獣を操作するのは簡単だ。まあ、見ていろ」




―――ボンッ




 それは何かの破裂音のようであった。


 音がしたので横を見たら、すでに大地が陥没していたのだ。蹴った衝撃で大地が崩れた痕跡である。



「消え…た?」



 サリータには、まさに消えたように映っただろう。


 隣にいたにもかかわらず、アンシュラオンが動いたことがわからなかった。しかも遅れて音が届いたので、それに気がついたのは、すでに彼が移動を終えてからである。


 いったい何メートルあるのだろう。


 まだ群れとの距離は二百メートル以上はあるはずなのに、それをひと蹴り、一瞬で詰めたのだ。




 アンシュラオンはすでに群れの前方に移動していた。


 ワイルダーインパスも、まだ状況を理解していないようだ。まったく勢いを落とさずに突っ込んでくる。


 暴れ牛の群れの前に人間が立つなど、まさに自殺行為である。普通ならば簡単に潰されるだろう。


 が、当然ながら、この男はまったく動じない。



「数が多いな。少し減らすか」



 掌を突き出し、戦気を放出。


 放射状に放出された戦気の波が、ワイルダーインパスの群れを襲った。



 覇王技、烈迫断掌れっぱくだんしょう



 掌から放射状に凝縮した戦気を展開する因子レベル4の放出技である。


 因子レベルが高いのは、戦気波動のように普通に戦気を放出するのではなく、戦気を細かい粒子に分け、それを断続的に放出するからである。


 ガンプドルフが使った張針円を、さらに攻撃特化させたような技だろうか。ただし粒子は刺突性のものではなく、一つ一つが爆散する性質を持っているので、細かい粒子に一つでも当たれば誘爆して周囲を破壊し尽す強力な技である。


 範囲は自分で指定できるが、小さくまとめればまとめるほど威力は大きくなる。


 今回放たれたのは、やや広域。


 周囲五十メートルを巻き込む巨大なもので、普通の武人が使ったのならば威力はかなり分散されるが、アンシュラオンが放てば手加減していても強烈な攻撃となる。



 大地が吹き飛び、ワイルダーインパスが―――消失。



 それはダメージを受けるというレベルではない。触れた瞬間に爆散し、存在そのものが掻き消えるといった凶悪なものだ。


 たとえるならば、まるでロボットアニメの拡散ビーム砲である。彼らに逃げ場などあるはずがない。


 扇状に大地が消失するほどの威力によって、ワイルダーインパスの十頭が消失。二頭が修復不可能なダメージを受け、無事なのは最後尾あたりにいた三頭だけであった。



「こいつら、こんなに弱かったか? かすっただけで致命傷じゃないか。少し強すぎたな」



 もっと残そうと思っていたが、余波を受けた二頭も瀕死の状態になってしまった。これだから弱い魔獣は嫌いである。



「ほら、どうした。来ないのか? 来ないのならば逃げろよ」


「ブルルッ!!?」


「おっ、ちゃんと逃げるな。エジルジャガーより、よほど頭がいいじゃないか。ほらほら、逃げろ」



 ワイルダーインパスは、即座に撤退を選択。


 動物的本能が、ほぼ反射で戦うことを拒否したのだ。実に賢い選択である。




 そのまま軽く追いながら、待ち伏せていたサリータとサナに指示を出す。



「サリータ!!! 逃がすな!! お前が頭を押さえておけ! サナはその間に射撃だ!」


「は、はい! わかりました!」



 アンシュラオンの声は、よく通る。これほど離れていてもまったく衰えない。


 そのうえ声を聴いただけで、逆らうという気が起きなくなるのだ。



(師匠に見られているのだ。がんばらねば!)



 サリータは走って、逃げるワイルダーインパスの前に立ち塞がる。



 彼らはまっすぐ直進を選択。ぶつかる気だ。



 比較的凶暴な性格の彼らだからこそ、さして違和感のない行動に映るだろうが、今のワイルダーインパスは正気を失っている。


 人間が極度のパニックに陥ると、他人を踏み台にしてまで逃げようとするように、今の彼らも周囲が見えていない。



 見えているのは―――悪夢だけ。



 さきほど立ち塞がった恐るべき存在だけ。それと比べれば、人間の女など石ころ一つにしか感じない。



 ワイルダーインパスの三頭が襲いかかり、サリータは盾を使って受け止めた。



 来ることがわかっているので、彼女も全力で突進し―――激突。




「ぐっ―――!!!」





―――が、重い。





 足が地面から離れる感覚が襲い、身体が浮き上がっていく。


 それにサリータが驚愕。



(なんだ…これは!!? これがワイルダーインパスの突進なのか!? 魔獣の本気の突進なのか!! 以前に受けたものとは…まるで違う!!)



 サリータは、護衛する商隊に襲いかかる魔獣を相手にしたことがある。その時、ワイルダーインパスとも戦った経験があった。


 たまたま彼らの通り道であり、こちらを襲うという意思はなく、軽い小競り合いが起こったというものだ。


 その際は彼らの突進も受け止められたため、今回もできると思っていた。



 されど今回の一撃は―――桁が違う。



 あまりにも必死。


 魔獣が人間を襲うのは、食糧以外には単純に邪魔だという認識だからだ。縄張りに入った外敵を排除しようとするからだ。


 だが、それよりもっと力を発揮するのが、逃げる時。全力で天敵から逃げる時こそ、彼らは真なる実力を発揮するものである。


 たかがワイルダーインパスと侮ることなかれ。本気で逃げる魔獣の力は人間の想像を超える。



 浮いた足が摩擦を完全に失い―――吹っ飛ばされる。



 人間が牛に簡単に跳ね上げられるように、盾ごと宙に投げ出された。




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