143話 「ソブカという男 中編」


 しかし、ソブカはアンシュラオンの心情をすぐに汲み取る。



「ですが、それをしたくはない。だからここにいらっしゃった。そうですね?」


「あんただって、オレを利用したいから受けたんだろう?」


「いえいえ、自衛のためかもしれません」


「気に入らないなぁ。いつから心に仮面を被るようになったのさ」


「ふふふ、はははは! それをあなたに言われるとは。一本取られましたかねぇ」



 ソブカはワイングラスを手に取って、一度アンシュラオンから視線を外す。



 そして、窓の外を見る。



 すでに真っ暗に染まった夜の中で、多少の街灯の輝きは見えるものの、ほぼ人々の活動は終わっている。


 もうこの都市は眠りについたのだ。静かにこんこんと眠り続けるだけ。



 そこで思い出すことがある。



「【あの夜】、私はここから街を見ていましてねぇ。何をしていたかと問われると難しいのですが、たぶん憂いていたのかもしれません。ここの都市の日常ってのは、いつもこんな感じですからね。まるで死人のように眠る。そしてまた朝がくれば起きる。ただそれだけの生活ですから、いつかは飽きてくるというものでしょう」



 あの日の夜もソブカはこうして外を見ていた。


 それは日課のようなものであり、彼にとっては特別な意味を持つ行為であった。


 しかし、あの夜だけはいつもと違うことが起きたのだ。



「火が……消えなかったんですよ。この街に灯った火が…ね。あなたが来たあの日だけは」



 アンシュラオンが金をばら撒いた日、グラス・ギースは一晩だけ眠らない街になった。


 日本だったならば、夜も明るいというのは悪い意味で捉えられる話かもしれないが、この都市では違う。



 この寂れた都市でそんなことが起きたのは―――初めてだったから。



 騒ごうと思えば騒げるのに、人々の多くは夜になると静かに家に戻る。堅実で慎ましいといえばそれまでだが、けっしてそれ以上にはならない世界。


 すべてが閉鎖された世界で、多くの人々が飽き、憂いて、息苦しさを感じていた時、それは起きた。


 朝方まで人々はお祭り騒ぎを続けていた。食糧事情なんて気にせず、飲んで食べて歌って、馬鹿みたいに騒いでいた。


 そこには笑顔があった。それは彼が初めて見た「活気」と呼べるものだった。



「感動したなぁ、あれは。こんなことがあるんだ~って、子供みたいにはしゃいでしまいましたよ」


「その時の酒は美味かったか?」


「…ええ、とても」


「それはよかった。楽しんでくれたのならばな」


「それが目的だったのですか?」


「ちょっとしたお祝いだったんだ。この子を手に入れる日だったからね」


「…なるほど。それはたしかにめでたい日ですね」



 すでにソブカは、サナの情報も掴んでいる。


 しかし、それ以上は触れない。ビッグからも「絶対に触れてはいけない」と釘を刺されているからだ。


 魔人の逆鱗に触れれば、いかなる不条理だろうが死をもって償うしかなくなる。ソブカは直感的に、そうした危険を感じとれる男である。



「オレは無分別な狂人じゃない。喜びがあれば誰かと分かち合いたいと思える人間だ。初めて来た街だったから事情も知らなかったし、単なるご祝儀みたいなものだったんだ。それだけのことだよ」



 アンシュラオンにとっては何の目的もなくやった行為だ。


 強いて言えば敵を作らないためと、一緒にお祝いしてもらえればいいかな程度に思っていただけである。


 しかしそれはまるでバタフライ効果のように、知らずのうちに大きな影響を与えていた。



 一人の男の心に―――火を付けていたのだ。



「私には眩しく映ったものですよ。だって、生まれた時から全部が決まっているんですからねぇ。ラングラスの分家筋の血を受けて生まれて、父親の跡を継いで組長なんてことをやっていますが…所詮、その程度だ。【序列】の前では意味がない」


「組の序列か?」


「ええ、ご存知かもしれませんが、血の濃さである程度決まっているんですよ」



 ツーバ・ラングラスがトップなのは当たり前として、その次に息子のムーバ・ラングラスが、年老いたツーバの代わりに組織の取りまとめ役として存在している。


 その次が、ツーバの娘であり、ムーバの妹のミバリを嫁にもらったイイシ商会のイニジャーン。次にツーバの孫娘のマミーがいるソイドファミリーとなっている。


 ムーバにはマミー以外の子供がいないため、ソイドビッグとソイドリトルが本家筋という扱いだ。それもまたソイドファミリーがやっかみを受ける原因でもある。



「キブカ商会は何番目?」


「イイシ商会、ソイド商会、モゴナッツ商会の次ですね」


「それだと…下にはリレア商会ってところだけか? あとは医師連合だったかな?」


「医師連合は医者をまとめた独立した組織ですからね。売り上げが少なくても責められることはないので、彼らを別扱いとすれば、うちは実質的には下から二番目です」


「稼ぎは一番なんでしょう?」


「ええ。うちがトップですね」


「売り上げが一番なら発言力だってあるはずだ。序列は変わらないの?」


「昔は序列の変化もあったようなんですが…今は固定化されています」



 他の組織にも歴代ラングラスの血がそれぞれ入っているので、時代とともに序列にも多少の変化が起こるのが常だった。


 その時、もっとも近い血を持っている組が力を握る。あるいはそれを黙らせるほどの財力があればいい。だから今を耐え抜けば、いつしか上位になれる可能性は残っていた。


 しかし、ある時期からこれが、ある程度固定され始めた。



 この都市が―――城塞都市となった頃から。



 大災厄が起こり、この世界が壁で覆われた日から、力は一箇所に集まるようになった。


 人々の心が守りに入ってしまったのだろう。余計な混乱を招かないために、じっくりこつこつと力を蓄えるために序列は固定化された。


 一致団結、緊急時には結構なことである。


 だが、それは【末期】。硬質化が始まった瞬間であった。



「うちは売り上げがトップですが、それによって序列が変わることはないんですよ。今のやり方ではね」


「自分の成果がそのまま評価されないのが不満、ってのは普通の感情だね。やり手ならば特に」


「そう言っていただけると助かりますがね。この都市では、あまりいい考えじゃない。ここは小さな世界です。何かあれば必ず違う場所にも飛び火する。だから我慢するほうが賢いわけです。あくまで共存を考えれば、ですがねぇ」


「壁の外には出ないの? 外は自由だよ」


「それができれば楽なんですがねぇ。あなたのように魔獣を簡単に倒せるなら可能でしょうが…」


「他の都市に行くってのは?」


「そっちはそっちですでに派閥が作られているでしょうし、魔獣がいなければ今度は人間が敵になる。南は入植が始まっていますし、人間同士の戦いはこちらよりも遥かに多いですよ。…それにうちらは盃を交わしている間柄です。簡単に見捨てるわけにもいきません」


「血の繋がりに意味があると思ってる? あんただってわかっているはずだ。そんなものは肉体だけの問題にすぎない。いつかは壊れて消えるだけの無価値なものだ。大事なのは心だろう? 心が繋がっていないのならば血筋に価値はない。血の繋がった兄弟同士で殺しあうことなんて珍しくもないはずだ」


「…あなたは自由ですね。何にも囚われない」


「当然だね。オレは好き勝手に生きる。そう決めたんだから。邪魔するものは力で排除してもね」


「………」



 ソブカはしばし黙り、闇に染まった街を眺めていた。


 アンシュラオンは急かさず、ただ時間が経過していった。




 それから再び振り返り、アンシュラオンの目を見る。


 同時にアンシュラオンもソブカの目を見た。


 鋭いのに少し垂れているように見える不思議な目尻なので、睨んでいるのか笑っているのかもよくわからない。


 それがこの男の不思議なところなのだろう。本心を隠し続けて生きてきた男の目だ。


 しかし、それがほんの少しずつ変わっていく。



 本来持っている―――猛々しいものに。



「ホワイトさん、あなたは…どこまで欲するのですか?」


「難しい質問をするね。まるで白紙小切手のようだ。答えにくいな」


「これは申し訳ありません。あなたの望みをお訊ねしただけです」


「オレの望みなんて一般人のそれと大差ないさ。オレとこの子が好きに生きられるくらいの金があればいい。つまり、毎日遊んで暮らせるくらいの金がね。…な? 実に安易なものだろう?」



 事実、アンシュラオンが求めているのは金である。


 下世話な話になるが、自分が暴力を使わずに平和に暮らせるだけの金を所望している。自分はともかく、サナや他の女性にとってはそれが必要になるからだ。


 あくまで金を持つ者同士ならばという条件はあるものの、改めて考えると金銭は実に平和的なシステムである。


 金さえあれば、反発心なく相手は喜んで何でも差し出してくれるのだ。こんなに素晴らしいものはない。



「オレは金をもらう。それ以外のことは、あんたらで好きに分け合えばいい。序列だの派閥だの血筋だの誰が上に立つだの、まったく興味がないことだ。毎月それなりの大金を振り込んでくれればいい。そうだな、何億になるかは知らないけど、一つの大きな組を運営するくらいの金があればいいさ。それだけが望みだ」


「あなたならば、この都市全部を奪えるかもしれない。いや、奪えます。間違いなく」


「馬鹿どもの面倒をみろって言うの? そんな酔狂じゃないよ。悪いけど養うのは気に入った女性だけってことにしている。住民全体なんて絶対にお断りだね」


「ふふっ、同意はしますが、自分の好きにできるというのは魅力的です。私があなたならば、そうしているかもしれません」


「あんたは領主になりたいの?」


「…さぁ、どうでしょう。考えたこともありませんから」


「仮に領主を殺したら、あんたは領主になれる?」


「私がなりたいかは別として、周りは認めないでしょうねぇ。この都市の代表者たちには、代々役割が与えられてきましたから。領主のディングラスは軍事と不動産を担当していますが、その代償として都市を守る責任があります。それは分担と役割の問題です」


「でも、あいつはけっこう偉そうなことを言っていたけどね。自分が法律だ! くらいな感じだったよ」


「あなたにそんなことを言うとは…命知らずな人ですねぇ。それはさておき、基本的には領主に専制権がありまして、たいていのことならば独断で決められます。さすがに都市全体のこととなればグラス・マンサーの合議制で決められますが」


「ラングラスを含めた四大市民ってやつか。名前だけはご大層だけどね。グラス・マンサーの中にも序列はあるんでしょう?」


「基本的には同列ですが、実際のところはありますね。今のところラングラスは…一番下です」



 日本では医療は重要である。高齢化が進めば、単純な手術だけではなく、リハビリや通院も大切になってくるからだ。そのおかげで内科や整形外科などは常に盛況である。


 一方、グラス・ギースでも医療は重要であるが、生活環境があまりよくないために高齢化に至る前に人は死んでいく。


 魔獣もいるので、ある日突然死が訪れることも多く、医療の出番そのものがない時も多い。


 医療技術もなく、麻薬に頼って痛みを誤魔化すしかないのが現状。そんな世界では毎日生きるだけで精一杯であり、人々は医者にかかる余裕すらない。


 こうなると食料品や日用品などに消費は偏っていく。


 食糧を担当するジングラス、一般用品のハングラスが力をつけていくのは当然である。


 ただ、やはり人があってこその社会であるため、一番力を持っているのはマングラスである。人がいなければ社会は成り立たないように、人こそが最大の力なのである。



「領主とマングラス、この両者が最大勢力です。それからジングラスとハングラスが競っていて、うちは最下位となっています」


「落ち目ってことか…。オレとしてはあんたらの競争には興味ないけど、金に直結する問題だしな…」



 ソブカは、この中の一つのラングラスの血脈にある。


 現段階でも一般人よりは遥かに高い地位にいるが、所詮は本家から外れた分家であり、ラングラス自体が最下位に甘んじている。不満が溜まるのも当然だろう。



 だから単刀直入に訊く。




「ソブカ、お前は―――ラングラスになりたいのか?」




 ソブカ・キブカラン。ランの文字はあるが、ラングラスではない。名誉ある「グラス」の名は継げない。


 だから名前で呼ぶ。



「どういう意味でしょう?」


「お前がラングラスの主導権を握ればこの状況を打破できるか、と訊いているんだ」


「…それはわかりません」


「だが、不満なのだろう? もう隠すなよ。オレも本音で語るから、お前も本音で語れ。お前が求めるならば、オレがお前をラングラスにしてやる」


「理由を訊いても?」


「お前が優秀だからだ。少なくともここで終わるような男じゃないと思ったからだ。それにオレが大金をもらう対価をお前に与えないといけない。対等であってこその取引だろう?」


「私を服従させなくてよいのですか? ビッグのように」


「お前は服従しない。誰にもな」



 ビッグが服従していることは、誰も一言も漏らしていない。


 しかし、ビッグからの連絡の様子、それまでの状況を考察して、ソブカはその結論に至った。


 多少頭が回る者ならば気がつくに違いないが、マフィアの若頭が医者に屈するとは誰も思わないだろう。そういう先入観を排除できることが重要なのだ。



「それに気がつくやつだからこそ、誰にも屈しない。お前は自分が一番だと思っているからな。そんなやつを脅したところで力を発揮しないだろう」


「それはそれは…そこまで傲慢に見えますかねぇ?」


「見えるな。馬鹿どもに苛立つことは傲慢じゃない。当然の感情だ。お前はこっち側の人間だ。だから誘っている」


「まるで…悪魔の誘惑ですね」


「お前は待っていたはずだ。オレという力を。オレもまたお前を待っていたよ。面倒なことを引き受けてくれる頭の良い野心的な男をな。お前が求めているのは金じゃない。お互いに利益が競合しないんだ」



 両者は、求めるものがはっきりと噛み合う存在である。


 アンシュラオンは表舞台に出ることなく金を得るために、裏社会を牛耳る男が必要だった。頭が良く野心的で、優秀な人間が欲しかった。


 ソブカは、この現状を打開するための力が欲しかった。今のままではキブカ商会がいくらがんばっても、ラングラス内での地位は変わらず、肝心のラングラスさえも弱い。


 若いやり手の彼にとって、それは耐え難い苦痛に違いない。



 だから両者は―――【相思相愛】



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