138話 「接触、キブカ商会 前編」


 二十二時を過ぎた頃、スレイブ館から白い馬車が上級街に戻っていく。


 この頃になると人々は家に戻っているので、灯りのある酒場と街道以外は、ほぼ完全に真っ暗な世界が広がっていた。


 馬車の中には、ホロロと仮面を被らせたロゼ姉妹が乗っている。ラノアはかなり眠そうだったが、ホテルの中に入るまで我慢してもらえればいいだろう。


 セノアの体格的におんぶもできるので、そのあたりは心配しないでよさそうだ。



(【監視】も馬車を追って消えたか。周囲は…問題ないな)



 アンシュラオンが周囲を波動円で探知すると、何人かの人影が馬車を追っていくのがわかった。


 白い馬車は目立つ。事情を知っていれば、それだけでホワイトが乗っていると誰もが思うだろう。



 事実、監視していた気配が一緒に消えていく。



 これは歓楽街に入った頃からずっと続いていたものだ。


 ソイドファミリーのものもあるが他の組織の目も光っている。有名になればなるほど監視の目が増えるものである。


 おそらくソイドファミリーと接触したことは、裏業界ではある程度知られているのだろう。あれだけ大々的にやれば当然である。



(この都市を取り仕切っているのは、大きく分けて五つの勢力。領主とラングラス一派はその五つの中の二つにすぎない。他の勢力にとっては、その動向も気になるんだろう)



 ラングラス一派は、あくまで医療関係をメインに取り仕切っているだけだ。領主は別と考えても、あと三つの別勢力が存在することになる。


 その三つとは、スレイブ館などの人材を管理している南のマングラス一派。食糧や水を管理している西のジングラス一派。ジュエルや一般生活用品、建築資材などを管理する北のハングラス一派である。



 領主のディングラス、ラングラス、マングラス、ジングラス、ハングラス。この五つがグラス・ギースの元締めたちだ。



 たとえばパックンドックンなどの酒場は、食料品を扱う手前ジングラスに依存しており、誰かを雇う際にはマングラスを経由することになる。


 術具屋のコッペパンは、人材は家族経営なので必要ないが、術具はハングラスの流通網を利用しなければいけない。


 唯一ハローワークだけは独立した機関であるが、備品を仕入れるにはどこかの勢力と関わらねばならないだろう。



 その三つの勢力は、ホワイトの名前をすでに知っている。領主も、彼自体は知らなくてもそのうち知ることになるだろうし、衛士たちには知れ渡っているだろう。


 その噂のホワイト医師が同じ分野のラングラスと接触するのは自然だとしても、有名で有能な人材に密偵の一人や二人を付けるのは自然なことだ。


 ただし他の組織の密偵が、ホテル内に侵入するなどのリスクは負わないはずなので、影武者でも十分誤魔化せるはずだ。


 実際、馬車を追って監視も消えたのだから、外出時に限っているものだと思われる。


 あとはロゼ姉妹がホテルにいるだけで監視の目はそちらに集中することになり、こちらは自由に動けるというものだ。



 そして今日、【とある男】と会う約束がある。



 急いで影武者を用意したのはそのためだ。今後のことを考えると極めて重要な相手である。



「サナ、少し速く移動するときもあるから、しっかり掴まっているんだぞ」


「…こくり」



 スレイブ館の裏口からサナを抱えて、すっと屋根の上に移動する。


 今は仮面を被っていないが、代わりに二人とも黒い外套を羽織っており、闇に紛れてしまえば顔は完全に見えない状況だ。


 常時周囲を波動円で警戒しながら、素早く静かに、一切の音を立てずに屋根を移動していく。


 それは軋みの音一つ感じさせない完璧な体重移動。猫でさえ、これほど静かに動くことはできないだろう。


 普通に動いても達人を遥かに超える技量を持つが、さらに命気で足裏を覆えばクッションになって、まったく音が生じないのだ。命気様様である。





 下級街を越えて、一般街へ。


 地図を見るとわかるが、スレイブ館から東に向かって移動すると、一般街との間に大きな湖がある。


 これはアンシュラオンが初めて都市に入った時、親切なおっさんに教えてもらった貯水池の一つであり、このあたりの貴重な水源にもなっている。


 浄化されていないので飲み水にするには煮沸する必要があるが、このままでも生活用水として利用されるものだ。



 その直径三キロ程度の湖のほとり、一般街寄りの場所に、一つの大きな屋敷が見える。



 一般街の裏側にあるので、表通りしか通らないと存在自体に気づかない人間もいるだろうが、こうして対岸から見ればそれなりに立派な館である。見た瞬間、金持ちの家であることがわかるだろう。


 今回の目的地が、あそこである。



(あれが【キブカ商会】の本拠地か。なかなか大きいな。しかしまあ、ソイド商会がなぜか倉庫なのに、あいつらは館か。…そもそもソイド商会のほうがおかしいんだよな。なんで倉庫だ? そのほうが管理がしやすいからかな)



 ソイド商会は、扱っているものが麻薬であるため、あまり目立つ場所には置けないという最大のマイナス要素がある。


 また、上級街の工場で生産しているので、近場に目立たない物件が少なかったこともあるのだろう。


 生活環境にさえ目を瞑れば、地理的にも倉庫で暮らすことが一番である。そう思うと、彼らは自ら汚れ役を引き受けていることがよくわかる。


 一方、キブカ商会は一般的な医薬品を取り扱っているので、人目を気にする必要はない。


 彼らの店も一般街にあるので、当然ながら本拠地も近い場所にある。それだけの話だろう。


 しかし、館が立派なのにはそれなりの理由がある。



(キブカ商会は、ラングラス一派で一番の稼ぎ頭だと聞く。接触しておいて損はないな)



 ラングラス一派の序列上、イニジャーンが率いるイイシ商会がトップという話だが、実際に一番稼いでいるのはキブカ商会である。


 現在のところ、売り上げはダントツ。ソイド商会の軽く二倍以上はあるようだ。ラングラスが現在の勢力を保っていられるのはキブカ商会の力も大きいという。


 彼らは外との取引も多く、積極的に輸出もしている。最北端の寂れた都市だが、その分だけ貴重な薬草がよく採れる。


 たとえばアンシュラオンが前に手に入れた「聖樹の万薬」などは、相当高値で外に売れる。


 ロリコンは数百万と言っていたが、それはキブカ商会などへの卸値であり、実際の値段はもっと高い。


 特に熱病が流行っている地域に売り込めば、軽く数千万にはなるだろう。庶民はともかく、金持ちは自分のための金を惜しまない。そうやって上手く商売しているのだ。


 しかしながら、外とのコネクションを持つのは難しいものだ。それだけの商才が必要となる。



 それをこなしているのが―――ソブカ・キブカラン。



 キブカ商会の組長であり、ビッグに聞いたところ、彼とは同い年の二十四歳らしい。


 各組織にはラングラスの血がそれぞれ混じっているので、彼らは親戚のようなものだ。ビッグとソブカも、幼い頃は一緒に遊んだことがあるらしい。


 近年では互いに組織を任せられることもあり、しかもソブカは組長になったことから頻繁に会うことはないが、互いのことはよく知っている間柄だ。


 その伝手で、すでに相手側には連絡がいっているはずだ。



(よしよし、ちゃんと指示通りになっているな)



 まだ距離はあるが、館の周囲は―――護衛だらけ。


 銃や武器を持った人間が、館の周囲を常時監視している。外周をざっと見ただけでも、二十人はいる。


 これは【予定通り】。


 ソブカには、こう言ってある。




―――「挨拶に行くから最大限の警戒態勢で出迎えろ。殺す気でかまわない」




 と。



 ちゃんと今日という日時も指定して、彼らが最大限の防衛力を発揮できるように配慮してある。


 情報はしっかりと伝わっているようで、ここからでも館が緊張感に包まれていることがわかった。


 これが現在のソブカ商会の最大自衛力、ということだ。



「よし、行こう」



 アンシュラオンは湖を迂回して、近くの森に身を潜めながら接近を開始。


 時には視野が開けた場所に出ながらも、見張りにはまったく気づかれることはなかった。


 完全に気配を殺したアンシュラオンを探知することは至難の業である。


 波動円を展開しているので、彼らの視線がわかるからだ。視線がこちらに向いた瞬間に身を潜めれば、闇に紛れた二人を発見することは難しい。





 そうして館の近くまで接近。


 物陰に潜みながら、周囲の様子をうかがう。



(さて、どうしようかな。話し合いに行くんだから護衛を殺す必要はない。軽く気絶させるくらいでいいだろう。むしろキブカ商会の財産だから、殺さないようにしないとな)



 前方十数メートルには、銃を持った構成員が四人ほどいる。


 四人が別々の方向を向いており、一瞬たりとも油断はしていない。



(なかなか練度が高いな。一般人にしては悪くない)



 彼らは懸命に監視をしている。一見すれば隙はない。だが、それはあくまで一般人のレベルでだ。



 刹那―――四人が倒れた。



 気がつくとアンシュラオンはすでに処理を開始しており、四人を物陰に引っ張り込んでいる。


 やったことは至って簡単。接近して当て身をくらわせただけだ。しかし、それがあまりに速かったので誰にも見えなかったにすぎない。


 こちらに向いていた一人の視線、眼球がこちらを捉えて脳で情報を処理するよりも早く接近し、手刀で気絶させる。


 それができるのならば、他の三人の処理は簡単。


 最初に叩いた相手の身体が、ぐらりと揺れた頃には、四人とも完全に気を失っていた。



(うーん、レベル的にはソイドファミリーより低いな。あっちは武闘派だというし…個の質は向こうが上か)



 ソイドファミリーの中級構成員と比べれば、この相手はかなり弱い。多少腕の立つ一般人程度だろう。


 そもそもソイド商会は武闘派であり、構成員のほぼすべてをハンター崩れなどで構成している。強くて当然だ。


 キブカ商会はあくまで商会の側面が強く、有事の際は後ろに下がっていることが多い組織である。比べるのはかわいそうだろう。


 しかし、最大限の警戒をしろと言った以上、ちゃんとした相手を用意しているはずだ。





 アンシュラオンとサナは、邪魔になった最低限の構成員を気絶させ、館の裏口に到着。


 裏口とはいえ目の前には重厚な扉がある。金持ちは裏口でも金をかけるのだ。このあたりにも、こだわりを感じさせる。



(当然、鍵はかかっているんだろうが…さっきのやつらは鍵を持っていなかった。そうなると怪しいな)



 もし出入り口として使っているのならば、鍵を持っていてもおかしくはない。それがないということは、最初から開けることを想定していない可能性がある。


 ならば屋根をつたって移動するという手もあるが、挑まれたような気がしたので扉を開けることにした。


 だが、普通には開けない。鍵を壊す前に隙間から命気を侵入させる。


 するとドアの上部になにやら四角い箱状の感触があった。



 命気を凍気に変化させ―――凍結。



 それが完全に凍ったことを確認すると、鍵を壊してドアを開ける。



(アラームだな。領主城より警備は厳重だ。街中にあるせいか防犯意識は高いらしい。まあ、マフィアの本拠地に泥棒に入るやつも少ないだろうけど、警備を怠らないのはよいことだ)



 おそらく防犯用のブザーである。知らずに開けたら、領主城でイタ嬢がやったようにアラームが鳴り響いていたことだろう。


 機器が固定された部位がやや古くなっていたので、今回改めて設置したというより、常時こうした備えは怠っていないと思われる。


 それは館の雰囲気からしてもわかることだ。


 ピリピリしていて張りがあり、力強さと警戒心と慎重さが複雑に絡まった気配。たとえるならば【やり手】の匂いがする。


 新進気鋭の新人デザイナーのような、業績トップの若手営業マンのような、あるいは新分野を開拓した若社長のような、実に若々しい活力に満ちている。


 ソブカという男から発せられる気質は、まさにそういったもの。これはソイドファミリーにはなかったものだ。



(ソブカ・キブカラン…か。豚君とは違うようだ。注意が必要かもしれないな)



 ソイドファミリーは、まさに一般的なマフィアという感覚であった。だからこそ行動も読みやすい。


 ソイドビッグなど、まさにその典型。実にこちらの思惑通りに動いてくれたものだ。それゆえに簡単に落とすことができた。


 しかし、ソブカも同じであるとは限らない。いや、おそらくはまったく違う存在だろう。


 武力ではアンシュラオンが負けるはずもないが、それ以外の要素では相手のほうが上かもしれない。そこで警戒レベルを一つ上げる。



「会うのが楽しみだな」



 アンシュラオンは、さらに内部へと進んだ。



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