120話 「その目が見ているから 前編」


 その音に、リンダが絶叫。


 婚約者が首を折られたのだから叫ぶのは当然だろう。


 ただしそれはビッグの身を案じたというよりは、次に自分に降りかかる災いに対して恐怖したのだろう。


 人間は極限の恐慌状態に陥ると、他人のことなど気にしている余裕はなくなるものだ。



 そして、叫ぶべきではなかった。



 今の魔人は、街のチンピラよりも、自意識が高いキャリアウーマンよりも、自尊心が強い政治家よりも沸点が低い。


 その赤い目がリンダに向く。



「床から口を離すとは…抵抗の意思があるということだな?」


「ち、ちがっ!! 違います!! ゆるっゆるして…ゆるゆるryるるるrrrrrrrrrrrr」


「望み通り、お前も解体してやろう」



 一歩、一歩、ゆっくりとリンダのもとに向かう。



 ガンガンガンッ ガンガンガンッ

 ガンガンガンッ ガンガンガンッ

 ガンガンガンッ ガンガンガンッ



 檻の中にいるので逃げ場などない。そもそも逃げられるわけがない。


 魔人に敵対した段階で、人間に抵抗する手段などなくなるのだ。



「っっっっ!!! やぁっっっ!!! あぁああああ!!!」


「お前の婚約者は使えないやつだったな。不快な思いをさせやがって」


「あぁっぁぁぁぁあ!!!!! 許して、許してえぇえええええ!! お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いしますううう!!!」


「豚の声は醜いが、鳥の声は悪くないようだ。まずは舌と喉を残して、それ以外の全身を焼いてやる」



 ジュワッ


 再び足元から水気が発生し、徐々に上昇していく。



「やぁああああああああ! やあぁあああああああああああああああああああ!!!」



 焼ける、焼ける、焼ける。


 足が焼けていく。



「いたいいたいいたいいたい!!!」


「ああ、ムカつくな。また苛立ってきた」



 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ


 水が増える。焼ける。



「キャぁあああああああああああ!!」


「どうしてオレが、こんな馬鹿なやつらのためにここまでやらないといけない。こんな面倒な手間をかけて!!! こんな豚や鳥どもを!!! 飼い慣らさないといけない!!!!!」



 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ


 増える。焼ける。


 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ


 増える。焼ける。


 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ


 増える。焼ける。



「ひっ、ひっ!!! ひぁあああ!!」


「うるさいな…。一発屋芸人じゃあるまいし、同じことしか言えないのか」



 鳥の声すら苛立たしく思えてきた。


 鳴くことしか取り柄がない弱い鳥だ。最初は物珍しかったが、もともと他人のものなので興味が薄い。


 すでに情報はもらった。飼い主があの豚だと思うと、特に生かしておく理由が思い浮かばなかった。



「ならば、こいつもいらないか」


「っ!!」



 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ

 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ

 ジュワジュワジュワ ゴポゴポゴポ



 増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける増える焼ける。



 水気が一気にリンダを覆い尽くした。



「こぼっごっ…っっ―――!!! っっ―――! っっ―――!」



 全身に痛みが走り、少し吸い込んだだけで口内が焼けていく。鼻も焼けていく。


 目を開けようものならば失明は間違いない。


 しかし、目を瞑っていたところで目蓋が焼けてしまえば、その抵抗も無意味になってしまうだろう。


 まさに溺れた鳥。自力では絶対に浮上することはできず、このまま死に絶えるだけの運命。



 そんな鳥の姿を、魔人はつまらなそうに見つめる。



「面倒になってきたな……全部壊すか? どいつもこいつもムカつくしな。どうしてここにはまともな連中がいないんだ? 愚かで馬鹿で使えないやつらばかりだ。…いや、思えば地球でもそうだったか。どこの世界も一緒ってことだな」



 地球でも愚かで無能な人間ほど上にいるものだ。時々ニュースになるたびに「なぜ、あんなやつが?」などと思うことも多いだろう。


 それはこの都市も同じことである。


 あんな駄目領主に無能なイタ嬢。それを放置している民衆。街にはびこる麻薬、部屋の中にまで臭ってくるほどの腐敗の温床。


 反吐が出る。うざい。気持ち悪い。ムカつく。イラつく。



 ならば、排除すればいい。



 地球でもそうだ。どうして彼らはそういったものを野放しにしておくのか。


 不快なら殺して肉片にすればいいのだ。とても簡単な理屈である。それでスッキリする。綺麗になる。



「こんな豚どもはいらん。それに飼われている鳥もいらん。クズでゴミどもめ…! 従えば呼吸するくらいは許してやったものを…!! このオレに反抗し、あまつさえ所有物に手を出すとは…絶対に許してはおけん!!!!!」



 それはもともと自分の中にあった感情だが、出会ったお姉さんたちやガンプドルフのこともあり、しぶしぶ抑えてきた考えでもある。




 それが豚の一言で―――キレた。




 この男の中には、まだまだ怒りや憎しみ、反発する感情が多分に多大に残っている。


 魂の力が強すぎるゆえに、姉という存在に与えられたストレスが大きかったがゆえに、それは簡単に発火してしまう。


 まるで引火しやすい爆弾。超大型爆弾。


 爆発すれば、この星を焼き尽くすまで止まらない恐ろしい力。



「そうだ…そう!! くくく、破壊、破壊してやる!! 引き裂いて、すり潰して、晒してやろう!! くくく、ははははははは!! 簡単じゃないか!!! あああーーーー!! 楽しみだなぁあああああ!」



 領主は、なぶったあとに殺そう。イタ嬢は奴隷にして豚どもに食わせよう。


 ガンプドルフが立ち塞がったら殺そう。剣は珍しそうだから奪おう。


 ソイドファミリーやその他のクズどもは、魔獣を連れてきて一人ひとり食わせるのも面白い。


 人間はたくさんいる。足りなくなったら次の都市に行って確保すればいい。


 遊び道具には事欠かない。なにせ八十億人もいるし、現在進行形で増えていくのだから。



「いいなぁ、人間は。勝手に増えるから楽でいい。一度絶滅寸前にまで追い込むのも面白い。そうすれば少しは強いやつも生まれるかもしれない。遊び相手にはなるだろう」



 次から次へと楽しそうなことを思いつく。頭がスッキリして、とても愉快な気分だ。


 今ならば何でもできる。


 姉すら怖くない。むしろ、どうしてあんなに逃げ出そうとしたのか不思議に思えてくる。


 あれは唯一の同類。仲間。身内であり、家族であり、自分の【妻】でもある。


 魔人因子の覚醒とともに、そのことがよくわかってきた。



「姉ちゃんだけがオレを受け止められる。姉ちゃんは壊れない。潰れない。引き裂けない。相手も同じだ。オレを殺せない! 潰せない!! だから同じなんだ!!」



 パミエルキが言っていたことは、すべて事実であり真実。


 彼女だけが、アンシュラオンが唯一本気で触れられる生物である。


 それ以外は簡単に崩れて死んでしまう。リンダに触れれば、きっと一瞬で燃え尽きてしまうのだから。



 頭の整理がついたのならば、次は行動である。


 おそらく彼は、この都市を破壊してしまうだろう。


 一度目覚めた魔人の血は簡単には消えない。手当たり次第に破壊と殺戮を繰り返すに違いない。


 いや、仮にこの都市が消えたところで、それで少し気が済めば御の字だ。


 世界が、大陸が、国が生き残るならば、たったそれだけの被害だといえる。


 助かった。ぜひそうしてほしいと願う人間も大勢いるだろう。



「さあ、手始めに鳥を処分するか。本当は余興で豚の死骸でも食わせてやろうかとも思ったが、それすら面倒だ」


「っ―――っ―――っっっ!?!!!!!」



 リンダは、もう声が出せない状態に陥っている。目も開けられず、耳も聴こえない。


 だが、その魔人の気配を悟った瞬間―――



 バリン バリンッ



 ギアスなど使わずとも、彼女の精神が壊れていく音が聴こえる。


 こんな恐ろしい存在と対峙したのだ。心が壊れないほうがおかしい。



 そして、精神の安全装置が働き―――気絶。



 力が抜け、一切の抵抗をやめる。諦めたのだ。生きることを諦めた。


 生きていても、なぶり殺されるだけのこと。だから心が絶望して情報を遮断したのだ。


 人間は便利だ。自らの意思で気絶できる。



「つまらん。こんなやつより外の連中のほうが面白いか」



 もはやソイドファミリーなど関係ない。自分の視界に入る存在、すべてを蹂躙する。


 それは彼にとって最高の快楽だろう。


 今までの束縛から解放され、この世界を自由にできるのだ。誰もが憧れる「最強」を味わえる。




 その甘美な誘惑に駆られ、出て行こうとした時―――






 目が―――触れた。






 その背に、恐ろしく強大な魔人の背に【視線】が触れた。



「っ!」



 思わず後ろを振り返ると―――エメラルドの瞳があった。



 その目が、じっと自分を見ている。



 それはまだ本当に小さく、誰かが守ってあげなければ、すぐに死んでしまうような弱々しいもの。



 この魔人に比べれば、本当に小さく弱い存在。



 これほど大事にして、今も彼女のために怒ったはずなのに、なぜかその存在を忘れていた。


 獲物を追いかけ回すのに夢中で、うっかりと草花を踏み荒らすように完全に視界から消えていた。


 だが、少女は見ていた。


 アンシュラオンの行動すべてを見ていた。その声も、思考も、すべてを見つめていた。



「…じー」



 彼女は魔人の双眸を見つめている。


 誰もが怖れ、恐怖する赤い目を、そのエメラルドの瞳で見ていた。



 裏側にある【黒いもの】が―――見ていた。



 その黒い力は、魔人の光を受けても怯えることはなかった。


 それは当然だ。彼女には【恐怖】という感情が存在しない。怯えるということすら知らない。


 だから目の前のものを【観察】している。それが何かを知ろうとしている。





 世界が―――黒に染まる。






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