118話 「白と豚の狂劇 後編」


「戦いってのは殴り合いだ!」


「どこの格闘馬鹿だ、お前は。見た目を裏切らないやつだな…。ある意味で貴重だぞ。否定はしないが、それが許されるのは、オレが知っているだけで世界で二人だけだな」



 おそらくゼブラエスとパミエルキだけが、それが許される領域にいるだろう。有り余るパワーとスピード、技の多様さで圧倒することが許される。


 しかし、二人だけだ。許されるのは、その二人のみ。


 アンシュラオンでさえも、そんなことは許されない。もしあの二人相手にそんな無謀なことをしたら、一瞬で殺されてしまうだろう。


 また、陽禅公は頭を使って戦うタイプなので、どちらかといえばアンシュラオンの戦い方に近い。


 むしろ今のアンシュラオンの戦い方は、性根が悪い陽禅公のスタイルに倣ったものだ。


 お互いに意地が悪いので、アンシュラオンにとって陽禅公の戦い方は、とても参考になったものである。



「ほれ、油断するな」


「ぎゃっ!! な、なんだ!!!」



 突如、ビッグの背中に刺激が走り、思わず飛び退く。



「お前の背中に水気を這わせて凍らせたんだ。今言っただろう。足元には気をつけろって」


「なんだ、これは! 術なのか!?」


「あー、頭が悪いな。うちのワンコロ並みじゃないか。そういえばソイドファミリーってのは、ジャガーが家紋だったか? ジャガーは…ネコ科か。犬も猫も困ったもんだな」



 無知な人間には、それが術にさえ見える。だが、これは立派な『技』である。



(やはり相手にはならない。しょうがない。こいつ、ラブヘイアより数段以上弱いし)



 アンシュラオンに触れることすらも困難なラブヘイアだが、実戦経験はビッグの百倍以上はあるに違いない。


 毎日狩りに出かけるハンターは、相手が魔獣とはいえ戦闘を繰り返している。


 敵の動きがいつも同じとは限らない。怪我をすることもある。そうした積み重ねがハンターを強くしていく。


 情報には表示されない「経験」がラブヘイアには確実に存在する。同じ中鳴級であっても間違いなくビッグを圧倒できるだろう。


 よって、これは必然。


 ラブヘイアに劣るビッグが、アンシュラオンに敵うわけがないのだ。



(だが、せっかくの劇だ。もう少し延長してもいいだろう。サナも見ているしな)



 サナは相変わらずビッグを見ていた。その無知も愚かさも含めて人間なのだ。


 前のチンピラの時は弱いうえに劇的ではなかったので、彼女の興味すら引かなかった。


 しかし、リンダという要素が加わったこの劇の主人公は、とてもとても必死だ。それがサナを惹きつける。


 特筆すべきは、ここまで実力差を見せ付けながらも、まったくと言っていいほど戦意喪失をしていないこと。


 これは驚くべきことだ。無知なのだからしょうがないとはいえ、その意味でも貴重な人材である。



「そんなに殴りたいなら、殴っていいぞ」


「俺の拳は、鉄の鎧だって破壊するぞ!!!」


「あっ、うん。鉄って柔らかいからな」


「このっ!!」



 ビッグが再びダッシュ。今度は邪魔されず、一気に襲いかかる。


 アンシュラオンは、よけない。



「うおおおおお!!」



 ドンッ!!


 ビッグの拳が、アンシュラオンに命中。


 まったくよけなかったので仮面に直撃。当人いわく、鉄をも破壊する拳である。仮面くらいならば最低でも陥没は間違いない。



「どうだ!!」


「…何が?」


「なっ!!」


「いや、届いてないし。それくらい感じろよ」



 が―――何も起こらない。



 それもそのはず。戦硬気によって周囲をガードしているのだ。彼の拳は当人に届く前に、戦気の防御膜によって弾かれる。


 しかも、揺らぎもしない。


 そんな攻撃では、一ミリたりともアンシュラオンを動かすことができない。触れることもできない。



「どうした。せめて殴ってみせろよ。触れていないパンチは、殴るって言わないぞ」


「こ、このおおおお! うおおおお!!」



 ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。


 熊のような大男が少年に向かって必死に殴っている姿は、一瞬で通報されそうなレベルで危ない光景だが、力の差を知っている者ならば何の緊張感もない退屈な映像でしかない。



「あっ、ホロロさん、いらっしゃい。ちょっと待っててね」


「かしこまりました」



 事実、酒とツマミを持ってきたホロロが、事が終わるまで通路で待っている状況である。


 扉は開けっ放しなので丸見えであるが、彼女にまったく不安な様子はない。「神を心配するなど不敬」とさえ思っているので、ただ黙って見ている。


 ただ少々、恍惚な視線で見ているのが気になるが。それもビッグを苛立たせる。



「くそっくそっ、くそっ!!!」



 当たる。弾かれる。当たる。弾かれる。



(なんでだ!! なんでだ!! どうして拳が届かない!! これは何だ!?)



 ビッグは戦硬気のことも知らないようだ。


 これも弱い相手とばかり戦っていたので、そういった機会がなかったせいだろう。


 大人になってからはダディーと模擬戦をすることもなく、麻薬の仕事に従事していたし、抗争も久しくなかった。


 城塞都市では、組織間の争いの激化は都市全体の衰退を招くため、なるべく揉め事は起こさないようにしてきた結果でもある。



 が、それこそが武人を弱くしている。



 現状のハンターの制度もそうだ。都市の周囲の魔獣しか倒さないため、強い相手と戦う機会がない。


 だから「ラブヘイアごとき」が、トップハンターになっている。非常に由々しき問題である。


 だが、アンシュラオンという劇薬が投下されれば、黙っているわけにはいかなくなる。ビッグのように必死にならないといけなくなる。


 彼という存在が、グラス・ギースに激震を与える。


 古いものは、より強く新しいものに壊されていく運命なのだから。



「拳とはいえ、ムサい男が近くにいるのは気持ち悪いな」



 触るのも気持ち悪いので、代わりに水気を放出。


 手で放出したのではなく、戦硬気としてまとっていた気質を水気に変質し、ビッグが殴ると同時に反発するように弾けさせたのだ。


 水気はビッグの腕を焼き、そのまま水は激しい水流となって、どてっ腹にぶち当たる。



「―――げぼっっ!?」



 カウンターのように当たっただけではなく、水気そのものが砲弾のような威力を持っている。


 そのままアッパーカットのように天井にまで叩きつけられ―――激しい衝撃が身体を突き抜ける。


 水気が消失。



 ドッゴーンッ



 重力に引かれ、無防備のまま床に叩きつけられる。



「ふーーっ! ふーーーー! がはっ!!」



 受身ができないほどダメージが大きいようで、まだ立ち上がれない。


 アンシュラオンも、それは手応えでわかっていた。



「手加減はしたが、今ので胃が破裂したようだな。内臓もかなり痛めたようだ。まあ、体力があるから大丈夫だろう。一応、武人の端くれだしな。若いんだ。それくらいで死にはしない」


「くうっ…そがっ! なんだ…これは……よ。なんなんだよ…」


「知っているだろう。これが現実だ。舞台から降りた役者の現実さ」



 勇ましい豚は、舞台の上では踊ることができる。


 しかし、一度でも降りてしまえば彼は家畜にすらなれない。なんとも残酷な現実である。



「もしかして勝てると思っていたのか? あのチンピラ二人が何もできずに負けたのに、たいした自信だな」


「ありえ…ねぇ…!! 今まで…こんなことは…!! ずっと勝って…!」


「なるほどな。それはダディーってやつの心遣いじゃないのか? お前は勝てるように仕組まれてきたんだよ」


「なに!」


「家族想いってのは、こういうときは足を引っ張るな。お前が傷つくのが怖くて、強い相手とぶつけるのが怖かったんだろう。あるいは単純に強いやつがいなかったか…。いや、ファテロナさんもいたんだ。やはり前者かな」



 ダディーが望めば、もっと強い相手と戦うこともできたはずだ。


 あるいはダディーがビッグより弱いことはないはずなので、彼がもっと厳しく鍛えればよかった。


 しかし城塞都市ゆえの事情か、彼らが軍隊ではないせいか、そこまで武に対しての欲求がなかったのだろう。


 そう、これこそが【武闘者】とマフィアの違い。


 マフィアにとって武は手段だが、武闘者にとっては目的なのだ。強くなること自体が目的の人間と比べれば、彼らはあまりに弱い生き物である。



「こんな…馬鹿な……」



 ここまでくれば、いくらビッグでも理解できる。


 間違いなく目の前の男は自分より強い。その気になれば殺すことも容易であると。



「さて、そろそろ諦めてくれると助かるな。では、もう一度だけ訊こうか。君はファミリーを裏切るかね? それとも、ここで死ぬかな?」


「俺を裏切らせて…どうするつもりだ…」


「君とリンダ以外は殺すさ。特に必要ないからね。君が内通者になってくれれば、もっとスマートに事が進められるだろう。今のままだと少しばかり面倒な事案があってね。協力してくれると助かるよ」


「そんなこと…認められるわけがねぇ」


「認める必要はないさ。受け入れるか、死ぬか。どちらかしか選べない」


「うちと戦争して…勝つつもりか?」


「は? 戦争?」


「そうだ…! このままじゃ終わらないぞ…絶対にだ! 俺が死んだら…ダディーが黙っているわけが…」


「はぁ…まいったな」



 アンシュラオンは、心底困ったという溜息を吐く。


 しょうがないので、はっきりと言うしかないようだ。



「豚君、君はまだ勘違いしているようだな。オレとお前たちとでは戦争にすらならん。そうだな…言うなれば【屠殺とさつ】だ」


「屠殺…?」


「そうだ。豚を殺すのだから屠殺だろうな」



 家畜を殺す行為を屠殺と呼ぶ。普段食べている肉や革製品は、動物を殺して得たものである。


 虐殺はあくまで同類を殺す行為。相手を人間と認めている行為だ。そこには対等性が存在する。



 だが、アンシュラオンとビッグたちとでは、そもそもの【種族】が違う。



 仮に彼らの言う戦争が起こればどうなるか。その結果は、見るも無残なことになるだろう。


 人間が無抵抗な家畜を殺すのと同じように、屠殺と呼ばれる現象が発生する。


 ビッグを倒した力も、彼にとっては軽く撫でるにも及ばないものだ。吐息に等しい。


 その彼が本気で力を振るえば、彼らは一瞬で肉塊と化してしまう。それは戦争とは言わない。一方的な屠殺だ。



「君たちは家畜と同じだ。選択の権利なんてないのさ。人間に服従して飼われるか、はては無残に死ぬか。どちらか一つだよ」


「くうう!! うううっ!!!」


「悔しいのか? 悔しがる権利くらいは与えてやるぞ」


「なめやがって…絶対に…絶対に報復してやる!!」


「ああ、そう。がんばってな。その格好でよく言えるもんだよ」



 アンシュラオンがビッグを見下す。


 それは人間として自然の行為である。強者として当然の行為である。



 だが、次の瞬間、あってはならないことが起こる。


 アンシュラオンでさえ予期していなかったことが。



 それは、この一言から始まった。






「お前がリンダにしたように…【その娘】も同じようにしてやる…」






「…あ?」






「お前の妹…も、ただじゃ済まない」






 その言葉は、ビッグにとって唯一の【武器】だったのだろう。


 仮面をつけた妹を、彼はとても大事そうにしていた。とてもとても、大事に。


 だからこそ、それこそが彼の弱点であると…ああ、弱点であると……





 そう思って




 しまったのだ。









「ははは。そうだ! その娘もあの女たちのように、ラブスレイブにして―――っ!!?!」








 ビッグは、やってはいけないことをした。


 ああ、なんてことを言ってしまったのだ。それは絶対に口に出してはいけないことなのだ。


 もしモヒカンがこの場所にいたら、ショック死していたかもしれない。



 それは―――爪。



 とてもとても小さな爪。この豚がもっていた、丸くて武器と呼ぶにも弱々しい爪。


 しかし、圧倒的な力を持つ人間に対して、動物がほんのちょっぴり爪を立てただけで、彼らは何をすると思う?




 あああああ、想像するだけでも恐ろしい。




 この【魔人】の前で、あろうことか黒き少女に意識を向け、さらに敵意を向けるなど―――







 絶対にやってはいけないぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!





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