117話 「白と豚の狂劇 前編」


 ビッグの敵意を受けても、アンシュラオンは何も感じない。


 生まれてまもない小豚にブヒブヒ言われて怯む大人がいたら、そのほうが珍しいだろう。


 ただし、相手がそう言うことは想定内であった。



「お前はオレの波動円にも気がつかなかった。きっとこうなると思っていたよ」



 パチンッ


 指を鳴らすと、リンダの足を浸していた水が消えていく。



「ひっ、ひっ…! ひっ!!」


「焼けた跡は、あとで治してやる。それより少し黙っていろ」


「は、はひっ!」



 リンダは、力なくうな垂れる。


 そこには恐怖に怯え、ただただ疲れきった鳥の姿があった。



「なんだ? 降参するつもりか?」



 ビッグはそう受け取ったようだが、事実はまったくの逆である。



「これじゃ戦いにすらならないから、少しでも憂いをなくしてやろうと思っただけだ」


「…どういう意味だ?」


「お前は武人かもしれないが、何の知識もない素人だってことさ」



 ガンプドルフは、アンシュラオンの波動円を感じただけで畏怖すら感じていた。



 そう、あれこそが強者である証拠。



 波動円が使えるからといって強いわけではないが、軽々と数百メートルも伸ばせる相手を警戒しないわけがない。


 それはもう達人レベル。歴史に名を遺せるような武術の達人レベルなのだ。


 だが、ビッグは波動円を発したことにすら気づいていないので、そもそも波動円を知っているかすら疑わしい。



「オレが使った技がわかったか?」


「…何のことだ? さっきの水のことか? 何の術だ! どうせ術具だろう!」


「やはり…か。術と技の違いすらわからないとは…」



 術は法則を操るものであり、あくまで自然現象である。


 一方の技は、戦気を使った攻撃的なスキルのことだ。そこには根源的な違いが存在する。


 技を使えば必ず戦気の痕跡が残る。ガンプドルフが覇王流星掌の痕跡に気づいたように、術と技は明らかに違うものなのだ。


 強者ならば、それくらいは一瞬でわかる。戦気の流れを辿るのは戦いの基本だ。強ければ強いほど、その扱いに長ける傾向にある。


 しかし、ビッグはあまりに未成熟。戦気を辿ろうとする習慣すらない。



(さすがに心配だな。ちょっと見てみるか)



 相手に興味が湧いたので情報公開を使ってみる。


 ただし、未熟すぎて心配になって見るというのは、今までで初めてのことだが。



―――――――――――――――――――――――

名前 :ソイドビッグ


レベル:13/60

HP :600/600

BP :80/80


統率:F   体力: D

知力:F   精神: E

魔力:E   攻撃: D

魅力:E   防御: E

工作:F   命中: F

隠密:F   回避: F


【覚醒値】

戦士:1/2 剣士:0/0 術士:0/0


☆総合:第九階級 中鳴ちゅうめい級 戦士


異名:ソイドファミリーの若頭

種族:人間

属性:火

異能:物理耐性、即死耐性、恐喝、家族想い、リンダへの愛情、リンダとの誓い

―――――――――――――――――――――――



(うーん……微妙だ)



 正直、微妙だ。誰と比べていいのかも、よくわからない。


 前に領主城で見たイタ嬢の七騎士の一人、ペーグ・ザターに若干似ているといえば似ている。


 彼も同じ戦士なので、そういった共通点しか見いだせないのが実情であるが。



(弱すぎて、よくわからん。レベルと能力値が低いのは、単純に修行不足だ。因子の覚醒限界は低いが、レベルの上限は高いほうだ。才能はある。素質もそこそこある。…が、圧倒的に鍛えていない)



 ソイドビッグは、素質的には恵まれた男だといえるだろう。


 一般人のレベル上限は30~40、高いほうで50。これは武人でもあまり変わらない。


 それがビッグは、60。10でも上がれば、それだけ強くなれる可能性があるということであり、当然有利である。


 しかし、それもまた修行と鍛練によって引き上げるものだ。



(レベルが低いわりにHPは高い。となれば、鍛えれば相当な耐久値を得るはず。前衛の壁役にはなれそうだな)



 アンシュラオンがレベル100オーバーで、HPが一万に達していないことを考えれば、HPに関していえばおそらくビッグのほうが上だろう。


 ただ、レベルが60までなので、上がっても3000~4000程度で収まると思われるが、それだけあれば十分一流の武人である。


 戦いにおいて前衛の壁役は、いくらいても足りない貴重な存在。個人でも使えるし、集団戦闘においても必要とされる人材になれる。



 が、これもまた修行不足。



 彼は自分の腕に自信があるのだろうが、素質だけに頼って戦ってきたことがわかる。


 ダディーから受け継いだ肉体能力だけで戦っても、もともとが強いので、さして苦労なく相手を倒せたことだろう。


 その慢心が、彼の成長を止めているのだ。



(一番問題なのは、まったく戦いの知識がないことだ。ここには教えてくれるやつはいないのか? そういえば、ラブヘイアは南の都市の道場で技を習ったと言っていたが…この都市では、そんなものは見かけないな…)



 基本的な技は、道場に行けば教えてくれる。これは全世界共通の認識である。


 因子が覚醒すれば、自然と技が身につく人間もいるが、技には一定の動作が必要なものもあるので、できれば道場に行ったほうが正しい知識を得ることができる。


 こうした道場は一般人にも武術を教えているので、武人の就職先として国の支援がある立派な公的機関である。


 西側では各都市に必ずこうした道場があり、若い騎士候補や傭兵志願者が修練に励む姿が見受けられるだろう。


 しかし、この東大陸においては明確な国家が存在しないため、各人が好き勝手道場を開いているようである。



 そして、このグラス・ギースに道場は―――ない。



 アンシュラオンとて、陽禅公という世界中の武人がよだれを垂らして羨ましがる超絶道場に通っていたのだ。


 そこで基礎と知識を叩き込まれたおかげで、今日の強さがある。


 おそらく道場の存在すら知らないビッグが、技を知らないのは致し方がない。



 浅い。浅すぎる。



 武人の強さは腕力や速度だけではない。知識もまた大切な力なのである。知識があれば、相手の行動を先読みすることもできるのだから。


 これではあまりにもレベルに差がありすぎる。



「豚君、君はあまりに弱すぎる。役者は舞台でしか輝けない。舞台に戻りなさい。そうすれば、もう一度だけチャンスを与えよう」


「いいかげん、お前にはうんざりだ!! その口調も、他人を馬鹿にした態度も、このやり方も!! お前は殺す!」


「言っても通じないか。言葉のわからない豚と話すのは疲れるな」


「なめるなっ!!」



 ビッグから、さらに戦気が噴き上がる。


 それは店で放ったものとは比べ物にならないもの。あの時は完全な戦闘態勢ではなかったので、抑えていたのだ。本気を出せばこれくらいのことはできる。


 しかし、目の前の仮面の男は、さらに呆れることになる。



(練気が遅い。こんなにちんたらしていたら、その前に攻撃されて終わりだぞ。練った力が分散している。戦気への変換量が少ない。力任せにやろうとするからだ。ああ、イラつくな!)



 アンシュラオンから見れば、まさに児戯じぎ。修行を始めたばかりの子供程度にも満たない。


 明らかに修行をしていない武人、それも悪いほうの例である。


 修行をしていなくても素で強い武人はいる。因子が高かったりセンスがあると、生まれ持って戦い方がわかるのだ。


 練気のやり方も自然と感覚でわかるので、何の修行をしていなくても強くなる。それは魔獣のようなもの。鍛練せずとも生まれ持って強いのと同じだ。



 だが、やはり壁を超えるには、より強い人間の補佐があったほうが有利である。


 少し考えてみればわかることだ。あの最高の資質を持ったパミエルキでさえ、修行を必要としたのだ。


 最強になるため、という目的があったのかもしれないが、あのパミエルキが、あの恐るべき女性が、一応は陽禅公に頭を下げたのである。


 生まれ持った才能だけでは限界があるという、これ以上ない一例であろう。



「お前は誰に戦い方を習った」


「ダディーだ!」


「ダディー。父親という意味だが…組織のコードネームでもあったな」



 ソイドファミリーの中核メンバーは、そうしたコードネームでお互いを呼び合う。


 より正しく述べれば、ファミリーになった時から本名がなくなるのだ。コードネームが本名となり、それ以後はずっとその名で呼ばれる。


 よって、ダディーもマミーも本名であり、最初からファミリーの一員だったビッグは、生まれた時からビッグである。


 そこでふと疑問も生まれる。



(リンダが結婚したら何になるんだ? ワイフやハニーとかじゃないだろうな? それはそれで笑えるが、大勢から呼ばれるのは嫌だな)



 「ハニーの姐さん、おはようございます!」なんて言われた日には、リンダは正直恥ずかしくて耐えられないだろう。慣れてしまえば、単なる記号になるのかもしれないが。



 と、それよりはビッグである。



「お前がその程度だとすれば、ダディーってやつの強さも、たかが知れているな。まいったな。普通に戦ってもつまらないぞ。何か別の趣向でいかないと一瞬で終わってしまうな…これは困った」


「っ!! ―――死ねっ!!」



 それを挑発と受け取ったのだろう。ビッグが殴ろうと駆けてくる。


 見た目に反して肉食獣のような瞬発力を持っているので、その速度はかなりのものである。


 この巨体が突進してくるのならば、そこらの武装した衛士が何人いても相手にならないだろう。


 戦気で肉体を強化した武人は、それ一つで、もはや兵器である。銃弾でも止められない。



 が、そうするにもまずは足を地面にかけねばならない。


 踏みしめて、押し込まねばならない。




 その足が―――滑った。




「なっ!」



 勢いよくダッシュしようとしたのはいいが、肝心の足が滑って大きな身体が一回転した。


 床が弱すぎて陥没したとかならば、まだなんとなくカッコイイが、その原因は【氷】。


 アンシュラオンが水気を凍らせて生み出した氷に滑ったのだ。


 普通の氷くらいならば簡単に踏み砕くが、彼が生み出したものは格が違う。


 踏み砕くことなどはできず、目の前しか見ていなかったビッグは見事にすっ転ぶ。



「はっ!」



 しかしそこはさすが武人。素早い反射神経で、片腕をついて受身を取る。



 そのまま全体重を預けた瞬間―――再び氷。



 凍ったのは床だけではない。彼の手も凍った。


 床も凍り、手も凍れば、もはやそこに摩擦というものは生まれない。



 さらに一回転をして、背中を床に強打。



 ドスーンッ!! という音とともに部屋が揺れる。



「ぐっ!」



 自身の加速力が全部跳ね返ったので、ダメージはないが息が詰まった。


 それによって戦気が乱れる。呼吸ができずに練気が乱れたからだ。


 それもまた鍛練不足である。



「おいおい、うるさいぞ。いくらこのホテルが頑丈で防音だとしても、お前みたいな豚君がウルトラ前方受身をしたら、下に響くだろうが。まあ、下の階にも誰もいないけどな」



 ちなみに下の階も無人である。


 二十五階がVIPルームなので、防犯上のことも兼ねてである。そこが埋まるほど繁盛していれば、ホテル街も安泰だったのだろうが、現在では万年空き部屋となっている。


 それはそれで心配だが、この程度で二つ下の階に音が漏れることはないだろう。



「足元には注意しろよ。危ないからな」



 実は、さきほどリンダに使った水を少し残しておき、会話の間に足元に忍ばせておいたのだ。


 案の定ビッグはそれに気づかず、あっさりと罠にかかった。わかってはいたことだが、さすがになさけない。



「歩くときだって足元は見るだろう。それともお前は下を見ないで歩くのか? いけないなぁ。蟻さんがいたらどうする。虫でも生き物は大切にするべきだと習わなかったか?」


「ぐっ…この野郎…! 小細工をしやがって…! 正々堂々打ち合え!」


「ふぅ。お前な、今何が起こったのかわかっているか? わかっていないだろうな。だからそこに寝転がっているんだよ」



 アンシュラオンがやったことが、いかに優れているのか。


 まず、凍気を使っていることに驚かないといけない。ラブヘイアが驚いたように、水の属性に特化した武人でないと扱えない上位属性である。


 さらに水気を移動させたことも驚愕だ。これは遠隔操作系の武人にしかできないことである。そこでまた驚くか、警戒を強めねばならない。


 加えて練気が異様に速い。ビッグのように時間をまったくかけない。


 きっとビッグには、アンシュラオンが戦気を使っていないようにさえ見えることだろう。切り替えが速すぎて見えないのだ。



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