116話 「哀れなる弱き鳥と、無知なる豚の喜劇 後編」


「いやいや、両者ともに素晴らしい反応だ。いい、いいぞ。これぞ劇だ! 恋人に無事出会えたのだから、やはり【喜劇】と呼ぶに相応しいな! はははは!」



 アンシュラオンは、ビッグとリンダの反応に大いに満足そうだ。


 彼も思ったよりビッグが我慢していたので、若干不安だったのだ。「もし反応が薄かったらどうしよう」と。


 その場合、何かしらのてこ入れが必要だと考えていたが、この様子ならば大丈夫だろう。


 見事にキレてくれた。劇の主役としては、そちらのほうが面白い。



「…じー」



 そして、それをサナがじっと見つめる。



「よく見ておくんだぞ。劇は集中して楽しむものだからな。その世界に没入して、あらゆる感情を共有するんだ。そうすると、まるで自分が同じ体験をしているような気分になる」


「…こくり、じー」


「そう、そうだ。それがエネルギーになる。お前の心を生み出す力となっていく。素晴らしい、素晴らしいよ」



 エメラルドの瞳が【喜劇】を見つめる。


 今彼女の瞳に映っているのは、激しい怒りに打ち震えた豚の姿。


 その怒りが、憤りが彼女の中を彩っていく。



「何をした! リンダに何を!!」


「たいしたことはしていない」


「これでよくそんなことが言えるな!!!」


「まあ、落ち着け。裸にしたが、それだけだ」


「なんだと!! それだけでもたいしたことだろう!」


「お前は鳥に服を着せるのか? 飼い犬に服を着せる馬鹿どもが大勢いるようだが、オレはあんな悪趣味じゃない。鳥は鳥のままが一番美しいだろう?」



 犬に服を着せ、あまつさえメガネなどを付ける大馬鹿者もいるようだが、まさにあれこそ人間の身勝手な自己満足である。


 アンシュラオンからすれば、りっぱな【動物虐待】でしかない。


 そんな趣味はない彼は、鳥を鳥のまま自由にさせた。それだけのことである。怒られる筋合いはないし、意味もわからない。むしろ心外である。



「感謝してくれよ? やろうと思えば、もっと酷いこともできたんだからな」



 実際、リンダにはたいしたことはしていない。


 本当ならば、エロゲーでよくありそうな酷いことをしてもよかったのだが、他人の【物】に興味がないアンシュラオンにとっては、何の感情も湧かないものである。


 檻は心理的にダメージを与えるために使用した。それだけのこと。


 人間が鳥を籠に入れるのと同じ。臨場感の問題だ。



「ならば、この傷は何だ!!」


「よく見ろ。それは自分でつけたものだ。【自傷】というやつだな」


「なんだと!! 彼女がそんなことをするわけが…」


「ぁぁ…ぁあああ!」


「り、リンダ! やめろ! 何をしている!」


「あああっ、あああ!!!」



 リンダは怯えながら、爪で自分の肌を引っかいている。


 彼女の身体にあった引っかき傷は、自分がやったもの。アンシュラオンがやったものではない。



「な? 自分でやっているだろう?」


「どうして止めない!!」


「オレは他人の自由を侵害しない。その中で何をするも、そいつの自由だ」


「クソがっ! てめぇが閉じ込めたからだろうが!」


「所有物をどうしようがオレの自由だ。で、オレにかまっている暇があるのか? 鳥が鳴いているぞ」


「あぁあ…ぁぁ」


「リンダ、大丈夫だ! すぐに助けるからな!」


「いや…駄目……だめっ」


「どうしてだ! リンダ!! こんなもの、今すぐ…」


「駄目ぇえええええええええぇえええええ!!」


「え?」



 檻をこじ開けようとしたビッグの左手が―――弾かれる。


 慌てて見ると、とても鋭い刃でスパッと切られたように、手の平に大きな傷が生まれていた。


 ただし、血は出ない。そのまま凍結したからだ。


 切断されなかったのは、彼の肉体が丈夫だったからだろう。常人ならば、間違いなく手を失っている。



「なんだこれは!? 水……氷!?」



 檻の鉄格子から噴出した水気が、手を切り刻んだ。


 これも停滞反応発動を使った技、トラップである。



「言い忘れていたが、檻にはセキュリティがあってね。触れると危ないぞ。まあ、最初にぶつかった時は意図的に発動させないようにしていたんだけどさ。はははは、悪い、悪い。ちょっとしたイタズラだ。どうだ? 驚いたか?」



 ビッグが突進した際に本当ならば発動していたものだが、驚かすために少し停止させておいたのだ。


 ほんのイタズラ。楽しいイタズラである。


 前にパッチンガムという、板ガムを引っ張るとバネが跳ねて親指を打つイタズラアイテムがあったが、あれをくらった時のような驚いた顔をしている。



「いい、いいぞ! いい顔をしているぞ! 君は男前だなぁ、豚君! すごくいいぞ!」



 パンパンパンッ


 見事ハマったことが楽しくて、手を叩く。


 そのすべてがビッグを苛立たせていく。



「貴様…!! どれだけ馬鹿にする!」


「そんなに怒るなよ。ちょっとしたイタズラじゃないか」


「これがイタズラで済むか!!」


「ふむ、なるほど。君の言いたいことも理解できる。オレの国では、人を驚かせて楽しむ番組が流行っていてね。他人を驚かせて楽しむなんて、趣味が悪い連中だと蔑んでいたものだが…ははは。やる側としては、たしかに面白いかもな。恋人同士を驚かせて楽しむ。いい趣味をしているぜ、あいつらは!!」



 地球時代、人を騙して驚かせる番組が流行っていたものだ。いわゆる「ドッキリ」である。


 その時は「人を驚かせて楽しむなんてゲスなやつらだ」と思っていたものだが、やってみるとたしかに面白い。



 今のビッグとリンダの顔なんて、まさに最高だ。



 リンダは恐れおののき、ビッグは怒りに満ちた顔をしている。これこそドッキリの醍醐味だろう。


 ただ、その番組には常々不満があったものだ。



「命がかかっていないドッキリはつまらないなぁ。失敗したら死ぬってほうが面白いのに。バレたら死ぬとか、爆弾を使うとか、実弾を使うとか、もっと面白いショーにできると思うのだが、どうしてやらないんだろうな。それに比べ、君たちの顔は最高だよ。とても美しい」



 本気でないものは、どんなものでもつまらない。これも本気だからこそ楽しいのだ。


 だが、これはやる側だから面白い。やられるほうは最悪で最低の気分だ。



 もう―――我慢の限界。



「リンダを解放しろ!! 今すぐだ!!」


「取引に応じるのかな?」


「ふざけるな! 応じると思うか!?」


「豚君、約束が違うなぁ。君は条件を呑むと言ったはずだ」


「具体的な条件はまだ提示されていなかった。タイムリミットだ」


「ははは、豚君はやっぱり面白いな。君は芸人の資質があるかもしれない。しかし、それはできない相談だ。解放したいなら、自分で勝手にやってみるといい」



 ジュワッとリンダの足元から水が染み出す。


 鉄格子がスカスカにもかかわらず、それは檻からは一滴も漏れずに徐々に上昇を始める。


 しかもそれは―――薄い硫酸。



「いやあああああ!! 痛い痛い痛い!!!」



 極限まで薄めているが、水気は水気である。前に実験でやったように、原液ならば一滴で動物が爆発するような代物。


 リンダは武人ではないので、触れるだけで皮膚が焼けていくのは仕方がないことだ。



「ひっ! ひっ!!」


「リンダ!! すぐに出してやるからな!!」



 グイグイッ ジュワッ

 グイグイッ ジュワッ

 グイグイッ ジュワッ


 だが、ビッグがこじ開けようとすればするほど、水の量は少しずつ増えていき、一気に膝まで浸かる。



「あっ、あっ!!! ああああ!!」


「リンダ!!」


「ほらほら、どうした。早くしないと大変なことになる。女性の肌はデリケートだからな。跡が残るとかわいそうだぞ。だが、気をつけろ。君が檻に触れている間、水は増え続ける。力の具合に応じて量も増えていく。慎重に、それでいて大胆に助けないと、あっという間に全身が包まれるぞ」


「………」



 ビッグが、立ち上がる。その目に、強い殺意を抱いて。



「どうした、豚君。怖い目をして。早く助けないのか?」


「助ける方法は一つじゃない」


「土下座でもしてくれるのかな? それよりは無条件で降伏したほうが話は早いがね」


「土下座もしない。条件も呑まない」


「ほぉ、ならば、どうやって助けるのかな?」


「こうするんだ!!」



 ビッグの身体から戦気が噴出する。


 今の彼の感情を示すように、真っ赤で燃え立つような戦気が身体を覆う。



「へぇ、それでどうするのかな?」


「お前を殺す」


「ん? よく聴こえなかったな? もう一度言ってくれないか?」


「お前を殺すぞ、ホワイト!!」


「んー? 間違いでなければ…『殺す』と聴こえたがね」


「ああ、そう言ったんだ」


「っ!!」



 それを聴いて、アンシュラオンの目が驚きに見開かれる。


 本当に驚いた、というような目をしている。仮面の中で。


 それから、とてもとても上機嫌な声を出す。



「ほぉ、ほぉほぉほぉ!!! あははははははははは!! あーーっはははははははははは!!」



 パンパンパンッ! パンパンパンッ! パンパンパンッ!



 狂ったように手を叩き、仕舞いには腹を抱えて笑う。


 その様子に演技はまったくない。本当に面白くてどうしようもなくて、腹を抱えているのだ。



「なんだ! 何がおかしい!! そんなに可笑しいのか!!! ここまでやったんだ! 当然だろう!!」


「いや…いやいやいや……すまん、すまん。そうじゃない。はー、腹が痛い」


「馬鹿にするのもいい加減にしろ! この狂人が!! 自分が死ぬ時まで狂ってやがるのか!!」


「ふー、ふー、ふー。ふー。とても面白かったよ。君はほんと、役者だな。個人的に君を雇いたくなってきた。そうだ。劇団を作ろう!! 役者を集めて、楽しい劇を催すんだ。今回みたいな楽しいショーは、オレだけが見るのは勿体ない。もっと多くの人間に見せたいよな。おっと、見世物小屋!! そう、見世物小屋だ!!」



 ホテルに閉じこもっていると、娯楽が少ないことに気がつく。


 いや、そもそも都市内部に娯楽自体が少ないのだ。あるとしても酒場や娼館程度。そんなものでは誰もが飽きてしまうのは当然だ。


 これほどの役者が眠っているのならば、劇団を作ってもいいかもしれない。


 この迫真の鬼気迫る劇場を見れば、誰もが心を動かされるに違いない。


 そう、今こうして、じっと見ているサナのように。



 サナの目は―――光っていた。



 輝いている。燃えている。今までのように淡々と見ているわけではない。


 がっつり食いついて見ている。興味を引いたということ。そこに本物の人間の心の動きがある、ということ。


 いつだって人間を動かすものは、本気の生。


 ドッキリのような嘘偽りではなく、今のビッグやリンダのような本気の感情である。



「劇は楽しいか?」


「…こくり、ぎゅっ」



 サナが、自分の服をぎゅっと握る。興奮の意思表示である。



「そうかそうか! そんなに楽しんでくれているか! お兄ちゃんが、がんばってセッティングした甲斐があったな!! 素晴らしい!」



 アンシュラオンの心の中に、じんわりと絡みつく快感が広がる。


 女性にプレゼントを贈る時は、いつだって緊張する。それが映画や劇だと、その成否はほぼ運に任せるしかない。


 だからこそ、だろうか。だからこそ、成功した時は嬉しいのだ。


 サナのために用意した劇である。喜んでくれれば、それはもう最高の気分になるのは当然なのだ。



「劇…だと?」


「ああ、そうだ。楽しい劇だよ。さしずめ君は、囚われの姫を助けに来た勇敢な騎士かな。ツラの良さなんて価値はない。役者にとって重要なのは、本気でやれるかどうかだよ。だから君が豚であっても…いや、豚だからこそ引き立つ。美しい鳥を助けに来た醜い豚。この対比が素晴らしいよ!!」


「貴様…どこまで…どこまで!!」


「そうそう、そういう台詞もいいね。まるで正義の味方みたいだ。だが、君は反吐が出るような偽善者とは違う。明確な意思をもって、明確な報酬を期待してやってきている。当然、報酬はその鳥との幸せな未来だ」



 アンシュラオンが手を伸ばす。


 そう、これはどこかで見たような光景。


 どこだったか。ああ、そうだ。


 たとえば、勇者に対して魔王が「世界の半分をやろう」と言ったゲームに似ているだろうか。


 条件を呑めば、彼は姫を取り戻し、幸せな暮らしができる。


 ただし、人類を裏切らねばならない。残るのは、勇者と姫だけ。


 だが、生物である以上、男女が一人ずついれば生き残る。残った半分の世界を、自分たちの子孫で埋めればいいだけだ。悪い話ではない。



「さあ、選びたまえ。オレに服従し、その女と一緒に幸せになるか、あるいは…」


「あああ!! いやあああ!! 痛い痛い痛いっぁあああああ!!!」


「リンダ、落ち着け!!」


「やれやれ、せっかく決めのいい場面なのに…これだから鳥ってやつは。犬もうるさいが、鳥も性には合わないな。静かな鳥ならいいけどさ」


「ふざけるな!! 今すぐ殺してやる!!」


「おっと、動かないほうがいいな。君はオレには絶対に勝てない。忠告だ。勝てない勝負はしないほうがいい。オレだって勝てない勝負はしないからな」



 今、目の前にパミエルキがいる。


 しかも、相手がアンシュラオンではないので、ひどく機嫌が悪く、激しい嗜虐心が湧き上がっている。


 そう言えば、これがどれだけ絶望的な状況かがわかるだろう。


 もし自分が豚の立場だったならば、即座に逃げるか、それができないのならば服従を誓うだろう。



 しかし―――無知。



 無知とは罪ではないと言う。しかし、本当にそうだろうか。


 無知こそ、もっとも罪深いのかもしれないと思わせる一言を、彼が言うのだ。




「死ね、ホワイト!!!」




 喜劇はさらに加速して、狂劇となる。


 場外乱闘も、劇場ならではの一つの見せ場だろう。観客は、予想外のハプニングに喜ぶに違いない。


 これはサナという、たった一人の観客のために用意された劇なのだから。



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