113話 「豚君へのプレゼント 後編」


(この男、完全に壊れてやがる! くっ、こんな狂人といつまでも一緒にいられるか! 頭がおかしくなる! オレは帰るぞ!!)



 ホワイトに愛想笑いをしながら、ビッグはそっと場を離れ、同じく呆然としているジェイと接触する。



「あとは任せたぞ」


「えっ!? そんな! あれはどうすれば…」


「処理をしておけ。不要になった中毒者や売人を処分する場所があるだろう。そこでいい」


「よ、よろしいのですか?」


「よろしいも何も、あんな狂人に付き合っていられるか。あいつはまともじゃない。頭がおかしい。取引は終わった。あとはホステスの女を使って、適当に満足させておけばいい」


「わ、わかりました…」



 そう言うと、そそくさと入り口から帰ろうとする。


 胸はまだムカムカしており、酷い二日酔いになったような気分だ。吐き気がする。


 ビッグは今まで、人の命を軽く見る医者を大勢見てきた。しかし、それ自体を弄ぶタイプの人間には初めて出会った。


 医者だからこそそうなったのか、そんな男だからこそ命を左右できる医者になったのか。それはわからない。


 どちらにしても悪魔のような男である。仕事ならば仕方ないが、それ以上は見るのも不快である。



(はぁ、最低の日だ。だが、組織の上に立つと、こんなことも起こる。そもそも都市というものは綺麗事だけで成り立っているわけじゃない。それは覚悟していたことじゃないか。そう。裏があるから成り立つこともある。どんなつらい日々だって、リンダさえいれば…)



 裏社会の人間だって、人の子だ。人生は常に苦痛と苦悩に満ちている。麻薬を取り扱う罪についても知っている。


 そんな彼にとって唯一の希望は、リンダの純朴な笑顔である。彼女の笑顔があればがんばれる。




 それだけを想い、出て行こうとするビッグに―――投げつける。




「っ!」



 ビッグは反射的にそれを受け止める。鍛え上げた武人の肉体と反射神経が反応してしまったのだ。


 それを投げたのは、当然ながらホワイト。


 いつ動いたのか、ビッグのすぐ近くにまで移動していた。妹も一緒だ。



「いい反応だな」


「何を…」


「お前にはもう一つプレゼントがあるが…どうする?」


「申し訳ありません。私は用事が…」


「そうか。ならば、それは捨ててくれ。まあ、しょうがない。そういうこともある。それならば捨てるしかないな」


「何をおっしゃっているのか、よくわからな……っ!!」



 その時、ビッグは気がついた。


 その手に握ったもの、ホワイトが投げつけたものが何であるのか。


 大きいながらも敏感な手が、触覚だけで探るいつもの癖が、それが何であるかを教えてくれる。


 それは彼からすればとても小さなもので、丸い形状をしていた。感触は、ひんやりとして冷たく硬いものだ。


 屈みながら、恐る恐るそれを見る。



 そこにあったのは―――指輪。



 とてもとても見覚えのある指輪である。


 忘れるわけもないし、見間違えるわけもない。なぜならば自分が買ったから。買って渡したものだから。



(なんだ? なぜ、これがここにある? 似ているもの? いや、違う。イニシャルがある。これは…まさか!!)



「これっ―――!?」


「しー」



 思わず大声を出そうとしたビッグの口を、ホワイトが指で塞ぐ。


 簡単に振りほどけそうな指が、なぜかひどく重く感じられ、身動き一つ取れない。


 おそらくそれは、目の前の少年のような男から発せられる異様な威圧感が影響しているのだろう。動きたくても動けないのだ。


 そして、ビッグが指輪を大切そうに持っているのを見て、ホワイトは満足そうに笑う。



「どうやら君は、ラブスレイブは趣味じゃないらしい。申し訳ない。これはオレの選択ミスだ。このまま帰してしまっては、君たちとは友好的な関係を築けなくなる。これほどまでに、もてなしてくれたんだ。こちらも相応のものをプレゼントしないと悪いだろう? 心苦しくて、居ても立ってもいられなくなる。フェアじゃない」



 そして、半ば硬直しているビッグが持っていた指輪を取り上げてから、ゆっくりと撫でる。



「少し前に珍しい【鳥】を手に入れてね。調べてみたら、その鳥は豚が好物だっていうんだ。ははは、笑えるだろう? あんな綺麗な鳥が、豚が好きだなんてさ。まあ、そんな鳥だからこそ希少なんだがね」



 動悸が激しくなる。汗が滲んでいく。筋肉が硬直して動きが鈍くなっていくのを感じる。軽い目眩もする。


 これに似た状態を知っている。


 自分が「挨拶」をした相手が、いつもこのような状態になっていた。軽くほのめかすだけで、相手は面白いように動きを止めるのだ。冷や汗を流しながら。


 それを今、自分が感じているだけにすぎない。自分の番になったにすぎない。



 しかし、想像していたよりも―――遥かに苦しい。



 頭も身体も、ショックでまったく働かない。動かない。それが恐怖なのか、または違う感情なのかもわからない。


 ただただ苦しく、それでいて硬直する状況だけが続いている。まさに地獄である。


 そんなビッグの肩をぽんぽんと叩きながら、ホワイトは話を続ける。



「そんな時だ。豚である君と出会った。これは運命的だと思わないか? ちょうどそろそろ相手を見つけてやろうと思っていたところだ。君さえよければ、その鳥の結婚相手にでも……ああ、これはすまない。またミスを犯すところだったよ。まず最初に、君が鳥を好きかどうかを訊いていなかったね。これだとさっきのように、一方的なものになってしまう。そう、そこが知りたかったんだ。それが君を呼び止めた理由だよ」



 鳥が豚を好きなことは確認している。ホワイトには理解できずとも、それは間違いないようだ。


 しかし、はたして豚は鳥のことが好きなのか。


 そこがいまいちわからなかった。それによっては、今後の鳥の扱い方も変えねばならない。



「改めて訊こうか。君は鳥が好きかな?」


「無事…なのか」



 その言葉を発するまでが恐ろしく長い時間に感じられたが、実際はほんの数秒だったのかもしれない。


 まるで真夏のアスファルトの上。うだるような暑さの中で、歩いても歩いても辿り着けない「逃げ水」を追いかけているような絶望的な感覚に襲われている。


 無事なのか。生きているのか。


 すべてが真っ暗の世界において、唯一の光を探すように、その言葉だけをかろうじて搾り出す。



「それはもう元気さ。元気すぎて困ってしまうくらいだ。たまに大声で鳴くからね、叩いて、お仕置きしないといけないくらいだ。いい声で鳴くよ、あの鳥は。今度、遊びで翼をもぎ取ってみようかな。どんな声で鳴くかな? ぜひ君にも聴かせてあげたいね。君はそれで欲情するかな? はははは!」


「っ!!! ぐううっ!!!」


「おっと、こんなところで戦気を出さないでくれよ。誤解されてしまうだろう? オレと君は友達になろうとしている。今日招いてくれたのも、そういう意味だと解釈していいんだよな? それとも違うのかな? もし友達になりたいのならば、まずは気持ちを収めてくれないかな。そうじゃないと…鳥はどうなるかな? わかるだろう?」


「………」



 荒ぶる感情の戦気が、わずかに、本当にわずかに、少しずつ収まっていく。


 どちらに主導権があるのかは明白だ。それは声を聴けばわかる。


 ビッグの声は枯れたように弱々しく、まったく余裕はないが、ホワイトは自信に満ちた軽快な声で話している。



 すでに場は、ホワイトが支配していた。



 交渉を上手くまとめさせて緊張を緩和させたことも、ラブスレイブで困惑させ恐怖させたことも、鳥を使って絶望させてから怒らせたことも、そのすべてが計算によって行われたことだ。


 今こうしてビッグが戦気を放出できたのも、ホワイトがわざと「希望」を与えたからである。


 ビッグは、すでにホワイトの手中にある。彼を嘆かせることも怯えさせることも自由自在なのだ。




 ビッグから完全に―――抵抗の意思が消えた。




「…わかった……言うことを…聞く……」


「ああ、いいよ。素晴らしい態度だ。つまり君は、オレと友達になりたいということだね。ならば歓迎しよう。興味があるのならば、外に用意しているオレの馬車に乗ってくれ。ぜひ鳥と【お見合い】をさせたい。そうでないのならば、そのまま帰ってくれ。どちらにしても我々の友好関係は変わらない。強制はしないさ」


「…もし……帰ったら……」


「そうだなぁ。違う豚どもに売るとするかな。君も見ただろう? あんな感じにしてからね」



 そう言ってホワイトが指差したのは―――【壊れた人形】。


 さきほど店の中に放った、自我が壊れたラブスレイブたちである。


 豚どもに弄ばれるだけの哀れな鳥たち。ただ、哀れになったのは彼女たちにも責任がある。



「あの鳥たちは、オレのことを探ってきた馬鹿なやつらだ。その鳥の主人たちは、簡単にペットを見捨てたよ。あれは最初からそういうものだしな。今回オレが捕まえた鳥も、お前の組織とは関係ないのだろう? なら、問題はないよな。あんなふうにしてもさ」



 リンダの素性は、まだバレていないことになっている。組織としては、それを認めるわけにはいかない。


 ホワイトはただ、ホテルの従業員を確保しただけだ。たまたま好みだったのかもしれないし、何かが気に障ったのかもしれない。ただそれだけである。


 ソイドファミリーが、そのことに対して何かを言うことはない。まったくの無関係だからだ。


 だがそれは、あくまで組織としては、である。


 個人として、一人の男として、彼がどう判断するのかは別の話だ。



「三十分後、外に出る。それまでに決めてくれ。じゃあな」




 

 戻ったホワイトは、同類のモヒカンと仲良く談笑していた。



「いやー、旦那、大成功っすね。みんな、喜んでいるっすよ」


「本当だな。オレのアイデアはどうだ? 見事だろう?」


「最高っす。在庫整理もできたんで、こっちは大助かりっす」


「やっぱり、こいつらは売れなかったか?」


「がんばれば売れるっすが…劣等スレイブは、もともと安く買い叩かれるものっすからね。ラブスレイブにしても、反応がいつもあれだと飽きる客も多くて…」


「そうなのか? オレは楽しいと思うんだけどな…。こう、なんだ。エロゲーであるような、いつも発情している性奴隷をイメージしたんだが…ここでは受けないのかな? オレは個人的に一つくらいは欲しいんだが…」


「面白そうなアイデアっすね。常に発情していれば、余計な手間が嫌いな客には喜ばれるっす。ぜひ実現してもらいたいっす!」


「だろう? だが、常時発情は難しいらしいな。まだまだ実験が必要だ。また今度、違う女で試してみるよ」


「楽しみっすけど、機械を壊さないでくださいっすよー」


「大切に使っているさ。全部任せておけ。ははははは! オレについてくれば、お前も安泰だぞ」


「いやー、はっはっはっす! 今日は楽しいっすね! おっ、これは高い酒っすね。もらってもいいっすか?」


「タダ酒だ。飲め、飲め。浴びるほど飲め! おい、お前たちは歌え」



 ラブスレイブの尻を蹴ると、一斉に声を出す。



「あーーあーーー」


「あーーあーーー」


「ゲラゲラゲラ! 見ろよ! 合唱してやがる!! まるでカエルだな!!」


「旦那も鬼畜っすねー」



 笑っている。なぜか笑っている。


 他人の大切なものを踏みにじって、なぜか笑っている連中がいる。まったくもって信じられないし、神経が理解できない。


 殴ってやりたい。殺してやりたい。こんなやつらを生かしてはおけない。



 だが、そう思った時―――ビッグの目から涙が流れた。



 とめどなく涙だけが溢れ、身体が動かなくなる。殺してやりたいのに動けなかった。


 ホワイトにビビったわけではない。それ以上に哀しみだけが彼を支配していたからだ。


 走馬灯のようにリンダとの思い出が蘇る。一緒に歩いたこと、話したこと、楽しんだこと、愛し合ったこと。すべてが光り輝く思い出だ。


 しかし不思議なことである。人間というものは、常に悪いことばかりが記憶を占有する。


 ビッグの脳裏に浮かんだのは、今まで彼が人生を駄目にしてきた人間たちの顔。その怨嗟の声。自分に浴びせかけられる罵声と憤怒の声。



 そして、嗤っている声。



 目の前のホワイトのように、自分が不幸になったことを嘲笑している声が聴こえた。




―――「はははは! 今度はお前の番だ! せいぜい苦しめ!!」




 と。


 むろん、幻聴である。だが、それがビッグの心を削り取る。



(あぁ…ぁ……これが……【罰】か……。俺がやってきたことの…。だからこそ…俺はまだ……人間なんだ)



 まだ自分は涙を流せることを知った。それを教えてくれた女性がいる。


 その女性を見殺しにすることは、ビッグにはできなかった。



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