112話 「豚君へのプレゼント 前編」


(これで仕事も終わりだ。懐柔が終わったなら、リンダも帰ってくるだろう。ようやく結婚ができるな。ああ、長かった…。あいつには今までの分も、いい思いをさせてやりたい。幸せな家庭を作りたいな)



 リンダが初めてやってきた日、それはもう廃人のような姿だった。


 すべてに絶望をして諦めてしまった少女の顔は、ビッグに大きな衝撃を与えたものである。


 生まれた時から裏社会で暮らし、常に闇と隣り合わせで生きてきた彼の周りには、汚いことも暴力も当たり前のようにあった。


 人を殺したのは、まだ小さな頃である。


 武人としての力もあったので、ちょっとしたトラブルで口論になった相手を殴り殺してしまった。


 思ったより罪悪感はなかった。もとよりファミリー以外の人間に対する感情が希薄だったので、それも自然なことだろうか。



 だが、リンダと出会って、それが少しだけ揺らいだ。



 あの顔を見てから、自分がやってきたことが正しかったと言えなくなった。いや、最初から正しくないことはわかっていたが、それが麻痺していたのだ。


 吹き溜まりにいると、いつしかそれが当たり前になってしまう。人間として当たり前にある善の感情がわからなくなってしまうのだ。



 それが、壊れた。



 あの時初めて、他人に対する哀れみを覚えたのかもしれない。


 今まで血縁者との絆しか知らなかった彼に、人間としての温かみを与えてくれた女性。それがリンダだ。


 彼女のことを考えると胸が熱くなる。そして、幸せにしてあげようと思うものだ。


 すべては彼女のためにやったこと。我慢したことだ。その解放感を胸に、ホワイトから遠ざかろうとする。



「では、私はこれで…」


「ああ、そうだった。忘れていた。待て。お前にプレゼントがある」



 それをホワイトが止める。


 一瞬、嫌悪の感情がよぎったが、プレゼントという言葉に不快よりも疑問が勝った。



「プレゼント? 私に…?」


「うむ。オレばかりが要求するのも悪いだろう。だから、お前たちが喜ぶような【物】を用意してきた。忙しいだろうが、受け取る暇くらいあるだろう?」


「…ええ、まあ。プレゼントをもらえるというのは…嬉しいものですね」


「そうだろう、そうだろう。外で待たせてあるから、今持ってくる」



 そう言ってホワイトは、仮面の少女と一緒に外に出ていった。


 それもまた不思議な光景である。あの少女は何者で、なぜ一緒にいるのだろう。リンダの情報では妹だという話だが、それを連れ回しているのはなぜなのか。


 妹も仮面を被っていることも不思議で仕方がない。噂には王族説や貴族説もあるらしいので、本当に顔を晒せない素性なのかもしれない。


 謎の技術で末期患者すら治すのだ。恐るべき能力である。それを考えれば、顔を隠すくらいは当然だとも思える。



(プレゼントか。そんなものを用意しておくとは、やはり裏側の世界に通じた人間なのかもしれんな。それとも今までのことは演技で、こういうところでバランスを取るつもりなのかもしれない)



 今まで見たホワイト医師は、傲慢で横柄ではあるが頭はかなり良い。すべてを計算ずくだとすれば、実にあざとい男である。


 だが、そんな男が持ってくるプレゼントについては皆目検討もつかない。


 医療品を扱っている者たちに同じものを与えるとは思わないし、彼が何かを集めているという話も聞かない。今のところまったく予想できなかった。


 物なのに待たせてある、という言い方も不思議だ。あえてそういう言い回しをしたのか、ただ言い間違えたのか。




 そして、しばらく待っていると、ホワイトに連れられてモヒカンの男がやってきた。



(なんだあの男は? ホワイトの知り合いか?)



 待たせていたのは、あの男だろうか。取引の場にあまり部外者を入れたくないが、ホワイトが連れてきたのならば何も言えず、ただ見守る。



「お待たせしたっす。旦那がいきなり言うから用意に手間取ったっす」


「衛士たちは大丈夫だったか?」


「旦那の身分証があったから問題なかったっす。で、場所はこちらでよろしいっすかね?」


「ああ、問題ない。代金はオレが払ってやるから安心しろ」


「いやー、大助かりっすよ。こっちは在庫が余っていて困って…いたっ!」


「こら、余計なことを言うな。余り物みたいで印象が悪いだろう。あくまでプレゼントだぞ」


「す、すみませんっす」



(待てよ。あのモヒカンの男は…スレイブ商人か?)



 ビッグはスレイブには疎いが、領主の娘が白スレイブを集めていることは知っているので、最低限の知識だけはあった。


 この都市にスレイブ商会は二つしかない。その中で白スレイブを扱っているのは八百人という店だけだ。


 目の前にいる特徴的なモヒカンの男は、イタ嬢が懇意にしているスレイブ商人だったという記憶がある。


 狭い都市である。世間もまた狭いもので、裏社会の人間もよく見る顔ばかりだ。おそらく間違いないだろう。



(もしかしてシロを買い取ってくれるのか? スレイブにはシロも有効と聞くからな。だが、何か逆のようなことを言っていたような…)



 麻薬の目的はさまざまだ。その中にはスレイブに使用して、言うことを聞かせやすくする用途も存在する。


 あるいは依存症にさせて、薬を対価に上手く操るなどの手法もよく行われるという。


 ビッグはスレイブ商人というものを見て、それ以外に何も思いつかない。


 彼はたしかに裏側の人間で、日常的に闇に触れてきた男だ。しかし、闇は闇でもいろいろな種類が存在する。



 ホワイトが用意したのは、【違う色の闇】。



「ほら、行け」



 ホワイトの言葉で、ぞろぞろと何かが店に入ってきた。




 それは―――女たち。




 数は四人。首にスレイブの証である緑のジュエルをぶら下げているので、彼女たちがスレイブの女性であることは一目瞭然だ。


 しかし、その足取りは非常に不安定。今にも倒れそうに、ふらふらと歩きながら入ってきた。


 中には、いきなり壁に頭をぶつけた者もいるが、他の女性たちは気にも留めない。


 その異様な光景に、店にいた従業員やホステスはもちろん、ソイドファミリーのメンバーたちも驚きを隠せない。


 それがただの女性ならば、こうは驚かないが―――



「うへへ…へへ……」


「はは…あはは……はっ…へぁ…」


「あー、あー」



 その誰もが明らかに正気を失っているのだ。目は焦点が定まらず、口も開きっぱなしでよだれを垂らしている。


 そのわりに服はそれなりに立派なので、その対比が凄まじい。



「こ、これは…?」



 あまりのことにビッグでさえ、声が少し震えてしまったかもしれない。


 されど、一方のホワイトなる医師は、それはそれは楽しそうに語った。



「見ての通り【ラブスレイブ】の女たちだ」


「ラブスレイブ…?」


「それくらい知っているだろう?」


「え、ええ。存在自体は…」


「なんだ、見るのは初めてか。それじゃ、いいことを教えてやろう。ラブスレイブは、身体のどこかにそれを示す【印】がある。こいつらの場合は…ここだな」



 そう言って、ホワイトは女のドレスのスリットをめくり上げる。


 太ももの内側に―――薔薇の焼印があった。


 正確には薔薇に似た花であり、花言葉は「支配される愛」である。



「これは劣等ラブスレイブを示す印だ。等級が変われば焼印ではなく、また違った印になることもある。まあ、これも地方によって多少の差異があるがな。ともあれ、これがラブスレイブの証明だ」


「は、はぁ…」


「だが、これはいかん。本当はあまりやりたくはなかった。女性の肌の美しさが損なわれてしまう。焼印では触った時の感触も悪いしな。やるなら色素系のものとか、あるいは識別番号などがいいんだが…それではつまらないという意見にも頷ける。腕輪とかだと壊れてしまうかもしれんし、これはなかなか難しい問題だ。オレとしては、ジュエルを変えればいいと思うのだが、そっちのほうが難しいと言われてしまった。ほんと困るよな。だが、オレは諦めないぞ。ラブスレイブがラブスレイブらしく、もっと輝ける方法を探すつもりだ。うん、任せておけ。オレが来たからには、必ず新しい技術と概念を打ち立ててやろう!」



 喜々としてラブスレイブの説明をするホワイトは、ものすごく楽しそうだ。


 それはもう、その道のマニアが素人相手に熱弁するように、あれこれ嬉しそうに説明をしている。


 一方のビッグは、その温度差についていけず、ぽかんと状況を見つめるしかなかった。


 ホワイトが、それにようやく気がつく。



「ああ、そうだったな。君はまだまだ初心者だったね。重要なのは、もっと単純な部分だった。安心しろ。頭は壊れているが、身体が穢れているわけじゃない」


「頭が壊れている? 障害者…ですか?」


「いいや、普通の女たちだ。むしろ知力が高かった女もいるな」


「では、これはどういった状況で? 麻薬でも使われましたか?」


「ん? そんなものは必要ない。単に精神を破壊しただけだ」


「…は?」


「邪魔だろう? ラブスレイブに必要なものは身体だけだ。もちろん泣き叫んだりもするから楽しめるぞ。これがオレからのプレゼントだ」


「い、意味が…よくわからないのですが…」


「意味? 豚君は頭が悪いな。ラブスレイブは楽しむものだ。それ以上の意味なんてない。こいつらはもう自分では何もできないから、あとはお前たちが好きにして楽しめばいい。人間を飼うのは、なかなか楽しいぞ。おっ、豚君が人間を飼う…か。くくく、実にシュールで面白いじゃないか!! あはははは!! あの映画を思い出すなぁ。猿が人間を飼うやつをさ」


「………」


「どうした? 麻薬を取り扱っているなら、こういうやつも慣れたものだろう?」



 すでに自我すらなくなっている姿は、たしかに末期の麻薬中毒者を彷彿とさせる。


 ビッグも仕事柄、そういった人間を見てきたので、それ自体は珍しくはなかった。そういうものだと理解しているからだ。


 だが、それを楽しんでいるわけではない。あくまで仕事上において発生するマイナス要素であり、望んでいるわけではないのだ。


 むしろリンダによって他人に対する哀れみを知ったビッグにとっては、あまり見たくない光景だ。


 まるで自分の罪を見せられているかのようで、嫌気が差すことさえある。



 だが、目の前のホワイトは―――【愉しんでいる】。



 仮面で顔は見えないが、なんと楽しそうな声を出すのだろう。いったい何が愉しいというのか。どこに喜びを見いだすものなのか。まるで理解できない。



 そして、悟る。



(これがダディーの言っていた覚悟か。…厳しいな。ここまで痛いものかよ!)



 麻薬事業を引き継ぐということは、こういうマイナス面も受け入れるということである。


 プラスがあれば必ずマイナスも存在する。それを受け入れてこそのファミリーの長である。ダディーも長年、同じ痛みを受け入れてきたのだ。



「ほら、楽しめ。好きなようにしていいんだぞ」


「わ、私は…その…」


「なんだ、遠慮するな。こうやって尻を叩いて楽しむんだ。バンッとな」


「あー、あー」


「はははは! もっと鳴けよ! メス豚が!! バンバンッ」


「あーーあーー!」


「どうだ? いい声で鳴くだろう? こいつは同じ豚のメスだから、豚君は好物かもしれないな」



 ホワイトがラブスレイブの尻を叩いて笑っている。心底楽しそうだ。やはり何が楽しいのか理解できない。




 その狂気に―――思わず身震いした。




「くくく、はははははは!! いいね、すごくいい! お前たちみたいなクズには、ぴったりのプレゼントだ!! あははははははは!! まったくもって、お似合いだよ!! あーーーはっはっは!!」



(この男、わざとやっているのか!? だとしたら、とんでもないやつだ! 扱いやすいなんて思ったら大間違いだぞ!)



 ホワイト医師なる人物は、とても愉快そうに笑っている。これがわざとならば、自分たちに皮肉を叩きつけて笑っているのだ。


 「これがお前たちのやってきたことだ。オレはその手伝いをしてやるが、それでいいんだな?」と言っている。


 しかし、ホワイト自身が楽しんでいるのも間違いない。他人を馬鹿にして楽しんでいるのだ。


 ラブスレイブという【元人間】の女を使って。



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