100話 「シャイナの事情 前編」


 それから、完全に怯えきっているシャイナに向かう。


 目の前でこれほどの暴力行為が行われれば、誰だって怯えるに違いない。


 なぜならば、次は自分なのだから。



「っ…」



 アンシュラオンの歩みに反応して、シャイナが震えた。



「どうした? 怖いのか?」


「こ、怖い……そりゃ怖いですよ」


「そんな感情は初めて見せたな。仕事中はずっと一緒にいただろう」


「で、でも、こんなに……非道で残虐で最悪じゃなかったです」


「ははは、オレの評価もずいぶんとパワーアップしたな。それ以上の言葉は、なかなか見当たらないぞ。だが、これも本当のオレだ」



 ホワイトという仮面を脱いだアンシュラオンの顔。


 人も救うし助けるし、脅すし支配するし、躊躇いなく殺すこともある。表と裏合わせて一つの存在である。


 どれか一つでも欠けたら自分ではなくなる。



「次はお前が見せる番だ。本当の自分を…な」


「本当の自分って…私はいつだって……」


「言っておくが、お前がソイドファミリーとつながっていることは知っている。麻薬を売りさばいていたな。あんな変な覆面まで被ってさ。正直、目を疑ったぞ」


「つ、つけていたんですか!?」


「そりゃまあ、助手が挙動不審だったら普通はそうするだろう。これも上司の仕事だ」


「普通はしないですよ!? ストーカーじゃないですか!」


「実際、後ろ暗いことがあったんだ。つけておいてよかったよ。それにしても、まさかお前がな…。それでよくオレに偉そうな口が利けたもんだよ」


「あ、あれは…パウダーです! マッサージ用の白い粉です!」


「そんなに言うならお前にも塗ってやろう。腹を出せ!」


「きゃっ! や、やめてください!! くすぐったい!!」


「あっ、これは本物だった」


「ぎゃーーー!!」



 うっかり調査用に手に入れた本物をまぶしてしまった。


 肌に塗る分には『少ししか』問題ないので大丈夫だろう。どうせこいつは頭の中まで粉塗れだ。いまさら気にする必要はない。



「どうせつくなら、もっと面白い嘘にしろって。お前もああなりたいのか?」


「ひっ…まだ土下座してる!!」



 リンダはまだ土下座のような格好でいる。アンシュラオンから解除の命令がないので、ひたすら動かないように我慢しているのだ。


 涙を流し、口から血を流し、恐怖で震えている。ついでに下も漏らしている。


 アンシュラオンにとっては最高の眺めだが、シャイナからすれば非日常の恐ろしい光景に違いない。



「お前はオレを怖れているようだが、あいつが言っていたように売人の末路も似たようなものだぞ。裏に一歩でも足を踏み入れれば、力の流儀に従わねばならないからな」


「………」


「さて、一つ一つ順を追って訊こうか。オレに近づいた目的は何だ?」


「そ、それは、本当に興味本位で…名医がいると聞いたから…」


「運が良かったな。もしまだ実験中だったら、今の発言でお前も廃人になっていたところだ」


「厳しすぎる!?」


「当然だ。オレとサナの生活の邪魔になるのならば、女であっても容赦はしない。ほら、本音を言え。さっさと言え。言わないとどうなるか、頭の悪いお前でもわかったはずだぞ」


「やっぱり先生は…最低です!」


「麻薬中毒者を増やしているお前に言えた義理か?」


「っ!! そ、それは…」



 シャイナが一気に泣きそうな顔になる。自分でもその罪の重さを痛感しているのだろう。


 だが、やめられない理由があるのだ。やる理由があるのだ。


 普通なら「そんなの知るか」で終わらせるところだが、関わってしまった以上は仕方ない。関わろうと思ったのだから例外である。



「はっきり言うぞ。お前にあんな姿は似合わない。あんな恥ずかしい覆面を被って何をしている。それでお前は満足なのか?」


「そんなわけ…ないです。誰があんなこと…好き好んで……あんなのは最低です。先生よりも最低です。自分でも最低の気分です」


「若干気になる言い方だが、最低であることは理解しているようだな。どうやら根本の原因がそこにありそうだ。さっさと吐け」


「い、嫌です。ぷ、プライバシーの問題です」


「そうか。それならばそれでもいい。ただ、一つだけお前に言っていこう」


「な、何ですか? 脅すんですか? いいですよ! 私はべつに怖いものなんてもうないですからね!」



 とうそぶく姿が、すでに子犬そのものである。弱いからキャンキャンと吠えるのだ。


 本当の恐怖を知った人間は、今のリンダのように震えて動けなくなる。吠えることもできない。


 それを知らない彼女は幼い。その豊かな身体に似合わず、頭がまだまだ子供である。



(ここまできても、まだ【甘える】か。それもまた可愛いといえば可愛いけどな)



 彼女はまだアンシュラオンを信じている。心のどこかでは頼っている。自分には酷いことはしないと思っている。


 そうした甘える姿が、少しだけ愛らしく思えることもある。あくまで犬として、ではあるが。


 だが、次のアンシュラオンの台詞は、シャイナにとってあまりに意外なものであった。




「オレはソイドファミリーと手を組む」




「…え!?」



 その言葉にシャイナが目を丸くして驚く。


 ホロロもわずかに表情を動かしたが、すぐに戻る。アンシュラオンのやることにメイドが何かを言うわけもない。


 リンダは恐怖のほうが強いらしく、耳に入っていないようだ。


 少しずつその言葉の意味を理解したシャイナが、恐る恐る訊ねる。



「ど、どうして…? 麻薬組織ですよ? 危ない連中ですよ?」


「それがどうした? オレにとってはべつに危なくない。お前も酒場のチンピラをボコッたのを見ただろう。オレは強い。問題はない」


「そんなのおかしいですよ!!」


「何がおかしい?」


「せ、先生は麻薬中毒を治せるんです!! だから、あんなのと一緒になったらいけないんです!」


「言っていることが滅茶苦茶だな。オレはたしかに治せる。そのオレに対して、お前は治すことを希望している。だが一方で、お前は中毒者を増やしている。この矛盾をどう説明するんだ?」


「そ、それは……。でも、だからこそ先生がいないと駄目なんです…」


「なるほど、『医者と麻薬組織がグルになる』ことを希望しているのか? それならばオレと同じ意見だな」


「え? な、なんですか、それは!?」


「わからないのか? 警察と犯罪組織がつながるのと同じだよ。オレは治療を適度に制御しつつ治らないように調整する。あるいは麻薬を併用した治療を行う。もしくは、オレが治してまた中毒にして、また治してまた中毒にするを繰り返し、金を貪り続けるのも悪くない。お前が言うのはそういうことだろう? ならば、オレと同じ意見だ」



 アンシュラオンは身体を治すが、精神はまだ治っていないので再び中毒になる。誘惑してやれば、そういった人間は簡単に戻っていくだろう。


 なまじ身体が健康なので、しっかりと働いて金を稼ぐこともできる。彼らは懸命に働くだろう。麻薬のために。


 当然再び中毒になるので、頃合を見て治してやり、また中毒にさせる。この繰り返しならば医者も麻薬組織も両方とも儲かる仕組みだ。どちらも損はしない協力関係が築ける。



「そうなればお前も儲かるよな。だからこの前、麻薬中毒者を治療しないことに怒ったんだろう? なるほど、筋が通っている。納得したよ。あいつがあのままじゃ、自力で金も稼げないからな。それより治したほうがいいもんな」


「な、なんですか…!! そんなわけないじゃないですか! 私はただ、純粋に治ってほしいからああ言って…」


「だったらどうして、あいつらに麻薬を売った? 中毒が酷くなるだけだろう」


「あれは…先生が治療をしなかったから、せめて少しでも良いものをと…」


「何か面白いことを言ったな。どういうことだ?」



 アンシュラオンの追及に心が疲弊してきたのか、それとも言ってしまったほうが楽になるのか、シャイナがようやく重い口を開いた。



「私が配っていたのは…【コシノシン】です」


「コシノシン…二等麻薬だったか?」


「麻薬じゃありません。作用は似ていますが、昔からある【鎮痛剤】です」


「もともとは同じものだろう?」


「原材料は同じです。でも、抽出した成分が上質なので、副作用が少ないんです。快楽成分はコーシン粉ほどではありませんが、鎮静効果が強くて同じように気持ちが落ち着きますから、安い麻薬を使うよりは遥かに身体にはいいんです。…もちろん、使わないのが一番ですけど」


「詳しいな」


「勉強しましたから…」



 三等麻薬のコーシン粉を、さらに特殊な水や酢酸などに浸して合成していくと、二等麻薬である「コシノシン」が出来る。


 これは麻薬といえば麻薬であるが、鎮痛、鎮静剤としての効用が高い【医療麻薬】になる。副作用が比較的少ないので、二等麻薬に認定されているものだ。


 昔からグラス・ギースで使われているのは、このコシノシンなのだ。痛みをかなり抑制できるので末期患者には常用されることもある。


 ただ、その分だけ値段が高い。



「いつからかは知りませんが…たぶん私が生まれるよりも前からですけど、安い麻薬…鎮痛剤になる前のものが流通を始めたんです。コシノシンに合成すると量が半分以下になるんです。だから、その前のものが流行ったんだと思います。手間も少なく値段も安いですし…」


「それがコッコシ粉とコーシン粉か」


「…はい。それで中毒者が増えて…治安も悪くなったことがあったようです。今は少し取り締まりもありますが…あまり徹底はされていません」


「酒と同じく、金のないやつらの捌け口だからな。簡単になくすわけにもいかないんだろう。が、相変わらず病んでいるな。この都市は」



 グラス・ギースの経済が進化しなくなり、失業者や貧困者が増えれば増えるほど、こういった闇の部分は増えていくことになる。


 それをどうにかしようにも打開する術がないので、停滞を続けるしかない。それによってまた不満は溜まり、麻薬の需要も増えていく。


 まさに負の螺旋。抜け出せない泥沼だ。



「だが、お前が売人をやることにはつながらないな。中毒者を治したいなら、普通は医者になるだろう」


「だから目指しているんです。それは本当です」


「ならば、なぜ売人をやっている」


「それは…その……」


「まさかさっき言ったように『治せないならばせめて、少しでもましな良い麻薬をくれてやりたいから』じゃないだろうな」


「そ、それもありますけれど…」


「あるのか!!」


「ひゃっ、な、なんですか、いきなり」



(こいつは…思った以上の馬鹿かもしれん。だが、馬鹿に馬鹿と言ったところで意味はない。せっかく話し始めたんだ。我慢するか)



 その発想は、放っておくと外で借金をするから、仕方なく親が貸すのと同じパターンだ。


 結局何も変わらないどころか、相手は甘え続けるので死ぬまで抜け出せなくなる。根本の問題が解決されていないからだ。


 シャイナもそれと同じ。甘い、甘すぎる。間違った方向に甘さが出ている。


 それを馬鹿だと罵るのは簡単だ。だが、その人間の行動には、自分なりの理屈があるはずだ。


 今はそれを尊重しておこう。また話が滞るのは面倒だ。



「しかし、それはあくまで自分を納得させるための口実だろう。実態は何だ? その根幹部分だ」


「借金があって…」


「このあばずれが! やっぱり遊んでやがったな! あとで調教してやるから覚悟しろ!」


「思いやりの言葉がまったくない!? 違いますよ! 私のじゃありません! …その……お父さんので……」


「父親の借金をお前が返す義務はないだろう。と、この都市での法律は知らんがな」



 日本では相続をしない限りは、親の借金を子供が返す義務はない。相手は心情に訴えて迫ってくるが、義務はないので払う必要はない。


 そんなやつには焼いた木を尻につっこんであげよう。「超気持ちいい!」と泣いて喜ぶに違いない。


 が、それは普通の債権者の場合である。



「相手は麻薬組織ですよ。そんなの通じません」


「それで肩代わりか? 父親はなんで借金を負った? ギャンブルか? 女か?」


「…麻薬…です」


「終わったな。負の連鎖とはこのことだ。借金はいくらだ?」


「五百万です」


「うむ、多いな。利子で増えたか?」


「…それもありますけど、お父さんが麻薬を持ち逃げして…。その代金が大半です」


「持ち逃げか…。どんだけ駄目なんだ、お前の父親は」


「最低ですよ。先生よりも」


「その言い方はやめないか?」



 どうあってもアンシュラオンと比べたいようだ。そんなに自分は最低だろうか?



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