98話 「お仕置きタイム、恐怖の叫び再び 前編」


「うううっ―――がっ!」



 ボキンッという鈍い音を立てて、背中側の肋骨、胸郭が折れる。


 その痛みで呼吸がさらに乱れたが、まだ吸い込むことは許されない。



「あう…あっ…」


「いやいや、オレも意地が悪かったな。お前の目的など、とっくにわかっているさ。それにこうしていたら、しゃべるどころか呼吸もできない。ほら、放してやろう」


「っ―――! かはっ! はーーー! はーーー!! げほげほっ!!」



 アンシュラオンが放すと、リンダが転がるように呼吸を貪る。


 背中には鈍い痛み。軽く床に体重をかけるだけで激痛が走った。


 だが、これでも密偵である。


 なんとか脱出しようとドアに向かうが―――



「ああ、そっちは危ないぞ」


「えっ―――っ!!」



 リンダが這いずりながらも立ち上がり、ドアに向かって駆けた瞬間―――水が飛んできた。


 扉から水が染み出すと同時に、形状をツララ状に変えながら飛んでくる。



 それが両肩両腿に突き刺さり、肉を抉り―――さらに凍結。



 リンダの両手足が凍りつき、すっ転ぶ。



「ぁぁあぁあ…ああああ!!」



 凍っているので出血はない。しかし、痛みよりも凍結したことに恐怖を覚えたのか、必死に動かそうとする。


 が、まったく動かない。


 次第に両手足の感覚がなくなり、そのまま床に倒れていることしかできなくなる。



「だから危ないと言ったんだ。人の言うことを聞かないと、こういうことになる。よく覚えておけ」



 覇王技、水槍凍穴すいそうとうけつ。文字通り水気の槍を放ち、当たった部位を凍結させる放出技である。


 水気と凍気の複合技なので、因子レベル3ではあるが非常に高度な部類に属するものだ。


 しかも事前に技をとどめておきトラップとして活用する、遠隔操作の中でも『停滞反応発動』という超高等テクニックを使っている。


 停滞発動で発した技はストックされ、効果範囲内で特定の行動を取った対象に反応して一気に発動する。まさに罠である。


 発した箇所に戦気はとどまるので、知っていれば見破ることはできるが、この技を使える武人はそうそういないため、初見で防ぐことは不可能に近い。


 当然、アンシュラオンが逃亡を予期していないわけがない。あらかじめドアにはトラップを仕掛けてあったのだ。


 トラップなどなくても簡単に捕らえられるが、これも一つの余興である。



(逃げられるかも、って思ったところを潰すのが面白いんだよな。我ながら悪趣味ではあるけどね)



 デアンカ・ギースにも同じように希望を持たせ、それを打ち砕いている。


 しかも魔獣よりも人間のほうが効果は覿面。リンダの顔は、絶望に塗れていた。これが見たかったのだ。



「逃げたならば罰を与えないとな。ホロロさん、あれを持ってきて」


「かしこまりました」


「リンダちゃん、お楽しみはこれからだよ」


「はっ、はっ…はっ…! ゆる…して……なんでも…言うから……」


「今逃げようとしたばかりだろう? 信じられるわけがないな。オレは嘘をつく女は嫌いでな。そんな君にはお仕置きが必要だ。まあ、焦ることはない。楽しみに待っていなさい」



 再び過呼吸気味になったリンダの怯えた顔を観賞しながら待つ。



 もう少し見ていたかったが、用意はすぐに整った。



「お持ちいたしました」


「うん、ありがとう」



 ホロロが奥の部屋から持ってきたものは、筒が付いた箱状のもの。



「これを知っているか? これはスレイブ・ギアスを生み出す機械だ。非売品で貴重品だが、オレくらいになれば手に入れることができる」



 モヒカンの店にあった予備を献上させた(奪った)ものである。


 それで何をするのか、という問いは、実に愚かだろう。スレイブ・ギアスを使って何をするのかなど、決まりきっているではないか。


 それを知っているであろうリンダの顔が恐怖で歪む。



「ひっ…!」


「いい顔をするじゃないか。そうそう、捕虜ってのはそういう顔をしないと面白くない。知性がある生き物ってのは、これだから面白い。魔獣は頭が悪いから拷問なんて意味もないしね」



 本性を現したアンシュラオンは残忍な笑顔を浮かべる。



 彼には三つの側面がある。


 一つは、普段の気軽な能天気な姿。少年のふりをしながらお姉さんの乳を堪能する形態だ。


 もう一つは、英雄としての側面。強者との戦いを楽しみ、時には弱者を引っ張り勇気付けることもする王の側面である。


 そして最後に、暴力を楽しむ側面。支配欲と残忍性が増した状態の形態だ。


 その姿はまさに人間。良いこともすれば悪いこともする。複雑な要素がいくつも絡まった存在がそこにいる。


 これからアンシュラオンは、とても酷いことをするだろう。その気配をリンダも感じ取っているに違いない。



 その証拠に―――失禁。



 殺処分される前の犬が、あまりの恐ろしさに垂れ流す尿と同じように、彼女も震え、出してしまった。



「上からも下からも出すとは…この犬はしつけがなっていないようだな。言っておくが、オレのしつけは厳しいぞ。今からそんな様子で耐えられるのか?」


「ま、待って…何でも……言うから!! 本当に言いますから!!」


「密偵は死んでも秘密を守るんじゃないのか? その点でお前は失格だな」


「お願いします! ゆ、許してください! た、助けて…ください…!!」


「ずいぶんと必死だな。何か理由があるのか?」


「ううっ…うううっ……」



 アンシュラオンが涙を流して怯えているリンダをじっくりと観察。



 そこに何か情報がないかと探すと―――指輪を発見。



 質素な銀色のものだが、金属製なのである程度の値段はするだろう。問題は、それをはめている指だ。



「左手の薬指…か。お前は結婚しているのか?」


「はぁはぁ…こ、これから……する……予定で……」


「なるほど。では、婚約指輪だな。それが許しを請う理由か」


「は、はい…」


「吐いて漏らすような犬を欲しがるやつもいるんだな」


「ううっ…」



 リンダの頬を軽く叩くと、羞恥からか赤面する。


 吐くところも漏らすところも、普通の女性ならば誰にも見られたくないだろう。


 だが、それこそ彼女が密偵として半端な存在であることを示している。



(熟練した密偵ならば、怯えることもなく死んでいくはずだ。だが、こいつには【覚悟】がない。まったくもって弱いな。…しかし、もっと気になるのは、ソイドファミリーがこいつを送ってきたことだ。まさかオレの好きにしてもいいという意味でもあるまい。単に人材不足なのか?)



 正直、密偵としては微妙な実力であるが、そう思えるのもアンシュラオンの能力が異端だからだ。


 もし情報公開がなければ、自分だって気がつかなかったに違いない。それほど自然な素人っぷりであったからだ。



「では、知っていることをすべて答えてもらおう。オレの性格は理解したはずだな。少しでも嘘を言ったらどうなるか…わかるな?」


「は、はい…!! 言います!! 全部言います!!」


「では、質問を開始する。お前はソイドファミリーの密偵で間違いないな?」


「は、はい」


「目的は?」


「ホワイトさんの…監視です。逐一情報を送れと…言われています」


「ホロロさんの情報を流したか? あのチンピラはお前たちの仲間だな?」


「はい…そうです。ダディーさんの…命令です」


「ダディー? 誰だ」


「ソイドダディー。ファミリーの…組長です」


「お前を含めて構成員は何人いる? そのダディーってやつも含めてだ」


「三十二人…です」


「麻薬の売人を含めてか?」


「…いいえ。そういう人たちは…ファミリーの販売担当の構成員が、別途雇っている人たちです。切り捨てて…いいような人を…選びます」


「っ…」



 その言葉に反応したのはシャイナ。明らかに動揺しているのがわかる。



(シャイナのやつ、やはり理解はしていなかったようだな)



 危なくなったら切り捨てる。そんなことは常識である。



「ソイドファミリーはどこまで掴んでいる? オレの素性は知っているのか?」


「…そこまでは。素顔を見たのも今日が初めてですし…。ただ、疑ってはいます」


「何を疑っている? まさか…あの子のことじゃないだろうな!!!」


「ひっ、ひぃいい…」



 アンシュラオンの視線が強まる。


 もしここでサナの話題が出たら、怒ったアンシュラオンがリンダを殺していたかもしれない。予定を前倒しにして、ソイドファミリー全員を肉片残さず抹消していた可能性すらある。


 その場合は情報が不確定なので、関係ない人間も大勢殺していただろう。だが、それでも躊躇はしない。


 サナを守る時、アンシュラオンは悪魔以上の存在となるのだから。



「ひっ、ひっ…」


「おい、さっさと言え」


「はっ、はっ……前に…領主様に……危害を加えようとした……人に……にに、似てる…と…」


「なんだ、そんなことか。くだらない」



 一気にアンシュラオンの圧力が減り、リンダが少しだけ解放される。


 しかし、まったく生きた心地がしない。またいつあの恐ろしい視線に晒されるかわからないのだ。


 徐々に精神が磨り減っていき、身体がひどくだるい。



「ふーん、で、オレがそいつと同一人物だったらどうするって? 捕まえるのか?」


「い、いいえ!! 危ないから…様子を見る…って!!」


「なるほど。だから警戒レベルが上がって干渉がなくなったんだな。そっちのことはすっかり忘れていたよ」



 レッドハンター級の構成員二名を倒し、なおかつ危険人物に似ている男。たしかに警戒するのも自然だ。



「お前たちの根城は?」


「工業街にある…倉庫区。…その郊外にある…専用倉庫……です」


「お前は全構成員の顔を知っているか? それと、その顔写真は用意できるか?」


「…し、知っています。ただ写真は…簡単には……」


「それをなんとかするのがお前の仕事だ。できなければ、どうなるかわかるな?」


「ひうっ!!」



 倒れているリンダの耳を引っ張る。耳の感度は良いらしい。



「そうそう、大切なことを訊かないとな。お前の婚約者は誰だ? 一般人ってことはないよな。普通に考えれば構成員の誰かだ」


「な、なんで…それを」


「お前のような情報を知っている人間を、一般人や他の組織の人間とくっつけるわけがない。ああいう組織は結束を固めるのが基本だからな。で、誰だ?」


「そ、それは……」


「言ったほうがいいぞ。ファミリーの人間ならば、お前ともども助けてやらんこともない」


「え?」


「本当はな、お前たちを皆殺しにしようと思っていたんだが…。そうか。結婚か。めでたいことだ。女性にとっては人生で一番大切なことだろう。オレは従順なやつには慈悲深い男だ。本当のことを言って協力するなら、お前も婚約者も見逃してやろう」


「…で、でも……」


「なんだ、不満か? そんなに死にたいか?」


「ち、違います…。で、でも…だ、ダディーさんたちは…やっぱり売れません!!」


「ほぉ、勇気を出したじゃないか。どこが気に障った? 皆殺しのところか? お前たちだけが生き延びるのは忍びないか? だが、お前はまだ理解していないな。本当の意味でわかっていない。恐怖ってものを知らない」



 アンシュラオンが立ち上がり、機械の調整に入る。


 やることは前と同じだ。空のジュエルを思念液に浮かべ、媒介の精神術式のジュエルをはめる。



「前に誰かが言っていたが、人間は拷問には耐えられない。いつか限界がやってくる。まあ、オレにそんな趣味はないんでな。そこまで非道なことをするつもりはないが…これくらいはする」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます