97話 「剥がされた仮面 後編」


「んぐっ―――んっ―――!!!」


「遠慮するな。たっぷり飲めよ。女の子にも人気の酒だぞ」


「ぐっ…げほっ…ぶっ―――んんっ!! げほげほげほっ―――んぐっ!!」



 倒れた状態で強引に注がれているので、気管支にでも入ったのだろう。激しく咳き込む。


 これは苦しいし、痛い。


 が、それに逆らうことはできず、首を少しずつ傾けられて強制的に飲まされる。



「ほら、どうした。まだ半分だぞ。遠慮するな」


「がぼっ、げぼっ…んんっ……!」


「汚い音だな。女の子なんだから、もっと綺麗な音で飲んでくれよ」


「んーーー! んっ!! んぐっ!」



 それを一分間続けた後、ボトルを離してやると―――嘔吐。



 鼻からもワインが溢れ出し、涙を流して吐いている。




「げほっ…おえええ……ぇぇぇ……!!」




 吐き出された真っ赤なワインで床が赤く染まる。


 まだ食べていなかったのか吐瀉としゃ物はほぼなく、胃液を含めた液体だけが丸ごと吐き出された感じだ。


 この赤の中には、粗いボトルの切り口によって切れた口内の血も混じっているだろう。そう思うと、なかなか美しい色である。



「げほげほっ…ううっ…げほ……」


「あーあ、勿体ないな。飲まないで出すなんて無駄にも程がある。オレは無駄が嫌いでな。こんな粗相をしたやつを許すわけにはいかないぞ。さて、おかわりはあるかな?」


「白ワインもお持ちしております。赤と白を二本ずつです」


「さすがホロロさんだ。よくわかっている。それじゃ、あと三回挑戦できるぞ。次は飲み干せよ」


「た、たすけ…て……。ゆるして…げほっ……ください……本当に…知らな……」


「さすがに簡単に口を割らないか。それとも割れないのかな? そうだよな。嘘だったら、これからどんなことが行われるか、怖くて怖くてしょうがないもんな。くくく、これよりもっと酷いことが起こるのは間違いないぞ。楽しみだなぁ」


「ひっ…! 本当です! 許してください! わ、私はミチルで……入ったばかりなんです……」


「入ったばかりなのは間違っていないが、最初の発言は嘘だな」


「そんな…どうし……」



 ミチルが涙目になって必死に無実を訴えるが、アンシュラオンにまったく揺らぎが見られない。




 なぜならば―――






「リンダ・イーフィーン。ちゃんと綺麗な名前があるじゃないか。どうして使わないんだ?」





「っ―――!!」





 アンシュラオンがミチルという名前を知ったのは、ロビーのカウンターで会った時が初めてである。


 今まで何回かすれ違って挨拶はしたことがあるが、わざわざ従業員が名乗る必要もないだろう。ただすれ違って終わりである。


 だがあの時、名前を知った時に強烈な違和感を覚えた。




―――名前が違うから




 情報公開で見た彼女と名前が違う。


 源氏名ならばわかるが、ここはホテルだ。客でもない従業員が、わざわざ偽名を使う理由がない。


 ただ、それだけでアンシュラオンがこのような行動に出るわけがない。リスクがありすぎる。


 それも情報公開を見ればすぐにわかる。



「特技は『諜報』と『侵入』か。なかなか便利そうなものを持っている。欲しいくらいだよ」




―――――――――――――――――――――――

名前 :リンダ・イーフィーン


レベル:21/40

HP :120/120

BP :75/75


統率:E   体力: F

知力:E   精神: F

魔力:E   攻撃: F

魅力:E   防御: F

工作:C   命中: F

隠密:C   回避: F


【覚醒値】

戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/0


☆総合: 第十階級 下扇かせん級 忍者


異名:ソイドファミリーの密偵

種族:人間

属性:

異能:諜報、侵入、素人臭、対男性庇護欲増大

―――――――――――――――――――――――



(全然強くないけど、一応は第十階級に分類されるんだな。能力は完全に密偵向けだな)



 戦闘タイプではないので、その点に関しては怖れる必要はまったくない。


 しかし逆に強くないからこそ、こうして潜り込んでいても警戒されないのだ。


 『素人臭』というスキルでもわかるように、弱いことを隠しているわけではないので違和感がないからだ。



 そして、もう一つ重要な点がある。異名のところだ。



 しっかりと『ソイドファミリー』の名前がある。



「お前の正体は知っているぞ。ソイドファミリーが送り込んだ間者だな」


「っ…」


「もう隠す必要はないぞ。最初から知っていたからな。オレに偽名は通じない。そういった能力があるんだよ」



 最初は確証が持てなかったのと実害がないので放置していたが、ここ最近の出来事ですべてが理解できた。


 相手の素性はもうすでにわかっているが、シャイナに聞かせるためにわざとこう言う。



「ホロロさん、ソイドファミリーって知ってる?」


「医療品を取り扱う商会の中に、そういった名前があったように記憶しています」


「商会? マフィアっぽい名前だけどね」


「家族経営の商会ですので、そういった名前かと。ただし、実際に荒っぽいこともしているという噂です。裏では麻薬も取り扱っているとも聞きます」


「ふーん、なるほどね。麻薬か。じゃあ、最近麻薬中毒者が多いのは、こいつらががんばっているからなんだね」


「おっしゃる通りです。私の母も、この者たちにお金を搾り取られていました。弱い人間を狙う、いわゆる人間のクズどもです」


「ははは、ホロロさんも容赦ないな。オレが言うのもなんだけど、まあそうだね。駄目な人間を食い物にしているんだから、もっと悪いやつらだ。ほら、シャイナ、お前の大嫌いな人間がここにいるぞ。こいつらが麻薬を扱っているクズどもだ。よく見ておけ」



 そして案の定、シャイナが驚きの表情でリンダを見ていた。



「う…そ……なんで……」



 まさかソイドファミリーの手の者が、ホワイト医師の近くに潜り込んでいたとは思わなかったのだろう。本当に驚いている顔である。



(ほんと、こいつは自分の感情を隠すってことを知らないな。こんなにシナリオ通りにいくと逆に笑えないぞ)



 シャイナの反応が予想通りすぎて、さすがに心配になるレベルである。


 やはり犬だ。


 アンシュラオンは再度そう評価する。犬は犬にしかなれない。これからもずっとあのままだろう。




 さて、問題のリンダである。


 彼女がソイドファミリーの間者であることは間違いのない事実だ。情報公開が間違えることはない。



(ソイドファミリーは、かなり早い段階からこちらの動きを探っていた。そりゃ売り上げが減るのは死活問題だからな。すぐに反応するに決まっている。オレのほうは医者に興味がなかったから、少し出遅れたけどね)



 裏社会のネットワークは実に優れている。自分のテリトリーに異物が入ってくれば即座にわかるのだ。


 ただ、アンシュラオンも黙って放置していたわけではない。


 リンダには一つ罠を仕掛けていた。



「しかしまあ、リンダちゃんは真面目だな。オレがホロロさんに頼んで伝えてもらったことを、律儀にそのまま伝えるなんてさ。あまりに単純だったから、逆に罠じゃないかと疑ったくらいだよ」


「な、なんのこと…ですか?」


「まだしらばっくれるの? ホロロさんから聞いたでしょう? オレが眉毛じいさんの店『パックンドックン』に行くっていう話をさ」


「っ…まさか…あれは……」


「君も密偵のわりに顔に出すぎだね。そんなところが逆に使えるんだろうけど。いやー、あのチンピラどもを見たときは、競馬が当たったような気分だったよ」



 アンシュラオンが店で倒した二人組のチンピラ。


 彼らもまたソイドファミリーの構成員であった。異名にそう出ているので簡単にわかってしまうのだ。


 ミチルへの違和感を感じた日の夜、ホロロに会ってミチルが偽名であり、ソイドファミリーの一員であることを教えていた。


 そのうえでミチルに「ホワイト様が明日、パックンドックンという店に行くらしい」という話を伝えておいたのだ。


 それを調理の手伝いをしているミチルにも、不自然にならないように伝えた。明日の夕飯の用意はいらないという感じで。



 ミチルことリンダは、その情報に食いついた。



 すぐに情報を送ったのだろう。初めて酒場に行った時には、すでにソイドファミリーの関係者が何人かいた。


 あの二人以外にも一人、違うテーブルで酒を飲んでいた男。それもまたやつらの仲間だ。


 三人目は参加してこなかったので監視要員だと思われる。その男は二人がやられてしばらくしてから、静かに店を出ていったのを確認している。



「騒動を起こしたのは、こっちを痛めつけるのが目的だったのかな? それとも人となりを見極めるため? どちらにしても、あのやり方は失敗だったね。あまり友好的とは言えなかった。まあ、オレ個人は楽しかったからいいけどさ」



 実はあの二人、少しは腕っ節の強い男たちであった。


 第五階級の赤鱗せきりん級狩人、レッドハンター程度の実力はあったに違いない。普通の医者が相手ならば、簡単に捻じ伏せることができただろう。


 よって、あの騒動はすべて計画されたもの。相手の言動が安っぽかったのは、演技だったからだ。



(パターンは二つ。そのまま脅すか、あるいはその後に『守ってやるからこれからもよろしく』とか言うパターンかな)



 裏の人間がやることなど、どの時代、どの世界でも決まっている。


 しかし相手もまさか、医者があんなに強いとは思わなかっただろう。見事返り討ちである。


 そして、それを見ていた男が、ホワイトは危険だということを教えたのだろう。それ以後、そういったチンピラがまったくやってこなかったのが何よりの証拠だ。



「そろそろ認めたほうがいいんじゃない?」


「………」


「どうした? 今度はだんまりか? じゃあ、いっそのこと…止めてみるか?」


「っ!?」



 アンシュラオンがリンダの首を押さえながら、さらに膝を背中に押し付ける。




 リンダの呼吸が―――止まった。




 気道を塞ぎつつ、肺を完全に圧迫したのだ。呼吸したくてもできない状況である。



「かはっ―――はっ―――!!」


「苦しいのか? 呼吸がしたいのか? だが、駄目だな。お前たちの目的を吐くまでは許してはやらんぞ」


「かっ! かっ―――!!」


「ほら、もっと必死に吸えよ。窒息死するぞ。ほらほら、がんばれ。虫なら虫らしくあがけよ。はははは!!」


「がっ、はっーーー! っ―――!」


「虫というか、魚みたいになっちゃったな」



 口をパクパクさせている姿は、まるで魚。虫よりは的確な表現だと思い直す。



「せん…せい……酷い…」



 リンダに厳しい態度に出ているアンシュラオンに、シャイナは絶句する。


 まさかここまでするとは思わなかったのだろう。顔が青ざめている。


 そして思わず、近くにいたホロロに声をかける。



「先生を止めて…! やめさせてください!」


「なぜですか?」


「な、なぜって…こんな酷いこと…」


「偽名を使ってホワイト様に近寄ったのです。当然の報いでしょう。この御方に逆らうとは罪深いことです」


「あ、あなたは…!? そんな! たったそれだけで…」


「見た目に騙されているようですが、この女は麻薬組織の一員です。末期患者に麻薬は必要ですから、薬そのものは必要悪でしょう。しかしながら、それを治せるホワイト様を狙うなどと…言語道断です」


「そ、それは…でも、こんな…」


「まるで他人事ですね。ですが、あなたも同じですよ。彼女を見て、ここにいる意味が少しはおわかりになったのではありませんか? それともまだ理解していないとすれば、本物のお馬鹿さんですね」


「っ!」



 ホロロはアンシュラオンがこうした行動に出ても、まったく驚いた様子はなく、むしろ恍惚とした表情でいる。



 これが初めてではないからだ。



 アンシュラオンが最上階を全部借りている理由は、安全のためもあるが、それ以上にさまざまな用途に使うためでもある。



 この八号室は―――【尋問部屋】。



 これまでに四名ほど、アンシュラオンたちに近寄ってきたリンダのような害虫を尋問、処分してきた場所である。



 ホロロはそのすべてに加担している。



 ホロロにとって母親を一瞬で癒したアンシュラオンは、もはや神に等しい存在。敬愛を通り越して崇拝に近い感情を抱いてる。


 その神がやることが間違っているわけがない。現に今、愚かな欲望塗れの人間を排除しようとしている。


 末期ガンの母を助け、中毒者を癒し、さらに悪を排除する力を持つ。これこそ彼女が求めていた存在だ。



「ああ、ホワイト様…。なんて美しい…。私の…神。私のすべて」



 ホワイトに信頼されているホロロを見て、シャイナは改めて自分の現状を痛感する。



(私は信用されていなかった…。それも当然。私自身が信用していなかったから…。次は私の番なんだ)



 尋問されているリンダの姿が自分と重なる。自分もまた同じ側の人間であるから。



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